2020年9月12日土曜日

天保暦の暦法 (1) 日躔 (1) 平行、初均

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前回は、天保暦の歴史を語るだけで終わってしまったが、今回から天保暦の暦法の説明に入る。まずは例によって日躔から。今回は、太陽の平均黄経(平行)、太陽遠点の平均黄経(最高平行)の算出、および、初均(中心差)について。

暦元・積年

新法暦書巻一 [推日躔用数]
天保十三年壬寅天正冬至次日子正為暦元
天保十三年壬寅天正冬至次日子正を暦元と為す。
[推日躔法]
求積年「自暦元天保十三年壬寅距所求之年共若干年、減一年、得積年」
暦元天保十三年壬寅より求むるところの年を距つる共せて若干年、一年を減じ、積年を得。
\[ \begin{align}
\text{暦元年} &= 1842 \text{ (天保十三年)} \\
\text{暦元上元甲子} &= \text{1841-10-27T00:00:00} \\
\text{積年} &= \text{西暦年} - \text{暦元年} \\
\end{align} \] 

天保暦の暦元は、天保十三(1842)年。これが、天保暦における Year #0 である。暦元天正冬至は、グレゴリオ暦では 1841-12-21 あたりのはずで、後に「気応 = 55.998836日」とあるので、1841-12-21 の 55日前、1841-10-27 あたりが暦元上元甲子日のはず。果たして、1841-10-27 は甲子日であるので、1841-10-27 が暦元上元甲子日、つまり、天保暦における Day #0 である。

なお、天保暦の暦元上元甲子日は、貞享暦の暦元上元甲子日 1683-12-14 の 57,660 日後、宝暦暦の暦元上元甲子日 1753-12-07 の 32,100 日後、寛政暦の暦元上元甲子日 1797-12-21 の 16,380 日後である。

天正冬至

新法暦書巻一 [推日躔用数]
周歳三百六十五日二四二二三三九五二二九一
紀法六十
気応五十五日九九八八三六
[推日躔法]
求中積分「以積年与周歳相乗、得中積分」
積年を以って周歳と相乗じ、中積分を得。
求通積分「置中積分、加気応、得通積分。上考往古、則置中積分、減気応、得通積分」
中積分を置き、気応を加へ、通積分を得。上って往古を考ふるは、則ち、中積分を置き、気応を減じ、通積分を得。
求天正冬至「置通積分、其日満紀法去之、余数為天正冬至日分。上考往古、則以余数減紀法、為天正冬至日分。自初日甲子起算、得干支」
通積分を置き、其の日、満紀法これを去き、余数、天正冬至日分と為す。上って往古を考ふるは、則ち、余数を以って紀法を減じ、天正冬至日分と為す。初日甲子より起算し、干支を得。
\[ \begin{align}
\text{周歳} &= 365_\text{日}.242233952291 \\
\text{紀法} &= 60_\text{日} \\
\text{気応} &= 55_\text{日}.998836 \\
\text{中積分} &= \text{積年} \times \text{周歳} \\
\text{通積分} &= \text{中積分} + \text{気応} \\
\text{天正冬至} &= \text{通積分} \\
\end{align} \]

天正冬至の計算方法は、寛政暦となにも変わらない。1 年の長さを「歳周」ではなく「周歳」としているが、意味は同じだろう。意味が同じなら用語を変えないでほしいが。

「周歳」の長さは、平均太陽年の長さとしてかなり妥当。天保暦には消長法がないので、常に同じ値である。

例によって、「天正冬至」は、紀法 60 日の余りをとって、日干支および時刻の値にしようとしているが、このブログの式では、余りをとらず「天正冬至 = 通積分」とし、「天正冬至」を、暦元上元甲子日 0:00 からの通算日時とする。

