2020年4月25日土曜日

江戸頒暦研究の基礎資料、頒暦概観 (1) 年頭

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前回までは、「太陰太陽暦とはどういうものであるか」について説明した。あわせて、所謂「旧暦2033年問題」についても説明した。
今回からは、江戸時代の「頒暦」(一般向けに頒布・販売された仮名暦)がどういうものだったか見ていく。

江戸の頒暦を研究するにあたっての基礎資料としては、暦法書、実際に頒布された頒暦暦面等であろう。この項では、それらの資料へのアクセス方法を記載しておく。
また、本題(暦の計算方法の研究)に入る前に、頒暦(仮名暦)とはどういったものだったかを概観する。

2020年4月18日土曜日

旧暦2033年問題について

前項で述べた内容をおさらいする。

  • 中国暦の流れを汲む太陰太陽暦の閏月は、無中気月におく。これは、平均して毎月1日程度月末にむかってずれていく月中の中気が、月末まで到達すると翌月初に突き抜ける。突き抜けたところに生ずる中気を含まない月(前月末に中気があり、翌月初にその次の中気があるが、当月自体には中気がない月)に閏月を置くということである。
  • しかし、二十四節気の配当に定気法を用いる場合、一旦月初に突き抜けた中気がまた月末に戻り、また月初に突き抜け、といった、月末月初の間で「行きつ戻りつ」を起こすことがある。その場合、下記の課題が発生する。
    • 複数の無中気月が発生し、閏月とすべきはそのなかの一つだけなので、どの無中気月を閏月とするか決定するルールが必要となる。
    • 平気法や、定気法でも、中気が月末月初間で「行きつ戻りつ」していない場合は、すべての中気が本月に属するが、定気法で中気が月末月初間で「行きつ戻りつ」している場合は、すべての中気を本月に属させることは出来ない。具体的には、閏月前の月初中気・閏月後の月末中気は本月に属さない。
  • 天保暦ルールでは、二至二分(冬至・春分・夏至・秋分)が本月(十一月・二月・五月・八月)になるように閏月を選定する。具体的には、二至二分だけをひろって見ていったときに、月末→月初に突き抜けている区間のなかの無中気月を閏月とすることにより、二至二分を本月に属させることが出来る。

旧暦2033年問題についてググってこのページにたどりついた方で、上記のまとめを見てなんの話をしてるんだか全くぴんと来ない場合は、ぜひ前項「天保暦の置閏: 定気法における置閏の課題、平山ルール」にさかのぼって読んでから、このページに戻ってきてほしい。

旧暦2033年問題

天保暦ルール「二至二分を本月に属させるように閏月を選べ」を満足させることができない年が存在する。1844年から天保暦が施行されて以降はじめて、このようなケースが2033年に発生する。これを俗に「旧暦2033年問題」と呼んでいる。2033年の旧暦にどういうことが起きるのか、以下に述べよう。

2020年4月11日土曜日

天保暦の置閏: 定気法における置閏の課題、平山ルール


前項
で言及した、定気法で置閏する場合の「少々ややこしい話」について書き述べたい。

まず、中国暦の流れを汲む太陰太陽暦における置閏のおさらい。
二十四節気のうちの中気を含まない暦月を閏月とする。

中気の平均間隔は、約 365.2422  ÷ 12 = 30.43685日。一方、暦月の平均的な長さは 約 29.53日であるから、毎暦月中の中気の位置は、平均して毎月1日程度、月末方向にずれていく。そしてある時、月末を突き抜けて翌月初に中気が回ってしまう。ここに、「前月末に中気があり、翌月初にその次の中気があるが、当月自体には中気を含まない」という無中気月が発生する。この月を閏月とする。

2020年4月4日土曜日

太陰太陽暦の基本

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本題である「江戸時代、幕府天文方によって作成する暦の作暦方法を調べる」という話題に入る前に、ざらっと太陰太陽暦(中国暦の流れをくむ太陰太陽暦)の基本についておさらいする。

太陰太陽暦を作暦する流れとしては、

  1. 月の朔望周期(みちかけ)から、月初一日を定める。
  2. 太陽の周期(二十四節気)から、閏月を定める。閏月が定まれば、各月が何月なのかが定まる。

となる。以下に順を追って説明する。

ただし、閏月を定めるにあたり、現在行わている二十四節気の配日法である「定気法」による場合、少々ややこしい話があるので、それに関しては次回説明することにする。