2016年9月10日土曜日

動詞からのシク活用形容詞派生について

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四段B型・二段型自動詞他動詞派生のオ変格、未然形のオ変格について以前論じたことを整理し、未然形派生・自動詞他動詞派生(四段B型・二段型)の基本形を示すと以下のとおりになる。

表1: 動詞派生形式の基本形
活用種類陽母音語幹陰母音語幹
四段活用-a (ウ段・唇音が続く等、特定の環境では -ô: 甲類オ変格) -o
下二段活用*-aa > -a *-oo > -o
上二段活用*-ua > (高さ調整)*-uô > (逆行同化)*-ôô
> (中高母音の高化)*-uu > -u
*-oo > -o

すなわち、四段は陽母音語幹 -a / 陰母音語幹 -o、下二段は本来は -aa/-oo だが短母音化し -a / -o、上二段は -uu/-oo が短母音化し -u / -o。
  • なお、現在の下二段・上二段の未然形はこうはなっていない。連用形と同形になっている。
    が、本編の動詞活用形起源の仮説において述べたように、それは二次的にそうなったのであって、本来は未然形も上記の形態だったと考えている。

概ね、上記と同様の形式になっているように見える動詞からのシク活用形容詞派生について考察したい。



表2: 動詞/シク活用形容詞
活用種類陽母音語幹陰母音語幹
四段活用(-a) 浅み/浅ましく, いたぶり/いたぶらしく, 疑ひ/疑はしく, 羨み/羨ましく, 潤ひ/麗しく, 係らひ/係らはしく, 奸(かた)み/奸ましく, 懐き/懐かしく, 涙ぐみ/涙ぐましく, 悩み/悩ましく, 願ひ/願はしく, 紛らひ/紛らはしく, 睦み/睦ましく, 笑み/笑ましく, 笑まひ/笑まはしく
(-ô) 狂ひ/狂ほしく, 緩ひ/緩ほしく
(-u) 斎(いつ)き/厳くしく, 息衝き/息衝かしく;息衝くしく
(-o) 憤り/憤ろしく, 思ひ/思ほしく, 頼み/頼もしく, 喜び/喜ぼしく
(-o ~ -a) 厭ひ/厭ほしく;厭はしく, 寄り/寄ろしく;寄らしく
下二段活用(-a) 湛(たた)へ/湛はしく, 疲れ/疲らしく, 痩せ/痩さしく
(-a ~ 特殊)  愛で/愛だしく;珍しく
(-o) 尋(と)め/乏しく
上二段活用(-u) 和(な)ぎ/和ぐしく
(-ï) 寂び/寂びしく, 侘び/侘びしく
(-ï ~ -u, -o) 恋ひ/恋ひしく;恋ふしく;恋ほしく
(-a) 悔い/悔やしく, 奇(く)しび/奇すばしく
(-e) 恨み/恨めしく
(特殊) 恥ぢ/恥づかしく
(-o) 老い/老よしく
下線が規則的パターン。
(このブログでは、「終止形だと四段/下二段の区別がつかない」という理由で、原則として動詞は連用形表示している(連用形が動詞の基本形だと思っているという理由もあるけれども)が、形容詞も、ク活用とシク活用の区別をつける観点で、原則、連用形表示することにする)

上代に存在した形容詞は、陰母音語幹動詞について乙類オ段がつく形式 -osi 形式をかなりよく残している。陰母音語幹動詞の未然形や四段B型・二段型の自動詞他動詞派生において、-o は一部の動詞で痕跡的に残るのみだったが、シク活用形容詞派生においては、かなり元の姿を残しているようだ。ただし、「厭ほしく~厭はしく」「寄ろしく~寄らしく」で揺れているものもある。
(なお、中古以降に派生した場合、「喜ばしく」等、陰母音語幹でも -asi 形式になっていることが多い)

