動詞の活用種類は、語幹の形によって下記のように決まっていると考えている。
活用種類 | 語幹 | 連用形 |
---|---|---|
四段活用 | -C, -Ci, -VV | -Ci, -Ci, -VVri/-VVsi |
下二段活用 | -a | -ai |
上二段活用 | -u, -o | -ui, -oi |
上一段活用 | Cii | Cii |
ここで気になるのが、下二段活用である。
下二段活用は、 -a
終わり語幹であるのであれば、陽母音語幹動詞しかあってはいけないはずである。
上二段はいい。陽母音語尾 (-u) と陰母音語尾 (-o)
があるのだから、陽母音語幹動詞も陰母音語幹動詞もあってよい。しかし、下二段で陰母音語幹動詞があってはおかしい。
また、前回、自動詞他動詞派生語尾(四段B型・二段型)、未然形の -a
は、陰母音語幹(および中性母音語幹)では、もとは -o
がついたのではないかとした。
では四段A型(四段/下二段の自他対応)でも -o がついたのではないか? -o
がついたのなら、下二段ではなく上二段になるはずでは?
しかし、実際には下記のように陰母音語幹で四段A型の自他対応するものもあるし、それ以外でも陰母音語幹の下二段活用動詞は存在する。
- 四段A型自他対応: 遣(おこ)し/遣せ、除(そ)き/除け、染(そ)み/染め、解き/解け、整ひ/整へ、留(とど)み/留め、響(とよ)み/響め、伸び/延べ
- 四段C型自他対応: 零(こほ)し/零れ、上(のぼ)り/上せ、乗り/乗せ、寄り/寄せ
- その他の下二段活用: 衰へ、 籠め、初(そ)め、遂げ、止(と)め、乏(とも)しめ、広め、求め、比(よそ)へ
ただし、数は多くない印象はある。
明確に陰母音語幹だとわかるのは、[OCOJ] で下二段活用動詞とされているもの 345件中、上記 21件である。(甲類乙類の区別のないオ段について、本来は陰母音語幹だった可能性もあるが除外している。ex. 持て、怯え、吼え、等)
自他対応動詞における派生動詞(四段A: 8件、四段C: 4件)が中心。
その他としているものでも、「形状言+メ」の形式であるもの(乏しめ、広め。求め(元+メ)も?)、継続フの付加(劣り/衰へ)など、派生形式の結果として生まれたと思しきものが多い。
それ以外はというと、「初め、遂げ、止め、求め、比(よそ)へ」など。
これらは、全てサ行・タ行のオ段乙類を含むことによって陰母音語幹だとしているのだが、サ行・タ行のオ段は、甲類乙類の混同が万葉時代に既に始まっていたのではないかという疑いがある(「取り、問ひ、添ひ、添へ」などのト・ソは、甲類乙類で表記がゆれている)ので、本当に陰母音語幹だったかはあやしい。
「籠め」は、まさに、上二段「籠み」(記謡1「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに…」)があり、本来は上二段だったかと思わせる。
結局、本源的に「陰母音語幹の下二段活用」だったものは全くなかったのではないか。
とはいえ、本源的な陰母音語幹下二段はなかったとしても、派生の結果生まれた陰母音語幹の下二段活用はそれなりの数が存在するのであり、やっぱりそれはおかしいのだ。
- 陰母音語幹の上二段の二段型(起き/起こし等)は、-ar/-as でなく -or/-os がついた。
- 陰母音語幹の四段B型(及び/及ぼし等)、下二段の二段型(籠め/籠もり等)は、 -ar/-as でなく -or/-os がついた。
としながら、陰母音語幹の四段A型(遣し/遣せ等)、四段C型(零し/零れ等)は -a
がついたと考えるのは不合理だ。本来は -o がついたと考えるべきだ。
しかし、そうすると、-o
終わりの語幹ということになり、上二段活用にならないといけないはずなのに実際は下二段活用だ。
これをどう考えるべきか。いくつかの仮説が考えられる。
仮説
仮説1: 陽母音語幹動詞からの類推
陰母音語幹の四段B型・二段型についても、ほとんどは陽母音語幹動詞からの類推により、
-ar/-as がついた形式になっており、-or/-os
の形式は一部の動詞について痕跡的に残るのみである。
四段A型・四段C型については、この類推が徹底しておこりすべて -a
がついた形式になって、かつて -o がついた痕跡も残っていないのだと考える。
これが最も単純な説明である。オッカムの剃刀に従えば、この仮説を取るべきだろう。
仮説2: "oi" の母音連続は、oi > ï となった時期と、 oi > ë となった時期がある。
上二段の連用形: 起き oko-i > okï
四段B型派生: 及び~及ぼし oyobi-os-i > oyoboosi > oyobosi
二段型派生: 籠め~籠もり komo-or-i > komoori > komori
四段A型派生: 整ひ~整へ totonop-or-i > totonopori > (r脱落) totonopoi
> totonopë
