2016年8月13日土曜日

管見の已然形の由来説(連体形+「得」)について若干の補足

[日本語の動詞活用形の起源 総目次へ

管見の已然形の由来説について、若干の補足。

管見の主張の骨子は以下のとおりであった。

  • ① 已然形は、連体形 + ë の形式に由来している。
  • ② ë は下二段動詞「得」の未然形に由来している。つまり、もともと「未然形+ば(むは)」の形式は、仮定条件、確定条件両方に用いられていたのだが、「連体形+得(未然形)+ば(むは)」(「する得むは」→「すれば」)の形式を確定条件を明示するために利用するようになったとする。「連体形+得」(「する得」)は「することを得」、つまり、連体形による準体節が「得」の目的語になっている形である。
  • ③ 過去助動詞「き」の已然形「しか」は、ク語法「しく」+ a の形式に由来している。a は、「得」の古形未然形(連用形 ë が未然形にも用いられるようになる前の未然形)の残存である。連体形ではなくク語法になっているのは、過去助動詞「き」の連体形「し」には準体節を導出する機能がなかったからである。



「已然形は、連体形 + ë の形式」というのは、おそらく、已然形の語形を見たとき誰もが思うことだろう。
 連体形と已然形は、よく似た語形をしていて、已然形と連体形のどちらがより基本的な形かといえば、多分、連体形の方だから。


四段
書き
下二段
出で
上二段
起き
上一段
サ変
助動詞
連体形kakuiduruokurumiru surusi
已然形kakëidureokuremiresuresika

早田 (2000) は、連体形: 語幹+rua, 已然形: 連体形+gi の形に再構している。
「上げ」aga-i について、
  • 連体形「上ぐる」: *aga-i-rua > *aga-u-rua > *agoro > aguru
  • 已然形「上ぐれ」: *aga-i-rua-gi > *aga-u-rua-gi > *aga-u-ra-gi > *agau-rai > *agorai > agure
gi は形式名詞であろうとしている。(佐賀方言の「食ぶっぎー」(食べれば)を示しているが、おそらく興味深い coincidence として示しているのであって、上代日本語以前に遡る語法だと思っているわけではなかろう)

Whitman (2016) は、「連体形 + 形式名詞 ゑ」としている。「ゑ」は「故(ゆゑ)」の「ゑ」であり、「故(ゆゑ)」は、 「ゆ」(経由格助詞「ゆ・ゆり・よ・より」の「ゆ」)+「ゑ」の複合語であって、「ゑ」が本来名詞であったとする。

早田、Whitman ともに連体形に後続する語 (gi 乃至は we) を名詞であるとする(まあ、連体形に後続するのは普通に考えれば名詞だろう)。
しかし、過去助動詞「き」の已然形「しか」、形容詞已然形「けれ」を見るとき、どうも名詞のようには思えない。
  • 「ありしかば」: ありしく-a-ば(ク語法 + a)
  • 「高ければ」:  高き-有る-ë-ば (連体形+有る+ë)
「ク語法+a」という分析が正しければ「a」は絶対に名詞ではない。形容詞連体形と ë の間に「有る」を挟みこみたくなるのであれば、 ë も名詞らしくない。連体形またはク語法による準体節の後に用言が続いている形式なのである。とすれば、 ë は「得」でしかありえない。

さらに管見では、下二段活用の未然形は本来 *-aa > -a なのだが、連用形 -ë を未然形にも使用するようになった(「寝(な)す」のように尊敬スについて -a の形になるのは古形未然形の名残)としているので、「しか(しく+a)」の -a も、その他の已然形の -ë も、ともに「得」未然形に由来しているということが出来るのである。

そうしたとき、いくつか気になる点、というか追加して確認しておきたい事項がある。

疑問1: バ・ド・ドモ等の接続助詞を伴わない已然形はなんなのか


バ・ド・ドモ等の接続助詞を伴わなくとも已然形は単独で確定条件を表しうる。

  • 03/0471「家離り います我妹を 留めかね 山隠しつれ 心利(こころど)もなし」
  • 07/1266「大船を 荒海に漕ぎ出で や船綰(た)け 我が見し子らが 目見(まみ)は著(しる)しも」

「山隠しつれば」「や船綰けど」の意味であるが、「ば」「ど」なしに順接・逆接確定条件を表している。
「山隠しつれば」であれば「山隠しつる得むは」なのであろうが、「山隠しつれ」は一体なんなのか。

  • (仮説1) 「山隠しつる得むは」>「山隠しつれば」である。「ば」は省略された。
  • (仮説2)「山隠しつる得む」>「山隠しつれむ」>「山隠しつれ」である。「む」は脱落した。
  • (仮説3)「山隠しつる得(え)」>「山隠しつれ」である。「得(え)」は連用形(連用中止法)。「山隠しつるコトヲ得て、」の意味である。

上記のどれでもあり得ると思っているが、気持として仮説3に傾いている(特に根拠はない)。
ただし、仮説3の場合、「しか」の語形が問題になる。「しく+a」とすると、この a は未然形でしかありえない。連用形であれば、「しく+ë」>「しけ」になるはずである。

ただし、過去助動詞「しか」の已然形を、上記のようにバ・ド・ドモを伴わない確定条件節に使用する用例は万葉集には、「こそ」の結びになっている場合以外はないようではあるが。。。
とはいえ「こそ」の結びになっている形式であればあるわけである。

