2020年11月13日金曜日

天保暦の暦法 (10) 月離 (5) 月出入時刻 (1)

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前回は、月の地半径差(地平視差 horizontal parallax)の計算を行った。

今回は、月出入時刻の計算について。寛政暦の月出入時刻の計算と比べて、天保暦の計算は、こんなに無駄に壮大な計算式である必要があるのか?と思うほど長ったらしい。長ったらしいが、複雑で理解が困難な箇所はそうは多くないので、ちゃんとステップを追っていけば大丈夫。

長ったらしくなっている要素として、ひとつは、京都以外の地点における月出入時刻算出を割とちゃんとやっていること、もうひとつは、地半径差(地平視差)の考慮をしていることである。地平視差は、地球に近い天体ほど大きく、月では最大 1° 程度の視差となる。そして、天体が地平線付近にあるときに視差が最大となるから、月出入時は、まるまる約 1° の視差が発生することになり、月出入時刻算出にあたって、無視できない効果をもたらすのである。

というように、長ったらしくなっているもっともな理由もある。……が、単に「無駄に長ったらしいんじゃないの?」と思うところもなくはない。


月出入関連の定数

[推太陰出入時刻用数]
朔策二十九日五三零五八七七八六六零七
太陰左旋一周一日零三五零五零一零一六(以朔策減一日為一率、朔策為二率、周日為三率、求得四率為太陰左旋一周)
朔策を以って一日を減じ一率と為し、朔策、二率と為し、周日、三率と為し、求めて得る四率、太陰左旋一周と為す。
一日太陰左旋度三百四十七度八十零分九十二秒五十零微四十四繊二十三忽(置周天、加太陽毎日平行、減太陰毎日平行、即得)
周天を置き、太陽毎日平行を加へ、太陰毎日平行を減じ、即ち得。
 \[ \begin{align}
\text{朔策} &= 29_\text{日}.530587776607 &(= 360° / (\text{太陰毎日平行} - \text{太陽毎日平行})) \\
\text{太陰左旋一周} &= 1_\text{日}.0350501016 &(= \cfrac{\text{朔策}}{\text{朔策} - 1_\text{日}} \times 1_\text{日}) \\
\text{一日太陰左旋度} &= 347°.8092504423 &(= 360° + \text{太陽毎日平行} - \text{太陰毎日平行})
\end{align} \]

「朔策」は、経朔弦望のところで既出だし、そもそも貞享暦からずっとあったものなので、改めて説明するほどのものでもないが、月の平均朔望周期である。月出入時刻を求めるにあたって直接必要な定数ではないが、「太陰左旋一周」の定数の導出方法で言及されているので記載しておいた。

「太陰左旋一周」は、月の平均南中間隔である。

月や太陽は、経度が増える方向に(北極側から見て反時計周りに。西から東へ)動き、一方、地球の自転により地表面も北極側から見て反時計回りに(西から東へ)動く。 地球の自転による地表面の回転スピードの方が速いから、地表面上にいる人にとって、月や太陽は東から西に日周運動するように見えるわけだ。 

1日に地球は 360° 自転しているのかというと、さにあらず。平均太陽 (※) が南中してから地球が 360° 回転したところでは、その間にも平均太陽は更に進んでいるからまだ南中にはならない。そこからもうちょっと進んで地球の自転が、周回遅れの平均太陽にキャッチアップしたところではじめて南中に至る。この南中間隔が平均太陽時における 1 日(平均太陽日)になるわけである。平均太陽時における 1 日の間に、平均太陽は「\(\text{太陽毎日平行} = 0°.9856472405_\text{/日} \)」だけ進み、地球の自転は、「\(360°_\text{/日} + \text{太陽毎日平行} = 360°.9856472405_\text{/日} \)」だけ自転する。

  • (※) 「平均太陽」とは、太陽の平均角速度(「太陽毎日平行」)で運行遅速なく、(黄道上ではなく)赤道上を等角速度運動する、仮想の太陽である。
    同様に、「平均月」とは、月の平均角速度(「太陰毎日平行」)で運行遅速なく、(白道上ではなく)赤道上を等角速度運動する、仮想の月である。

じゃあ、月はどうなのかと言えば、平均太陽時における 1 日の間に、平均月の経度は「\(\text{太陰毎日平行} = 13°.1763967982_\text{/日}\) だけ進むから、地球の自転スピードとの差分は、\(360°_\text{/日} + \text{太陽毎日平行} - \text{太陰毎日平行} = 347°.8092504423_\text{/日} \) である。これが「一日太陰左旋度」である。地表面に定点カメラを設置して月の動きをウォッチし続ければ、 1 日の間に、\(347°.8092504423 \) だけ月は日周運動する。

