2020年8月16日日曜日

寛政暦の暦法 (8) 月離 (5) 定朔弦望、赤経赤緯

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ながながと寛政暦の月離について説明してきたが、あともう少しだけ。前回までで月の黄経・黄緯を算出するところまできた。今回が月離の最終回になる。

今回は、月・太陽の運行遅速を勘案する朔弦望日時の計算、定朔弦望について。
また、月の出入時刻の計算について。

また、「その他」として、羅睺・計都について言及する。

定朔弦望

求合朔弦望「太陰実行与太陽実行同宮同度為合朔限、距三宮為上弦限、距六宮為望限、距九宮為下弦限。皆以太陰未及限度為本日、已過限度為次日(如太陰未及太陽為合朔本日、已過太陽為合朔次日、太陰距太陽未及九十度為上弦本日、已過九十度為上弦次日之類)。求時刻之法、以一日月距日実行(本日次日太陽実行相減為一日太陽実行、本日次日太陰実行相減為一日太陰実行、両数相減得一日月距日実行)為一率、日周為二率、本日太陽実行加限度(合朔同宮同度無可加、上弦加三宮、望加六宮、下弦加九宮)、減本日太陰実行余為三率、求得四率為合朔弦望距子正之時分」
太陰実行と太陽実行、同宮同度を合朔限と為し三宮を距つるを上弦限と為し、六宮を距つるを望限と為し、九宮を距つるを下弦限と為す。みな太陰未だ限度に及ばざるを以って本日と為し、すでに限度を過ぎたるを次日と為す(もし太陰未だ太陽に及ばざるを合朔本日と為し、すでに太陽を過ぎたるを合朔次日と為す、太陰距太陽未だ九十度に及ばざるを上弦本日と為し、すでに九十度を過ぎたるを上弦次日と為すの類)。時刻を求むるの法、一日月距日実行を以って(本日次日太陽実行相減じ一日太陽実行と為し、本日次日太陰実行相減じ一日太陰実行と為し、両数相減じ一日月距日実行を得)一率と為し、日周二率と為し、本日太陽実行、限度を加へ(合朔同宮同度加ふるべきなく、上弦三宮を加へ、望六宮を加へ、下弦九宮を加ふ)、本日太陰実行を減じ、余り三率と為し、求めて得る四率、合朔弦望距子正の時分と為す。
求均数時差「以合朔弦望本時太陽均数、変時分、得均数時差。均数加者則為減、均数減者則為加」
合朔弦望本時の太陽均数を以って、時分に変じ、均数時差を得。均数加は則ち減と為し、均数減は則ち加と為す。
求升度時差「以半径為一率、黄赤大距之余弦為二率、合朔弦望本時太陽距春秋分黄道経度之正切線為三率、求得四率為正切線、検表得太陽距春秋分赤道経度。与太陽距春秋分黄道経度相減、余為升度差。変時分、得升度時差。二分後則為加、二至後則為減」
半径を以って一率と為し、黄赤大距の余弦二率と為し、合朔弦望本時の太陽距春秋分黄道経度の正切線三率と為し、求めて得る四率、正切線と為し、表を検じ太陽距春秋分赤道経度を得。太陽距春秋分黄道経度と相減じ、余り升度差と為す。時分に変じ、升度時差を得。二分後は則ち加と為し、二至後は則ち減と為す。
求時差総「均数時差与升度時差、同為加者則相加為時差総仍為加、同為減者亦相加為時差総仍為減、一為加一為減者則相減為時差総、加数大為加、減数大為減」
均数時差と升度時差と、同じく加と為すは則ち相加へ時差総と為しなほ加と為し、同じく減と為すはまた相加へ時差総と為しなほ減と為し、一は加と為し一は減と為すは則ち相減じ時差総と為し、加数大は加と為し、減数大は減と為す。
求合朔弦望用時「置合朔弦望時分、加減時差総、得合朔弦望用時。如法収之得時刻」
合朔弦望時分を置き、時差総を加減し、合朔弦望用時を得。法の如くこれを収め時刻を得。
求大小及閏月「本月合朔干名与次月合朔干名、同者本月大、不同者本月小。内無中気者為閏月」
本月合朔干名と次月合朔干名と、同じきは本月大、同じからざるは本月小。内、中気無きもの閏月と為す。

\(\text{限度} = 0° (\text{朔}) / 90° (\text{上弦}) / 180° (\text{望}) / 270° (\text{下弦}) \)
\(\text{太陰実行}(@\text{本日}) - \text{太陽実行}(@\text{本日}) \leqq \text{限度} \lt \text{太陰実行}(@\text{次日}) - \text{太陽実行}(@\text{次日})\) となるような「本日」について、
\[ \begin{align}
\text{一日太陽実行} &= \text{太陽実行}(@\text{次日}) - \text{太陽実行}(@\text{本日}) \\
\text{一日太陰実行} &= \text{太陰実行}(@\text{次日}) - \text{太陰実行}(@\text{本日}) \\
\text{一日月距日実行} &= \text{一日太陰実行} - \text{一日太陽実行} \\
\text{合朔弦望時分} &= 1_\text{日} \times {\text{太陽実行}(@\text{本日}) + \text{限度} - \text{太陰実行}(@\text{本日}) \over \text{一日月距日実行}} \\
\text{合朔弦望日時} &= \text{本日} + \text{合朔弦望時分} \\
\text{均数時差} &= - {1_\text{日} \over 360°} \text{太陽均数}(@\text{合朔弦望日時}) \\
\text{太陽距春分黄道経度} &= \text{太陽実行}(@\text{合朔弦望日時}) - 90° \\
\text{太陽距春分赤道経度} &= \tan^{-1} {\cos (\text{黄赤大距}) \sin (\text{太陽距春分黄道経度}) \over \cos (\text{太陽距春分黄道経度})} \\
\text{升度差} &= \text{太陽距春分赤道経度} - \text{太陽距春分黄道経度} \\
\text{升度時差} &= - {1_\text{日} \over 360°} \text{升度差} \\
\text{時差総} &= \text{均数時差} + \text{升度時差} \\
\text{合朔弦望用時} &= \text{合朔弦望日時} + \text{時差総} \\
\end{align} \]