恒気(平気)の二十四節気・土用

新法暦書巻一 [推日躔用数]
気策一十五日二一八四二六四一四七
土用策一十二日一七四七四一一三一七
宿法二十八
宿応五日九九八八三六
[推日躔法]
求恒気「置天正冬至日分、以気策逓加二十三次、其日満紀法去之、為逐月恒気日分。自初日甲子起算、得干支」
天正冬至日分を置き、気策を以って二十三次に逓加し、其の日、満紀法これを去き、逐月の恒気日分と為す。初日甲子より起算し、干支を得。
求土用事「置四季之節気日分、加土用策、満紀法去之、為四季土用事日分。自初日甲子起算、得干支」
四季の節気日分を置き、土用策を加へ、満紀法これを去き、四季土用事日分と為す。初日甲子より起算し、干支を得。
求紀日「以天正冬至干支加一日、得紀日」
天正冬至干支を以って一日を加へ、紀日を得。
求値宿「置中積分、加宿応、為通積宿。其日満宿法去之、外加一日、為値宿日分。上考往古、則置中積分、減宿応、為通積宿。其日満宿法去之、以余数減宿法、外加一日、為値宿日分。自初日角宿起算、得値宿」
中積分を置き、宿応を加へ、通積宿と為す。其の日、満宿法これを去き、外に一日を加へ、値宿日分と為す。上って往古を考ふるは、則ち中積分を置き、宿応を減じ、通積宿と為す。其の日、満宿法これを去き、余数を以って宿法より減じ、外に一日を加へ、値宿日分と為す。初日角宿より起算し、値宿を得。
\[ \begin{align}
\text{気策} &= 15_\text{日}.2184264147 & (= \text{周歳} / 24) \\
\text{土用策} &= 12_\text{日}.1747411317 & (= \text{周歳} / 30) \\
\text{宿法} &= 28_\text{日} \\
\text{宿応} &= 5_\text{日}.998836 \\
\text{平気二十四節気} &= \text{天正冬至} + n \times \text{気策} \\
\text{土用} &= \left\{ \begin{matrix} \text{清明三月節} \\ \text{小暑六月節} \\ \text{ 寒露九月節} \\ \text{ 小寒十二月節} \end{matrix} \right\} + \text{土用策} \\
\text{紀日} &= [\text{天正冬至}] + 1 \\
\text{値宿} &= ([\text{中積分} + \text{宿応}] + 1) \mod \text{宿法} \\
\end{align} \]

このあたりも寛政暦と変わらない。ただし、天保暦は定気法なので、この辺の、平気の節気・土用を求める式を、頒暦を作成するにあたって使用するわけではない。定気の節気・土用については別途説明する。

一点、寛政暦と異なるのは、七十二候の日時を求める計算式が記載されていないことだ。これは意図的に廃止したのである。新法暦書続編巻四「七十二候」には下記の記載がある。

「……然雷声之収発・虹霓之見不見、草木之栄枯、豈可配日乎。固其大概而己。故漢土之暦、配月而不配日、蓋此意也。今亦沿之、並廃配日歩法云」
然るに雷声の収発・虹霓の見不見、草木の栄枯、あに配日すべからんや。固より其の大概なるのみ。ゆゑに漢土の暦、配月して配日せざる、蓋し此の意なり。今またこれに沿ひ、並せて配日歩法を廃すと云ふ。
二月中末候「雷乃発声」、三月節末候「虹始見」などの候を日に配したところで、その日に雷が鳴るわけでもなければ虹が見えるわけでもない。それを暦上において日に配するのはミスリーディングではないのかという話である。かわりに「配月」する。つまり、暦日記事のところではなく、月二回、節気記事のところで、「この気の初め頃は○○の候、中頃は○○の候、終り頃は○○の候」とだけ記した方がよいということだ。

頒暦(仮名暦)ではそもそも七十二候を注さないのだが、明治になって略本暦には七十二候が掲載されており(※)、それにはこの「節気記事のところに記載する」という方式がとられている。

  • (※) なぜか、本暦には掲載されず、略本暦には掲載されている。
明治七年の略本暦。小寒の節気記事に
初候「芹乃栄」次候「水泉動」末候「雉始雊」
の七十二候がまとめて記載され、個々の日には配日されていない。

ただ、「七十二候」の配日法を廃したといっても、雑節としての「半夏生 はんげしゃう」の配日は行わないといけない。これの配日は、基本的にはもとの七十二候の配日法に沿っているわけだが、定気法なので全くそのままというわけでもない。定気法の半夏生配日法については、定気の節気・土用の算出法を説明するところで併せて説明することにする。