月の平均南中間隔「太陰左旋一周」の値を求めたければ、地表面の自転が月を追い上げる相対速度「一日太陰左旋度」でもって、地表面の自転が月を一周 360° だけ周回遅れにするのにかかる時間であるから、
\[ \begin{align}
\text{太陰左旋一周} &= {360° \over \text{一日太陰左旋度}} \\
&= {360° \over 360°_\text{/日} + \text{太陽毎日平行} - \text{太陰毎日平行}} \\
&= \cfrac{\cfrac{360°}{\text{太陰毎日平行} - \text{太陽毎日平行}}}{\cfrac{360°_\text{/日}}{\text{太陰毎日平行} - \text{太陽毎日平行}} - 1} \\
&= \cfrac{\cfrac{360°}{\text{太陰毎日平行} - \text{太陽毎日平行}}}{\cfrac{360°}{\text{太陰毎日平行} - \text{太陽毎日平行}} - 1_\text{日}} \times 1_\text{日} \\
&= {\text{朔策} \over \text{朔策} - 1_\text{日}} \times 1_\text{日} \\
&= {29_\text{日}.530587776607 \over 28_\text{日}.530587776607} \times 1_\text{日} \\
&= 1_\text{日}.0350501016
\end{align} \]
ということになる。

どうでもいいっちゃどうでもいいが、なんで「左旋」なんですかね。月の日周運動の話なので、南面して東から西に日周運動する月を見るなら、「右旋」じゃないんでしょうか。月の右旋のスピード(\(360°_\text{/日} + \text{太陽毎日平行} - \text{太陰毎日平行}\))は、太陽の右旋のスピード(360°/日)より遅いので、毎日同じ時刻に月が見える方角を見ていくと、西→東にずれていくので、それをもって「左旋」と言っているのか……。

  • [2021/5/14 追記] どうやら、日周運動は、南面するなら、東から西へ左から右への動きなのだが、北天の星を見たときは、反時計回りの動きであって、それを「左旋」と言っているようだ。
    晋書巻十一天文志上における蓋天説の説明のなかで
    「日月右行、随天左転。故日月実東行、而天牽之以西没」
    日月右行し、天に随ひ左転す。故に日月、実は東行して、天これを牽き、以って西没す。
    とある。日周運動の方向(東から西へ、北天の星を見るなら反時計回り)が「左転」であり、太陽・月などの黄経が進む方向(西から東へ「東行」)が「右行」である。


京都における太陰南中平時年根

[推太陰出入時刻法]
求太陰南中諸年根「置太陰年根、減太陽年根(不足減者、加十二宮減之。蓋除日躔初均之外、四種均数較微而不妨故省之)、得月距日年根。加半周天(満十二宮去之)、為太陰距午度。以一日太陰左旋度為一率、周日為二率、太陰距午度為三率、求得四率為太陰南中平時年根。又、以周日為一率、日躔月離毎日諸平行為二率、太陰南中平時年根為三率、求得四率為日月諸行。以加日月諸年根、得太陰南中諸年根」
太陰年根を置き、太陽年根を減じ(減に足らざれば、十二宮を加へこれを減ず。蓋し、日躔初均を除くの外、四種均数、較微にして故にこれを省くことを妨げず)、月距日年根を得。半周天を加へ(満十二宮これを去く)、太陰距午度と為す。一日太陰左旋度を以って一率と為し、周日、二率と為し、太陰距午度、三率と為し、求めて得る四率、太陰南中平時年根と為す。又、周日を以って一率と為し、日躔月離毎日諸平行、二率と為し、太陰南中平時年根、三率と為し、求めて得る四率、日月諸行と為す。以って日月諸年根に加へ、太陰南中諸年根を得。
\[ \begin{align}
\text{月距日年根} &= \text{太陰年根} - \text{太陽年根} \\
\text{太陰距午度} &= (\text{月距日年根} + 180°) \mod 360° \\
\text{太陰南中平時年根} &= {\text{太陰距午度} \over \text{一日太陰左旋度}} \\
\text{太陽平行}(@\text{太陰南中年根}) &= \text{太陽毎日平行} \times \text{太陰南中平時年根} + \text{太陽年根} \\
\text{太陽最高平行}(@\text{太陰南中年根}) &= \text{太陽最高毎日平行} \times \text{太陰南中平時年根} + \text{太陽最高年根} \\
\text{太陰平行}(@\text{太陰南中年根}) &= \text{太陰毎日平行} \times \text{太陰南中平時年根} + \text{太陰年根} \\
\text{太陰最高平行}(@\text{太陰南中年根}) &= \text{太陰最高毎日平行} \times \text{太陰南中平時年根} + \text{太陰最高年根} \\
\text{太陰正交平行}(@\text{太陰南中年根}) &= \text{太陰正交毎日平行} \times \text{太陰南中平時年根} + \text{太陰正交年根}
\end{align} \]
「太陰南中平時年根」とは、天正冬至次日0:00以降、最初の平均月の南中日時である(正確には、天正冬至次日0:00から、天正冬至次日0:00以降最初の平均月の南中日時までの経過日時)。