貞享暦・宝暦暦の定朔弦望計算を寛政暦的な計算に即して説明するなら、平朔弦望日時における定月距日(月の真黄経 - 太陽の真黄経)と限度(= 平月距日)との差分を、一日の定月距日変化量で割って、定朔弦望と平朔弦望の時差を求め、計算しているわけである。

寛政暦の計算においては、毎日0:00 時点の定月距日を求めて、一日のうちに定月距日が限度をまたぐような日を求め、あとは、一日の定月距日変化量(翌日0:00の定月距日 - 本日0:00の定月距日)によって一次補間して、定月距日=限度となるような定朔弦望時刻を求めている。

どちらも、一日のうちにも月・太陽の運行遅速があることを無視しているので正確な値とは言えないが、寛政暦式の計算の利点としては、定朔弦望の日付を誤ることはないという点にある。作暦にあたっては定朔弦望の日付が重要なのであって時刻はさほどではないことを考えれば、寛政暦式の計算のほうが適切であろう。

そして、求めた定朔弦望日時は平均太陽時であるから、時差総を加算して真太陽時に変換しないといけない。こちらについては、日躔にて詳述したのでそちらを参考にされたい。真太陽時に変換した結果、日付が変わることもあるので、「時刻はいらない。朔弦望の日付だけわかればよい」という場合でも真太陽時への変換は端折れない。

ただ、ここで疑問に思っている点がひとつある。時差総を計算するにあたって「合朔弦望本時の太陽均数」「合朔弦望本時の太陽距春秋分黄道経度」が必要となる。定朔弦望日0:00, および次日0:00 時点の日躔はそれまでの計算過程で計算しただろうが、定朔弦望日時時点の日躔は計算しておらず(定朔弦望日時は一次補間で案分して求めた日時に過ぎない)、時差総を計算するためだけに定朔弦望日時の日躔を計算したのだろうか? もしかして、定朔弦望日0:00, および次日0:00 時点の太陽均数・真黄経から一次補間して求めたのかも知れない。
真偽はわからないが、とりあえず、「合朔弦望本時の太陽均数」「合朔弦望本時の太陽距春秋分黄道経度」と書いているのだから、定朔弦望日時の日躔を計算し直して求めたのだろうと考えておく。
なお、日躔月離の計算にあたって、時刻は「積年」(暦元年をゼロ年とする通算年)と、「日数」(当年天正冬至の次日0:00 を起点とする通算日時)で与える。0:00以外の時刻の日躔月離を計算したいときは、「日数」に日の整数倍ではない値を与えれば問題なく計算できる。

「求大小及閏月」のところで、「本月合朔干名と次月合朔干名と、同じきは本月大、同じからざるは本月小」とあるのは、朔日の日十干と翌朔日の日十干とが同じ、つまり、月中の日数が10の倍数であるときは、月中の日数が30日すなわち大の月で、そうではないときは、月中の日数が29日すなわち小の月であるということである。そして、中気のない月を閏月とする。

さて、定朔弦望の算出が出来たところで、実際の頒暦との突合を行いたいところであるが、これは次回、消長法について説明した後で行うこととしたい。

経朔弦望

定朔弦望を決めるには、まず、\(\text{太陰実行}(@\text{本日}) - \text{太陽実行}(@\text{本日}) \leqq \text{限度} \lt \text{太陰実行}(@\text{次日}) - \text{太陽実行}(@\text{次日})\) となるような「本日」を見つけなければならない。順に探していってもいいのだが、ある程度アタリをつけてから探索したほうが効率的だろう。となると、経朔弦望の日からスタートするのがよい。経朔弦望の求め方は、なぜか、暦法新書巻一の月離のところには載っていなくて、巻二の月食のところに掲載されている。

朔策二十九日五三〇五八三八六六二三
朔応七日六六三五二八
求通朔「置積日(詳月離)、減朔応、得通朔。上考往古、則置積日、加朔応、得通朔」
積日を置き(月離に詳し)、朔応を減じ、通朔を得。上って往古を考ふるは、則ち積日を置き、朔応を加へ、通朔を得。
求天正経朔及積朔「置通朔、以朔策除之、得数為積朔。以余数減紀日(不及減者、加紀法減之)、余為天正経朔日分。上考往古、則置通朔、以朔策除之、得数加一為積朔。余数加紀日、減朔策(不及減者、加紀法減之)、余為天正経朔日分」
通朔を置き、朔策を以ってこれを除し、得る数積朔と為す。余数を以って紀日を減じ(減に及ばざるは、紀法を加へこれを減ず)、余り天正経朔日分と為す。上って往古を考ふるは、則ち通朔を置き、朔策を以ってこれを除し、得る数一を加へ積朔と為す。余数、紀日を加へ、朔策を減じ(減に及ばざるは、紀法を加へこれを減ず)、余り天正経朔日分と為す。
\[ \begin{align}
\text{朔策} &= 29.53058386623_\text{日} \\
\text{朔応} &= 7.663528_\text{日} \\
\text{通朔} &= \text{積日} - \text{朔応} \\
\text{積朔} &= \left[ {\text{通朔} \over \text{朔策}} \right] \\
\text{天正経朔} &= \text{天正冬至次日} - (\text{通朔} \mod \text{朔策})
\end{align} \]

「朔応」は、暦元天正冬至次日0:00から、以降最初の朔までの日時である。「通朔」は、この朔応の朔から本年天正冬至次日0:00までの経過日時になる。それを朔策(朔望月の長さ)で割った余りは、本年天正冬至次日0:00の直前朔(天正経朔)から、本年天正冬至次日0:00 までの経過日時になる。よって、これを天正冬至次日から引くと、天正経朔の日時となる(「紀日」、つまり、天正冬至次日の日干支から引けと書いてあるのだが、当ブログの計算式においては、日付は日干支ではなく、すべて暦元上元甲子日0:00からの通算日時で表現する)。

