さて、長々と前置きを続けてきたが、ようやく本題。江戸時代の幕府天文方の暦(貞享暦・宝暦暦・寛政暦・天保暦)の暦法について述べていく。
まずは、貞享暦の節気・土用について。なお、このブログでは、頒暦を作成するにあたって必要な部分だけを記述していく。暦法のうち、五星(木星・火星・土星・金星・水星)や、恒星(星宿)などの頒暦には記載されない部分などは対象にはしない。
暦法の説明に入る前に、簡単に貞享暦採用の経緯について説明しておこう。
貞享暦について
貞享暦改暦を主導したのは、渋川助左衛門春海(しぶかわ すけざえもん
はるみ、安井算哲、保井算哲(やすい さんてつ))(1639~1715)
である。幕府・大名家・宮中などで、囲碁の対戦を披露したり、囲碁の指南をしたりする碁方であった。
安井家は、幕府の碁方四家(本因坊家、井上家、林家、安井家)の一であり、算哲は一世安井算哲の長男として二世安井算哲を名乗るが、父の死亡時は幼少であったため、義兄(一世算哲の養子)の安井算知が安井家を継ぐこととなる。
本業の碁方を務め、京・江戸を行き来しながら、囲碁の指南を通じて、水戸藩主徳川光圀や会津藩主松平(保科)正之らとも知遇を得る傍ら、暦学・天文学を学び、北極出地(北極星の仰角)測量による緯度測定なども行っている。