 「太陽年根」「太陰年根」は、天正冬至次日0:00時点の、太陽・月の平均黄経であり、すなわち、平均太陽・平均月の赤経であり、「月距日年根」は、天正冬至次日0:00時点の平均月の平均太陽からの離角となる。平均太陽時の 0:00 において、平均太陽は北側の子午線(南中子午線の正反対の方向)にあるから、「\(\text{太陰距午度} = \text{月距日年根} + 180°\)」は、天正冬至次日0:00時点における平均月の南中子午線からの離角となる。

この離角を、地球の自転が(すなわち南中子午線が)、「一日太陰左旋度」の相対速度でもって平均月を追いかけて、キャッチアップする(つまり平均月が南中する)のにかかる時間が、「太陰南中平時年根」ということになる。平均月の南中間隔(太陰左旋一周)は、1 日よりほんのちょっとだけ長いくらいなので、「太陰南中平時年根」(すなわち、天正冬至次日0:00以降最初の平均月の南中日時)は、大抵の場合、天正冬至次日のどこかであり、まれに、天正冬至次々日になることもある。

私の数式において、「\(\text{太陰距午度} = (\text{月距日年根} + 180°) \mod 360°\) と、角度を \(\mod 360°\) して、0° 以上 360° 未満に正規化するような式としている。
暦法書の記載においては、角度を加算する場合「満十二宮これを去く(360° 以上なら、360° を引け)」、減算する場合「減に足らざれば、十二宮を加へこれを減ず(0° 未満になる場合、360° を足せ)」のように、0° 以上 360° 未満に正規化するような記載になっているのだが、私の数式では、これをいちいち記載していない。
が、この箇所では殊更に \(\mod 360°\) としている。なぜか。

角度を減算して、離角を求めるとき、0° 以上 360° 未満ではなく、-180° 以上 180° 未満に正規化したほうがよいときがある。例えば、「月距日」(月の太陽からの離角)から朔日を求めるとき、\(\text{当日0:00の月距日} \leqq 0° \lt \text{次日0:00の月距日}\) となるような日を探すのだが、「月距日」を 0° 以上 360° 未満に正規化してしまっては \(\text{当日0:00の月距日} \leqq 0°\) になりえなくなってしまう。一方、当日0:00 の月の黄経が 350°で、太陽の黄経が 1°、次日0:00の月の黄経が 3° で、太陽の黄経が 2° だったとして、まったく正規化しないと、当日0:00の月距日は 349°、次日0:00の月距日は 1° となり、 \(\text{当日0:00の月距日} \leqq 0° \lt \text{次日0:00の月距日}\) とはならなくなる。-180° 以上 180° 未満に正規化すれば、349° は -11° となり、\(\text{当日0:00の月距日} \leqq 0° \lt \text{次日0:00の月距日}\) を満たす。

なのだが、太陰距午度の計算にあたっては、(-180° 以上 180° 未満ではなく)0° 以上 360° 未満に正規化して欲しいという意味で、\(\mod 360°\) と記載した。-180° 以上 180° 未満に正規化したのでは、「太陰南中平時年根」は、「天正冬至次日0:00以降最初の平均月の南中日時」ではなく、「天正冬至次日0:00前後、再近傍の平均月の南中日時」となってしまう。そう計算したところで、計算起点となる平均月南中がひとつ前にずれるだけのことで、最終的な結果には影響しないのだが、新法暦書が想定しているとおりの計算になるようにしておいた。

太陰南中平時年根時点の太陽平行、太陽最高平行、太陰平行、太陰最高平行、太陰正交平行を算出し、「太陰南中諸年根」としている。これをもとに、このあと、太陽・月の真黄経や、 赤経・赤緯等を求めていくことになる。太陽の真黄経を求めるにあたって、二均・三均等を求めるには、木星平行や金星平行も必要になるわけだが、日躔の計算にあたっては初均だけを計算し、一均~四均は無視してよいようだ。

「蓋し、日躔初均を除くの外、四種均数、較微にして故にこれを省くことを妨げず」

よって、太陽平行、太陽最高平行、太陰平行、太陰最高平行、太陰正交平行の 五つだけを計算すれば、すべて算出できるのである。

とはいえ、要するに「距根日数 = 太陰南中平時年根」(日時 = 当年天正冬至次日0:00 + 太陰南中平時年根)における日月各種平行を算出しているだけのことであるから、日時をインプットとして日躔・月離を算出する処理を実装しているのであれば、月出入時刻算出用に別に計算ロジックを実装しないといけないというわけでもない。さらに言えば、これらの値は、のちのち、東時・西時における日躔・月離計算をしたいがために、そのベースとするために求めているだけであって、結局、「日時 =東時・西時」の日躔・月離を計算すればいいだけであるから、これらの値を求めないといけないわけでもない。