四段C型派生: 零し~零れ kopoo-ror-i > kopoorori > (r脱落) kopooroi >
kopore
四段A型派生、四段C型派生における母音連続 oi は、短母音間の r/s 脱落を経て発生したものであり、四段B型、二段型の場合と比べ、発生した時期が異なった可能性がある。
r/s 脱落前は、 oi > ïとなったが、r/s 脱落後は oi > ë となったのだと考える。
/i/, /ii/ は、① [i][i:] > ② [e][i:] > ③ [i][i:] と音価が変化したと考えているが、①の時点で成立していた oi の母音連続は、 /oi/ [əi] > /ï/ [ıi] になった一方、r/s 脱落時点(②以降③以前)で発生した oi の母音連続は /oi/ [əe] > /ë/ [əe̯] となったとする。- 後述のように、「殿入り > 舎人(とねり)」「と言ふ > てふ」のように、比較的新しいと思われる語で oi > e が発生しており、③以降も oi > ë になったように思われる。おそらく、 乙類エ段(/ë/ [əe̯])が生まれた以降は、[əi] であっても乙類エ段に近い音という認識になったのではなかろうか。
本源的な陰母音語幹の下二段活用動詞がない(あったとすれば、-oi > ï
になり上二段になった)一方、派生的な陰母音語幹の下二段活用動詞があることを説明できる、なかなか魅力的な仮説である。
仮説3: o (乙類オ) は二種類あった。/o2i/ > /ï/ となり、/o3i/ > /ë/ となった。o2, o3 は、上代日本語時点では o に統合した
(o1 は、通常、甲類オを意味するため、o2, o3 とする。乙類・丙類オ?)。
/o2/ [ɯ] とし、 /o3/ [ə] とする。/o2i/ [ɯi]
> /ï/ [ıi], /o3i/ [əi] > /ë/ [əe̯] となった。
-o2i の形式の動詞は上二段活用になり、-o3i
の形式の動詞は下二段活用になった。
陰母音語幹動詞の未然形、自他動詞派生語尾は -o3 がついた。
この説の魅力は、母音調和の陰母音・陽母音対立が綺麗な姿になることである。
陰母音 |
中性母音 i [e][i:] |
o3 [ə] | o2 [ɯ] |
---|---|---|---|
陽母音 | a [a] | u [u][o:] |
o2 [ɯ] 、u [u][o:] が、更に遡った時点で u, o だったとしたら、中期朝鮮語の陰陽母音対立と類似した ATR (Advanced Tongue Root) の形式になる。
本来の陰陽母音対立
|
中期朝鮮語の陰陽母音対立
|
実のところ、この説は Frellesvig; Whitman (2004) 等の言うところの 7母音仮説に等しい。
7母音仮説 | 前舌 | 中舌 | 後舌 |
---|---|---|---|
高舌 | i | ɨ | u |
中高 | e | ə | o |
低舌 | a |
違うのは、7母音仮説では i/e, u/o はそれぞれ別母音だったのが i, u に統合されるとしているのだが、管見では、e/i, u/o はそれぞれ i, u の母音長短による異音に由来していて、それが i, u に再統合されたのだとしていることである。
この説の難点は、oi > ë となった実例が乏しいことである。
Frellesvig, Whitman (2004) は下記の例をあげているが、Whitman (2016) は、「背」以外は被覆形・露出形の対立とは言いがたく、 oi > ë の実例とは言いがたいとしている。
- 藻 (mo) ~ 藻 (me)
- 背向く (somuku) ~ 背 (se)
- 枝 (yo) ~ 枝 (ye)
- 吉 (yo) ~ 吉 (ye)
また、以下のような例もあげる。
- 籠め~籠もり
- こせ~こそ(「~してくれ」の意味の)
- と~て(接続助詞)
Whitman (2016) は下記を加える。
- 殿入り (tono-iri) > 舎人 (toneri)
- 子犬 (wo-inu) > ゑぬ (wenu)
- 和名抄に出てくる語なんだそうだ。
「籠め」は上記に書いたように本来は上二段か。
「こせ/こそ」は本編の命令形成立のところで書いた。/kosi o/ が他の命令形に先立ち早期に母音結合したとき、[koseo] > [koso:] > [koso] となり、通常の命令形では [kosio] > [kosie] > [kose:] > [kose] となったのだろう。oi > ë の実例とは考えない。
「と~て(接続助詞)」もどうだろうか。oi > ë の実例である可能性はなくもないが。。。「て」は完了ツ連用形由来かなと思っている。
管見では、「背」も oi > ë の例ではないんじゃないかなと思っている。
「背」は、 siro が元の語形で、
- r保存: 後ろ (身-背 mu-siro > usiro)、(地名) 山背 (yama-siro)
- r脱落: siro > sio