示したのは、天正経朔の求め方だけだが、あとは、朔策を累加していけばよい(弦望も求めたいのであれば、朔策/4 を累加していけばよい)。

なお、「積朔」は、天正経朔が、朔応の朔を第ゼロ朔として、通算第何朔なのかを示す数字。暦元天正経朔(暦元天正冬至次日の直前朔)からでなく、その次の朔を起点にしているのがちょっと奇妙。

赤道座標系への変換

求太陰距二分弧与黄道交角「以半径為一率、太陰距春秋分黄道経度之正弦為二率、太陰黄道緯度之余切線為三率、求得四率為余切線、検表得太陰距二分弧与黄道交角」
半径を以って一率と為し、太陰距春秋分黄道経度の正弦、二率と為し、太陰黄道緯度の余切線、三率と為し、求めて得る四率、余切線と為し、表を検じ、太陰距二分弧と黄道交角を得。
求太陰距二分弧与赤道交角「置黄赤交角(乃黄赤大距度)、加減太陰距二分弧与黄道交角、得太陰距二分弧与赤道交角。太陰黄道経度在秋分後春分前者黄道在赤道南、緯南則加仍為南、緯北則減亦為南。若太陰距二分弧与黄道交角大於黄赤交角、則反減即為在赤道北。太陰黄道経度在春分後秋分前者黄道在赤道北、緯北則加仍為北、緯南則減亦為北。若太陰距二分弧与黄道交角大於黄赤交角、則反減即為在赤道南」
黄赤交角を置き(すなはち黄赤大距度)、太陰距二分弧と黄道交角を加減し、太陰距二分弧と赤道交角を得。太陰黄道経度、秋分後春分前に在らば黄道は赤道の南に在り、緯南は則ち加へなほ南と為し、緯北は則ち減じまた南と為す。もし太陰距二分弧と黄道交角、黄赤交角より大なれば、則ち反減して即ち赤道の北に在ると為す。太陰黄道経度、春分後秋分前に在らば黄道は赤道の北に在り、緯北は則ち加へなほ北と為し、緯南は則ち減じまた北と為す。もし太陰距二分弧と黄道交角、黄赤交角より大なれば、則ち反減して即ち赤道の南に在ると為す。
求赤道経度「以太陰距二分弧与黄道交角之余弦為一率、太陰距二分弧与赤道交角之余弦為二率、太陰距春秋分黄道経度之正切線為三率、求得四率為正切線、検表為太陰距春秋分赤道経度(太陰黄道経度不及三宮者則以距春秋分赤道経度与三宮相減、過三宮者則加三宮、過六宮者則与九宮相減、過九宮者則加九宮)、得太陰距冬至赤道経度(求五星恒星赤道経度者与之同)」
太陰距二分弧と黄道交角の余弦を以って一率と為し、太陰距二分弧と赤道交角の余弦、二率と為し、太陰距春秋分黄道経度の正切線、三率と為し、求めて得る四率、正切線と為し、表を検じ太陰距春秋分赤道経度と為し(太陰黄道経度、三宮に及ばざれば則ち距春秋分赤道経度を以って三宮と相減じ、三宮を過ぐれば則ち三宮を加へ、六宮を過ぐれば則ち九宮と相減じ、九宮を過ぐれば則ち九宮を加ふ)、太陰距冬至赤道経度を得(五星・恒星の赤道経度を求むるはこれと同じ)
求赤道緯度「以半径為一率、太陰距二分弧与赤道交角之正切線為二率、太陰距春秋分赤道経度之正弦為三率、求得四率為正切線、検表得太陰赤道緯度(求五星恒星赤道緯度者与之同)」
半径を以って一率と為し、太陰距二分弧と赤道交角の正切線、二率と為し、太陰距春秋分赤道経度の正弦、三率と為し、求めて得る四率、正切線と為し、表を検じ太陰赤道緯度を得(五星・恒星の赤道緯度を求むるはこれと同じ)
\[ \begin{align}
\text{太陰距二分弧と黄道交角} &= \cot^{-1}(\sin(\text{太陰距春分黄道経度}) \cot(\text{太陰黄道緯度}) \\
&= \tan^{-1} ( {\sin(\text{太陰黄道緯度}) \over \sin(\text{太陰距春分黄道経度}) \cos(\text{太陰黄道緯度})} ) \\
\text{太陰距二分弧と赤道交角} &= \text{太陰距二分弧と黄道交角} + \text{黄赤大距} \\
\text{太陰距春分赤道経度} &= \tan^{-1} \left( \cfrac{\cfrac{\cos(\text{太陰距二分弧と赤道交角})}{\cos(\text{太陰距二分弧と黄道交角})} \sin(\text{太陰距春分黄道経度})}{\cos(\text{太陰距春分黄道経度})} \right) \\
\text{赤道経度} &= \text{太陰距春分赤道経度} + 90° \\
\text{赤道緯度} &= \tan^{-1} (\tan(\text{太陰距二分弧と赤道交角}) \sin(\text{太陰距春分赤道経度})) \\
\end{align} \]

日躔の黄赤座標変換のところでついでに記載しておいたが、春分起点の黄経、黄緯、黄道傾斜角をそれぞれ \(\lambda_v, \beta, \epsilon\) とするとき、赤経・赤緯 \(\alpha_v, \delta\) は下記のようになるのであった。
\[ \begin{align}
\alpha_v &= \tan^{-1} \left( { \cos \epsilon \cos \beta \sin \lambda_v - \sin \epsilon \sin \beta \over \cos \beta \cos \lambda_v } \right) \\
\delta &= \sin^{-1} (\sin \epsilon \cos \beta \sin \lambda_v + \cos \epsilon \sin \beta) \\
\end{align} \]