七十二候について

七十二候の候名について、頒暦には表示されないこともあって、今まであまり触れてこなかった。ここで少々言及しておく。

節気暦林問答集
貞享暦宝暦暦~
立春初候東風解凍
次候蟄虫始振梅花乃芳黄鶯睍睆
末候魚上氷
雨水初候獺祭魚土脉潤起
次候鴻雁来霞彩碧空霞始靆
末候草木萌動
啓蟄初候桃始華蟄虫啓戸
次候倉庚鳴寒雨間熟桃始笑
末候鷹化為鳩菜虫化蝶
春分初候玄鳥至雀始巣
次候雷乃発声桜始開
末候始電桜始開桃始笑雷乃発声
清明初候桐始華玄鳥至
次候田鼠化為鴽鴻雁北
末候虹始見
穀雨初候萍始生葭始生
次候鳴鳩払其羽牡丹華霜止出苗
末候戴勝降桑霜止出苗牡丹華
立夏初候螻蟈鳴鵑始鳴蛙始鳴
次候蚯蚓出
末候王瓜生竹笋生
小満初候苦菜秀蚕起食桑
次候靡草死紅花栄
末候小暑至麦秋至
芒種初候螳螂生
次候鵙始鳴腐草為蛍
末候反舌無声梅子黄
夏至初候鹿角解乃東枯
次候蝉始鳴分龍雨菖蒲華
末候半夏生
小暑初候温風始至温風至
次候蟋蟀居壁蓮始開
末候鷹乃学習
大暑初候腐草化為蛍桐始結花
次候土潤溽暑
末候大雨時行
立秋初候涼風至
次候白露降山沢浮雲寒蝉鳴
末候寒蝉鳴霧色已成蒙霧升降
処暑初候鷹乃祭鳥寒蝉鳴綿柎開
次候天地始粛
末候禾乃登
白露初候鴻雁来草露白
次候玄鳥帰鶺鴒鳴
末候群鳥養羞玄鳥去
秋分初候雷乃収声鴻雁来雷乃収声
次候蟄虫坏戸
末候水始涸
寒露初候鴻雁来賓棗栗零鴻雁来
次候雀入大水為蛤蟋蟀在戸菊花開
末候菊有黄華菊花開蟋蟀在戸
霜降初候豺乃祭獣霜始降
次候草木黄落蔦楓紅葉霎時施
末候蟄虫咸俯鶯雛鳴楓蔦黄
立冬初候水始氷山茶始開
次候地始凍
末候雉入大水為蜃霎乃降金盞香
小雪初候虹蔵不見
次候天気上騰地気下降樹葉咸落朔風払葉
末候閉塞而成冬橘始黄
大雪初候鶡旦不鳴閉塞成冬
次候武始交熊蟄穴
末候茘挺出水仙開鱖魚群
冬至初候蚯蚓結乃東生
次候麋角解
末候水泉動雪下出麦
小寒初候雁北郷芹乃栄
次候鵲始巣風気乃行水泉動
末候雉始雊
大寒初候鶏乳款冬華
次候征鳥厲疾水沢腹堅
末候水沢腹堅鶏始乳

貞享暦以前の七十二候は「暦林問答集」の記載によった。正直、中国においても諸説紛々であって、確定した七十二候の候名というのがあるわけでもない。

貞享暦において、日本と中国の気候の差違にも留意しつつ、相当量の候名の改定を行っている。また、宝暦暦でもさらに改定している。それ以降、寛政暦・天保暦・明治期の略本暦に至るまで、宝暦暦の候名を踏襲している(※1)。現在、「七十二候」を掲載している市販のカレンダー等でも、宝暦暦の候名によっているケースが多いようである(※2)。

  • (※1) 文字表記の揺れ(「花」と「華」等)は無視。
  • (※2) 「七十二候は、配月すべし。配日すべからず」という、天保暦、および、明治の略本暦の方針は、現在の市販のカレンダー等には必ずしも踏襲されていないようである。


時刻表示(辰刻)