地方における太陰南中平時年根

[推各方太陰出入時刻用数]
江戸北極高三十五度六十七分五十六秒
江戸経度東四度零六分八十秒
江戸里差一百十三分
長崎北極高三十二度七十七分五十六秒
長崎経度西五度八十零分八十三秒三十三微
長崎里差一百六十一分三十四秒
[推各方太陰出入時刻法]
求各方太陰南中諸年根「置月距日年根(前法所得者)、加半周天(満十二宮去之)、加減各方経度(江戸則減、長崎則加)、為太陰距各方午位度。乃以一日太陰左旋度為一率、周日為二率、太陰距各方午位度為三率、求得四率為各方太陰南中距京師子正後分数。加減各方里差(江戸則加、長崎則減)、得各方太陰南中平時年根。又以周日為一率、日躔月離毎日諸平行為二率、各方太陰南中距京師子正後分数為三率、各求四率為日月諸行。以加日月諸年根、得各方太陰南中諸年根。
以下按前法、求太陰出入地時刻」
月距日年根を置き(前法にて得るところのもの)、半周天を加へ(満十二宮これを去く)、各方経度を加減し(江戸則ち減じ、長崎則ち加ふ)、太陰距各方午位度と為す。すなはち一日太陰左旋度を以って一率と為し、周日、二率と為し、太陰距各方午位度、三率と為し、求めて得る四率、各方太陰南中距京師子正後分数と為す。各方里差を加減し(江戸則ち加へ、長崎則ち減ず)、各方太陰南中平時年根を得。又、周日を以って一率と為し、日躔月離毎日諸平行、二率と為し、各方太陰南中距京師子正後分数、三率と為し、各おの四率を求め、日月諸行と為す。以って日月諸年根に加へ、各方太陰南中諸年根を得。
以下、前法を按じ、太陰出入地時刻を求む。

\[ \begin{align}
\text{江戸北極高} &= 35°.6756 (\text{北緯}) \\
\text{江戸経度} &= +4°.0680 (\text{東経}) \\
\text{江戸里差} &= +0日.0113 (= \text{江戸経度} / 360°_\text{/日}) \\
\text{長崎北極高} &= 32°.7756 (\text{北緯}) \\
\text{長崎経度} &= -5°.808333 (\text{西経}) \\
\text{長崎里差} &= -0日.016134 (= \text{長崎経度} / 360°_\text{/日}) \\
\text{月距日年根} &= \text{太陰年根} - \text{太陽年根} \\
\text{太陰距各方午位度} &= (\text{月距日年根} + 180° - \text{地点経度}) \mod 360° \\
\text{各方太陰南中距京師子正後分数} &= {\text{太陰距各方午位度} \over \text{一日太陰左旋度}} \\
\text{太陰南中平時年根} &= \text{各方太陰南中距京師子正後分数} + \text{地点里差} \\
\text{太陽平行}(@\text{太陰南中}) &= \text{太陽毎日平行} \times \text{各方太陰南中距京師子正後分数} + \text{太陽年根} \\
\text{太陽最高平行}(@\text{太陰南中}) &= \text{太陽最高毎日平行} \times \text{各方太陰南中距京師子正後分数} + \text{太陽最高年根} \\
\text{太陰平行}(@\text{太陰南中}) &= \text{太陰毎日平行} \times \text{各方太陰南中距京師子正後分数} + \text{太陰年根} \\
\text{太陰最高平行}(@\text{太陰南中}) &= \text{太陰最高毎日平行} \times \text{各方太陰南中距京師子正後分数} + \text{太陰最高年根} \\
\text{太陰正交平行}(@\text{太陰南中}) &= \text{太陰正交毎日平行} \times \text{各方太陰南中距京師子正後分数} + \text{太陰正交年根}
\end{align} \]

月の出入時刻の頒暦作成上の用途としては、月食記事で帯食(かけながら出る、または、かけながら入る食)の判定を行うためなのであるが、日月食記事において、京都での日月食についてだけでなく、京都と見え方が異なる場合、東国(江戸)・西国(長崎)についても記載することがある。このため、江戸・長崎における月の出入時刻も算出する必要がある。

地点経度における時差(「里差」)は、地点経度によって太陽の南中時刻がずれる量を基準に時差を求めているのであって、太陽の出入時刻も同じだけずれると考えてよい。よって、京都における太陽の出入時刻を京都地方時で表記したものと、江戸/長崎における太陽の出入時刻を江戸/長崎地方時で表記したものとでは、基本、同じ時刻表記になる(ただし、緯度差に伴う差は生ずる)。

一方、月の場合は、南中間隔 = 1日ではないため、京都における太陽の出入時刻を京都地方時で表記したものと、江戸/長崎における太陽の出入時刻を江戸/長崎地方時で表記したものとでは、仮に緯度が同じであったとしても、同じ時刻表記にはならない。 