これを念頭に、寛政暦における黄赤座標変換式の意味を考えてみる。

今、春分点を A とし、月の位置を B とし、月から黄道に下した垂線の足を C とする。また、月から赤道に下した垂線の足を D とする。\(\text{辺}\mathrm{AC} = \text{黄経}\lambda_v\), \(\text{辺}\mathrm{BC} = \text{黄緯}\beta\), \(\text{辺}\mathrm{AD} = \text{赤経}\alpha_v\), \(\text{辺}\mathrm{BD} = \text{赤緯}\delta \) である。
∠CAB を ∠A とし、∠DAB を ∠A' と呼ぶこととする。それぞれ、「太陰距二分弧と黄道交角」「太陰距二分弧と赤道交角」に相当する。AB(太陰距二分弧、すなわち、月と二分(春秋分)との間の円弧)が、黄道(AC)、赤道(AD)となす角だからである。
∠C = 90° とする直角球面三角形についての球面三角法の公式 \(\tan a = \sin b \tan A\) により、
\[ \tan(\angle \mathrm{A}) = {\tan \beta \over \sin \lambda_v} \]
これを、
\[ \tan(\angle \mathrm{A}) = {\sin \beta \over \sin \lambda_v \cos \beta} \]
として ATAN2 を用いて計算してやれば、春分点から見た月の方向を、夏至方向を 0°、北極方向を 90°、冬至方向を 180°、南極方向を 270° とするような角度で求められる。

そして、これに黄道傾斜角 \(\epsilon\) を加算したものが \(\angle \mathrm{A}^\prime\) である。暦法新書(寛政)は春分点前後では春分点起点で、秋分点前後では秋分点起点で計算する想定でいろいろ場合分けして書いてあり、黄道傾斜角を足したり引いたりしているわけだが、三角関数の符号を意識しながら ATAN2 を適切に使って計算すれば、春分点起点に統一しても問題なく計算できる。ということで、単純に \(\angle \mathrm{A}^\prime = \angle \mathrm{A} + \epsilon\) と計算して差し支えない。

∠C = 90° とする直角球面三角形についての球面三角法の公式 \(\tan b = \tan c \cos A\) を用い、
\[ \begin{align}
& \tan(\mathrm{AB}) = {\tan \lambda_v \over \cos(\angle \mathrm{A})} = {\tan \alpha_v \over \cos(\angle \mathrm{A}^\prime)} \\
& \tan \alpha_v = {\cos(\angle \mathrm{A}^\prime) \over \cos(\angle \mathrm{A})} \tan \lambda_v \\
\end{align} \]

赤道経度の導出式は、このようにして得たものであろう。ただし、この式には少々問題があって、\(\cos(\angle \mathrm{A}) = 0°\)、すなわち、\(\angle \mathrm{A} = \pm 90°\) の場合、黄経が 0° or 180°で、黄緯 ≠ 0° になるだろうが、適切に計算されない。下記のようにリライトするのが適切であろう。
(厳密に、\(\angle \mathrm{A} = \pm 90°\) になるケースを計算する可能性は無限に小さいので、paranoiac ではあるが)
\[ \begin{align}
\tan \alpha_v &= {\cos(\angle \mathrm{A}^\prime) \over \cos(\angle \mathrm{A})} \tan \lambda_v \\
&= {\cos(\angle \mathrm{A} + \epsilon) \over \cos(\angle \mathrm{A})} \tan \lambda_v \\
&= {\cos(\angle \mathrm{A}) \cos \epsilon - \sin(\angle \mathrm{A}) \sin \epsilon \over \cos(\angle \mathrm{A})} \tan \lambda_v \\
&= (\cos \epsilon - \tan(\angle \mathrm{A}) \sin \epsilon) \tan \lambda_v \\
&= (\cos \epsilon - {\tan \beta \over \sin \lambda_v} \sin \epsilon) {\sin \lambda_v \over \cos \lambda_v} \\
&= {\cos \epsilon \sin \lambda_v - \sin \epsilon \tan \beta \over \cos \lambda_v} \\
&= {\cos \epsilon \sin \lambda_v \cos \beta - \sin \epsilon \sin \beta \over \cos \lambda_v \cos \beta}
\end{align} \]
これは冒頭に示した、赤経の算出式と同じである。

このように計算すれば、ちゃんと赤経が算出できるが、暦法新書(寛政)の記述を文字通りとらえると少々問題がある。「太陰黄道経度、三宮に及ばざれば則ち距春秋分赤道経度を以って三宮と相減じ、三宮を過ぐれば則ち三宮を加へ、六宮を過ぐれば則ち九宮と相減じ、九宮を過ぐれば則ち九宮を加ふ」と記載している。
彼らは、マイナスの数を用いないので、「距春秋分赤道経度」は絶対値であり、春秋分から前にずれるのか後ろにずれるのかわからない。暦法新書(寛政)の記述に従えば、黄経が冬至~春分のときは赤経も冬至~春分、黄経が春分~夏至のときは赤経も春分~夏至、というように黄経・赤経の象限が同じになるようにしているのだが、これは正しくない。冬至点・夏至点においては黄道と赤道が平行で黄道座標の子午線と赤道座標の子午線が一致するが、春分点・秋分点においては、黄道と赤道が傾いており、黄道座標の子午線と赤道座標の子午線が一致しない。よって、黄経は春分より大きいが赤経は春分より小さいとか、その逆とかが起こりうる(その場合、\(\cos(\angle \mathrm{A})\) と \(\cos(\angle \mathrm{A}^\prime)\) の符号が異なる)。
そういう場合に、暦法新書(寛政)の記載に文字通り従えば、赤経の値を誤ることになる。たとえば、冬至起点の黄経が 91°で、(符号を意識したときの)距春分赤道経度が -1°.5 だったとしよう。本当は冬至起点の赤経は 88°.5 になるはずだが、黄経が春分 (90°) 以上なので、彼らは、90° + 1°.5 = 91°.5 として計算してしまうはずなのである。文字通りの記載に従っていたのか、記載はそうなっていても適切に計算していたのかは、わからない。
ただし、頒暦作成にあたって月の赤経・赤緯が必要そうなのは、月食時の月出入時刻計算ぐらいであり、どうやら寛政暦の頒暦においては月出入時刻計算もしていなかったのではないかと考えている。とすれば、月の赤経・赤緯計算自体、頒暦の作成にあたって、まったくしていなかっただろうから、まあ、どうでもいいといえばどうでもいい話なのかもしれない。