冒頭(表1)に記載の基本形に沿っていないものを挙げていくと、
  1. 上二段で「恋ひ/恋ひしく」「寂び/寂びしく」「侘び/侘びしく」のように、連用形接続風になっているもの。「恋ほしく」のように -osi になるものもある。
  2. 「悔い/悔やしく」 「恨み/恨めしく」のような上二段のイレギュラー
  3. 「斎き/厳くしく」「息衝(いきづ)き/息衝くしく(ただし、東国方言)」
  4. 特殊形: 「愛で/珍し」「恥ぢ/恥づかし」

1. 連用形接続風になっているもの


これは、二段動詞の未然形 (ex. 恋ひず kôpï-zu) が連用形同形となっているのと同じ理由だろう。
「恋ひ kôpï」は陽母音語幹の上二段だから、「恋ふしく kôpusiku」(「和ぐしく」等の形式) が本来あるべきシク活用形容詞の語形だ。それが「恋ひしく kôpïsiku」と、連用形接続風になっている。

本編の動詞活用形起源のところで述べたように、二段動詞の未然形は上記の表のとおり、本来は自動詞他動詞派生同様、語幹に -a (陰母音語幹は -o) がついた形式だったのだが、連用形を未然形に代用するようになったと考える。


表3: 動詞派生形式での連用形代用状況
活用種類派生語尾連用形語尾未然形形容詞派生自他動詞派生
四段活用-a/-o-i×××
下二段活用-a/-o
(尊敬スを除く)
××
上二段活用-u/-o
(一部)
×
上一段活用-e-i
(尊敬スを除く)
-
(実例なし?)
-
(もともと連用形同形)

  • 自他動詞派生: 元の派生形態を残している
  • 未然形: 尊敬ス(ex. 寝(ね)/寝(な)し、着/着(け)し)を除き連用形代用が完了している
の間の中間形態として、
  • 形容詞派生: 上二段のみ連用形代用が発生しているが下二段では元の派生形態を残している
があるわけである。
「進化のミッシングリンク」という訳ではないけれども、「下二段では自動詞他動詞派生と同形態。上二段では連用形同形」という派生形態を持つ形容詞派生形式の存在は、連用形代用が発生する前は、未然形も自動詞他動詞派生と同形態であったことの傍証となるだろう。

未然形で連用形代用が発生した理由としては、
① 下二段は、下二段・四段の未然形 (-a/-o, -aa/-oo) が長母音の短母音化 (-a/-o, -a/-o)によって区別が出来なくなったことを嫌って、
② 上二段は、陽母音語幹では -u, 陰母音語幹では -o の未然形になるところ、未然形以外の活用形では両者の差がないので、未然形がどちらの形態になるべきなのかの記憶が面倒になったため、
と説明していた。

シク活用形容詞派生では、上二段のみ連用形代用が発生しているようである。この理由はなんだろう。

二段動詞・一段動詞の未然形の連用形代用化は、四段活用・下二段活用の未然形(特に、焼き/焼け等の四段A型の自動詞他動詞派生をする動詞)の区別をつけることを主たる動機として始まり、上二段・上一段はどちらかというと下二段に巻き込まれたのだと思っていたのだが、上二段の方がより徹底して連用形代用化している。

所属語の少ない上二段の派生形式を記憶しておく手間はかけられなかったため、「連用形の代用」という文法の簡素化が進みやすかったということか。
陰母音語幹形式は、四段・下二段と形式的には同形 (-o) のため、比較的残りやすかったかも知れないが、特に陽母音語幹の場合、四段・下二段 (-a) と異なる形式 (-u) のため、派生形式がよくわからなくなってしまったのだろう。 下記に詳述するが、形容詞語形の異例ケースはほとんど陽母音語幹の上二段で起きている。
自動詞他動詞派生においては、陽母音語幹の上二段の本来の派生形式が一応残っているが、絶対的な数が限定的だ。「尽くす」「過ぐす」「浴むす」などのみ。

一方で、下二段は所属語も多いため、文法の簡素化への指向はあまり大きくなかった一方で、四段・下二段の未然形の語形区別(自動詞他動詞の未然形の語形区別)というドライブはかかったのだろう。
二段型の自動詞他動詞派生形では語尾ル・スがつくため自動詞他動詞は自明だし、形容詞派生において自動詞他動詞の区別は重要ではないので、未然形では発生した連用形代用が、自動詞他動詞派生・シク活用形容詞派生では起きなかった。

