2020年12月20日日曜日

貞享暦の日食法 (1)

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前回は貞享暦の月食法の説明を行った。今回からは、貞享暦の日食法の説明を行っていくことになる。

日食は、月食よりも予測計算方法が複雑だ。なぜかというと、地球と月と太陽の位置関係だけでなく、観測者の位置も重要になってくるからである。

月食は、地球の影が月に落ちる現象である。一方、日食は、月の影が地球に落ちる現象である。月食が発生し、月に地球の影が落ちているとき、月が地平線より上にあって見えてさえいれば、地球上どこにいても地球の影が落ちている状態の月を観測することができる。

一方、日食が発生し、地球に月の影が落ちているとき、地球表面上にいる観測者からは、地球表面に落ちた月の影を見ることが出来ない。地球に月の影が落ちていることがわかるためには、観測者自身がその影のなかにいる必要があるのだ。観測者が影のなかにいない場合、その観測者にとっては日食が起きていることにならない。地球と比べ月は小さいから、月の落とす影も相応に小さい。観測者にとって日食が起きているかどうかを判定するには、その小さい影のなかに観測者がいるかどうか判定しないといけないのだ。そして、影の中心から観測者がどの程度離れているかで食分も異なってくる。 

 

「観測者の地球上の位置によって見え方が異なってくる日食」の見え方を計算するためのひとつの方法は、月の視差を意識することである。月を天頂方向に見る場所にいる人(下図A。月中心と地球中心とを結ぶ線分と地球表面との交点に立っている人)にとって、月が見える方向は、地球中心から月を見る方向と同一方向である。よって視差がない。一方、地平線上にある月を見る人(下図B)だと、最大限の視差(地平視差)がある。

視差を考慮した当該観測者にとっての月の視位置と、太陽の位置とがどの程度離れているかを見ることで、当該観測者がどのような日食を経験するのかを計算することが出来る。 

日食でなくても月食でも、視差により月の視位置がずれるのは変わりがない。が、月食には影響しない (※)。観測者の位置とは無関係に、観測者の位置により変わる視差とは無関係に、月に地球の影が落ちている状態は決まるのであり、視差により月の見える位置は変わるかもしれないが、月に地球の影が落ちている状態が変わるわけではないからである。

  • (※) まったく影響しないかというとそうでもなくて、地平視差により月の出入時刻が変わり、帯食には影響してくる。が、貞享暦はその効果は考慮していない(天保暦は考慮している)。

別の言い方をすれば、「地球影は月と同じだけ視差の影響を受けるので、月と地球影の相対位置は視差によって変わらないから」という表現もできる。太陽と反対方向に延びる地球の影は地球の近くからはるか遠くまでずっと伸びているだろうが、月にかかる影は、月のあたりにある影なのであり、月と地球影は、地球からの距離が等距離。よって、同じだけの視差の影響を受けるのである。日食の場合、月は地球からの距離が近く、大きく視差の影響を受けるのに対し、太陽は地球からの距離が遠いので、視差の影響は微小である。よって、視差によって月と太陽の相対位置が変わる。

貞享暦の日食法は、かなり大雑把な方法ではあるが、視差を考慮しない月の位置と、日本から見たときの視位置とのずれを算出して、日本から見たときの日食を計算している。

今回は、貞享暦において視差を考慮するための補正値である「時差」「南北差」「東西差」の算出までを説明する。

入交汎日、交定度

入交汎日、交定度の算出は、月食法のところで述べたので、そちらを参照されたい。月食では望における入交汎日、交定度を算出するのだが、日食では朔における入交汎日、交定度を算出する。

なお、月食のところでは、暦法上に記載がある「交定度が 13 日度以下の場合は、交終を加算せよ」というのをやっておかなかった。日食の場合は、若干動きがややこしいので、やっておいたほうがよい。以下、交定度は、13 日度以上、交終+13日度未満の値になっていることを想定する。

日食甚定分(日食の食甚日時)