ということで、京都以外における月の出入時刻を求めるための計算、地方における太陰南中平時年根の計算を記述しておく。なお、この計算は、新法暦書巻二の記載上、京都における月の出入時刻の算出式を全部記載した後に記載しているのだが、当ブログでの説明ではここに挟み込んでおく。 「以下、前法を按じ、太陰出入地時刻を求む」と書いてある「前法」は、当ブログの記載上はこれから後述することになる計算式のことである。

地点 長崎 京都 江戸
地点緯度(「北極高度」) 北緯 \(32°.7756\) 北緯 \(35°.01\)
北緯 \(35°.6756\)
地点経度 西経 \(5°.808333\) \(0°\)
東経 \(4°.0680\)
時差(「里差」) \(-0_\text{日}.016134\) 0
\(+0_\text{日}.0113\)

各地点経度は、グリニッジではなく、京都を本初子午線とする経度である。国際的にグリニッジを本初子午線とすることが定められたのは、1884年の国際子午線会議においてであり、天保暦制定時点では、そのような決まりはなかった。天保暦の元ネタとなったラランデ暦書においても、パリを本初子午線としていた。

さて、京都の南中子午線(京都の頭上を通る子午線)と比較して、江戸の南中子午線は 4°.0680 東に(北極から見て反時計回りに。経度が進む方向に)ずれており、長崎の南中子午線は 5°.808333 西に(北極から見て時計回りに。経度が遅れる方向に)ずれている。天正冬至次日0:00(京都地方時における 0:00)において、平均月の京都南中子午線に対する離角は、\(\text{太陰距午度} = (\text{月距日年根} + 180°) \mod 360°\) であるから、平均月の、各地方の南中子午線に対する離角は、\(\text{太陰距各方午位度} = (\text{月距日年根} + 180° - \text{拠点経度}) \mod 360°\) となる(「拠点経度」は、東経をプラスとし西経をマイナスとする値と定義しておく)。

平均月の、各地方の南中子午線に対する離角(「太陰距各方午位度」)を一日太陰左旋度で割れば、各地方において平均月が南中する時刻「各方太陰南中距京師子正後分数」が出てくる。これは、「天正冬至次日0:00(京都地方時における 0:00)のどれだけ後か」という値であるから、京都地方時の時刻である。これに各地の里差を加算(里差は、東方をプラス、西方をマイナスとする値と定義しておく)すれば、平均月の南中時刻(各地の地方時)「太陰南中平時年根」が出てくる。

一方、日躔・月離計算のインプットとする時刻系は、京都地方平均太陽時でなくてはならないから、「太陰南中平時年根」をもとにするのではなく、「各方太陰南中距京師子正後分数」をもとに計算することになる。

この項の計算を、地点経度 = 0°、里差 = 0 として計算すれば、前項の「京都における太陰南中平時年根」の計算と同一となる。以降は、北極高度(地点緯度)は、それぞれの地方における緯度とする必要があるものの、京都・江戸・長崎における月の出入時刻計算は、数式としては同一となる。

太陰南中平時

求太陰南中平時「置所求距根日数、以朔策除之(止一位)、得数以減距根日数、為太陰日数(置距根日数、以太陰左旋一周除之、分位収一、為太陰日数、亦同)。以太陰左旋一周乗之、為根後積日。加紀日及太陰南中平時年根、満紀法去之、余数自初日甲子起算、得干支。以周日通、其小余如法収之、得太陰南中平時(視距根日数与太陰南中平時之干支、如太陰南中平時干支踰次日、則太陰南中平時内減太陰左旋一周、為太陰南中平時。太陰日数減一日、用其余)」
求むるところの距根日数を置き、朔策を以ってこれを除し(一位に止む)、得る数、以って距根日数より減じ、太陰日数と為す(距根日数を置き、太陰左旋一周を以ってこれを除し、分位、一に収め、太陰日数と為す、また同じ)。太陰左旋一周を以ってこれを乗じ、根後積日と為す。紀日及び太陰南中平時年根に加へ、満紀法これを去き、余数、初日甲子より起算し、干支を得。周日を以って通じ、その小余、法の如くこれを収め、太陰南中平時を得(距根日数と太陰南中平時の干支を視、もし太陰南中平時干支、次日に踰ゆるは、則ち太陰南中平時、太陰左旋一周を内減し、太陰南中平時と為す。太陰日数、一日を減じ、其の余りを用う)
\[ \begin{align}
\text{太陰日数} &= \text{日数} - \left[ \text{日数} \over \text{朔策} \right] \\
\text{根後積日} &= \text{太陰左旋一周} \times \text{太陰日数} \\
\text{太陰南中平日時} &= \text{紀日} + \text{太陰南中平時年根} + \text{根後積日} \\
\text{太陰南中平時} &= \text{小数部}(\text{太陰南中平日時}) \\
& \text{ただし、}\text{紀日} + \text{日数} + 1_\text{日} \leqq \text{太陰南中平日時} \text{ のとき:} \\
\text{太陰日数} &= \text{日数} - \left[ \text{日数} \over \text{朔策} \right] - 1_\text{日} \\
\text{根後積日} &= \text{太陰左旋一周} \times \text{太陰日数} \\
\text{太陰南中平日時} &= \text{紀日} + \text{太陰南中平時年根} + \text{根後積日} \\
\text{太陰南中平時} &= \text{小数部}(\text{太陰南中平日時})
\end{align} \]
「太陰南中平時年根」は、紀日(天正冬至次日0:00)以降の最初の平均月の南中日時であった。ここで求める「太陰南中平時」は、求めたい日における平均月の南中時刻である。

