勝手に命名させていただいた用語で恐縮だが、オ変格について。
自動詞他動詞ペアのオ変格
自動詞他動詞ペアパターンのところで説明したが、オ変格とは、通常であれば -ar/-as の語尾を持つ自動詞他動詞派生形(四段B型、下二段の二段型)において、-or/-os の乙類オ段語尾を持つもののことである。
パターン | 正格 | オ変格 |
---|---|---|
自他四段B型 | -i/-asi 動き/動かし、交(か)ひ/交はし… | -i/-osi 狂ひ/狂ほし、響(とよ)み/響もし、残(の)き/残(のこ)し、及び/及ぼし、滅び/滅ぼし、潤(うる)ひ/潤ほし |
他自四段B型 | -i/-ari 懸き/懸かり、放(さ)き/離かり… | -i/-ori 包(くく)み/包もり、積み/積もり、寄し/寄そり、除き/除こり、整のひ/整のほり |
自他二段型 | -ë/-asi 明け/明かし、荒れ/荒らし… | -ë/-osi (実例無し?) |
他自二段型 | -ë/-ari 上げ/上がり、当て/当たり… | -ë/-ori 籠め/籠もり、慰め/慰もり、寄せ/寄そり、温(ぬく)め/温もり、広げ/広ごり |
オ変格は、カガハバマ行でよく起きるとは既に述べた。実際、上記を見れば、「寄し、寄せ/寄そり」以外はカガハバマ行である。
が、全てのカガハバマ行で起きるわけでもない。
どういうケースに発生するのであろうか。考えてみたい。
上記のオ変格実例を見ると、最終母音がウ段、オ段(乙類?)の動詞から派生する場合が多いように思われる。
最終母音 | オ変格実例 |
---|---|
u | kurup-osi, urup-osi, kukum-ori, tum-ori nukum-ori |
o | toyom-osi, nok-osi, oyob-osi, porob-osi, yos-ori, nozok-ori, totonop-ori kom-ori, yos-ori, pirog-ori |
その他 | nagusam-ori |
全てウ段、全て乙類オ段のものがほとんどであるのが印象的である。
さらに、ウ段のものは全てハマ行で終わっている。
乙類オ段のものは、a > o に動詞本体から派生語尾へ順行同化したように見える。
あっさりそう説明してもいいかも知れないが、別の説明も可能だ。
「乙類オ段からなる動詞については、そもそも -os/-or がついた」と考えるのである。所謂、母音調和というやつである。
そういった動詞でも大抵はその後、 -as/-ar へと整理統合されたのだが、特定の環境(カガハバマ行終わり)特定の単語では、 -os/-or の語形が残存したと考える。
上代日本語では、陽母音(a/u/ô)と陰母音(o)は同一形態素内で(ほとんど)共存しない(有坂法則)。日本語に、かつて母音調和があったことの痕跡とも言われたりする。
- [有坂法則]
- オ列甲類とオ列乙類は、同一結合単位(語幹ないし語根の形態素)に共存することはない。
- ウ列とオ列乙類は同一結合単位に共存することは少ない。特にウ列とオ列乙類からなる2音節の結合単位においては、そのオ列音はオ列乙類ではない。
- ア列とオ列乙類は同一結合単位に共存することは少ない。
陰母音 | 中性母音 i | ə |
---|---|---|
陽母音 | a, u, ô |
アルタイ語や中期朝鮮語などだと、接辞などが付くときに、陽母音語には陽母音接辞が、陰母音語には陰母音接辞がついたりする本格的な母音調和なのだが、日本語にはそういうのはなく、同一形態素内の母音組み合わせの制約のみに留まると一般的には考えられている。
しかし、自動詞他動詞派生語尾について、かつては、陽母音動詞には陽母音語尾 (-as/-ar) が、陰母音動詞には陰母音語尾 (-os/-or) がついたとすれば、日本語にも本格的な母音調和があったということになる。
しかし、ウ段のオ変格の存在によって、すんなりそうも言い切れなくなる。u は陽母音だから、 -as/-ar がついたはずなのだ。
が、ウ段のオ変格は、かなり特徴的な語形の場合に発生している。kurup-osi, urup-osi 等、全てウ段であり、最終子音はp/m の唇音のみである。
おそらく、これは、本来 -as/-ar がついたのだが、高母音 u (しかも唇音の前で円唇が強くなり、通常より高くなっている)の後に低母音 a が続くので、舌が落ちきらずに中高母音化したと思われる。ハマ行なので甲乙の区別がつかないが、おそらく、甲類オ段なのではなかったかと思う。上二段の二段型(尽き/尽くし)で、ua > u となる(tuku-i / tuku-asi > tukï / tukusi) 理由の説明も参照。
車 kuruma、衾 pusuma、器 utupa なんかはどうなんだ? という疑問もあるが。。。複合語か?