「恋ひ」に対し、「恋ふしく」「恋ほしく」「恋ひしく」と様々な語形が出てくる。「恋ふしく」だっけ?「恋ほしく」だっけ?えーい面倒くさい、「恋ひしく」でいいじゃん!という上代日本人の混乱が透けて見えるようである。母音調和は過去の遺物で有坂法則の意味なんかも既にわからなくなってたんでしょうね。
  • 四段連体形(ex. 下記の「立と」等) のように、中央語がウ段・東国語が甲類オ段なのがよくあるパターンなのに、中央語「恋ほしく」・東国語「恋ふしく」という逆パターン。
    東国語では本来の語形を維持していて、中央語では混乱したってことなんでしょう。
    • 中央語: 05/0875「行く船を 振り留みかね いかばかり 恋ほしくありけむ(故保斯苦阿利家武) 松浦佐用姫」
    • 東国語: 14/3476「うべ子なは 我ぬに恋ふなも 立と月の ぬがなへ行けば 恋ふしかるなも(故布思可流奈母)」

2. その他


「斎くしく」「息衝くしく」は何なんでしょうね。ituk-asi, ikiduk-asi は、i/u の高舌母音連続の後のパターンなので、甲類オ変格(ウ段・唇音が続く等、特定の環境では -ô になる「緩ひ/緩ほし」)の一類型なのかも。でも a > ô からさらに進んで u になりそうな発音環境じゃない気がするが。。。
  • そう言えば、未然形「潤ひ/潤ほ-ひ」や他動詞派生「潤ひ/潤ほし」のように、常に甲類オ変格を起こしていた「潤ひ」が、形容詞派生では「潤ひ/潤はしく」とオ変格しない。不思議。
  • 「息衝くしく」は、中央語で「息衝かしく」だから「息衝くしく」なんじゃないかと思っているだけで本当は上二段からの派生「息尽くしく」なのかも。

「恨み/恨めしく」は、「恨み」が本来「うら見」で上一段だったという可能性もあるか。

「悔い/悔やしく」は、「悔い~悔え」と上二段・下二段の活用形揺れの可能性もあるか。「萌え」は、「萌え~萌い」と下二段・上二段の活用形揺れをしている。ただし、「悔え」の実例なし。
  • 18/4111「…春されば 孫枝萌いつつ(孫枝毛伊都追)…」
  • 14/3365「鎌倉の 見越しの崎の 岩崩えの 君が悔ゆべき 心は持たじ」
    の「崩(く)え」が「悔ゆ」の序詞になっているのは、必ずしも下二段「悔え」を想定する理由にはならないでしょうね。「崩え」の終止形も「崩(く)ゆ」でしょうから。

「愛で/珍しく」は、不思議な語形。助動詞「らし」のついた形式「愛づらし」から来ているのか。意味合いから考えると「目を引く」という意味で「目釣る」からの派生、という可能性もあるかも。但し「目釣る」の実例なし。
  • 薬師寺仏足石歌碑の「珍(めだ)し」語形を最初見たとき、なんという変な物言いかと思ったが、よくよく考えると、「めだしく」がルールどおりの派生で、「めづらしく」の方が変なのである。
    「薬師(くすりし)は 常のも有れど 賓(まらひと)の いまの薬師 貴かりけり 珍(めだ)しかりけり(米太志可利鷄利)」


「恥ぢ/恥づかしく」も、単語自体がお馴染みの単語なので今までそう考えたことがなかったが、こうして見ると変な語形。ほかに類例はなさそう。何これ。 「散り/散らかし」「怯(おび)え/脅(おびや)かし」「怖(お)ぢ/脅(おど)かし」等のカス型の他動詞化と何か関係があるのか?

上二段のシク活用形容詞派生は、何だか試行錯誤感がありますよね。

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[参考文献]
釘貫 亨 (2015) 「古代日本語動詞の歴史的動向から推測される先史日本語」, in 京都大学文学研究科(編) 『日本語の起源と古代日本語』, 臨川書店, pp.155-199, ISBN978-4653042242

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