新法暦書巻一 [推日躔用数]
辰法八百三十三分三十三秒
半辰法四百十六分六十七秒
刻法一百分
[推日躔法]
求辰刻「置所求距子正後分数、以辰法除之(止一位)、加一、得辰数(如除数満半辰法去之、辰数外再加一辰)。余数以刻法収之、為刻分。辰数自初辰子正起算(如満半辰法去之、則自初辰子初起算)、得辰刻」
求むるところの距子正後分数を置き、辰法を以ってこれを除し(一位に止む)、一を加へ、辰数を得(もし除数、半辰法を満たすはこれを去き、辰数、外に再び一辰を加ふ)。余数、刻法を以ってこれを収め、刻分と為す。辰数、初辰子正より起算し(もし半辰法を満たしこれを去くは、則ち初辰子初より起算し)、辰刻を得。

辰刻の計算方法が記載されているが、例によって二十四時制の辰刻表示の計算方法である。そして、天保暦の頒暦において使用されるのは、二十四時制の辰刻表示でもなければ十二時制の辰刻表示でもなく、不定時法の時分表示である。不定時法の時分表示の計算については、晨昏分などの計算方法を見たところで別途説明する。

平行

太陽毎日平行九十八分五十六秒四十七微二十四繊零五忽
最高毎歳平行一分八十一秒九十四微四十四繊四十四忽
最高毎日平行四十九微八十一繊四十七忽
最高応六宮一十零度三十零分七十六秒九十四微
求年根「以周日為一率、太陽毎日平行為ニ率、以天正冬至分(不用日)与周日相減為三率、求得四率為年根」
周日を以って一率と為し、太陽毎日平行、ニ率と為し、天正冬至分(日を用ゐず)を以って周日と相減じ、三率と為し、求めて得る四率、年根と為す。
求最高年根「以積年与最高毎歳平行相乗、為積年之行。加最高応、得最高年根。上考往古、則置最高応、減積年行(不足減者、加十二宮減之)、得最高年根」
積年を以って最高毎歳平行と相乗じ、積年の行と為す。最高応を加へ、最高年根を得。上って往古を考ふるは、則ち最高応を置き、積年行を減じ(減に足らざるは、十二宮を加へこれを減ず)、最高年根を得。
求日数「自天正冬至次日距所求本日共若干日、為日数(即距根日数)。」
天正冬至次日より求むるところの本日を距つる共せて若干日、日数と為す(即ち距根日数)。
求平行「以所求日数与太陽毎日平行相乗、得数以宮法収之、与年根相加、得平行」
求むるところの日数を以って太陽毎日平行と相乗じ、得る数、宮法を以ってこれを収め、年根と相加へ、平行を得。
求最高平行「以所求日数与最高毎日平行相乗、得数与最高年根相加、得最高平行」
求むるところの日数を以って最高毎日平行と相乗じ、得る数、最高年根と相加へ、最高平行を得。
\[ \begin{align}
\text{太陽毎日平行} &= 0°.9856472405 &(= 360° / \text{周歳}) \\
\text{最高毎歳平行} &= 0°.0181944444 \\
\text{最高毎日平行} &= 0°.0000498147 &(= \text{最高毎歳平行} / \text{周歳}) \\
\text{最高応} &= 190°.307694 \\
\text{年根} &= (1_\text{日} - \text{小数部}(\text{天正冬至})) \times \text{太陽毎日平行} \\
\text{最高年根} &= \text{積年} \times \text{最高毎歳平行} + \text{最高応} \\
\text{日数} &= \text{本日} - \text{天正冬至次日} \\
\text{平行} &= \text{日数} \times \text{太陽毎日平行} + \text{年根} \\
\text{最高平行} &= \text{日数} \times \text{最高毎日平行} + \text{最高年根}
\end{align} \]

太陽黄経と太陽遠点黄経の天正冬至次日0:00時点の平均黄経(年根)を求め、日数×毎日平行を加えて、求めたい時点の平均黄経を算出する。寛政暦での計算と特に変わるところはなく、難しいところは特にないだろう。