求日食甚定分「視定朔分、在半日周已下、去減半周為午中前、已上、減去半周為午中後。与半周相減相乗、以八千五百而一、為時差。中前以減、中後以加。皆加減定朔分、為食甚定分。以午中前後分、各加時差、為距午定分」
定朔分を視、半日周已下に在るは、半周より去減し、午中前と為し、已上は、半周を減去し、午中後と為す。半周と相減じ相乗じ、八千五百を以って一し、時差と為す。中前、以って減じ、中後、以って加ふ。皆、定朔分を加減し、食甚定分と為す。午中前後分を以って、各おの時差を加へ、距午定分と為す。
\[ \begin{align}
\text{定朔分} &= \text{小数部}(\text{定朔日時}) \\
\text{午中前後分} &= \text{定朔分} - 0.5_\text{日} \\
\text{時差} &= {\text{午中前後分} (0.5_\text{日} - |\text{午中前後分}|) \over 0.85_\text{日}} \\
&= \begin{cases}
\text{午前: }(\text{午中前後分} \lt 0) & \dfrac{\text{午中前後分} (0.5_\text{日} + \text{午中前後分})}{0.85_\text{日}} = \dfrac{(\text{定朔分} - 0.5_\text{日}) \text{定朔分}}{0.85_\text{日}} \\
\text{午後: }(\text{午中前後分} \ge 0) & \dfrac{\text{午中前後分} (0.5_\text{日} - \text{午中前後分})}{0.85_\text{日}} = \dfrac{(\text{定朔分} - 0.5_\text{日}) (1_\text{日} - \text{定朔分})}{0.85_\text{日}}
\end{cases} \\
\text{食甚定分} &= \text{定朔分} + \text{時差} \\
\text{距午定分} &= \text{午中前後分} + \text{時差}
\end{align} \]

「時差」は、日食の食甚時刻を、定朔時刻からずらす。定朔が正午の場合は時差がなく、午前中はマイナス(食甚は定朔より前)、午後はプラス(食甚は定朔より後)の時差となる。

グラフに書いてみるとこんな感じ。

サインカーブっぽいグラフだが、実際は、下に凸な二次曲線と上に凸な二次曲線とを組み合わせたものである。

暦法の文中で「八千五百」としている定数を、私の式では「0.85日」としている。暦法では時間を百進時間分(0.0001日)単位で計算する前提の値となっている。百進時間分単位の時間を掛け合わせたものを「八千五百」で割って、百進時間分単位の時差を得るのだから、「八千五百」の単位は百進時間分。私の式では、時間はすべて日単位とするので、8500分ではなく、0.85日とする。

さて、この「朝は早まり、夕方は遅れ」という時差は一体なにか。

上図は、月が朔にあるときの図であるとする。朝に朔を迎えた人は A の位置にいる。正午に朔を迎えた人は B の位置、夕方に朔を迎えた人は C の位置にいる。

A の位置にいる人にとっては、視差を考慮すると、若干月の黄経が大きめに見える。ということは、朔だと思っていた時刻(視差を考慮しない朔)では、月の視位置の黄経が太陽より進んでいることになり、視差を考慮した朔は、視差を考慮しない朔より少々早い時刻となる。よって、日食の食甚が早まる。

一方、C の位置にいる人にとっては、視差を考慮すると、若干月の黄経が小さめに見える。ということは、朔だと思っていた時刻(視差を考慮しない朔)では、月の視位置の黄経が太陽の黄経に満たないことになり、視差を考慮した朔は、視差を考慮しない朔より少々遅れる。よって、日食の食甚が遅れる。

これが「時差」である。

なお、「午中前後分」「距午定分」は、正午からの時刻差を意味している値であり、貞享暦法が想定しているのはその絶対値であるが、私の式では、「午前はマイナス、午後はプラス」の値となるような式にしておいた。

日食陰陽

正交三百五十八度三十分
中交百八十七度四十一分
求日食陰陽「視交定度、在中交已下為交前陽暦、已上為交後陰暦、在正交已下為交前陰暦、已上為交後陽暦」
交定度を視、中交已下に在るは交前陽暦と為し、已上は交後陰暦と為し、正交已下に在るは交前陰暦と為し、已上は交後陽暦と為す。
\[ \begin{align}
\text{正交} &= 358.30_\text{日度} \\
\text{中交} &= 187.41_\text{日度}
\end{align} \]

月食のときと同様、朔望における月が、正交(降交点)・中交(昇交点)とどの程度離れているかをみて、食の大きさを測ることになるのだが、「正交」「中交」の日度は、月食のときのものとややずれている。月食では、
\[ \begin{align}
\text{交正} &= 363.7934_\text{日度} &(= \text{交終度}) \\
\text{交中} &= 181.8967_\text{日度} &(= \text{交終度} / 2)
\end{align} \]
となっていた。

月食では、\(\text{交正}=\text{交終度}\)、\(\text{交中} = \text{交終度} / 2\) と、降交点・昇交点の位置が対称的であったが、日食の正交は前に 5.5 日度ほど、中交は後ろに 5.5 日度ほどずれていて非対称になっている。これはどういうことか。

