2016年7月30日土曜日

オ変格は母音調和の痕跡か

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勝手に命名させていただいた用語で恐縮だが、オ変格について。

自動詞他動詞ペアのオ変格

自動詞他動詞ペアパターンのところで説明したが、オ変格とは、通常であれば -ar/-as の語尾を持つ自動詞他動詞派生形(四段B型、下二段の二段型)において、-or/-os の乙類オ段語尾を持つもののことである。


パターン正格オ変格
自他四段B型-i/-asi
動き/動かし、交(か)ひ/交はし…
-i/-osi
狂ひ/狂ほし、響(とよ)み/響もし、残(の)き/残(のこ)し、及び/及ぼし、滅び/滅ぼし、潤(うる)ひ/潤ほし
他自四段B型-i/-ari
懸き/懸かり、放(さ)き/離かり…
-i/-ori
包(くく)み/包もり、積み/積もり、寄し/寄そり、除き/除こり、整のひ/整のほり
自他二段型-ë/-asi
明け/明かし、荒れ/荒らし…
-ë/-osi
(実例無し?)
他自二段型-ë/-ari
上げ/上がり、当て/当たり…
-ë/-ori
籠め/籠もり、慰め/慰もり、寄せ/寄そり、温(ぬく)め/温もり、広げ/広ごり

オ変格は、カガハバマ行でよく起きるとは既に述べた。実際、上記を見れば、「寄し、寄せ/寄そり」以外はカガハバマ行である。
が、全てのカガハバマ行で起きるわけでもない。
どういうケースに発生するのであろうか。考えてみたい。

2016年7月23日土曜日

上代東国方言の打消助動詞「なふ」と、特殊活用助動詞の仲間たち

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万葉集14/3483
比流等家波 等家奈敝比毛乃 和賀西奈尓 阿比与流等可毛 欲流等家也須家
昼解けば 解けなへ紐の 我が背なに 相寄るとかも 夜解けやすけ
昼解けば解けない着物の合わせ紐が、我が夫に寄り添うからであろうか、夜解けやすい。

東国方言の歌謡。中央語なら、「昼解けば 解けざる紐の 我が背子に 相寄るとかも 夜解けやす

  • あと、平仮名にするとわからないが、四段他動詞「解き」の已然形「解け-ば」、下二段自動詞「解け」の未然形「解け(-なへ)」、連用形「解け(-やすけ)」が、中央語だと乙類ケになるはずところ、東国方言だと甲類ケになっている。基本的に東国方言に乙類ケはない。 

上代東国方言に固有の打消助動詞「なふ」について。

中央語にもある打消助動詞「ぬ/ず/ざり」に加え、上代東国歌謡(万葉集の東歌・防人歌)では打消助動詞「なふ」が登場する。

現代標準語の打消助動詞「ない」のご先祖様とも言われる助動詞であるが、ク活用形容詞の顔をしている現代語「ない」とは違って、一見、四段活用っぽい活用形を持つ助動詞である。
  • 未然形「ナハ」: 14/3426「…会はナハば 偲ひにせもと…」(会わないならば)
  • 終止形「ナフ」: 14/3444「…籠にも満たナフ…」(満たない)
  • 已然形「ナヘ」: 14/3466「…寝れば言に出 さ寝ナヘば…」(寝ないと)
しかし、連体形の語形を見るとそうでないことが分かる。
  • 連体形「ナヘ」: 14/3483「…解けナヘ紐の…」(解けない紐)
連用形ははっきりした用例が見られない。
柳田 (1987) 等は、万葉集14/3482或本曰「韓衣裾のうち交ひ逢はなへば寝なへのからに言痛かりつも 」の、「寝ナヘ」を、接続助詞「ながら」、または、おそらくそれの語源としての「格助詞の + 形式名詞 故(から)」に接続する連用形として、連用形「なへ」を仮定する。
とすると、ますます、四段活用とは別物になる。


未然連用終止連体已然命令ク語法
東国打消「なふ」なはなへ?なふなへなへ--

これをどう考えればよいだろうか。
「なふ」について考える前に、中央語の助動詞の活用について整理したい。

2016年7月16日土曜日

過去助動詞「き」のク語法は、なぜ「しく」か

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ク語法は連体形 + aku に由来するというアク説は、大野晋が言い出したものだと思っていたが、安田 (2009) によれば、J. J. Hoffman (1868), "A Japanese Grammer" に遡って存在する説なのだそうである。大野 (1952) も、金田一京助が大学の講義中に述べたことがあると言っており、本人の創案であることを否定している。

1868年と言えば明治元年。そんな時期から西洋での日本語研究がなされてたんですね。たいしたものです。


連体形+アク > ク語法
四段「言ひ」 ipu-aku 言ふアク > ipaku 曰く
下二段「告げ」 tuguru-aku 告ぐるアク > tuguraku 告ぐらく
形容詞「惜し」 wosiki-aku 惜しきアク > wosikeku 惜しけく
「有り」+過去助動詞「き」 ari-si-aku 有りしアク > arisiku 有りしく(×有りせく)

ク語法の語形はほとんど全てこの「連体形 + aku」説で説明がつくのであるが、 唯一説明のつかないのが、過去助動詞「き」である。
連体形 si + aku だと、形容詞で ki-aku > keku となったことを考えると、 si-aku > seku セクにならないとおかしいが、実際の語形はシクである。これはなぜか。

2016年7月9日土曜日

動詞のアクセントについて

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現段階でまとまった情報としてアクセントがわかるのは、院政期(平安末期)だそうだ。
文字の周囲に「声点」と呼ばれる朱の点が打ってあって、点の位置によってアクセントがわかるようになっている。もともとは、中国において、平声・上声・去声・入声の四声を区別するために打つことがあったものを真似したもの。
通常の文には、もちろん、声点が打ってあったりはしないのだが、辞書類に単語のアクセントがわかるように声点が付されることがあるほか、お坊さんとかが残した講義ノートなどにおいて、講義時に訛って読み上げたりしないように声点が打ってあったりする。読経する際に中国語の四声に則ったアクセントで読めるように、経の漢字に中国語の四声を示す声点を付したりしていたため、お坊さんにとって声点はなじみ深いものだったのだ。
こういった声点資料がかなりまとまって残っているのが院政期ということである。

  • ちなみに、声点においては、清音・濁音の区別もつけるため、濁音では点をふたつ打つこととしていた。これが濁点(゛)の起源である。

それ以前でも、断片的な資料がいくつかあって、もっとも古いのは奈良時代。 日本書紀α群は、森(1981)によれば中国語ネイティブスピーカーにより記述されていて、そこに記載されている歌謡に用いられている万葉仮名漢字の声調を見ると、概ねアクセントに従って漢字が選ばれているらしく、院政期アクセントにかなり近いアクセントが復元出来るらしい(高山 (1981))。

院政期の時代、名詞に比べて、動詞のアクセント種類はかなりシンプルである。 高起式と低起式の2種類しかない。
四段・二段などの活用種類によってアクセント体系が異なったりもしない。
各活用形のアクセントがどうだったか、色々と論文を読んだ結果、私が理解した内容を下記に記載する。間違って たらごめんなさい。

(高平調 ̄をH、低平調_をL、上昇調/をR、下降調\をF と表記する)