- 早期(i [e] の時期)に長母音化 (/sio/ [tɕeə] > /soo/ [tsə:] > /so/ [tsə]: 背く (somuku)
- 後期(i [i] の時期)に長母音化 (/sio/ [tɕiə] > /see/ [tɕe:] > /se/ [tɕe]: 背 (se)
となったのではないかと。
背 (se) が i [e] の時期)に長母音化するのに抵抗しているのは、サ変未然形「せ」が、sia [se-a] > saa となるのに抵抗し、後に sia [si-a]
> se となるのと同じ理由で、si [tɕe] が口蓋化していたからだと考える。
複合語「背向く」の場合は、語長が長い分、口蓋化音 sio が、非口蓋化音 soo
になってもそこまで抵抗感がなかったのだろう。
結局、oi > ë の例としてもっともらしいのは「舎人」ぐらいか。
「ゑぬ」も中古の例。中古日本語の例も含めてよいのであれば、「と言ふ」 >
「てふ」なんかもあるが。。。
o2 と o3
が別母音として存在していたのであれば、もうちょっと上代日本語における実例があってもよさそうではないか。
また、案3が真なのだとすれば、派生的でない本源的な陰母音語幹下二段動詞がもう少しあってもよさそうな気がする。
一応の結論
「舎人」は、語意から考えて新しい単語であろう。「と言ふ」>「てふ」などのことも考えると、「新しい時期に発生した
oi が ë になった」とする仮説2に軍配があがりそうに思う。
なんらかの理由で o3 で終わる語が少なかったとすれば、仮説3であっても
oi > ë の実例が少ないことを説明できるかもしれないが…。
とは言え、仮設3は、母音調和体系として綺麗に整うという良さがある。
(A) 仮説3をとらない場合
|
(B) 仮説3を取る場合
|
陽母音二つに陰母音一つは気持ち悪い。
やはり、おそらくは、もともとは 上記 (B) の形だったのだろうと思う。
早々に痕跡を残さずに o3, o2 が統合し (A)
の姿になったと考えるのか(仮説2)、しばらく o3, o2
が残存したと考えるか(仮説3)という話か。
(追記)
その後、陰母音語幹下二段については意見を変えている。「上代日本語の動詞活用形の起源 Ver. 2」「上代日本語の動詞活用形の起源 Ver. 3 (ファイナル版)」においては、
- 母音語幹動詞 -ə の連用形は、-əi で、子音語幹動詞 -əC の連用形は、-əCe だった。
- Ver. 2 では、二重母音のなかではない単独母音の [i] が二次的に [e] になったとし、Ver. 3 では、連用形は語幹に -je をつけたもので子音語幹 -C ならそのまま -Cje のようになるが、-əje などのように母音語幹についた場合は、二次的に -əi になるとする。どっちが基本的かの方向は逆だが、母音語幹では -i, 子音語幹では -e だというのはどちらも同じ。
- 子音語幹動詞の語幹末子音が脱落子音だったときは、-əre, -əse > -əe となる。
- -əi は陰母音上二段となり、-əe は陰母音下二段となる。
としている。四段A型、四段C型の自他派生動詞は脱落子音語幹動詞なので、陰母音語幹でもすべて下二段となるのだ。「求め」などの自他派生ではない陰母音語幹下二段も、mətəmər- または mətəməs- のように脱落子音語幹だったと考えればよい。
[参考文献]
Frellesvig, Bjarke; Whitman, John (2004), "The Vowels of Proto-Japanese",
"Japanese Language and Literature" Vol. 38, No. 2, Special Issue: In Honor of
Samuel E. Martin (Oct., 2004), American Association of Teachers of Japanese,
pp.281-299
http://www.jstor.org/stable/4141291
Frellesvig, Bjarke; Whitman, John (2008), "Evidence for Seven Vowels in
Proto-Japanese", In Frellesvig, Bjarke and Whitman, John. "Proto-Japanese:
Issues and Prospects", pp.15-41.
Whitman, John (2016), 「日琉祖語の音韻体系と連体形・已然形の起源」, in 田窪
行則 (編); Whitman, John (編); 平子 達也 (編) 『琉球諸語と古代日本語
―日琉祖語の再建にむけて』, くろしお出版, pp. xx-xx, ISBN 978-4874246924
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