2017年6月17日土曜日

音便の法則

[日本語の動詞活用形の起源 総目次へ

「上代・先上代の日本語の動詞について考える」というテーマからは、ちょっと外れるのだが音便について考察してみたい。

音便といえば、促音便・撥音便・イ音便・ウ音便がある。これらは、どういうルールに基づいて選択されているのかというのが今回のテーマ。



音便の状況整理


「イ音便」は実は二種類あって、「書きて→書いて」のように後続の音が清音(テ)になる「清音イ音便」と、「漕ぎて→漕いで」のように濁音(デ)になる「濁音イ音便」がある。
  • 「清音イ音便」「濁音イ音便」は勝手に命名させていただいた。

「ウ音便」も同様である。「会ひて→会うて」は清音ウ音便だが、「読みて→読うで」は濁音ウ音便。
  • 「読みて」の音便は現在標準語では「読んで」だが、歴史的には/現在でも一部方言では「読うで」の語形がある。
    • 平家物語(六代)「二三遍おしかへしおしかへし読うで後、『神妙神妙』とて打をかれければ」
「有らむとす→有らうず」等も濁音ウ音便と考えられるので、後続音節がなくどっちかわからない「有らむ→有らう」もカテゴリ的には濁音ウ音便の範疇に入れるのが適切と思われる。

実際にどの音便形が選択されているのかをリストアップすると下記のようになる。

音節用例選択される音便
カ行四段連用形 書きて→書いて
形容詞連体形 高き→高い
名詞 朔日つきたち(月立ち)→ついたち
清音イ音便
ガ行四段連用形 漕ぎて→漕いで
地名 当麻たぎま→たいま
濁音イ音便
サ行四段連用形 指して→指して~指いて(※1)
名詞 「*あしたのところ」→「朝所 あいたんどころ」
音便化しない~清音イ音便
形容詞 「同じ年(おなじとし)」→「同い年(おないどし)」
助動詞 まじ→まい
濁音イ音便
タ行四段連用形 待ちて→待って促音便
ナ変連用形 死にて→死んで
地名 丹波たには→たんば
撥音便
ハ行四段連用形 会ひて→(西日本)会うて~(東日本)会って
名詞 玄人 *くろひと→くろうと
名詞 助人 *すけひと→すけっと
清音ウ音便~促音便
バ行四段連用形 飛びて→飛んで~飛うで
名詞 蔵人 くらびと→くらうど~くらんど
撥音便~濁音ウ音便
マ行四段連用形 読みて→読んで~読うで
地名 神田 *かみた→かんだ
地名 日向 *ひむか→ひうが
撥音便~濁音ウ音便
ラ行四段・ラ変連用形 刈りて→刈って
地名 堀田 ほりた→ほった
(ラ行四段連用形 終はりぬ→終はんぬ)
(名詞 仮名 かりな→かんな)
(地名 榛原 はりばら→はいばら)
促音便
(撥音便)
(イ音便)
形容詞連用形 高くて→(西日本)高うて~(東日本)高くて
地名 深草ふかくさ→ふかうさ(※2)
清音ウ音便~音便化しない
形容詞 芳かぐはし→かうばし~かんばし
名詞 藁靴わらぐつ→わらうづ
濁音ウ音便~撥音便
打消助動詞連用形 せずて→せんで撥音便
打消助動詞連体形 せぬ→せん撥音便
推量助動詞連体形 行かむ→行かう~行かん、行かむとす→行かうず~行かんず濁音ウ音便~撥音便
名詞 帰(かへ)るさ → *帰(かへ)っさ → 帰(かへ)さ促音便

(※1) サ行四段のイ音便
  • 枕草子(24)「さて籠りゐぬるは、まいてめでたし」(増して→まいて)
  • 狂言『貰婿』「地下の衆も他郷の衆も皆後ろ指を指いてお笑やる」(指して→指いて)
(※2) 深草ふかうさ
工藤 (2004) によれば、後深草院を『ごふかうさ』と読むと『御不孝(ゴフカウ)』と言っているように聞こえるので『のちのふかうさ』と読むということがあったらしく、深草はフカウサと読んだらしい。室町時代の日記 (和長卿記) を引用して、貞丈雑記に記載がある。

上記をまとめると、下記のように、法則性がありそうな無さそうな表が出来上がる。

(音便化しない)清音イ音便促音便清音ウ音便
シ 、(東日本)クキ、(シ)、(リ)チ、リ、ル、(東日本)ヒ(西日本)ヒ、(西日本)ク

濁音イ音便撥音便撥音便~濁音ウ音便

ギ、(ジ)ニ、ズ、ヌ、(リ)ビ、ミ、ム、グ

一見して明らかなのは上段(清音イ音便・促音便・清音ウ音便)と下段(濁音イ音便・撥音便・濁音ウ音便)の使い分けで、下段に現れるのは濁音・鼻音、上段は清音。

「無声音と有声音」 とは言えない。[r] (日本語のラ行だと正確には [ɾ] ですかね) は有声音だが上段に現れる。濁音(ガザダバ行)が、本来は鼻濁音([ŋga], [ndza], [nda], [mba]) のような音だったと考えると「鼻音性を持った子音の場合下段」という区分けと考えるのが適切だろう。

ラ行は一般には上段だが「仮名かりな→かんな」「榛木はりのき→はんのき」のように鼻音に接続している場合、撥音便になっている。これから考えると、音便化する音節の子音が鼻音性を持つ場合のみでなく、後続音節の子音が鼻音性を持つ場合にも下段になるのだろう。

