動詞活用形の起源にて、かつて日本語には長母音があったとして仮説を立てたのであるが、その痕跡が上代東国方言に残っていないか見ている。
現状、上代東国方言の母音交代がぐちゃぐちゃし過ぎていて、はっきりしたものは得られていない。
ただ、u と o甲 との交替について、興味深い点がある。
上代東国歌謡を見るとき、顕著に目に付くのは、四段・ラ変の動詞・助動詞の連体形がオ段甲になること、形容詞の連体形がエ段甲(ケ)になることである。かといって、全てのウ段・イ段が、オ段・エ段になるわけでもない。四段の終止形がオ段になることはない。
連体形と終止形の違いは?と考えるとき、四段動詞の連体形は、語根 + u + u で、長母音 ū になるわけだが、終止形は、語根 + u で、短母音 u である。
とすると、長母音の ū がオ段甲になっているのではないかとも考えられるわけだ。
なお、以下、カタカナ表記部において、乙類イ・乙類エ・甲類オは、アンダーラインを引く。
「モ」は甲類・乙類別なしとし、アンダーラインは引かない。
ウ段オ段の交替で最も目につくのは、推量「む」の連体形が「も」になるケース。
14/3418「今はいかにセモ (せむ)」、20/4406「我が家(いは)ろにユカモ (行かむ) 人もが」などだが、
14/3431「ヒコフネ(引く船)」、20/4385「ユコサキ (行く先)」などの四段動詞、
14/3469「ノラロ (告れる) 我が背な」* のようなラ変活用助動詞の連体形など、多くの例がある。
* 完了「り」は、中央語では「告れり」のようにエ段に接続するが、東国語では「告らり」とア段に接続する。
ただ、四段 ・ラ変の連体形だけを見ていては、「四段・ラ変の連体形がオ段甲になる」という文法変化なのか、「長母音の ū がオ段甲になる」という音韻変化なのかがわからない。他の例を見てみる必要がある。
管見の仮説で、四段連体形以外に長母音の ū であると予想しているものとして、二段・カサナ変の終止形、連体形・已然形のル・レの前の音があるが、
20/4401「置きてそキノヤ (来ぬや)」ナ変助動詞終止形
20/4379「白波のヨソル (寄する) 浜辺」下二段連体形 (ただしソは乙類。「寄する」でなく、他自二段型自動詞形「寄せ/寄さり」の、ア/オ乙交替バージョンである可能性あり)
20/4351「イノレドモ (い寝(ぬ)れども)」下二段已然形
などが見られる。
14/3395「多(さは)だナリノヲ (成りぬるを?)」、14/3480「夜立ちキノカモ (来ぬるかも?)」、14/3414「アラハロマデ (顕るるまで?)」は、連体形が予想されるところに終止形が来ていると見るべきなのか、連体形のルが省略されていると見るべきなのか。いずれにしても長母音が予測されるところではあるのだが。
こういう例がなければ、「文法変化ではなく、音韻変化である決定的な証拠!」と言いたいところなのだが、この例のため、
- 東国語では、ルのつかない形で二段等の連体形が成立。四段・二段とも連体形は末尾がオ甲
- その後、二段連体形にルを付加。ルのつかない形は、以前の形の名残
と、文法変化として説明出来てしまう。。。
ただ、その場合でも二段終止形でオ甲になるのは、どうなの?というつっこみは可能なのだが、20/4401「置きてそ来のや」は、「そ」の係り結びで連体形なんだか、「や」への接続なので終止形で、係り結びは流れてるんだか、微妙。。。
とすると、動詞活用形語尾以外の例を見つけたいのだが、動詞活用語尾以外については、長短の予想がわからないので何とも言いづらい。
20/4328「トヘタホミ (遠江とほたふみ)」は、apa-umi > apūmi と、長母音であると思われるところ。(「ヘ」については、どうも、東海方言では、オ段乙がエ段乙になるケースが多いようだ)
20/4421「ミトト (見つつ) 偲はね」は、接続助詞「つつ」が完了助動詞「つ」の畳語だとすれば、下二段終止形なので、長母音だっただろう。