「ありしく得(あ)むは」>「ありしかば」のようにバ・ド・ドモを伴う形式において「しか」の語形が固定した後に、他の動詞におけるバ・ド・ドモを伴わない已然形単独形式(「得」の連用中止法由来)の類推で、「しか」の已然形単独形式も生まれたのだろうか。

疑問2: そもそも上代に連体形による準体節が動詞の目的語になる形式は存在したのか


已然形を、連体形+「得」、つまり、連体形による準体節が動詞「得」の目的語になっている形式だとするのであるが、そもそも上代に連体形による準体節が存在し、そしてそれが動詞の目的語になり得たのかは念のため確認しておくべき事項だろう。

中古になれば連体形による準体節は普通にあるし、もちろん動詞の目的語になる用例もある。
  • 源氏(行幸)「この中将のいとあはれにあやしきまで思ひあつかひ、心を騒がい給ふ見はべるになむ、さまざまにかけとめられて、今まで長引きはべる」(ご心配なさるノヲ拝見する)
果たして、上代においても存在したのか。
上代において、準体節はク語法によって導出されるのが通例である。
  • 04/0720「むらきもの 心砕けて かくばかり 我が恋ふらくを 知らずかあるらむ」(恋するノを知らず)
連体形で導出される準体節はあったのか。

ぱっと考えれば、「え?普通にあるでしょ?」と思う。
  • 1/0020「茜さす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」(君が袖振るノヲ見ずや)
  • 1/0048「東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ」(陽炎の立つノガ見えて)
1/0048は目的語じゃなく主語の例だけど、まあ、こんな感じですぐに例を思いつく。

だけど、いや、ちょっと待て。「見」「見え」の例はちょっと怪しいのである。

上代においては、文法化(助動詞化)した「見え」がある(北原 (1965))。
  • 03/0256「笥飯の海の 庭よくあらし 刈薦の 乱れて出づ見ゆ 海人の釣船」
「出づる見ゆ」ではない。「出づ見ゆ」である。終止形に接続している。
「釣船が出るノガ見える」ではなく、「釣船が出る。(そういう)釣船が見える。」なのである。
 「べし」「らし」などの終止形接続であり客観的根拠に基づく推量を意味する一連の助動詞に連なる形式であって、中古の「めり」に相当する形式。

「見え」でなく「見」であっても安心は出来ない。
  • 01/0082「うらさぶる 心さまねし ひさかたの 天のしぐれの 流らふ見れば」
「流らふる見れば」でなく「流らふ見れば」である。

とはいえさすがに、
  • 10/2280「萩の花 咲けるを見れば 君に逢はず まことも久に なりにけるかも」
のように格助詞ヲを伴う場合は、連体形による準体節(咲いているノを見れば)にしか解釈できないだろう。

だが、しかし、、、
  • 20/4381「国々の 防人集ひ 船乗りて 別るを見れば いともすべなし」
下二段「別れ」について、「わかるる」ではなく「わかる」(和可流乎美礼婆)…。
ただし、これは防人歌である。上代東国方言においては連体形が予想されるところで終止形相当の語形が現れるケースが多々あるので、これはそういう例なのかもしれない。

「見」「見え」以外の例では、
  • 14/3544「あすか川 下濁れるを 知らずして 背ななと二人 さ寝て悔しも」(東歌の例)
  • 03/0401「山守の ありける知らに その山に 標結ひ立てて 結ひの恥しつ」
のように「知る」の例がある。

「山守のありける知らに」の例は、山守「の」となっている以上、さすがに「山守のありける」は準体節以外ではあり得ないと思われる。
(一方、「あすか川下濁れるを知らずして」は、「あすか川が下濁っているのだが、それを知らずに」と、「を」を接続助詞に取る解釈が可能なので微妙な例である)

以上、色々と胡散臭いところは多々あるのだが、「山守のありける知らに」などの例を見れば、まあ結局、「連体形による準体節は上代でもあった」と言ってよいのではなかろうか。

なお、

  • 続日本紀宣命45「夫君願求得事甚難云言乎波皆知止毛 それ君の位は願ひ求むるを以ちて得る事は甚(いと)難しと云ふ言をば皆知りて在れども」

のような例も追記しておく。

[日本語の動詞活用形の起源 総目次へ]


[参考文献]
早田 輝洋 (2000), "The Liquid and Stem-final Vowel Alternations of Verbs in Ancient Japanese", 『言語研究』 118, pp.5-27, 2000-12 http://doi.org/10.11435/gengo1939.2000.118_5
Whitman, John (2016), 「日琉祖語の音韻体系と連体形・已然形の起源」, in 田窪 行則 (編); Whitman, John (編); 平子 達也 (編) 『琉球諸語と古代日本語 ―日琉祖語の再建にむけて』, くろしお出版, pp. xx-xx, ISBN 978-4874246924
北原 保雄 (1965), 「〈なり〉と〈見ゆ〉--上代の用例に見えるいわゆる終止形承接の意味するもの--」, 『国語学』 65, pp.11-28 http://db3.ninjal.ac.jp/SJL/view.php?h_id=0610110280

0 件のコメント:

コメントを投稿