さて、上表の縦軸の選択はそうだとして、では、上表の横軸、イ音便・促撥音便・ウ音便はどのように選択されるのだろうか。

とりあえずイ段音だけに限定して考えた場合、両唇音 [ɸ], [b], [m] はウ音便、歯茎音 [t], [n], [ɾ] は促撥音便、軟口蓋音 [k], [g] はイ音便みたいな感じで分かれていそうである。

シがイ音便になることがあるのは、歯茎音 [si] ではなく、歯茎硬口蓋音 [ɕi] か、後部歯茎音 [ʃi] を想定し、歯茎音よりも後方の調音位置を持つ子音だと思えば、口蓋音と同じコーナー(イ音便)に入るのも変ではない。
  • 以下、少なくとも音便化するような弱音節においては、歯茎~硬口蓋に広範囲な調音位置を持つ [ɕi] ではなく、後部歯茎にピンポイントの調音位置を持つ [ʃi] を仮定して議論することとする。
一方で、サ行四段連用形が一般には音便化しないというのも無視できない。

「地名 榛原はりばら→はいばら」 のようにリがイ音便になることがある。時代は下るだろうが、「ござります→ございます」の類を加えてもよい。これも「シ」の話と似ていて、[ɾi] だと歯茎音で促音便だが、子音が硬口蓋音化して [ʎi] になっている形を想定するとイ音便になるということなのかも知れない。

一方、ウ段音を見ると総じてイ段音と同様の状況であるが、軟口蓋音ク、グではイ段音キ、ギとは相違し、ウ音便~撥音便が現れる。

まとめると下表のようになる。ここまでくれば、なんとなく法則性らしいものが見えてくる。
要するに、
  • イ段ウ段を問わず、両唇音はウ音便と促撥音便の両様、歯茎音は促撥音便、後部歯茎音/硬口蓋音はイ音便となる。
  • 軟口蓋音は、イ段はイ音便、ウ段はウ音便になる。
ということのようだ。

子音調音位置軟口蓋
[k][g]
硬口蓋
[j][ʎ]
後部歯茎
[ʃ][ʒ]
歯茎
[t][z][n][ɾ]
両唇
[ɸ][b][m]
イ段
(清音)
[キ]
清音イ音便
[(リ)]
清音イ音便
[シ]
清音イ音便
~音便なし
[チリ]
促音便
[ヒ]
清音ウ音便
~促音便
イ段
(濁音鼻音)
[ギ]
濁音イ音便
-[ジ]
濁音イ音便
(~音便なし?)
[ニ]
撥音便
[ビミ]
濁音ウ音便
~撥音便
ウ段
(清音)
[ク]
清音ウ音便
~音便なし
[ユ]
清音イ音便(※1)
-[ツル]
促音便(※2)
[フ]
(※3)
ウ段
(濁音鼻音)
[グ]
濁音ウ音便
~撥音便
--[ズヌ]
撥音便
[ブム]
濁音ウ音便
~撥音便
(※1) 「六日むゆか→むいか」「鮎川あゆかは→あいかは」など。
(※2)「奴やつこ→やっこ」 「松任まつたふ→まったふ」等。「物体もつたい→もったい」等の入声化と区別しづらいですけど。
(※3) あるのかもしれないが、「フ→ウ」は単なるハ行転呼と区別がつかない。

音便化過程の仮説


これらの音便を生成するための統一的なルールはあるのだろうか。

歯茎音の促音便・撥音便は、母音脱落と歯茎音子音の無個性化として現れたもののようだ。
それに対し、軟口蓋音の音便は、キ [ki] > イ [i]、ク [ku] > ウ [u] と、子音脱落で生じるもののように、一見、見える。
一方、同じウ音便でも、ヒ > ウは、 ɸi > wi > w > u と、接近音(半母音)を経た後、母音化して出来たものということで概ね異論はないのではないかと思う。となると、ほかの両唇音(ミ、ビ、ム等)と合わせ、これも促音便・撥音便と同様、「母音脱落と両唇音子音の無個性化」によって出来たものと言える。
結局、軟口蓋音だけが異質ということになってしまうのだが、これについても、「母音脱落と子音の無個性化」の枠組みで説明出来れば、統一的な説明が可能であるということになる。

亀井・大藤・山田 (1963-66) は、促音・撥音がモーラの担い手になることから、「非母音音節」と形容したが、イ音便・ウ音便の音節もほぼ同じような性格を持つとする。「その発生の過程では、これらの高い母音は、きわめて弱くかつおそらくは鼻音をともなって発音せられる、いわば一種の<シェワ>のような状態」「明確な音色はもたないが、しかし一拍をなすまことにあいまいな音節」とする。
これが具体的にどのような発音であったのか、明らかにはされない。
  • 亀井・大藤・山田 (1963-66) の執筆者は明らかにされないが、私の想像では、亀井である。
管見においては、それは、接近音(半母音) [ j ] [w] であったと考える。ハ行ウ音便では接近音に由来すると考えるのだから、ほかでそう考えてはいけない特段の理由はないだろう。