\[\text{太陰日数} = \text{日数} - \left[ \text{日数} \over \text{朔策} \right]\]
は、一瞬、なんの計算なんだがピンと来ないが、
\[\text{日数} - {\text{日数} \over \text{朔策}} = \text{日数} {\text{朔策} - 1_\text{日} \over \text{朔策}} = {\text{日数} \over \text{太陰左旋一周}}\]
と変換してみればわかりやすいだろう。「太陰左旋一周」は月の平均南中間隔であるから、「日数」(天正冬至次日0:00~求めたい日時までの経過日時)の間に、月が何周したかを数えているのである。「朔策を以ってこれを除し(一位に止む)」、つまり、\(\dfrac{\text{日数}}{\text{朔策}}\) を切り捨てている(※)から、結局、「太陰日数」は整数切り上げした値になっている(「日数」が整数値(つまり求めたい日時は、求めたい日の0:00)だとすれば)。

  • (※)  「一位に止む」とは、整数部まで計算したらあとは計算しなくていい、という意味だから、すなわち、切捨である。
  • 割注に注記されている別解の式、「距根日数を置き、太陰左旋一周を以ってこれを除し、分位、一に収め、太陰日数と為す」のほうが、式の意味合いがわかりやすい。
    なお、「分位、一に収め」とは、日未満の小数部(「分位」)を、整数 1(1 日)に切り上げろということだろう。

 太陰日数に太陰左旋一周をかけて、「紀日 + 太陰南中平時年根」(すなわち、紀日(天正冬至次日0:00)以降の最初の平均月の南中日時)に加算すれば、求めたい日における平均月の南中日時が算出できる。

「太陰日数」は切り上げ算出しているので、\(\text{日数} \leqq  \text{根後積日} \lt \text{日数} + \text{太陰左旋一周}\) であり、
\(\text{紀日} + \text{日数} + \text{太陰南中平時年根} \leqq  \text{太陰南中平日時} \lt \text{紀日} + \text{日数} + \text{太陰南中平時年根} + \text{太陰左旋一周}\)
となっているわけだが、「求めたい日における平均月の南中日時」を求めたいのだとすれば、
\(\text{紀日} + \text{日数} \leqq  \text{太陰南中平日時} \lt \text{紀日} + \text{日数} + 1_\text{日} \)
であるような太陰南中平日時を求めたいはずなので、「太陰南中平時年根」だけ計算がずれている。よって、ずれた分、太陰南中平日時が翌日に回ってしまこことがあるので、その場合、「ひとつ前の南中を持ってこい」という操作を加えている。
\[\text{太陰日数} = \text{切上} \left( \text{日数} - \text{太陰南中平時年根} \over \text{太陰左旋一周} \right)\]
とした方が、そんな操作をせずにすむのでよかったかも知れない。

ただし、私としては、どちらかというと、
\[\text{太陰日数} = \text{四捨五入} \left( \text{日数} - \text{太陰南中平時年根} \over \text{太陰左旋一周} \right)\]
がお勧めかな。こうすると、「日数」で示される求めたい日時に再近傍の月の南中が得られる。頒暦作成において月出入時刻を使うのは月食の帯食判定の場合で、「日数」に月望/食甚の日時を投入してやれば、食甚に再近傍の平均月南中が得られるはずで、その前後の月出入時刻も、食甚に再近傍の月出入時刻になるはず。そんな感じで求まったほうが使い勝手がよい気がする。

