2020年12月12日土曜日

貞享暦の月食法 (2)

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前回から、貞享暦の月食法について説明している。

頒暦の月食記事を記載するためには、

  • 食判定:不食、通常食、帯食(出帯食: かけはじめからかけおわりまでの間に月出、入帯食: かけはじめからかけおわりまでの間に月入)、見えない食(かけおわってから月出、または、かけはじめる前に月入)
  • 食甚時の食分
  • 初虧(かけはじめ)・食甚(食の最大)・復末(かけおわり)の時刻
  • 初虧(かけはじめ)・食甚(食の最大)・復末(かけおわり)時の方向角(かけている部分の方向)
  • 帯食の場合は月の出入時刻、月出入時の食分
 といった情報が必要となる。前回は食甚時刻と食甚時の食分の算出までの説明を行った。今回は残余の説明を行う。


月食定用分・既内分

 求月食定用分「置月食分秒、与三十分相減相乗、平方開之、所得以六千五百分乗之、以入定限行差而一、為定用分。月食既、以既内分与一十分相減相乗、平方開之、所得以六千五百乗之、以入定限行差而一、為既内分」
月食分秒を置き、三十分と相減じ相乗じ、平方にこれを開き、得るところ、六千五百分を以ってこれに乗じ、入定限行差を以って一し、定用分と為す。月食既なれば、既内分を以って一十分と相減じ相乗じ、平方にこれを開き、得るところ、六千五百を以ってこれに乗じ、入定限行差を以って一し、既内分と為す。
\[ \begin{align}
\text{定用分} &= {0.065 \sqrt{\text{月食分秒} (30 - \text{月食分秒})} \over \text{食甚定限行差}_\text{(日度/限)} \times 10_\text{(限/日)}} \\
\text{既内食分} &= \text{月食分秒} - 10 \\
\text {既内分} &= {0.065 \sqrt{\text{既内食分} (10 - \text{既内食分})} \over \text{食甚定限行差}_\text{(日度/限)} \times 10_\text{(限/日)}}
\end{align} \]

「定用分」とは、食の持続時間を意味する時間量であり、「初虧(かけはじめ)から食甚まで」の時間であるとともに、「食甚から復末(かけおわり)まで」の時間である。

「既内分」とは、皆既食の持続時間を意味する時間量であり、「食既(皆既のはじめ)から食甚まで」の時間であるとともに、「食甚から生還(皆既のおわり)まで」の時間である。皆既食でない場合(皆既食の場合、食甚分秒が 10 以上の値となる)は、計算しなくてよい(計算すると虚数値になってしまう)。

貞享暦書に記載してある文字通りの計算式では、
(「置A、与B相減相乗(Aを置き、Bと相減じ相乗じ)を、「AをBと相減じ(\(B-A\))、A自体と \(B-A\) とを相乗じ」、すなわち、\(A(B-A)\) という計算であると理解する)
\[ \begin{align}
\text{定用分} &= {6500 \sqrt{\text{月食分秒} (30 - \text{月食分秒})} \over \text{食甚定限行差}_\text{(日度/限)}} \\
\text{既内分} &= {6500 \sqrt{\text{既内食分} (10 - \text{既内食分})} \over \text{食甚定限行差}_\text{(日度/限)}}
\end{align} \]
となっているが、私の式では、6500 のところを 0.065 とした。貞享暦書の計算式では、「定用分」「既内分」は時間分(1/10000 日)単位の数値、「食甚定限行差」は角度分(1/100 日度)単位の数値である想定の式となっている。
6500 の単位が何かを考える。平方根の部分は食分単位の角度量同士を掛け合わせて平方根を取ったものなので単位は食分。食分をかけ、限あたりの角度分で割ると、時間分が得られる値なのだから、
\[ 6500 {\text{角度分} \over \text{食分}} \cdot {\text{時間分} \over \text{限}} \]
という単位の値であることがわかる。これは、
\[ \begin{align}
& 6500 {\text{角度分} \over \text{食分}} \cdot {\text{時間分} \over \text{限}} \\
& = {0.065 \text{日度} \over \text{食分}} \cdot {100 \text{角度分} \over \text{日度}} \cdot {10000 \text{時間分} \over \text{日}} / ({10 \text{限} \over \text{日}})
\end{align} \]
である。私の式では、時間量は時間分でなく日単位に、角度量は角度分でなく日度単位に、分母の角速度「食甚定限行差」も、限あたりの角速度でなく、10倍して、日あたりの角速度にしてやって単位を統一し、記載したような式とした。