イ音便・ウ音便を接近音ととらえることにより、音便はすべて「母音脱落と子音の無個性化」の枠組みで考えることが可能となる。

音便を生成する過程として下記のようなものを考えたい。
  • 狭母音 [i], [u] を持つ音節は、音便化することがある。(アエオ段が音便化することもあるが例外的)
  • 音便化する場合、狭母音が脱落する。脱落する狭母音は子音を修飾し、痕跡を残すことがある。
    イ段音節の場合、子音を硬口蓋化 Cʲ する。
    軟口蓋音子音でウ段音節 [ku] [gu] の場合、子音を唇音化 Cʷ する。
    子音は、本来の調音位置のほかに、硬口蓋化/唇音化している場合、硬口蓋/両唇における二次的調音位置を持つ。
    • 軟口蓋音 [k] [g] だけ唇音化することについては、合拗音(観音クヮンオン、元日グヮンジツ) があったのが軟口蓋音だけだったのも参照。一方で開拗音 (キャ、シュ等) はほぼすべての行に存在するため、硬口蓋化は子音を問わず発生するとしている。
      • 下の方で、「[w] は、IPAの定義上、両唇軟口蓋接近音である」という話をしてますが、軟口蓋音は唇音と親和性が高いところがあるんですよね。中国での漢字音自体にも合口は牙喉音に多い。後舌母音は軟口蓋に狭めを作るが、世界の大抵の言語で後舌母音は円唇性を持つことが通常だったり。
  • 子音は弱化し、接近音化するか、または、内破音化する。その際、子音の調音は、最も前面に位置するものを除き消失する。
    この「最前面の調音のみを残す」というのが、音便種類決定の最重要機構となる。
    複数位置の調音を作ることは発音上エネルギーがかかることなので、数を減らした方が発音が楽になる。減らす際、聞こえの弱い後方から消していくのは、なるべく聴覚印象を変えずに発音を楽にするという観点で理にかなったことだろう。
    残った最前面調音の位置によって、下記の形で接近音化・内破音化する。
    • 唇の場合 → 両唇接近音 [w] に、または、両唇破裂音 [p] (内破音?) に
      • [w] は、IPAの定義においては両唇軟口蓋接近音 (両唇と軟口蓋の二か所に調音位置を持つ接近音) であり、両唇接近音は正確には [β̞] と書くのが正しいが、以下、[w] と略記する。 
      • 日本語のワ行子音は実際には [β̞] で [w] は日本語では一般的な発音ではないので、[w] が両唇軟口蓋接近音だと言われても、正直ぴんと来ないが、後舌母音は軟口蓋に狭めを作るのだと考えれば理解しやすい。円唇後舌狭母音である [u] は、円唇であるがゆえに両唇に、後舌であるがゆえに軟口蓋に狭めを持つので、それと対応する接近音 [w] は、両唇軟口蓋接近音ということになるわけ。
      • 日本語のウ段は中舌よりなので、対応する接近音 (ワ行子音) は軟口蓋での調音がない  [β̞]  になるのだろう。
    • 歯の場合 → 歯茎破裂音 [t] (内破音?) に。歯茎接近音 [ɹ] になったかも知れないが、日本語に存在しない音になったと考えるのも考えづらい。弾き音 [ɾ] の可能性もあるが、内破的に発音されたとき、 [t] と [ɾ] の差はあまりないかもしれない。
    • 硬口蓋の場合 → 硬口蓋接近音 [j] に。
  • 音便化する音節、または、後続する音節の子音が鼻音性をもっている場合、音便化子音が鼻音化する→[w̃], [m], [n], [ j̃ ]。鼻音化した接近音は、後続子音を濁音化する。
    • 「鼻音化する」という言い方もおかしいですね。そもそも鼻音性を持った子音が弱化して、鼻音性を持った子音になるわけだから。
      正確に言うなら、「子音が音便化する場合、鼻音性を保持する。音便化した子音が鼻音性を持っている場合、順行同化によって後続する子音に鼻音性を付与(濁音化)する。後続する子音が鼻音性を持っている場合、逆行同化によって音便化した子音も鼻音性を獲得する」というべきか。
  • 接近音 [j], [ j̃ ], [w], [w̃]は、母音化し、[i], [u] になる。
  • 破裂音の調音位置は、後続子音の調音位置と逆行同化する。pte > tte, mde > nde

ここに見られる「子音の無個性化」は、狭母音脱落によって生じた「書きて kakite > kakʲte」の kʲt のような子音クラスターを、聴覚印象をあまり変えずに単純化してより発音しやすくするために生じたものであろう。

音節ごとに音便化の流れを整理すると下記のようになる。
子音の調音位置のうち、一次的調音によるものを△、狭母音の影響による二次的調音によるものを◇で表記し、うち、最前面のものを▲◆で表記する。


音節狭母音脱落調音位置接近音化
破裂音化
音便種類
軟口蓋硬口蓋歯茎両唇
キ ki

j清音イ音便
シ ʃi ʃ


リ ʎiʎ


ギ gi

濁音イ音便
チ ti

t促音便
リ ɾiɾʲ

ニ ni

n撥音便
ズ zuz


ヌ nun


ヒ ɸi ɸʲ

w
p
清音ウ音便
促音便
ク ku

ビ bi


m
濁音ウ音便
撥音便
ミ mi

グ gu

ム mum



きれいに子音の調音位置のうち、最前面のものによって、イ音便、促撥音便、ウ音便~促撥音便が選択されていることがわかる。

接近音と内破音


硬口蓋音は、適切な破裂音がないため、接近音 [ j ] 一択、歯茎音は、適切な接近音がないため、破裂音 [t] 一択だが、両唇音は、接近音 [w] と 破裂音 [p] 両方を持つため、どちらになることもあったと思われる。これが、両唇音系でのウ音便と促撥音便の揺れを生じさせたと考えられる。