太陰南中平時における日躔・月離

[推太陰出入時刻用数]
《太陰左旋一周内日月諸平行》
太陽平行一度零二分零一秒九十四微二十七繊四十九忽
太陽最高平行五十一微五十六繊零七忽
太陰平行一十三度六十三分八十二秒三十零微八十二繊四十九忽
太陰最高平行一十一分五十三秒一十三微一十五繊三十四忽
太陰正交平行五分四十八秒一十一微二十五繊一十六忽
[推太陰出入時刻法]
求南中平時日月諸平行「置太陰日数、以太陰左旋一周内日月諸平行乗之、得数満周天去之、以宮法収之、為日数諸平行。各以加太陰南中諸年根、得南中平時日月諸平行」
太陰日数を置き、太陰左旋一周内日月諸平行を以ってこれを乗じ、得る数、満周天これを去き、宮法を以ってこれを収め、日数諸平行と為す。各おの、以って太陰南中諸年根に加へ、南中平時日月諸平行を得。
\[ \begin{align}
\text{太陰左旋一周内太陽平行} &= 1°.0201942749 \\
\text{太陰左旋一周内太陽最高平行} &= 0°.0000515607 \\
\text{太陰左旋一周内太陰平行} &= 13°.6382308249 \\
\text{太陰左旋一周内太陰最高平行} &= 0°.1153131534 \\
\text{太陰左旋一周内太陰正交平行} &= 0°.0548112516 \\
\text{太陽平行}(@\text{南中平時}) &= \text{太陰左旋一周内太陽平行} \times \text{太陰日数} + \text{太陽平行}(@\text{太陰南中年根}) \\
\text{太陽最高平行}(@\text{南中平時}) &= \text{太陰左旋一周内太陽最高平行} \times \text{太陰日数} + \text{太陽最高平行}(@\text{太陰南中年根}) \\
\text{太陰平行}(@\text{南中平時}) &= \text{太陰左旋一周内太陰平行} \times \text{太陰日数} + \text{太陰平行}(@\text{太陰南中年根}) \\
\text{太陰最高平行}(@\text{南中平時}) &= \text{太陰左旋一周内太陰最高平行} \times \text{太陰日数} + \text{太陰最高平行}(@\text{太陰南中年根}) \\
\text{太陰正交平行}(@\text{南中平時}) &= \text{太陰左旋一周内太陰正交平行} \times \text{太陰日数} + \text{太陰正交平行}(@\text{太陰南中年根}) \\
\end{align} \]

基本的には、\(\text{太陰左旋一周内平行} = \text{毎日平行} \times \text{太陰左旋一周}\) となっているはず。そして、上記の式で得られた南中平時の各種平行は、要するに、各地の地方時において「太陰南中平日時」、京都平均太陽時において「\(\text{紀日} + \text{各方太陰南中距京師子正後分数} + \text{根後積日}\) 」 の日時における各種平行になっているはず。 

  • \(\text{京都時刻太陰南中平日時} =  \text{紀日} + \text{各方太陰南中距京師子正後分数} + \text{根後積日}\) という値を定義しておくこととする。

ただし、微妙に \(\text{太陰左旋一周内平行} = \text{毎日平行} \times \text{太陰左旋一周}\) になっていない気もして、若干気持ち悪い。

-
\(\text{平行} \times \text{太陰左旋一周} \)
定数
太陽平行
\(0.9856472405 \times 1.0350501016 = 1.02019427642 \)
\(1.0201942749 \)
太陽最高平行 \(0.0000498147 \times 1.0350501016 = 0.00005156071 \) \(0.0000515607 \)
太陰平行
\(13.1763967982 \times 1.0350501016 = 13.63823084470 \) \(13.6382308249 \)
太陰最高平行
\(0.111408282 \times 1.0350501016 = 0.11531315360 \) \(0.1153131534 \)
太陰正交平行
\(0.0529551677 \times 1.0350501016 = 0.05481125171 \) \(0.0548112516 \)


東時・西時

[推太陰出入時刻用数]
《四分日月諸平行》
太陽平行二十四分六十四秒一十二微
太陽最高平行一十二微
太陰平行三度二十九分四十零秒九十九微
太陰最高平行二分七十八秒五十二微
太陰正交平行一分三十二秒三十九微
[推太陰出入時刻法]
求東時「置太陰南中平時、減周日四分之一(不足減者、加周日減之、退一日)、得東時」
太陰南中平時を置き、周日四分之一を減じ(減に足らざれば、周日を加へこれを減じ、一日を退く)、東時を得。
求西時「置太陰南中平時、加周日四分之一(満周日去之、進一日)、得西時」
太陰南中平時を置き、周日四分之一を加へ(減に足らざれば、周日を加へこれを減じ、一日を退く)、西時を得。
求東時日月諸平行「置南中平時日月諸平行、減四分日月諸平行(不足減者、加十二宮減之)、得東時日月諸平行」
南中平時日月諸平行を置き、四分日月諸平行を減じ(減に足らざれば、十二宮を加へこれを減ず)、東時日月諸平行を得。
求西時日月諸平行「置南中平時日月諸平行、加四分日月諸平行(満十二宮去之)、得西時日月諸平行」
南中平時日月諸平行を置き、四分日月諸平行を加へ(満十二宮これを去く)、西時日月諸平行を得。
\[ \begin{align}
\text{四分太陽平行} &= 0°.246412 \\
\text{四分太陽最高平行} &= 0°.000012 \\
\text{四分太陰平行} &= 3°.294099 \\
\text{四分太陰最高平行} &= 0°.027852 \\
\text{四分太陰正交平行} &= 0°.013239 \\
\text{東時} &= \text{太陰南中平時} - 0.25_\text{日} \\
\text{西時} &= \text{太陰南中平時} + 0.25_\text{日} \\
\text{太陽平行}(@\text{東時}) &= \text{太陽平行}(@\text{南中平時}) - \text{四分太陽平行} \\
\text{太陽最高平行}(@\text{東時}) &= \text{太陽最高平行}(@\text{南中平時}) - \text{四分太陽最高平行} \\
\text{太陰平行}(@\text{東時}) &= \text{太陰平行}(@\text{南中平時}) - \text{四分太陰平行} \\
\text{太陰最高平行}(@\text{東時}) &= \text{太陰最高平行}(@\text{南中平時}) - \text{四分太陰最高平行} \\
\text{太陰正交平行}(@\text{東時}) &= \text{太陰正交平行}(@\text{南中平時}) - \text{四分太陰正交平行} \\
\text{太陽平行}(@\text{西時}) &= \text{太陽平行}(@\text{南中平時}) + \text{四分太陽平行} \\
\text{太陽最高平行}(@\text{西時}) &= \text{太陽最高平行}(@\text{南中平時}) + \text{四分太陽最高平行} \\
\text{太陰平行}(@\text{西時}) &= \text{太陰平行}(@\text{南中平時}) + \text{四分太陰平行} \\
\text{太陰最高平行}(@\text{西時}) &= \text{太陰最高平行}(@\text{南中平時}) + \text{四分太陰最高平行} \\
\text{太陰正交平行}(@\text{西時}) &= \text{太陰正交平行}(@\text{南中平時}) + \text{四分太陰正交平行}
\end{align} \]
南中平時に、1/4日 (0.25日) を加減して、平均月の出入時刻「東時」「西時」を得る。