赤緯の計算 \(\tan \delta = \tan(\angle \mathrm{A}^\prime) \sin \alpha_v \) は、∠C = 90° とする直角球面三角形についての球面三角法の公式 \(\tan a = \sin b \tan \mathrm{A}\)によっている。ただし、これも、\(\alpha_v = 0°\) のとき、そしてその場合、\(\angle \mathrm{A}^\prime = \pm 90°\) となるだろうが、その場合、うまく計算できない。
かわりに、直角球面三角形の公式 \(\sin a = \sin c \sin \mathrm{A}\) を用いて、下記のように計算したほうがいいだろう。
(これも、厳密に \(\alpha_v = 0°\) のケースを計算する可能性は無限に小さいので別にいいのだが)
\[ \begin{align}
\sin(\mathrm{AB}) &= {\sin \beta \over \sin \mathrm{A}} = {\sin \delta \over \sin \mathrm{A}^\prime} \\
\sin \delta &= {\sin \mathrm{A}^\prime \over \sin \mathrm{A}} \sin \beta \\
&= {\sin (\mathrm{A} + \epsilon) \over \sin \mathrm{A}} \sin \beta \\
&= {\sin \mathrm{A} \cos \epsilon + \cos \mathrm{A} \sin \epsilon \over \sin \mathrm{A}} \sin \beta \\
&= (\cos \epsilon + {\sin \epsilon \over \tan \mathrm{A}}) \sin \beta \\
&= (\cos \epsilon + {\sin \epsilon \sin \lambda_v \over \tan \beta}) \sin \beta \\
&= (\cos \epsilon + {\sin \epsilon \sin \lambda_v \cos \beta \over \sin \beta}) \sin \beta \\
&= \cos \epsilon \sin \beta + \sin \epsilon \sin \lambda_v \cos \beta
\end{align} \]
すなわち、冒頭に示した赤緯の計算式である。

月の出入時刻

求太陰出入時刻「以半径為一率、北極高度之正切線為二率、太陰赤道緯度之正切線為三率、求得四率為正弦、検表得太陰出入在卯酉前後赤道経度(太陰在赤道北出在卯正前入在酉正後、太陰在赤道南出在卯正後入酉正前)。以本日太陽赤道経度減本日太陰赤道経度(不足減者加周天減之)、余為太陰距太陽赤道経度。加三宮、以太陰出地卯正前後赤道経度加減之(前減後加)、為太陰距東地平赤道経度。又以太陰距太陽赤道経度加九宮、以太陰入地酉正前後赤道経度加減之(前減後加)、為太陰距西地平赤道経度。本日次日太陰赤道経度相減為一日太陰赤道実行、本日次日太陽赤道経度相減為一日太陽赤道実行。以周天加一日太陽赤道実行、内減一日太陰赤道実行、余為一率、日周為二率、太陰距東西地平赤道経度為三率、求得四率為子正後分数。如法収之、得太陰出入時刻(依距東地平度得者太陰出地時刻。依距西地平度得者太陰入地時刻)」
半径を以って一率と為し、北極高度の正切線、二率と為し、太陰赤道緯度の正切線、三率と為し、求めて得る四率、正弦と為し、表を検じ太陰出入在卯酉前後赤道経度を得(太陰赤道北に在るは、出は卯正前に在り入は酉正後に在り、太陰赤道南に在るは、出は卯正後に在り入は酉正前に在り)。本日太陽赤道経度を以って本日太陰赤道経度より減じ(減に足らざれば周天を加へこれを減ず)、余り太陰距太陽赤道経度と為す。三宮を加へ、太陰出地卯正前後赤道経度を以ってこれを加減し(前は減じ後は加ふ)、太陰距東地平赤道経度と為す。又、太陰距太陽赤道経度を以って九宮に加へ、太陰入地酉正前後赤道経度を以ってこれを加減し(前は減じ後は加ふ)、太陰距西地平赤道経度と為す。本日次日太陰赤道経度相減じ一日太陰赤道実行と為し、本日次日太陽赤道経度相減じ一日太陽赤道実行と為す。周天を以って一日太陽赤道実行に加へ、一日太陰赤道実行を内減し、余り一率と為し、日周、二率と為し、太陰距東西地平赤道経度、三率と為し、求めて得る四率、子正後分数と為す。法のごとくこれを収め、太陰出入時刻を得(距東地平度に依って得るは太陰出地時刻。距西地平度に依って得るは太陰入地時刻)
\[ \begin{align}
\text{太陰出入在卯酉前後赤道経度} &= \sin^{-1} (\tan(\text{北極高度}) \tan(\text{太陰赤道緯度})) \\
\text{太陰距太陽赤道経度} &= \text{太陰赤道経度}(@\text{本日}) - \text{太陽赤道経度}(@\text{本日}) \\
\text{太陰距東地平赤道経度} &= 90° + \text{太陰距太陽赤道経度} - \text{太陰出入在卯酉前後赤道経度} \\
\text{太陰距西地平赤道経度} &= 270° + \text{太陰距太陽赤道経度} + \text{太陰出入在卯酉前後赤道経度} \\
\text{一日太陰赤道実行} &= \text{太陰赤道経度}(@\text{次日}) - \text{太陰赤道経度}(\text{本日}) \\
\text{一日太陽赤道実行} &= \text{太陽赤道経度}(@\text{次日}) - \text{太陽赤道経度}(\text{本日}) \\
\text{太陰出時刻} &= 1_\text{日} \times {\text{太陰距東地平赤道経度} \over 360° + \text{一日太陽赤道実行} - \text{一日太陰赤道実行}} \\
\text{太陰入時刻} &= 1_\text{日} \times {\text{太陰距西地平赤道経度} \over 360° + \text{一日太陽赤道実行} - \text{一日太陰赤道実行}}
\end{align} \]