ただし、寛政暦では最卑(近点)で計算していたが、天保暦では最高(遠点)によっている。180° 真反対の方向になっただけのことで特段どうこうという話はない。寛政暦では太陽は最卑(近点)、月・五星は最高(遠点)ということで不統一だったが、天保暦では最高(遠点)にすべて統一された。「最高応六宮一十零度…」とある。「宮」は 30° を意味する角度単位なので、「6 宮 10 度」とあれば、それは 190° の意味である。

初均(中心差)

寛政暦においては、太陽の均数は中心差(つまり近点付近の角速度が最も速く、遠点付近の角速度が最も遅いことによる不等)のみであった。天保暦では、初均(中心差)のほかに、一均(章動)、二均(木星の重力による摂動)、三均(金星の重力による摂動)、四均(月の重力による摂動)を加味している。
とはいえ、もちろん、各均数のなかで、初均(中心差)が桁違いに大きい。初均以外で最も大きいのは一均(章動)だが、最大振幅は \(16^{\prime\prime}.8\) ほど。節気の時刻に換算して、6~7分程度。初均の最大振幅は 1°.92 ほどで、節気の時刻にして 2日近くであるから、まさに桁違いである。

ここでは、まず、初均(中心差)について

[新法暦書巻一 推日躔用数]
初均最大一差一度九十二分五十三秒一十四微
初均最大二差二分零二秒二十二微
初均最大三差二秒八十六微
両心差一十六萬八千零二十零小余七
[新法暦書巻一 推日躔法]
求引数「置平行、減最高平行(不足減者、加十二宮減之)、得引数。倍之(満十二宮去之)、為倍引数。三之(満十二宮去之)、為三倍引数」
平行を置き、最高平行を減じ(減に足らざれば、十二宮を加へこれを減ず)、引数を得。これを倍し(満十二宮これを去く)、倍引数と為す。これを三し(満十二宮これを去く)、三倍引数と為す。
求初均一差「以半径為一率、引数之正弦為二率、初均最大一差為三率、求得四率、為初均一差。引数、初宮至五宮為減、六宮至十一宮為加」
半径を以って一率と為し、引数の正弦、二率と為し、初均最大一差、三率と為し、求めて得る四率、初均一差と為す。引数、初宮より五宮に至るは減と為し、六宮より十一宮に至るは加と為す。
求初均二差「以半径為一率、倍引数之正弦為二率、初均最大二差為三率、求得四率、為初均二差。倍引数、初宮至五宮為加、六宮至十一宮為減」
半径を以って一率と為し、倍引数の正弦、二率と為し、初均最大二差、三率と為し、求めて得る四率、初均二差と為す。倍引数、初宮より五宮に至るは加と為し、六宮より十一宮に至るは減と為す。
求初均三差「以半径為一率、三倍引数之正弦為二率、初均最大三差為三率、求得四率、為初均三差。三倍引数、初宮至五宮為減、六宮至十一宮為加」
半径を以って一率と為し、三倍引数の正弦、二率と為し、初均最大三差、三率と為し、求めて得る四率、初均三差と為す。三倍引数、初宮より五宮に至るは減と為し、六宮より十一宮に至るは加と為す。
求初均「以初均一差二差三差、各同加異減、得初均。加数大為加、減数大為減」
初均一差・二差・三差を以って、各おの、同じきは加へ異なるは減じ、初均を得。加数大は加と為し、減数大は減と為す。
\[ \begin{align}
\text{両心差} e_s &= 0.01680207 \\
\text{引数} &= \text{平行} - \text{最高平行} \\
\text{初均一差} &= -1°.925314 \sin(\text{引数}) \\
\text{初均二差} &= +0°.020222 \sin(2 \times \text{引数}) \\
\text{初均三差} &= -0°.000286 \sin(3 \times \text{引数}) \\
\text{初均} &= \text{初均一差} + \text{初均二差} + \text{初均三差}
\end{align} \]

寛政暦の暦算においては、ケプラー方程式の(近似)解を、幾何学的計算でがりがり計算して中心差を求めていたのだが、天保暦においては、フーリエ級数展開したもので計算しており、より精度の高い値を、簡単ですっきりした計算で求められるようになっている。

