2017年4月23日日曜日

奈可中次下

[日本語の動詞活用形の起源 総目次へ]

このブログでは、上代日本語について、動詞を中心に、素人の手慰みで研究しているわけだが、資料として、万葉集、殊に上代東国歌謡を参照することが多い。
基本的には、語例・用例を拾ってくるために見ているわけなので、歌の意味自体は興味の範疇外であり、参照するのも、主に万葉仮名表記の原文で、現代語訳とか解説とかはあまり見ない。
なのだが、そうは言っても、語の同定のためには、歌の解釈もせざるを得ないので、一応歌の意味は考える。考えてわからないときは、解説等に頼ったりもする。

以前書いたのだが、小学館の日本国語大辞典の参照のため、Japan Knowledge のサイトに加入していて、そこで小学館の日本古典文学全集(以下、全集)を参照できるので、その万葉集の巻は、ちょこちょこ活用させてもらっている。

そうして訳・解説を読んでみれば、ああなるほどと思うところもよくある。
例えば、「寄そる」という動詞がちょいちょい出てくるのだが、いまいち意味がぴんと来ていなかった。

  • 14/3512「一嶺ろに 言はるものから 青嶺ろに いさよふ雲の 寄そり妻はも」
この「寄そり妻」は、「噂だけの妻」という意味だということだ。
自動詞「寄り」は「恋人/夫婦になる」、他動詞「寄し」は、「(誰かを)恋人/夫婦にする」で、「寄し」を再自動詞化した「寄そり」は、「寄せられる」「(誰か/人の噂等)によって、恋人/夫婦であるということにされる」の意味なのである。
上記の 14/3512 は、「一つの峰だと(一緒に寝ていると)人の噂では言われるものの、青峰にいざよう雲のごとく、『青嶺ろ/吾を寝ろ。一緒に寝よう』というとためらう噂だけの妻は…」という掛詞ばりばりの歌なわけです。なーるほどですね。

とは言え、示されている解釈に納得できないなあと思うこともそれなりにあるわけで。
以下、上代東国歌謡の解釈について思うことをランダムに書き連ねる。

2017年4月1日土曜日

上代中央語と東国語の別れ路

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前回の投稿から随分と間が空いた。正直、考えに行き詰まった結果、ちょっと興味を失いかけていたので。
日を置いてみて考え直した結果、ちょっと思いついたこともあるので、久しぶりに書いてみる。

上代日本語の動詞活用形の起源 Ver. 2 の最終ステップ「Step 9: 第2次高母音化と、中央語/東国語/琉球語の分離」において、下表のような変化が起きたとした。

音形eaCjəλɨiɨɪəe
中央語> ia > e> iə > e> Cey> ɨ (イ乙)> ɨ (イ乙)əe (エ乙)
東国語> ar> e (エ甲)
琉球語> ia > er? > i> ɪ > e > e

しかし、これは、何とも恣意的で気持悪い。この辺をなんとかしたいというのが今回の話題。