どうにも理由がつかないのは「慰(なぐさ)もり」。なんなんだ、これ。
未然形のオ変格
自動詞他動詞ペアパターンにおけるオ変格の他に、未然形のオ変格もある。四段活用の未然形は -a のはずなのだが、 -o になるというものである。
オ変格となる場所 | オ変格実例 |
---|---|
全般的にオ変格 | カ変「来」 |
受身形がオ変格 | 聞き/聞こえ、思ひ/思ほえ・覚え、結び/結ぼれ |
尊敬スがオ変格 | 聞き/聞こし、知り/知ろし |
継続フがオ変格 | 荒らし/争(あらそ)ひ、隠れ/隠ろひ、奉(まつ)り/奉ろひ、廻(もとほ)り/廻ろひ、啜(すす)り/啜ろひ、畳(たた)ね~*ととね/整ひ、潤(うる)ひ/潤ほひ |
(下線を引いているカナは、甲類オ段)
自動詞他動詞ペアパターンと傾向は似ているが、追加してわかることがある。
- ウ段のオ変格で、p/m だけでなく、r でも発生している(というかほとんど r)。ex. 隠ろひ、奉ろひ、啜(すす)り/啜ろひ。その他: 結び/結ぼれ、潤(うる)ひ/潤ほひ。
ラ行であれば、オ段の甲乙の区別がつく。甲類オ段になっているので、上記で予想した「ウ段のオ変格は甲類オ段では?」という予想が正しかったことがわかる。 - なぜか「啜ろひ」だけは乙類オ段。 万葉集5/892「…堅塩を 取りつづろひ 糟湯酒 打ち啜ろひて…」しか用例がない語。
- 継続フで r でもウ段オ変格が起きるのは、フ自体がハ行なのでそれによって u の円唇性が高まるからか?
- 陰母音語幹動詞だけでなく、カ変「来」、聞き/聞こえ・聞こし、知り/知ろし、のように中性母音 i だけからなる動詞でも乙類のオ変格が起きる。
- 陰母音のほうが無標で、「原則 -as/-ar がつくのだが、陰母音語幹動詞の場合 -os/-or がつく」のではなく、「原則 -os/-or がつくのだが、陽母音語幹動詞の場合 -as/ar がつく」だったのではないかと思わせる。
- ちなみに、中期朝鮮語の母音調和でも、陰母音が無標のようだ。
- 「荒らし/争ひ」がオ変格となる理由はわからない。「争ひ」は「荒らし+継続フ」ではないのかも。
オ変格は母音調和の痕跡か
以上、どうやらオ変格にはウ段の後に発生する甲類オ変格と、陽母音語幹動詞以外で発生する乙類オ変格があるようである。
そして、乙類オ変格は、日本語にかつて本格的な母音調和が存在した痕跡である可能性がある。
自動詞他動詞派生語尾と未然形語尾については、陽母音語尾 (-a) と陰母音語尾 (-o) の交替があるが、他の語尾 (終止形 (-u) など)ではそうはならないようである。
自動詞他動詞派生語尾はまさに、派生動詞語幹を作る形式なのだし、未然形も動詞と未然形接続接辞が一体となったようなアクセント形式になるなど、派生動詞作成形式の色合いが強い。
このため、「他の活用語尾では起きなかった陰陽母音交替が起こった」または「比較的長くその痕跡が残存した」のだと思われる。
前者かなと思っている。自動詞他動詞派生・未然形以外では陰陽母音交替は、そもそも起きなかったのではと。さほど根拠があるわけではないが、下記のような、中期朝鮮語の母音調和との対照からそう考えている。
中期朝鮮語(全く詳しくありません。是非勉強したい。。。)においても、何から何まで母音交替したわけではないらしい。動詞語幹と接辞間の介入母音 (ɯ/ʌ) が陰陽交替するが、接辞自体は陰陽交替しない。
中期朝鮮語の母音配置は下記のとおり。
陰母音 | 中性母音 i | ə | ɯ | u |
---|---|---|---|---|
陽母音 | a | ʌ | o |
モンゴル語なんかの母音調和は、「前舌/非前舌」で対立しているのに対し、「高舌め/低舌め」で対立しているっぽく見えるが、中高母音の ə, o が陰母音だったり陽母音だったりする。
ATR
(Advanced Tongue Root)
というらしいが、舌根の伸縮で陰陽が分かれていると考えると綺麗に説明できるらしい。陰母音は舌根が伸びている (Advanced Tongue
Root) のに対し、低舌めの陽母音は口室を広くするために舌根が縮こまっている (Retracted Tongue Root) のだそうだ
(松本 (1998))。
田村 (1980) によれば、以下のような感じで、動詞活用における母音調和が起きる。
陰母音語幹 | 陰母音語幹 | |
---|---|---|
語幹 | məg- 食べ | mag- 防ぎ |
-nʌ | məg-nʌ-da 食べる | mag-nʌ-da 防ぐ |
-ɯra | məg-ɯra 食べろ | mag-ʌra 防げ |
-ɯ/ʌra の "ra" は交替しないし、-nʌ も交替しない。
動詞語幹と接辞間の介入母音 (-ɯ/ʌra の ɯ/ʌ) が陰陽交替する。
日本語においては、自動詞他動詞派生語尾、未然形の a が動詞語幹と接辞間の介入母音に相当するものなのだろう。
[参考文献]
[Wikipedia]「母音調和」retrieved: 2016-07-30 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E9%9F%B3%E8%AA%BF%E5%92%8C
田村 宏 (1980), 「中期朝鮮語における語頭子音群の音韻論的性格:特に動詞活用から」, 『言語研究』 78, 日本言語学会, pp.36-54 http://ci.nii.ac.jp/naid/130003565293/
松本 克己 (1998), 「ユーラシアにおける母音調和の二つのタイプ」,『言語研究』 114, 日本言語学会, pp.1-35 http://ci.nii.ac.jp/naid/130003424787/
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