平均月の出入時刻を求めるのなら、0.25 日ではなく、太陰左旋一周の 1/4、0.2587625254日を加減したほうがいいようにも思えるが、所詮、求めたいのは平均月の出入時刻ではなく、真月の出入時刻なのであって、「東時」「西時」はそのアタリをつけるために求めているのに過ぎないので、特段問題はない。

今後、東時・西時の日躔・月離法に基づき月の真位置を求めて、真月の出入時刻を求めていくことになる。説明の都合上、東時・西時について、
\[ \begin{align}
\text{東日時} &= \text{太陰南中平日時} - 0.25_\text{日} \\
\text{西日時} &= \text{太陰南中平日時} + 0.25_\text{日} \\
\text{京都時刻東日時} &= \text{京都時刻太陰南中平日時} - 0.25_\text{日} \\
\text{京都時刻西日時} &= \text{京都時刻太陰南中平日時} + 0.25_\text{日}
\end{align} \]
の値を定義しておくことにしよう。
とすると、今まで、「太陽平行」「太陽最高平行」「太陰平行」「太陰最高平行」「太陰正交平行」について、太陰南中平時年根→太陰南中平時→東時・西時の値を算出してきたが、そんな過程を経なくても、京都時刻東日時、京都時刻西日時における日躔・月離を算出すればそれでいいという話になる。


……という感じで壮大に計算してきたが、ここまで長々と計算しなくても、いい気がする。月出入時刻を求めたい日を「日数」(日数は整数。すなわち、求めたい日の 0:00 時点)とするとき、
\[ \begin{align}
\text{月距日} &= \text{太陰平行}(@\text{日数}) - \text{太陽平行}(@\text{日数}) \\
\text{太陰距各方午位度} &= (\text{月距日} + 180° - \text{地点経度}) \mod 360° \\
\text{各方太陰南中距京師子正後分数} &= {\text{太陰距各方午位度} \over \text{一日太陰左旋度}} \\
\text{太陰南中平時} &= \text{各方太陰南中距京師子正後分数} + \text{地点里差} \\
\text{太陰南中平日時} &= \text{紀日} + \text{日数} + \text{太陰南中平時} \\
\text{東日時} &= \text{太陰南中平日時} - 0.25_\text{日} \\
\text{西日時} &= \text{太陰南中平日時} + 0.25_\text{日} \\
\text{京都時刻太陰南中平日時} &= \text{紀日} + \text{日数} + \text{各方太陰南中距京師子正後分数} \\
\text{京都時刻東日時} &= \text{京都時刻太陰南中平日時} - 0.25_\text{日} \\
\text{京都時刻西日時} &= \text{京都時刻太陰南中平日時} + 0.25_\text{日}
\end{align} \]
でいい気がする。何も紀日(天正冬至次日)から求めはじめなくても、いきなり求めたい日当日から計算しはじめていいんじゃない?と思うが。


この時点では、まだ、月出入時刻のアタリをつけただけで、月出入時刻算出の本丸にはまったく到達していないのだが、ここまでで結構な記載量になってしまったので、以降は次回に。

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[参考文献]

渋川 景祐; 足立 信頭「新法暦書」 国立公文書館デジタルアーカイブ蔵

渋川 景祐; 足立 信行「新法暦書続編」 国立公文書館デジタルアーカイブ蔵

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