天頂をZととし、赤道北極をPとし、地平線北方をNとし、地平線東方をEとする。赤緯0°のとき、月は上図青線、Eを通る軌道で日周運動する。現在、月の緯度は \(\delta\) で、上図の赤線を通って日周運動するとする。出時の月は R の位置にある。この月出時刻が 6:00 のどれだけ前かは、 \(\angle \mathrm{EPR}\) で表現することができるであろう。

 \(\angle \mathrm{EPR} = \angle \mathrm{EPN} - \angle \mathrm{NPR} = 90° - \angle \mathrm{NPR}\)

RPN は、\(\angle \mathrm{RNP} = 90°\) とする球面直角三角形。PN = 地点緯度 \(\phi\), PR = 90° - 赤緯 \(\delta\)。
∠C = 90°の球面直角三角形についての公式、\(\tan a = \tan c \cos B\) を適用し、

\[ \begin{align}
\tan(\mathrm{PN}) &= \tan(\mathrm{PR}) \cos(\angle \mathrm{NPR}) \\
\tan \phi &= \tan(90° - \delta) \cos(90° - \angle \mathrm{EPR}) \\
&= \cot \delta \sin(\angle \mathrm{EPR}) \\
\sin(\angle \mathrm{EPR}) &= \tan \phi \tan \delta
\end{align} \]

この \(\angle \mathrm{EPR}\) が、太陰出入在卯酉前後赤道経度である。

本日 真太陽時の 0:00 において、太陽は当然 PNの子午線上にある。よって、赤経 = 太陽の赤経(本日) の天体がPNの子午線上にあることになる(※)。

  • (※) 厳密には、本日平均太陽時 0:00 の太陽の赤経が「太陽の赤経(本日)」なのであって、本日真太陽時 0:00 の太陽の赤経はそうでないかもしれないが、その差は無視する。

 そして、本日真太陽時の0:00において、東方向 PEの子午線上にある天体の赤経は「太陽の赤経(本日) - 90°」、西方向の子午線上にある天体の赤経は、「太陽の赤経(本日) - 270°」。

また、本日真太陽時 0:00時点、月の赤緯 \(\delta\) の赤緯を持つ天体が東の地平線から昇る点 R を通る子午線 PR 上にある天体の赤経は、「太陽の赤経(本日) - 90° + ∠EPR」、月の赤緯 \(\delta\) の赤緯を持つ天体が西の地平線に沈む点を通る子午線上にある天体の赤経は、「太陽の赤経(本日) - 270° - ∠EPR」

これらと、本日0:00時点の月の赤経 (※) との差分は、「月の赤経(本日) - 太陽の赤経(本日) + 90° - ∠EPR」「月の赤経(本日) - 太陽の赤経(本日) + 270° + ∠EPR」。これが「太陰距東地平赤道経度」「太陰距西地平赤道経度」。この角度分だけ月の日周運動が進むと、月が「東地平 (R)」「西地平」に到達することになり、それが月の出時刻、入時刻となるはずである。

  • (※) ここでも、本来は、本日真太陽時 0:00 時点の月の赤経を用いるべきところだが、本日平均太陽時 0:00 時点の月の赤経を代用している。

真太陽時1日の間に、地球は「360° + 一日あたりの太陽の赤経変化量(一日太陽赤道実行)」だけ自転する。そして、恒星天は1日にこの分だけ日周運動する。
太陽は、「地球の自転量 - 一日太陽赤道実行 = 360°」だけ、1日に日周運動する。
月は、「地球の自転量 - 一日太陰赤道実行 = 360° + 一日太陽赤道実行 - 一日太陰赤道実行」だけ、1日に日周運動する。

よって、「太陰距東地平赤道経度」「太陰距西地平赤道経度」を、月の1日の日周運動量で割ってやれば、月の出入時刻が算出できる。このようにして求めた月の出入時刻はもともと真太陽時であるので、時差総を加減する必要はない。

といった感じなのだが、どうも、頒暦の作成にあたっては、この計算はまったく使われなかったのではないかと思っている。頒暦において、月の出入時刻を求める必要があるのは、月食の帯食計算においてである。が、望のとき(とりわけ月食のとき)は、月は太陽の真裏にあるのであって、太陽が西の地平線上にある時月は東の地平線上にあり、太陽が東の地平線上にある時月は西の地平線上にある。よって、月の出時刻と太陽の入時刻は同時であり、月の入時刻は太陽の出時刻と同時である。実際に月食の計算をしてみると、この計算により月の出入時刻を求めるより、太陽の入出時刻をもって月の出入時刻として計算した方が頒暦の記載と合いやすいようだ。

貞享暦・宝暦暦においては、暦法上、そもそも月の出入時刻の計算式がない。よって、当然に、月帯食の計算は太陽の入出時刻ベースで計算しただろう。寛政暦でも同様にしたのではないかと思われる(天保暦では、月の出入時刻計算を行って月帯食を計算したようである)。

その他(羅睺と計都について)

求羅睺宿度「置正交実行、加減六宮、足減本年黄道宿鈐内某宿度分則減之、余為羅睺宿度」
正交実行を置き、六宮を加減し、減に足る本年黄道宿鈐の内の某の宿度分、則ちこれを減じ、余り羅睺宿度と為す。
求計都宿度「察正交実行、足減本年黄道宿鈐内某宿度分則減之、余為計都宿度」
正交実行を察し、減に足る本年黄道宿鈐の内の某の宿度分、則ちこれを減じ、余り計都宿度と為す。

