2020年6月28日日曜日

寛政暦の暦法 (1) 概要、日躔 (1) 平均黄経


前回
は、宝暦暦について駆け足で説明を行った。今回からは寛政暦。寛政暦はさすがに駆け足というわけにはいかない。
今回は、寛政暦の簡単な歴史と、日躔の入り口あたり(平均黄経と平気節気)の計算。また、寛政暦で用いられる数学について、若干の説明。

寛政暦の概要

最新の天文学の知識を取り入れた暦の採用は、八代将軍徳川吉宗が強く望みながら宝暦改暦のときには頓挫してしまった。が、幕府として吉宗の遺志を果たそうと挑戦を続けていた。

修正宝暦暦を起案した吉田秀長の子、吉田靫負秀升(よしだ ゆげい ひでのり)、宝暦改暦の際、改暦手伝として参加していた暦学者山路主住(やまじ ぬしずみ)の孫で志願して天文方に参加した山路才助徳風(やまじ さいすけ よしつぐ)らは、崇禎暦書(※)を基にした改暦を行おうと準備を進めていた。
  • (※) イエズス会士アダム・シャール(湯若望)が明朝の崇禎帝の命に応じて著わした新暦案。明の滅亡により採用されることはなかったのだが、その焼き直し版「西洋新法暦書」が時憲暦(第一期)の暦法書となっている

が、宝暦改暦の際、朝廷方の土御門家にしてやられた苦い経験から、土御門家の追随を絶対に許さない圧倒的に高度な暦法が必要とされていた。土御門家がどんな暦学者をブレーンに集めてこようが、絶対に勝てる暦法が必要だったのである。国内の民間の暦学者の間でも既に研究が進んでいた崇禎暦書では、それには不足だった。

そこで白羽の矢が立ったのが、大阪で活動していた麻田剛立学派であった。麻田剛立(あさだ ごうりゅう。綾部妥彰(あやべ やすあき))は、もとは九州の杵築藩(大分県杵築市)の儒者の家の出であるが、幼少時から医学・暦学等に興味を持ち独学で研究を進めていた。30歳のとき、宝暦暦が予報を外していた宝暦十三(1763)年九月日食も正しく予報していたとのことである。医学の腕を買われて藩主の侍医も務めるが、宮仕えは性に合わなかったようで、安永元(1772)年、侍医を辞して大坂に出、開業医を務めながら暦学研究に没頭することとなる。古今の暦の定数を比較勘案してその経時変化を推算した消長法を考案したり、また、ケプラーの第三法則(惑星の公転周期の二乗は、軌道長半径の三乗に比例する)を独立に発見したとも言われる(独立に発見したのか、ケプラーの法則をどこかで聞いたものなのかは議論の余地がある)。

2020年6月21日日曜日

宝暦暦の暦法

前回までで、貞享暦の説明は終わり。今回は宝暦暦。とはいっても、正直、宝暦暦は貞享暦の焼き直しで、諸定数が差し替えられているほかは、大して違いはない。駆け足の説明となる。

宝暦暦の概要

享保の改革を進めていた八代将軍徳川吉宗は、西洋書禁令を緩和し、西洋の科学技術の活用を振興していた。数学者建部賢弘(たけべ かたひろ。関孝和の弟子)に命じて、全国地図(元禄日本図)の改訂を行い、享保日本図を完成させている。
暦についても、西洋天文学からの知識を活用した改暦を行いたいと考えていたようで、享保十一(1726)年、暦学者中根元圭(なかね  げんけい)を召して、清朝の暦学者梅文鼎の著作全集「暦算全書」の訳を命じている。また、江戸城内に天体観測設備を整え、自ら観測を行い始めた。元圭にも太陽の観測を行わせ貞享暦のずれを調査させたが、「大きなずれはない」との結果であった。

しかしやはり改暦を諦められなかったようで、その後改暦作業を本格化させるが、その頃には、建部賢弘・中根元圭らは他界しており、天文方の渋川六蔵則休(しぶかわ  ろくぞう のりよし。春海の甥の子)も年若く改暦の任には堪えなかった。そこで、長崎の暦学者西川如見の子の西川正休(にしかわ  まさよし)を招へいする。正休自身も「天経或問」に訓点をつけ出版するなど、暦学者として活動していた。
延享三(1746)年、渋川・西川両名は改暦準備を進めるよう下命される。寛延ニ(1749)年、改暦準備が完成したところで正式に改暦の命が下る。

2020年6月13日土曜日

貞享暦の暦法 (3) 月離


前回
までは、貞享暦の日躔(太陽の運行)について書いてきたが、今回は月離(月の運行)について記述する。

経朔弦望

経朔弦望とは、平朔弦望、つまり、月・太陽の運行の遅速を考慮せず、月・太陽の平均黄経によって定めた朔弦望である。平均朔望月の 1/4 毎に、朔(新月)→上弦(半月)→望(満月)→下弦(半月)→朔(新月)が到来することになる。

2020年6月7日日曜日

貞享暦の暦法 (2) 日躔その 2 日出分、日行盈縮


引き続き、貞享暦における日躔(太陽の運行)について。前回は平気の二十四節気・土用についてであったが、今回は、日の出・日の入りと、平気(太陽平均黄経)から定気(太陽真黄経)への補正項である日行盈縮について。