14/3546「セミド (清水)」、14/3423「ヨキ (雪)」(ただしヨは乙類)の長短は、わからない。
14/3539「アヤホカド (危ふけど)」も不明だ。なお、形容詞已然形が「ケ」ではなく「カ」になるのは、完了「り」がア段接続になるのと同じ理由と考えられる。ia > e にならず、ia > a になるのだ。
以上のように、ウ段オ段交替のケースで、長母音が予想されるもの、長短がわからないものはあっても、短母音が予想されるケースは見当たらない。明確に短母音が予想されるのは、四段終止形、二段・カサナ変連体形のルだが、これらがオ段になることはない。
14/3423「フロヨキ (降る雪)」のように四段連体形ならオ段になるので「ル」が「ロ」にならないわけでもない。
ウ段オ段がごっちゃになっているわけではなく、長母音ウ段とオ段がごっちゃになっているのでは?という仮説は、確証は、依然、見つからないものの、とりあえず、成立し得ているようである。
・・・・・・ただ一点の例外を除いては。
推量助動詞「む」については、終止形でも「も」になることがある。
引用の助詞「と」の前のケースが多く、それらについては「引用助詞が連体形を取ることがあるのでは?」という疑いもなくはないのだが、
14/3516「対馬の嶺は下雲あらなふ可牟の嶺にたなびく雲を見つつシノハモ (偲はむ)」
これは、どう見ても終止形だ。
推量「む」については、他と同列に考えるべきではないかも知れない。中央語でも、「なも/なむ」などの交替例がある。
また、推量「む」は、係助詞「も」との関係が深い。本来の語形は「も」であって、後に四段活用語形に整理されて「む」となったのかも知れなく、東国方言の推量「も」は古形が残存したものかも知れない。
ウ段/オ段以外はよくわからない。
形容詞連体形が「ケ」になるからくりもわからない。
形容詞連体形の「き」が、そもそも何なのかがわからないので、長母音だったか短母音だったかも分からないし。
長母音の kī が ke になると考えれば、ウ段オ段とパラレルで分かりやすいのだが、長母音が予想される上一段などがエ段になるような例は見受けられない。
逆に、短母音であると予想しているカ変連用形について、20/4337「モノハズケニテ (物言はず来にて)」があったりする。
ウ段オ段とは逆な感じがするが、イ段エ段では、短母音の方が交替している感じはする。
が、動詞活用語尾ウ段のように長短の予測がつく事例が少なく、なんとも言えない。
東国方言において、短母音の i/u が、緊張を失って発音される (i → e, u → ɯ) ようになり、i/ī/u/ū が、e/i/ɯ/uに。
その後、乙類イ (ɪ) が生じたとき、i/ɪ/ɯ が、近所に密集し過ぎていたため、ɯ が奥 (u) 寄りになり、それに押し出されて、u が o 寄りに、、、
みたいなシナリオを考えてみましたが、どうでしょうね。
上代東国方言 (その子孫の八丈語)、琉球語の分析から、かつて日本語に e/o (現在のエ段・オ段とは別の、イ段・ウ段に吸収されることになる e/o) があったという説があるようですが、「i/u/e/o ではなくて、ī/u/i/ū だったんじゃないか」、という説を唱えてみました。
なお、
14/3419「伊可保世欲 奈可中次下 於毛比度路 久麻許曽之都等 和須礼西奈布母」、
「イカホセヨ ??????? オモヒドロ クマコソシツト ワスレセナフモ」の、「オモヒドロ」が、「思ひ出 (づ) る」だったとすると、二段連体形のルはロになっていることになり反例となる。
ただ、この歌は、そもそも第二句をどう訓じてよいのかもわからず、解釈も難しく、反例とも言い切れない。
「思ひ取ろ(思ひ取る)」かもしれないし。。。
「取る」は、甲類トと、乙類トで揺れていたらしく、どちらの例も見られる。上代東国方言では、甲類トの例が多いので、「於毛比度路」を「思ひ取ろ」と訓じるのも十分可能である。
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