 本ブログでは、基本的に頒暦(仮名暦)の作成に関連するものだけを記載の対象にしている。これとは外れるのだが一点だけ。羅睺と計都について。

羅睺・計都はインド神話に基づく仮想の惑星であり、月の交点に相当するものと考えられている。神々が不死の霊薬アムリタを作ったとき、ラーフ Rāhu がそれを盗み飲もうとしたが、太陽と月がそれを告げ口したため少し飲んだところで阻止されてしまった。ヴィシュヌ神によってラーフの首が切られたが、霊薬によって不死となっていたため、首と胴体とがばらばらのまま生き続ける。首はラーフ Rāhu と呼ばれ、胴体はケートゥ Ketu と呼ばれる。そして太陽・月が告げ口したのを恨んで、出会ったら呑み込もうとするのだが、首と胴体がばらばらのため、呑み込んでもそのまますぐ出てきてしまうという。

これは、インドにおける日月食の起源譚である。太陽・月・月の交点がほぼ近傍にあるとき日食が起き、地球影(太陽の真反対方向)・月・月の交点がほぼ近傍にあるとき月食が起こる。月の交点をラーフ・ケートゥという仮想の惑星とし、それが日月食を起こすとしたのである。

このインド神話が中国・日本にも持ち込まれ、羅睺・計都となった。貞享暦・宝暦暦・寛政暦・天保暦の暦法においても、羅睺・計都の計算方法が記されている。上記は、寛政暦の羅睺・計都の宿度の計算である。宿度とは何か。当時において、惑星の黄経とか赤経とかを数値で出しても天体観測をしようとする人の役にはあまりたたないので、黄道/赤道付近にある星座(星宿)、二十八宿によって黄道/赤道を分割(不等分割)して、「何某の星宿に入って何度のところ」みたいな感じで惑星の位置を記載したのである。基本的に、頒暦に宿度が書いてあるわけではないから今まではすっ飛ばしてきたが、太陽や月(そして5惑星も)の宿度の計算式がちゃんとある。そして、ここでは仮想の惑星である羅睺・計都の宿度の計算方法が書いてあるわけである。

が、宿度の計算自体についてはあまり気にしないでもらいたい。ここでいいたいのは、羅睺は「正交実行を置き、六宮を加減し」と記載してあって、正交実行 + 180度、つまり、正交は昇交点だから、降交点として計算されているのであり、計都は単に「正交実行を察し」と記載してあるから、昇交点として計算されているのである(寛政暦の正交が降交点ではなく昇交点であるのは、月の緯度の計算を見れば明らかである)。

が、世間一般には、「羅睺が昇交点、計都が降交点」として紹介されることが多い。2020/08/15時点の wikipedia「九曜」でもそう書いてある。

羅睺・計都はそもそもインドのものだから、インド天文学においてどうだったのかは知らない。中国・日本においてほかの暦がどうだったのかも知らない。また、占星術的な分野においてどのように取り扱われてきたのかも知らない。が、貞享暦・宝暦暦、およびその元ネタとなった元の授時暦では「羅睺が降交点、計都が昇交点」(※) だし、寛政暦でも上記のようにそうだし、およびその元ネタとなった暦象考成後編でもそうだ(これは清の時憲暦の暦法だから、時憲暦でもそうであるはず)。そして、天保暦でも「羅睺が降交点、計都が昇交点」である。 

  • (※) 貞享暦の暦法では「交正 = 羅睺」、その裏側の「交中 = 計都」となっており、交正が降交点、交中が昇交点であることは、日食の計算方法を見ればわかる。「正交(交正)」の意味が、寛政暦・天保暦と貞享暦・宝暦暦とで逆になっており、ややこしいが。

さまざまな書物・インターネットメディアなどで無反省に「羅睺が昇交点、計都が降交点」と書かれていることが多い。もしかしたら、本来はそうで、近世の中国・日本の暦がおかしいのかも知れない。だとしたら、「羅睺が昇交点、計都が降交点」とするのが、どんな根拠に基づいているのかは是非知りたいところであるが、なんにせよ、近世の中国・日本の暦での取り扱い(つまり、近世の中国・日本の政府による公式の取り扱い)についてなんの断りもなく「羅睺が昇交点、計都が降交点」とだけ記載するのはいかがなものだろうか。「羅睺が昇交点、計都が降交点」と書くにしても「逆になっているケースもある」のような注記が最低限あってしかるべきだろう。 

特筆しておくべき内容かなと思うので、ここで記載しておく。

なお、月の交点「羅睺・計都」と、月の遠地点「月孛」、および「紫気(紫炁)」の四つの仮想の惑星を合わせて「四余」という。「紫気」は意味合いが不明な仮想惑星で、貞享暦での計算方法を見ると、28年で一周するようなスピードで周回するもののようだ。

[2021.06.17 追記]
今、気づきましたが、「wikipedia:ケートゥ」には「
異説として、ケートゥが昇交点、ラーフが降交点と逆のこともある」と書かれていますね(「wikipedia:ラーフ」には昇交点とも降交点とも記載なし)。広辞苑によるとされています。たしかに、今手元にある広辞苑(第六版)を見ると、「らご【羅睺】」は降交点、「けいと【計都】」は昇交点と記載されています。さすが広辞苑。

  • らご【羅睺】
    • ①「インドの天文学で、白道と黄道の降交点に当たる架空の星の称。日・月に出会って食を起こすという。」
  • けいと【計都】
    • ①「インド天文学で、白道と黄道の昇交点に当たる架空の星の称。日・月に出会って食を起こすという。」
  • こうてん【交点】
    • ②「〔天〕(node)惑星・衛星・彗星などの軌道が黄道と交わる点。軌道が黄道を南から北へ通過する点を昇交点、北から南へ通過する点を降交点という。」

宋の沈括による「夢渓筆談」巻七 象数一に

交道每月退一度余、凡二百四十九交而一期。故西天法羅睺、計都、皆逆步之、乃今之交道也。交初謂之羅睺、交中謂之計都。
交道每月一度余を退き、凡そ二百四十九交にして一期とす。故に西天の法の羅睺、計都、皆これを逆步し、すなはち今の交道なり。交初、これを羅睺と謂ひ、交中、これを計都と謂ふ。