以下は、平均近点角 \(M\) から真近点角 \(\nu\) を求める展開式を、「Wikipedia: 真近点角」から頂いてきたものだが(式中の角度はラジアン単位)、
\[ \begin{align}
\nu =& M \\
& + 2e \sin M \\
& + {5 \over 4} e^2 \sin 2M \\
& + e^3 \left( {13 \over 12} \sin 3M - {1 \over 4} \sin M \right) \\
& + e^4 \left( {103 \over 96} \sin 4M - {11 \over 24} \sin 2M \right) \\
& + e^5 \left( {1097 \over 960} \sin 5M - {43 \over 64} \sin 3M + {5 \over 96} \sin M \right) \\
& + e^6 \left( {1223 \over 960} \sin 6M - {451 \over 480} \sin 4M + {11 \over 24} \sin 2M \right) \\
& + \cdots
\end{align} \]

これに従い、天保暦における太陽の(本当は地球の)離心率 \(e_s = 0.01680207\) を当てはめると、
\(\nu = M + 1°.925307 \sin M + 0°.020217 \sin 2M + 0°.000294 \sin 3M + 0°.000005 \sin 4M + \cdots\)
となる。これは、\(\nu, M\) を近点離角とする場合の式だが、遠点離角とすれば、\(\sin M, \sin 3M, \cdots\) の符号が反転し、
\(\nu = M - 1°.925307 \sin M + 0°.020217 \sin 2M - 0°.000294 \sin 3M + 0°.000005 \sin 4M + \cdots\)
となる。天保暦の、
\(\nu = M - 1°.925314 \sin M + 0°.020222 \sin 2M - 0°.000286 \sin 3M\) (※)
と、ぴったりは合わないにせよ、大体合っていることがわかる。

  • (※) 初均一差・三差の計算においては、「[引数 / 三倍引数]、初宮より五宮に至るは減と為し、六宮より十一宮に至るは加と為す」、つまり、第1・第2象限ではマイナス、第3・第4象限ではプラスということだから、\(-\sin M, -\sin 3M\) に従う。一方、初均二差では、「倍引数、初宮より五宮に至るは加と為し、六宮より十一宮に至るは減と為す」、つまり、第1・第2象限ではプラス、第3・第4象限ではマイナスということだから、\(+ \sin 2M\) に従う。

下記のグラフは、天保暦における太陽の(本当は地球の)離心率 \(e_s = 0.01680207\) について、寛政暦の日躔で行われたような中心差計算を行う場合と、天保暦の式との精度の差を比較したものである。
ケプラー方程式において、平均近点角から離心近点角への変換は近似的・漸近的にしか行えないが、逆の変換は厳密に行える(離心近点角と真近点角との間の変換は双方向に厳密に変換できる)ことを利用し、寛政暦・天保暦の暦法で計算した真近点角をケプラー方程式によって平均近点角に戻し、それがもとの値とどの程度ずれるかで精度を測っている。
比較のため、ケプラー方程式の漸化式
\[ \begin{align}
E_0 &= M \\
E_{i + 1} &= M + e \sin E_i \\
\end{align} \]
の \(E_2, E_3\) の精度とも比較する。グラフの縦軸の単位は、六十進角度秒(″)である。

天保暦(橙色)の計算精度は、寛政暦(青色)の計算精度よりはるかに高く、\(E_2\) (灰色)を超え、\(E_3\) (黄色)に迫る精度となっていることがわかる。


太陽の実行(真黄経)を求めるためには、さらに、一均(章動)、二均(木星の重力による摂動)、三均(金星の重力による摂動)、四均(月の重力による摂動)を求める必要があるが、今回はここで筆をおく。次回は、一均(章動)と黄赤大距(黄道傾斜角)について。

[江戸頒暦の研究 総目次へ]

[参考文献]

渋川 景祐; 足立 信頭「新法暦書」 国立公文書館デジタルアーカイブ蔵

渋川 景祐; 足立 信行「新法暦書続編」 国立公文書館デジタルアーカイブ蔵

中村 璋八 (1978)「暦林問答集本文とその校訂」, 駒澤大學外国語部研究紀要 7, pp.1-48 https://ci.nii.ac.jp/naid/110006993131/


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