調音位置軟口蓋硬口蓋
~後部歯茎
歯茎両唇
破裂音k g ŋ-t d np b m
接近音-j-w
その他-ʃ ʒs z ɾɸ

接近音と破裂音が選択されたのはなぜかという理由については、発音エネルギー的に楽なものを選んだということだろうと思う。
子音にしてはかなり狭めの緩い接近音は発音コストが低い。
破裂音の発音コストが低いかというと一概にそうでもないが、破裂音は閉じるより呼気で再び開く方がエネルギーがかかるから、内破音を想定すれば、エネルギーをあまり必要としない。
また、テ形などのように後続する子音が破裂音の場合、それと調音方法を合わせることにより発音しやすくするという観点もあっただろう。

(※) この辺りは、「音便の法則 補考」にて、若干、説を改めているので、そちらも参照。

音便化しないもの


形容詞連用形「ク」は、東日本(含む東京方言)ではウ音便化しない。おそらく、東日本のウ段は円唇が弱く、子音が唇音化しなかったのだろう。となると、最前面の狭めは軟口蓋ということになり、軟口蓋には適切な音便が存在しないため、音便化しなかったと考えることができる。
  • 日本語には、軟口蓋音は [k] [g] しかないので、それ以外の何かになりようがない。 
  • 現代においても、東京方言のウ段は、[u] よりも中舌より・平唇よりであり、西日本方言のウ段はそれよりもう少し後舌より・円唇よりで [u] に近いとされる。

音便化しないものとしてもう一つあげられるのが「シ」だ。

「シ」は音便化する場合は清音イ音便になるが、現在の標準語・京都方言のサ行四段連用形等では音便化しない。サ行四段連用形のイ音便は、歴史的には、他の行と比べて遅く始まり、そして、衰退してしまった。

サ行四段の音便化が遅くはじまったことについては、柳田 (1993) は「シ」が破擦音から摩擦音化するまで音便化しなかったからだとしており、それに同意する。
恐らく、まだ破擦音 [tʃ] だった頃は、破裂と摩擦を連続的に行うという破擦音の複合音的な特徴により、 [tʃ] > [ j ] という子音の弱化が単純には進まなかったのではないか。
琉球語においてタ行四段が音便化しない事象も参照(後述)。

衰退してしまったのは、「シ」音が、後部歯茎摩擦音 [ʃi] から歯茎硬口蓋摩擦音 [ɕi] に変じたからではないだろうか。「ヒ」音が、[ɸi] > [*hi] > [çi] 硬口蓋摩擦音となったことから、 [ʃi] と混同しやすくなり(江戸弁「東ヒガシ > シガシ」に見られるように)、[çi] との区別をつけやすい [ɕi] に発音される傾向が強くなったものと考えられる。
歯茎から硬口蓋にかけて広範囲に狭めを持つ [ɕ] だと歯茎音扱い(促音便)も硬口蓋音扱い(イ音便)もどちらも適切に感じられなくなったのではないか。

ただし、この説を立証するのは結構難しいですね。 [ʃ] から [ɕ] に変化した歴史的証拠は多分ないだろうし、証明するとすれば、方言で、サ行イ音便の残存有無と、「シ」調音方法との間に相関関係があるかどうかなんでしょうけど、方言記録において、よほど意識を持った記録者でないと「シ」調音方法をちゃんと記録してはいないでしょう。ちょっと私の手には余りますね。そもそも「シ」調音方法は、結構、個人差がある印象を持っていますし。
また、ハ行の声門音化の時期と、サ行イ音便衰退の時期が整合しているかどうか検証が必要ですね。
  • 福島 (1992) は、サ行四段動詞のほとんどが有対他動詞であることから、他動性表示を維持するため、音便化しなかったとしている。確かにそういう面もあったかも。 
  • 坪井 (2000) は、福島 (1992) を批判し、「①なぜサ行の音便化は遅れたか、②なぜイ音便になるのか、③なぜその後非音便形に復したか」の③の答とはなっても①②に答えていないとしている。管見の仮説が②の答となれば幸いである。
  • 坪井 (2000) は、サ行四段がイ音便になる理由として、サ行のような摩擦音では [ʃite] > [ʃi̥te] のように母音が無声化するのが自然であって、イ音便のように子音脱落するのは不自然だが、音便形が一個の活用形として成立するなかで、既存の音便カテゴリに押し込まれる圧力がかかって、その中で一番違和感の少ないイ音便に押し込まれたのだが、やっぱり不自然だから元に戻った、といった趣旨の説明としている。