とある。授時暦/貞享暦における「交正」は降交点、「交中」は昇交点だが、はたして、沈括が言うところの交初・交中もそうなのか。

宋代の暦ではどうかと思い、宋史を見てみると、ちゃんとしっかり読み込めているわけではないのだが、儀天暦で、

視入交定日及余秒、在交中日以下為陽、以上者去之、余為月入陰暦
入交定日及び余秒を視、交中日以下に在れば陽と為し、以上はこれを去き、余り、月入陰暦と為す。
とある。交中日の前は陽暦で、後は陰暦だと。宣明曆でも、授時暦/貞享暦でも、「陽暦」とは月が黄道の南にあること、「陰暦」とは北にあることだから、それと同じなら、交中が昇交点っぽい。そして、

望入食限則月食。朔入食限、月入陰暦則日食。
望、食限に入れば、則ち月食。朔、食限に入り、月、陰暦に入れば則ち日食。

ともあって、月食では「食限」に入れば(月が交点に近ければ)すべて月食、日食では「食限」に入り、なおかつ、陰暦のとき日食とのこと。北半球にある中国における月の視差を考えると、月がやや北めにあった方が日食になりやすく、南めにあると日食になりにくい。とすれば、「陰暦」は、やはり、月が黄道の北にあることなのだろう。

ということで、「交正」は降交点、「交中」は昇交点ということでよく、沈括が言うところの羅睺は降交点、計都は昇交点だろうと思われる。

中国・日本の状況を見る限り、羅睺が降交点、計都が昇交点としか思えないのだが、インドの状況とかを見ると違ってくるんですかね。

もっと前の時代だと、 計都は彗星 (※) だとか、月の遠地点だとかいう話もあって、交点ではなかったりする。インドから中国に伝わった時点では何者だかしっかり定義されていなかったところに、中国では「羅睺は降交点、計都は昇交点」と整理され、インドでは「Rāhu は昇交点、Ketu は降交点」と整理された、みたいなこともありそう。

  • (※) 八世紀に書かれた大日経の注釈書「大日経疏(大毘盧遮那成仏経疏)」巻第四に
    諸執者、執有九種。即是日月火水木金土七曜、及与羅睺計都合為九執。羅睺是交会食神。計都正翻為旗。旗星謂彗星也。
    諸執は、執、九種有り。即ちこれ日・月・火・水・木・金・土の七曜、及び羅睺・計都と合はせ、九執と為す。羅睺、これ交会食神。計都、正翻に旗と為す。旗星は彗星を謂ふなり。
    とある。羅睺は「交会食神」と言っているので、昇交点か降交点かはわからないものの交点だろうと思われるが、計都は「彗星」であるとしている。

[2021.06.23 追記]
時憲暦(第 1 期)の暦法を作った湯若望 (Adam Schall) は、羅睺を昇交点、計都を降交点にしようとしていたようである。清史稿巻四十五 時憲志一に

羅睺即白道之正交、計都即中交。
羅睺、即ち白道の正交、計都、即ち中交。
とある。寛政暦・天保暦と同様に、時憲暦の「正交」は昇交点なので、「羅睺が昇交点、計都が降交点」となるのだ。湯若望の新暦法は、楊光先らの保守派から激しい反発を受け糾弾される(康煕の暦獄)のだが、この時に、羅睺・計都を伝統的な解釈から反転していることも指摘されている。結果、羅睺・計都の配当は、伝統的な解釈に戻したらしい。

おそらく、 湯若望は意図して変更しようとしたわけではなく、「中国の伝統暦法では、降交点を起点(交正)とする。西洋の天文学では、昇交点を起点とする(故に、西洋天文学を取り入れた時憲暦では昇交点を正交とする)」といったところから、混乱してしまったのではないだろうか。

この辺の中国暦法と西洋天文学とのねじれは、「南を上と考える中国と、北を上と考える西洋」の違いに起因しているのじゃないかと想像する。「月が南から北に移る点、北から南に移る点」を「昇交点・降交点」というと、これからの話がややこしくなるので、north node, south node と言い換えると、おそらく、中国暦法でも西洋天文学でも「昇る交点」を起点にしているのだろう。南を上と考える中国暦法では、south node(交正)が「昇る交点」で、北を上と考える西洋天文学では、north node が「昇る交点」なのだ。

西洋占星術で、north node(昇交点)を "dragon's head"、south node(降交点)を "dragon's tail" と呼ぶことがある。そして、それが移入されて「羅睺を龍頭、計都を龍尾」と言ったりする。だが、これも、南が上か北が上かで、意味が反転されているのだ。龍が首をもたげているイメージで語るなら、「昇る交点」が dragon's head / 龍頭となるのだが、西洋でいう dragon's head は north node となり、中国でいう龍頭は south node(羅睺)となる。

たぶん、今、「羅睺が昇交点、計都が降交点」などとよく言われるのも、この辺の混乱がずっと続いているからのような気がする。

 

以上で、寛政暦の月離の説明は終わり。次回は、寛政暦の消長法について。寛政暦の制定を主導した麻田学派(高橋至時、間重富)の師匠の麻田剛立が独自に考案したという、天文諸定数の経年変化項である。

[江戸頒暦の研究 総目次へ]

[参考文献]

吉田 秀升, 山路 徳風, 高橋 至時「暦法新書」(寛政) 国立公文書館デジタルアーカイブ蔵 

渋川 景佑「寛政暦書」 国立公文書館デジタルアーカイブ蔵 

渋川 景佑, 足立 信行「新法暦書続編」 国立公文書館デジタルアーカイブ蔵 

戴 進賢 (Ignaz Kögler)「暦象考成後編」国立天文台三鷹図書館デジタル資料 

渋川春海, 土御門泰福(校閲)「貞享暦」, 国立公文書館デジタルアーカイブ蔵

長沢 工 (1981, 1985)「天体の位置計算 増補版」, 地人書館 ISBN-9784805202258

 

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