中国の大都(授時暦の基準点)や日本の京都(貞享暦の基準点)は、北半球にある。北から南方の月を見ることになり、視差によって月の見える方向は全体的に南にずれる。これにより、みかけの白道(視差を考慮した白道)を南に押し下げる効果が生じる。そうなると、みかけの中交(昇交点)は後ろにずれ、みかけの正交(降交点)は前にずれる。

月食のときと同様、中交・正交と交定度との前後関係によって、陽暦交前・陰暦交後・陰暦交前・陽暦交後の判定をするように書いてあるが、この段階ではまだ、その判定はしなくていい。みかけの中交・正交の位置は、調整値(南北差・東西差)によって再調整がかかるので、再調整が終わってから判定すればよい。
 

日食甚入冬至後定度

巻四 推歩上
歩日躔第三
推経朔弦望入冬夏至後初末限「置半歳周、以閏余日及分秒減之、即得天正経朔入夏至後。以弦策累加之、各得弦望及次朔入冬夏至後日。満半歳周去之、交冬夏其二至後。在象限已下為初限、已上反減半歳周為末限」
半歳周を置き、閏余日及び分秒をもってこれを減じ、即ち、天正経朔の入夏至後を得。弦策をもってこれに累加し、各おの、弦望及び次朔入冬夏至後日を得。満半歳周これを去き、冬夏其二至を交ふる後。象限已下に在らば初限と為し、已上は半歳周を反減して末限と為す。
\[ \begin{align}
\text{天正経朔入夏至後} &= \text{半歳周} - \text{閏余} \\
\text{天正経朔入冬至後} &= \text{歳周} - \text{閏余} \\
\text{経朔弦望入冬至後} &= (\text{天正経朔入冬至後} + n \times \text{弦策}) \mod \text{歳周} \\
&= \text{経朔弦望日時} - \text{天正冬至日時}
\end{align} \]

中交・正交の調整値である「南北差」「東西差」を計算するにあたり、太陽の真黄経に相当する角度量である「入冬至後定度」を算出する。 日食甚時点の入冬至後定度を算出する前に、日食甚時点の太陽の平均黄経に相当する角度量である「入冬至後」を算出する。

そして、その日食甚の入冬至後の計算をする前に、経朔弦望の入冬至後の計算をしておく。これは、貞享暦書巻五の交食のところではなく、巻四の月離のところに書いてあるもの。以前、日出分算出の説明の箇所で引用したことがある。

「入冬至後」とは、簡単に言えば、とある日時(経朔弦望の日時とか)は、直前の冬至の何日後か、という値である。正確に言えば、「入冬夏至後」として、直前の冬至または夏至の何日後かという値を求める式となっているのだが、夏至過ぎの日時におけるものであっても、「直前の冬至の何日後か」で計算しておいた方が扱いやすいと思われるので、私の式ではそうしておく。
「直前の冬至の何日後か」の値は、寛政暦・天保暦等の近代的な暦における太陽の平均黄経(冬至起点)に相当する値として用いることが出来るからである。「何日後か」という時間量のようだが、太陽の平均黄経は、1日に1日度進むから、日度単位で測った平均黄経の角度量であると見ることもできるわけである。

求日食甚入冬夏後暦及定度「置経朔入冬夏至後日及分、以食甚日及定分加之、以経朔日及分減之、即為食甚入冬夏至後暦。依日躔術、求盈縮差、盈加縮減之、為食甚入冬夏至後定度」
経朔入冬夏至後日及び分を置き、食甚日及び定分を以ってこれに加へ、経朔日及び分を以ってこれより減じ、即ち食甚入冬夏至後暦と為す。日躔術に依り、盈縮差を求め、これを盈は加へ縮は減じ、食甚入冬夏至後定度と為す。
\[ \begin{align}
\text{食甚入冬至後暦} &= \text{経朔入冬至後日分} + \text{食甚日時} - \text{経朔日時} \\
\text{食甚入冬至後定度} &= \text{食甚入冬至後暦}  + \text{日行盈縮}(@\text{食甚日時}) \\
\end{align} \]
そして、日食の計算に戻ろう。経朔の入冬至後に、食甚と経朔の時間差を加えて、「経朔は直前冬至の何日後か」の値を、「食甚は直前冬至の何日後か」の値、すなわち、食甚日時における太陽の平均黄経(日度単位)を求める。これが「食甚入冬至後暦」。