ウ音便の行方


両唇音系の促撥音便(p, m)は、その後、歯茎音系促撥音便 (t, n) と統合して行く。
  • 亀井・大藤・山田 (1963-66) によれば、中古の文献において、歯茎音の撥音便は無表記、両唇音の撥音便は「ム」表記として書き分けられている。統合前の姿([n] と [m]) を見せる。
    • (去りぬ > 去んぬ)「サヌ」、(畳みて→畳んで)「タタムテ」、等。
濁音ウ音便は、近世に至るまで撥音便とともに使用されたようだ。
  • 国性爺合戦(近松門左衛門)「追つ付け親父様呼うで来ませう。」
    • 「追っ付け」が出たところで言及しておくが、俗語的な複合動詞では、なんでもかんでも促撥音便化する傾向にある。「引き付け→ひっ付け」「引き剥(む)き→ひん剥き」「追ひ付き→追っ付き」「踏みつけ→踏んづけ」等。
      これ、何なんでしょうね。「引き掻き→引っ掻き ɸiki-kaki > ɸik-kaki」「追ひ払ひ→追っ払ひ oɸi-ɸaraɸi > oɸɸaraɸi > opparawi」のように狭母音を挟んで同子音が連続するような場合に音便 (子音の無個性化を伴う) ではなく、単なる狭母音脱落 (子音の無個性化を伴わない) として発生して、他のケースにも類推適用されたものか。
      同子音間の狭母音脱落は、「忍坂 オシサカ > *オッサカ > オサカ」等の例も参照。
奥村 (2005) などによれば、覚一本平家物語では、語幹末ウエ段(「進んで」「叫んで」等)では撥音便となるのが通例で、その他の段ではア > オ > イの順で濁音ウ音便が使用されやすいらしい。

ウ段が撥音便化しやすいのは、仮にウ音便となったとしても、[uw̃de] の [u] が [w̃] の円唇性を飲み込んで、[w̃] には鼻音性だけが残り、[unde] の形になりやすかったのだと思われる。

柳田 (1994) は、ウ音便が衰退したのは、開口合口が統合してアウ・オウ等がオーになったことを契機に、語幹を揺るがしてしまうウ音便が好まれなくなったためとしている。
揺るがすにしても活用語尾止まりで、語幹が揺らがない推量助動詞ムではウ音便を残すが、語幹部分を揺るがしてしまう連用形音便ではウ音便が廃れるということが説明でき、納得できる説である。
  • 推量助動詞ム: 「買はう」カワウ→カオー、「噛まう」カマウ→カモーになっても、語幹「カ」は揺るがない。
  • 連用形音便: 「買うて」カウテ→コーテ、「噛うで」カウデ→コーデになると、語幹「カ」が揺らぐ。促音便「買って」、撥音便「噛んで」であれば揺るがない。 
ただし、留意したいのは、上記の柳田 (1994) の説明は、あくまで、ウ音便・促撥音便が併用される状態から促撥音便を専用する状態になった契機、ウ音便を消失させるとどめの一撃について言っているのだということ。西日本ではハ行連用形の清音ウ音便を使用し続けているのだが、それは、そもそも促音便形を使用していなかったので、他の選択肢なく清音ウ音便を「我慢して」使い続けているのだと言っている。
だとすれば、(A) 「そもそもなぜウ音便と促撥音便を併用する状態になったのか」 (B) 「なぜ西日本で促音便が清音ウ音便と併用されなかったのか」という説明はやはり必要である。

(A) について、管見の説では既に答えを得ている。なお、これについて柳田 (1993) は、ハ行転呼前の「習ひて」 [naraɸite] から促音便が生じ、ハ行転呼後の [narawite] からウ音便が生じたと説明している。ミ・ム・ビ等における濁音ウ音便と撥音便との併用はハ行の清音ウ音便の類推としている。
(B) については、正直、あまり明確な答えは持っていない。 柳田 (1993) は、タ行・ラ行との衝突を避けるためとしているようだ。
形容詞連用形クでは促音便になることがないが、語末であるため促音便にならないのはある意味当然だろう。形容詞連用形を突破口にハ行連用形にも清音ウ音便が広まり、促音便を駆逐してしまったのかも知れない。
  • 「語末であるため促音便にならない」 とするのであれば、形容詞連用形が語末に来ない時、例えば「高くて」等の場合、促音便 (takakute > takakʷte > takapte > takatte, 東日本の場合なら takakute > takakte > takatte) にならないのかという疑問に答える必要があるかも知れない。
    西日本の場合なら、語末の場合の「高う」と別形の「高って」を使おうとするインセンティブが特になかったという答えでいいかなと思う。
    東日本の場合なら、一般に kt > tt になることがなかったということでよかろう。漢語入声の場合でも tk > kk 末期 まつき mat-ki > まっき makki にはなるし、pt > tt 合体 がふたい gap-tai > がったい gattai にはなるが、kt > tt にはならない (木炭 もくたん mok-tan)

なお、西日本ではハ行連用形は昔からウ音便一択だったようなイメージを抱きがちだが、柳田 (2010) によると、室町時代の京都においても、ハ行促音便は存在していたらしい。
  • 詩学大成抄 (惟高妙安) 「濯(アラ)ツテ(クチスス)ギ
地の文 (抄物文体つまり講義ノートスタイルなので口語的) にはウ音便が現れるのに、漢文訓読部分で促音便が使用され、むしろ促音便の方が堅苦しく正式なものと考えられていたらしい。


不思議な音便


上記に「なんでもかんでも促撥音便化する俗語複合動詞」(ひっつけ、ひんむき)をあげたが、ほかにも何とも説明しがたい音便形は存在する。

 「せずて→せんで」(「しないで」の意味)はよい。関西弁で「せいで」というのは一体なんなのか。上記の音便化ルールからは出てこない語形である。
中古語形「せで」になんとなく勢いで「い」をはさみこんだ語形? 「此処ら→此処いら」みたいな。「あはれ→あっぱれ」「あまり→あんまり」などと似たような感じ。

