前回までは、「太陰太陽暦とはどういうものであるか」について説明した。あわせて、所謂「旧暦2033年問題」についても説明した。
今回からは、江戸時代の「頒暦」(一般向けに頒布・販売された仮名暦)がどういうものだったか見ていく。
江戸の頒暦を研究するにあたっての基礎資料としては、暦法書、実際に頒布された頒暦暦面等であろう。この項では、それらの資料へのアクセス方法を記載しておく。
また、本題(暦の計算方法の研究)に入る前に、頒暦(仮名暦)とはどういったものだったかを概観する。
前回までは、「太陰太陽暦とはどういうものであるか」について説明した。あわせて、所謂「旧暦2033年問題」についても説明した。
今回からは、江戸時代の「頒暦」(一般向けに頒布・販売された仮名暦)がどういうものだったか見ていく。
江戸の頒暦を研究するにあたっての基礎資料としては、暦法書、実際に頒布された頒暦暦面等であろう。この項では、それらの資料へのアクセス方法を記載しておく。
また、本題(暦の計算方法の研究)に入る前に、頒暦(仮名暦)とはどういったものだったかを概観する。
前項で述べた内容をおさらいする。
旧暦2033年問題についてググってこのページにたどりついた方で、上記のまとめを見てなんの話をしてるんだか全くぴんと来ない場合は、ぜひ前項「天保暦の置閏: 定気法における置閏の課題、平山ルール」にさかのぼって読んでから、このページに戻ってきてほしい。
天保暦ルール「二至二分を本月に属させるように閏月を選べ」を満足させることができない年が存在する。1844年から天保暦が施行されて以降はじめて、このようなケースが2033年に発生する。これを俗に「旧暦2033年問題」と呼んでいる。2033年の旧暦にどういうことが起きるのか、以下に述べよう。