さらに、食甚日時における日躔を算出して、日行盈縮を求める。定朔弦望日時を求めるために、経朔弦望日時における日躔は計算したはずだが、食甚日時における日躔を算出するのである。日行盈縮は太陽の平均黄経と真黄経の経度差であるから、食甚入冬至後暦に日行盈縮を加えることによって、「食甚日時における太陽の真黄経(日度単位)」を求めることが出来る。これが食甚入冬至後定度である。

南北差

求南北差「視日食甚入冬夏後定度、在象限已下為初限、已上用減半歳周為末限。以初末限度自相乗、以一千八百七十而一、為度、不満退除為分秒、用減四度四十六分、余為南北汎差。以距午定分乗之、以其日半昼分除之、所得、以減汎差、為定差(汎差、不及減者、反減之、為定差。応加者減、応減者加)。
在冬至後初限、夏至後末限交前(陰暦為減、陽暦為加)、交後(陰暦為加、陽暦為減)
在夏至後初限、冬至後末限交前(陰暦為加、陽暦為減)、交後(陰暦為減、陽暦為加)」
日食甚入冬夏後定度を視、象限已下に在るは初限と為し、已上は用ゐて半歳周より減じ末限と為す。初末限度を以って自相乗し、一千八百七十を以って一し、度と為し、不満退除して分秒と為し、用ゐて四度四十六分より減じ、余り南北汎差と為す。距午定分を以ってこれに乗じ、其日の半昼分を以ってこれを除し、得るところ、以って汎差より減じ、定差と為す(汎差、減に及ばざれば、反じてこれを減じ、定差と為す。応に加ふべきは減じ、応に減ずべきは加ふ)。
冬至後初限、夏至後末限に在るは、交前(陰暦は減と為し、陽暦は加と為す)、交後(陰暦は加と為し、陽暦は減と為す)
夏至後初限、冬至後末限に在るは、交前(陰暦は加と為し、陽暦は減と為す)、交後(陰暦は減と為し、陽暦は加と為す)。

\[ \begin{align}
&\theta = \text{日食甚入冬至後定度} \,\text{ と置く} \\
\text{南北汎差} &= \begin{cases}
0 \leqq \theta \lt \text{象限} & \text{[冬至後]} & \cdots 4.46 - \dfrac{\theta^2}{1870} \\
\text{象限} \leqq \theta \lt \text{半歳周} + \text{象限} & \text{[夏至前後]} & \cdots \dfrac{(\theta - \text{半歳周})^2}{1870} - 4.46 \\
\text{半歳周} + \text{象限} \leqq \theta \lt \text{歳周} & \text{[冬至前]} & \cdots 4.46 - \dfrac{(\theta - \text{歳周})^2}{1870}
\end{cases} \\
(\text{半昼分} &= 0.5_\text{日} - \text{日出分}) \\
\text{南北差の掛目} &= 1 - {|\text{距午定分}| \over \text{半昼分}} \\
\text{南北定差} &= \text{南北汎差} \times \text{南北差の掛目}
\end{align} \]

日本や中国などが北半球の中緯度地域にあることから、月を南に見ることによってみかけの白道が南にずれ、それが中交・正交の値に織り込まれているのだった。

しかし、それは平均的なずれを織り込んでいるのであって、季節によって、時刻によって、観測地点がどの程度北にあるのかは異なってくる。

上図は、冬至・夏至時点の地球を太陽から見たものである。点線は日本のような北半球中緯度地点の平均的な位置。冬至の正午はさらに北にずれ、夏至の正午は平均よりは南にずれる。冬至も夏至も、日出入のあたりでは平均的な位置から北にも南にもずれない。

「南北汎差」は、「冬至の正午は北に、夏至の正午は南に」のずれの量を表すものである。冬至のとき最大 4.46 日度、春秋分のときゼロ、夏至のとき最小 マイナス4.46日度になるような値として計算される。

さらに、南北定差を求めるが、

「距午定分を以ってこれに乗じ、其日の半昼分を以ってこれを除し、得るところ、以って汎差より減じ、定差と為す」

 を文字通り実装するなら、
\[ \text{南北定差} = \text{南北汎差} - {\text{南北汎差} \times |\text{距午定分}| \over \text{半昼分}} \]
ということになるが、
\[ \begin{align}
\text{南北差の掛目} &= 1 - {|\text{距午定分}| \over \text{半昼分}} \\
\text{南北定差} &= \text{南北汎差} \times \text{南北差の掛目}
\end{align} \]
にリライトしておいた。「南北差の掛目」は、正午に最大値 1 となり、日出入にゼロとなる。「南北汎差」に「南北差の掛目」を掛け合わせて、冬至正午に最大、夏至正午に最小マイナス、冬至でも夏至でも日出入においてはゼロ、という南北定差が算出される。 