「しないで」も不思議である。打消助動詞「ない」が上代東国語の打消助動詞「なふ」に由来しているのだとすれば、「しなひて→しなって」であるべきだし、形容詞「無い」に準じた形とするのであれば「しなくて」だろう。「しないで」ってなんだ?
東日本「しないで」と類似するものとして、西日本「せなんで」がある。これは撥音便になるのが不思議というより、そもそも「せなんで」の「な」がなんなんだかよくわからない。

なぜ四段だけが音便化するのか


連用形の音便は、四段(プラス、ラ変・ナ変)でのみ発生する。これはなぜか。

下二段で発生しないのは、特段不思議ではない。音便は狭母音音節で発生するので、エ段の連用形を持つ下二段では音便化しないだろう。
上一段・カ変・サ変の連用形は単音節なので、これらも音便化しないだろう。音便は音節の弱化なので、語頭音節は一般に音便化しない。

問題は、上二段だ。「折りて→折って」「置きて→置いて」になるのに、なぜ「降りて」「起きて」は音便化しないのか。

「上二段連用形は乙類イ段由来だから」という説明はできないだろう。「降りて」の「り」のように上代時点で既に甲乙の区別が消失している音節でも音便化は起きない一方、「月立ち→ついたち」の「き」のように乙類キに由来する場合でも、音便化は起きる。そもそも、音便化が発生した時点で、甲乙イ段の区別が何らかの形で残存していたとはとても思えない。

これについては、私は極めてシンプルに考えている。下二段で音便化しない以上、上二段でも音便化しないのだ、と。
日本語の動詞において、上二段は少数派に過ぎない。一方、下二段は、四段と双璧をなす主流派だ。日本語話者にとって上二段は下二段の亜種なのだ。下二段で起きない文法事象は、上二段でも起きないのだろう。

柳田 (1993) は、「上一段が音便化しなかったから上二段も音便化しなかった」とする。「見る」などの頻用語を含むとはいえ、それほどの大勢力ではない上一段にそこまでの力があったかは疑問である。

なお、柳田 (1993) も指摘しているとおり、上二段が全く音便化しなかったわけでもなく、四段が全て音便化したわけでもない。その後、音便化の有無を事後承諾するように「音便化したもの→四段 (五段) 化、音便化しなかったもの→上二段 (上一段) 化」のように、音便化の有無によって活用種類が変わったりしている。
  • 「怪しび」「恨み」「尊び」等: 撥音便化して「怪しんで」「恨んで」「尊んで」になったため、活用種類が上二段から四段 (五段) に。
  • 「生き」「満ち」等: 音便化せず「生きて」「満ちて」のままだったため、活用種類が四段から上二段 (上一段) に。
まあ、「四段は音便化するけど、上二段はしない」というのが日本語話者の頭の中のルールとして確かに存在するからこそ、音便有無によって活用種類が変わってしまうんでしょうけど。

現在でも音便有無の揺れが全くないわけではなくて、「落ちる」「落っこちる」のテ形は標準的には「落ちて」「落っこちて」なんでしょうけど、「落って」「落っこって」と全く言わないかというとそんなことはない気がする。
# イメージ的には「落って」は上方落語家が言いそう。「落っこって」は江戸落語家が言いそう。

琉球語の音便


琉球語における音便の議論を付して置く。

琉球語でも日本語とほぼ同様の音便がある。首里方言における動詞連用形の音便は下記のとおり。
  • カ行四段: 書きて → カチ [katɕi]
  • サ行四段: 残して → ヌクチ [nukutɕi]
  • タ行四段: 立ちて → タッチ [tattɕi]
  • ハ行四段: 笑ひて → ゥワラティ [warati]
  • ラ行四段: 刈りて → カティ [kati]
  • ガ行四段: 漕ぎて → クージ [ku:dʑi]
  • ナ行変格: 死にて → シジ [ɕidʑi]
  • バ行四段: 飛びて → トゥディ [tudi]
  • マ行四段: 読みて → ユディ [judi]
濁音・鼻音(ガ行・バ行・ナ行・マ行)の場合、「て」に相当する部分が「ジ」「ディ」と濁音化している。これは日本語と同じだ。

また、日本語でイ音便になるカ行・ガ行では、「て」に相当する部分が「チ」「ジ」と破擦化している。琉球語での破擦化は前にイ段があったことの証なので、「書きて→書いて→書いちぇ→書ちぇ→カチ」「漕ぎて→漕いで→漕いぢぇ→漕ぢぇ→クージ」のように、本来はイ音便だったが、テを破擦化した後、イは消失したのだろう。

一方、ラ行、ハ行・バ行・マ行では破擦化しない。「刈って」「笑って/笑うて」「飛んで/飛うで」「読んで/読うで」のように、促音便・撥音便・ウ音便のいずれかであり、後にウ・促音・撥音が消失したのだろう。ハバマ行が促撥音便だったのかウ音便だったのかはよくわからない。

サ行「残して→ヌクチ」は、「て」が破擦化していることから、もとは「て」の前にイ段があったはず。非音便形「残して」か、清音イ音便「残いて」のどちらかだろう。

ナ変「死んで→シジ」はどうか。おそらく撥音便「死んで」をもとに、「ン」をはさみつつ「シ」の影響で「デ」が破擦化したと思われる。
  • cf. ラ行「切りて→切って→チッチ」では、「ッ」をはさみつつ「キ」の影響で「テ」が破擦化する。
一方、「死にて」の「に」が硬口蓋音化し、[ɕiɲite] になっていたとすれば濁音イ音便「死いで」になった可能性もあり、こちらがベースになっているかも知れない。ナ行は「死んで」以外にないので、なんとも言えない。