プラスの値として算出すべきか、マイナスの値として算出すべきかの記載が若干複雑なので、説明しておく。

冬至後初限、夏至後末限に在るは、交前(陰暦は減と為し、陽暦は加と為す)、交後(陰暦は加と為し、陽暦は減と為す)
夏至後初限、冬至後末限に在るは、交前(陰暦は加と為し、陽暦は減と為す)、交後(陰暦は減と為し、陽暦は加と為す)。

と記載されている。これは、

  • 冬至の前後(夏至後末限・冬至後初限)では、
    中交前後(陽暦交前・陰暦交後)は加、正交前後(陰暦交前・陽暦交後)は減。
    つまり、中交・正交のずれを拡大させる(中交をより後ろに、正交をより前に)
    → このブログの式ではプラスと定義。
  • 夏至の前後(冬至後末限・夏至後初限)では、
    中交前後(陽暦交前・陰暦交後)は減、正交前後(陰暦交前・陽暦交後)は加。
    つまり、中交・正交のずれを縮小させる(中交を前に、正交を後ろに)
    → このブログの式ではマイナスと定義。

と読み取ることができる。

式に「象限」が出てくる。我々が言うところの 90° であるが、周天 (365.256696 日度)= 360° の 1/4、つまり、91.314174日度である。が、ここでの意味合いでは、歳周(365.241696日)の 1/4、91.310424日の方が意味が通っている気がする。……が、計算結果の大勢に影響はないだろう。

東西差

求東西差「視日食甚入冬夏後定度、与半歳周相減相乗、如一千八百七十而一、為度、不満退除為分秒、為東西汎差。以距午定分乗之、以日周四分之一(二千五百)而一、為定差(若在汎差已上者、倍汎差、減之、余為定差)
在冬至後午前、夏至後午後交前(陰暦為減、陽暦為加)、交後(陰暦為加、陽暦為減)
在夏至後午前、冬至後午後交前(陰暦為加、陽暦為減)、交後(陰暦為減、陽暦為加)」
日食甚入冬夏後定度を視、半歳周と相減じ相乗じ、一千八百七十の如くして一し、度と為し、不満退除して分秒と為し、東西汎差と為す。距午定分を以ってこれに乗じ、日周四分之一(二千五百)を以って一し、定差と為す(もし汎差已上に在れば、汎差を倍し、これを減じ、余、定差と為す)。
冬至後午前、夏至後午後に在るは、交前(陰暦は減と為し、陽暦は加と為す)、交後(陰暦は加と為し、陽暦は減と為す)
夏至後午前、冬至後午後に在るは、交前(陰暦は加と為し、陽暦は減と為す)、交後(陰暦は減と為し、陽暦は加と為す)

\[ \begin{align}
\text{東西汎差} &= \begin{cases}
0 \leqq \theta \lt \text{半歳周} & \text{[春分前後]} & \cdots \dfrac{\theta (\theta - \text{半歳周})}{1870} \\
\text{半歳周} \leqq \theta \lt \text{歳周} & \text{[秋分前後]} & \cdots \dfrac{(\theta - \text{半歳周})(\text{歳周} - \theta)}{1870}
\end{cases} \\
\text{東西差の掛目} &= \begin{cases}
-0.5_\text{日} \leqq \text{距午定分} \lt -0.25_\text{日} & \text{[正卯 06:00 前]} & -2 - \dfrac{\text{距午定分}} {0.25_\text{日}} \\
-0.25_\text{日} \leqq \text{距午定分} \lt 0.25_\text{日} & \text{[正午 12:00 前後]} & \dfrac{\text{距午定分}} {0.25_\text{日}} \\
0.25_\text{日} \leqq \text{距午定分} \lt 0.5_\text{日} & \text{[正酉 18:00 後]} & 2 - \dfrac{\text{距午定分}} {0.25_\text{日}}
\end{cases} \\
\text{東西定差} &= \text{東西汎差} \times \text{東西差の掛目}
\end{align} \]

上図は、春分・秋分時点の地球を太陽から見たものだ。
春分では、観測者は、日出時に平均的位置よりも北にずれ、日入時に平均的位置よりも南にずれる。
反対に秋分では、観測者は、日出時に平均的位置よりも南にずれ、日入時に平均的位置よりも北にずれる。