さて、問題はタ行だ。促音便「立って」だとすれば、「て」は破擦化しないはずなのに「タッチ」と破擦化している。一方、「刈って→カティ」では促音は消失しているのに、促音を残している。
おもろさうしで、「うちちへ」等が現れ、非音便形「討ちて」のテが破擦化したもの(ウチチェ) と考えられる。
  • おもろ01/0004「おぎやか思いに 笠利 討ちちへ みおやせ」
  • おもろ02/0069「世掛けせぢ 廻ちへ 持ちちへ みおやせ」
なんで音便化しないのかはよくわからないが、日本語でサ行四段の音便化が遅れるのと同じ原因か。おそらく琉球語で音便化が始まった時点で既にチが破擦化していたのだろう。

「討ちて」(×討って)→「討ちちぇ」と、音便化はしていない状態がおもろさうしの状態。
その後、後述する狭母音脱落によって、「討ちちぇ utɕitɕe」→「討っちぇ uttɕe」→「討っち uttɕi」となったものと思われる。

以上、タ行の場合を除き、概ね琉球語の音便化は日本語の音便化と同じ原理で動いているというのがわかる。

音便音節(イ、ウ、促音、撥音) は琉球語においてはほぼ消失する。
「大概(たいがい)」→テーゲー、「間(あひだ)」→エージャになるのに、「書いて」→ケーチになったりせず、カチなので、アイ→エーの変化が発生する前にとっとと消失してしまったっぽい。
イ、ウが必ずしも消失するわけではないのに音便音節では規則的に消去されるというのは、普通のイ、ウとは異なる音、すなわち、[i] [u] ではなく、接近音 [j] [w] であった可能性を示唆しうるような気もするが、よくわからない。

おもろ12/0725「明けろ年 立た数」(「明ける年 立たむ数」の意味)の「立た」のように、琉球語では推量助動詞ムなしに未然形単独で推量・意思の意味を示すことが出来るだが、これはウ音便「立たう」または撥音便「立たん」の「う」「ん」が消失した形だろう。
「日琉祖語では未然形単独で推量・意思を表示することが出来、琉球語の語形はその古い形を残しているものだ」という議論もあるのだが、個人的な意見では「ちょっと眉つばだなあ。。。」という感じ。
どうですかね。琉球語についてあんまり自信をもって言えるほどの知識がないので。琉球語のなかでも南琉球では四段連用形の音便化が起らなかったりしているので、そのあたりで未然形単独形があるかどうかとか見てみないと。 でも、南琉球は恐ろしく多様性が高いのでとても追い切れない。。。

狭母音脱落について


管見の音便起源説では、音便も狭母音脱落の一種なのであるが、狭母音脱落は日琉語において何度となく発生している。

琉球語では、活用語尾部分の音便化だけでなく、その後、動詞語幹末が狭母音の場合も脱落が生じ、まるで二重に音便化したように見えるものがある。
  • 「眠って」→ニンティ [ninti]: ネムリテ nemurite > (音便化) ネムッテ > *ネムテ *nemute  > (狭母音脱落) *ネンテ *nemte > (中央母音上昇) ニンティ ninti
  • 「縊って」→クンチ [kuntɕi]: クビリテ kubirite > (音便化) クビッテ > *クビチェ *kubitɕe > (狭母音脱落) *クンチェ *kumtɕe > (中央母音上昇) クンチ kuntɕi
撥音便と似ているが、後続音節を濁音化しないところが異なる。
おもろさうし時代には音便化していなかったタ行四段連用形が促音化するのもこのタイミング?
  • 「立ちて」→タッチ [tattɕi]: tatɕite > (音便化しない) *tatɕitɕe > (狭母音脱落) *tattɕe > (中央母音上昇) tattɕi

上代日本語の所謂「被覆形・露出形」も狭母音脱落なんだろうと思っている。
  • (露出形) 酒サケ乙 sakəe ⇔ (被覆形) 酒杯サカヅキ甲 sakaduki
  • (露出形) 神カミ乙 kamɨi ⇔ (被覆形) 神柄カムカラ kamukara
  • (露出形) 木キ乙 kɨi ⇔ (被覆形) 木立コ乙ダチ kədati
sakai-duki > saka-duki, kamui-kara > kamu-kara, kəi-dati > kədati のように狭母音が語中で脱落した結果が被覆形として現れているのだと。

「被覆形の方が本来語形で、露出形はそれに名詞化接辞 -i がくっついたものだ」みたいな議論もあるわけですが、それだと、「網代アミ+シロ > アジロ」「足掻きアシ+カキ > アガキ」のようなのが説明しづらいと思うんですよね。「網 am」「足 as」のように本来語形を閉音節だとするか、-mi, -si が接辞だとするかなんでしょうが、どちらも厳しいでしょう。