南北差が正子(0:00)と正午(12:00)の方向で観測者が北に寄ったり南に寄ったりを計算するものであるのに対し、東西差は正卯(6:00)と正酉(18:00)の方向で観測者が北に寄ったり南に寄ったりを計算するものである。

計算結果のプラスマイナスの記載が、南北差同様にややこしいので整理しておく。

冬至後午前、夏至後午後に在るは、交前(陰暦は減と為し、陽暦は加と為す)、交後(陰暦は加と為し、陽暦は減と為す)
夏至後午前、冬至後午後に在るは、交前(陰暦は加と為し、陽暦は減と為す)、交後(陰暦は減と為し、陽暦は加と為す)
つまり、

  • 春分前後(冬至後)の午前、秋分前後(夏至後)の午後では、
    中交前後(陽暦交前・陰暦交後)は加、正交前後(陰暦交前・陽暦交後)は減。
    つまり、中交・正交のずれを拡大させる(中交をより後ろに、正交をより前に)
    → このブログの式ではプラスと定義。
  • 春分前後(冬至後)の午後、秋分前後(夏至後)の午前では、
    中交前後(陽暦交前・陰暦交後)は減、正交前後(陰暦交前・陽暦交後)は加。
    つまり、中交・正交のずれを縮小させる(中交を前に、正交を後ろに)
    → このブログの式ではマイナスと定義。 

また、南北差のときと同様、季節から計算される「東西汎差」と、時刻から計算される「東西差の掛目」とに整理し、「東西定差」は両者を掛け合わせたものとする。
暦法においては掛け合わせた結果(東西定差)のプラスマイナス(加か減か)を記載してあるわけだが、私の式では、「東西汎差」は春分付近でマイナス・秋分付近でプラスになるように、東西差の掛目は午前はマイナス・午後はプラスになるように定義した。

南北差では、距午定分を半昼分で割っており、日出入時に南北差掛目がゼロになるようにしているのに対し、東西差では、距午定分を日周四分の一(0.25日。6時間)で割っていて、正卯(6:00)・正酉(18:00)に東西差掛目が -1, 1 になるような計算としている。かたや不定時法、かたや定時法という感じで不統一な感じがする。東西差は春秋分で最大振幅になる量であり、そのとき半昼分は 0.25日になるはずだから、ということであろうか。ただ、幾何学的な意味合いから考えると、南北差も東西差も 0.25日で割るのが正しい気がする。

ちなみに、南北汎差・東西汎差・南北差掛目・東西差掛目のグラフを描いてみると、下記のような感じである(南北差掛目では半昼分 = 0.25日としてグラフを描いた)。



以上、貞享暦で月の視差を考慮するための補正値「時差」「南北差」「東西差」を算出した。「時差」はヨコ方向(経度方向)のずれであり、日食の時刻に影響する。一方、「南北差」「東西差」はタテ方向(緯度方向)のずれであり、日食の深さ(食分)に影響する。

余談。
実のところ、貞享暦の日食法を初見で見たとき「南北差」「東西差」の意味合いに少々混乱しました。だって「南北差」「東西差」のネーミングから想像すると、「南北差はタテ(緯度)方向、東西差はヨコ(経度)方向」の意味だと思っちゃいませんか? でも、計算式からするとそういう意味には思えないし……。そして、貞享暦の日食法を読み解く前に、先に寛政暦の日食法のほうを片付けていた (※) のも混乱に拍車を。寛政暦では「東西差は経度方向のずれ、南北差は緯度方向のずれ」の意味で使ってるんですよ。 

  • (※) 貞享暦・宝暦暦に比べて、寛政暦・天保暦の計算は複雑ではあるけれど、近代天文学の発想で理解できるため、わかりやすいっちゃわかりやすいので、先にやりました。

次回は、南北差・東西差についてもう少し言及した後、頒暦の日食記事表示に必要な諸情報(食分、初虧/食甚/復末時刻、方向角、帯食の食分)の計算を行う。

 

[江戸頒暦の研究 総目次へ]

[参考文献]

渋川春海, 土御門泰福(校閲)「貞享暦」, 国立公文書館デジタルアーカイブ蔵

西村遠里「貞享解」, 国立天文台三鷹図書館蔵デジタル化資料

西村遠里「授時解」, 国立天文台三鷹図書館蔵デジタル化資料

 

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