そもそも、ア段ウ段オ段終わりの名詞もあるわけで、「名詞化接辞 -i」 がくっつくのかくっつかないのかの法則性がまるで見えない。

露出形を本来語形として、狭母音脱落だと考える方がはるかに説明が簡単ですよね。そう考えれば、ア段ウ段オ段終わりの名詞は不思議なことは何もない。たまたま [i] で終わっていた名詞は被覆形露出形対立をするし、そうでない名詞はそうでないというだけ。
「[i] が脱落して、[u] が脱落しないのはなぜ?」という疑問もあるかも知れないが、管見の仮説では、今残っているウ段は、本来、狭母音 [u] じゃなくて中央母音 [o] なんで。

ただし、名詞化接辞 -i が存在した可能性自体は否定しませんよ。というか有ったと思っています。
以前書いたように、 管見の仮説では、動詞の連用形は -e, 転成名詞形は -i を再構しているので、転成名詞形の -i は名詞化接辞と言えます。ただ、-i で終わる名詞全てが名詞化接辞 -i に由来するとは思っていないだけ。そして、所謂被覆形が、名詞化接辞を付加する前の原型みたいなものだとは思っていないだけ。単に、名詞の最後が狭母音で終わる時にそれが脱落した語形。

なんでこんな議論を始めたか


上代日本語を中心に調べている私が、なぜ音便の議論を始めたか。

上代日本語の動詞活用体系の起源仮説を立案することをテーマに議論を進めてきたわけで、その際、「極力恣意性がなく、機械的な音韻変化・文法変化で説明できる仮説を立案しよう」と思って仮説を考えてきた。

しかし、ときどき、「そんなこと言ったってさあ、、、人間のしゃべる言葉がそんな機械的に動くかい? 中古以降、かなり、途中経過がよくわかっている音韻変化・文法変化を見たって、そんなに機械的に動いているわけじゃない。たとえば音便を取り上げてみたって、音便化のルールはあるような無いようなで、とても機械的な変化で説明できそうな気がしないんだけど。。。」という気の迷いがあったりしたのである。

そこで、「音便化のルールは、本当に機械的変化では説明出来ないのか」という問いに挑戦してみることにしたのである。
結果としては、かなり統一的ルールで説明できるのだということがわかった。

名詞や動詞語幹部などで「音便化するのかしないのか」という部分、場合によっては「音便化する場合、どの音便になるのか」についてさえ、かなり、ばらばらだったりする。これらは、個別語彙単独の動きを見せることが多く、単語間で整合性を取ろうとする圧力があまりないからだ。

一方、動詞活用語尾部分に関しては、「音便化するのかしないのか」「音便化する場合、どの音便になるのか」は、ほぼルール通りの一貫性を見せる。個別語彙ばらばらに動くと動詞活用体系の一貫性が保てなくなるので、単語間で整合性を取ろうとするからである。経時的には揺れをみせることがあっても、最終的には整合性を取った形で収束する。

というわけで、少なくとも動詞活用体系の起源仮説を立案するにあたっては、極力恣意性を排するという姿勢の有効性をあらためて認識した、というのが今回の成果である。

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[参考文献]
工藤 力男 (2004) 「和名抄地名新考 (三)」, 成城文藝 (187), pp. 1-18 http://ci.nii.ac.jp/naid/110004682312
亀井 孝 (編); 大藤 時彦 (編); 山田俊雄 (編) (1963-1966) 「第一章 古代語の残照 二 音便の発生」 in 『平凡社ライブラリー 日本語の歴史 4 移りゆく古代語』, 平凡社, 2007-05-10, ISBN978-4582766127
窪園 晴夫 (1999) 「現代言語学入門 2 日本語の音声」, 岩波書店, 1999-04-21 ISBN978-4000066921
柳田 征司 (1993) 「室町時代語を通して見た日本語音韻史」, 武蔵野書院, 1993-06-30 ISBN978-4838601387
福島 直恭 (1992) 「サ行活用動詞の音便」, 学習院女子短期大学国語国文学会国語国文学論集 (21), pp.1-14 http://ci.nii.ac.jp/naid/120005405963/
坪井 美樹 (2000) 「第5章 活用形としての動詞音便形の成立」 in 『日本語活用体系の歴史的変遷に関する研究』, 筑波大学博士 (言語学) 学位論文, pp.52-61 http://hdl.handle.net/2241/6269 

奥村和子 (2005) 「平家物語におけるバ行マ行四段動詞の音便について」, 女子大文学 國文篇: 大阪女子大學紀要 (56), pp. A1-A11 http://hdl.handle.net/10466/2583
奥村和子 (2003) 「『覚一本平家物語』における動詞音便形について」, 女子大文学國文篇:大阪女子大學紀要 (54), pp.1-10 http://hdl.handle.net/10466/2685
柳田 征司 (1994) 「母音優位・子音優位―東西両方言の違いは、いつ、どのようにして、なぜ生じたか―」, 国語学 (178), pp.29-37 http://db3.ninjal.ac.jp/SJL/view.php?h_id=1780290370
柳田 征司 (2010) 「日本語の歴史 1 方言の東西対立」, 武蔵野書院, 2010-04-15 ISBN978-4838604227
国立国語研究所 (2001) 『沖縄語辞典』 第9刷 http://mmsrv.ninjal.ac.jp/okinawago/
かりまた しげひさ (2016), 「琉球諸語のアスペクト・テンス体系を構成する形式」, in 田窪 行則 (編); Whitman, John (編); 平子 達也 (編) 『琉球諸語と古代日本語 ―日琉祖語の再建にむけて』, くろしお出版, pp. 125-147, ISBN 978-4874246924

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