「0.065 日度/食分」が、ふたつの角度量単位「日度」「食分」の換算レートである。「食分」は月視直径の 1/10 だから、月視直径を 0.65 日度(0°.64)としているわけだ。寛政暦の月の平均視半径は 0°.26125、視直径はその倍の 0°.5225 だから、0°.64 は、少々大きいが、まあいいところだろう。

そして、月食分秒のところで出てきた係数 \(0.87_\text{日度} = {\text{月の視直径} \over 10 \tan i}\) から、\(\tan i = 0.065_\text{日度} / 0.87_\text{日度}\) であり、\(i = 4°.27\) となる。寛政暦の月の平均軌道傾斜角(最大黄白大距 - 黄白大距半較)は 5°.141 だから、少々小さい。

さて、この「定用分」「既内分」の算出式は一体なにを意味している式なのか。まず下の図を見てもらいたい。

「月食分秒 = 15 - 地球影と月の距離」であるから、「食甚時の地球影と月の距離 = 15 - 月食分秒」である。一方、初虧・復末時においては、ぎりぎり月と地球影が重なっていない状態、つまり、地球影と月輪が外接している状態であり、地球影半径は 10分、月半径は 5 分だから、地球影と月の距離は 15 分である。「地球影と月の距離 = 15 - 月食分秒」の式に「月食分秒 = 0」を代入した結果として求めてもよい。

そして、初虧/復末と食甚との間に月が動く距離を求める。食甚時は月と地球影との距離が最小であるはずであるから、食甚時の月の位置は、地球影中心から白道に降ろした垂線の足であるはず。よって、上図に見える「地球影中心」「食甚時の月中心」「初虧/復末時の月中心」がなす三角形は直角三角形。「食甚時の月中心」「初虧/復末時の月中心」間の距離、つまり、初虧/復末と食甚との間に月が動く距離を、三平方の定理により求め、
\[ \begin{align}
\text{月の移動距離} &= \sqrt{15^2 - (15 - \text{月食分秒})^2} \\
&= \sqrt{15^2 - 15^2 + 30 \times \text{月食分秒} - (\text{月食分秒})^2} \\
&= \sqrt{30 \times \text{月食分秒} - (\text{月食分秒})^2} \\
&= \sqrt{\text{月食分秒} (30 - \text{月食分秒})}
\end{align} \]
これは、食分単位の角度量であるから、換算レート「0.065 日度/食分」をかけて日度単位の角度量とし、月の角速度 (※) で割ってやれば、初虧/復末と食甚との間の経過時間、すなわち「定用分」が出てくるわけである。

  • (※) 正しくいうと、日月の角速度差(月の、太陽/地球影に対する相対角速度)。上図は、(実際は地球影も動いているのであるが)地球影を動かさないようにカメラをパンしながら撮影して、地球影は動かず月だけが動いているようにした図だと思ってほしい。そのとき、月は、日月の角速度差の分のスピードで移動する。
  • なお、授時暦では、「定限行差」(日月の角速度差)ではなく、「定限行度」(月の角速度)で割っている。貞享暦の計算の方が妥当だ。授時暦の焼き直し版である明の「大統暦」では、貞享暦と同様、日月の角速度差で割っているようで、大統暦での改善点を、貞享暦が取り入れたものか。

初虧/復末と食甚との間に月が動く距離は、

  • 初虧/復末時の食分=0 だから、
    初虧/復末時の月中心と地球影中心との距離 = 15 - 食分 0 = 15
    • これは、月と地球影が外接するから、
      月半径 5分 + 地球影半径 10分 = 15分
      としても求められる

として、\(\sqrt{15^2 - (15 - \text{月食分秒})^2} = \sqrt{\text{月食分秒} (30 - \text{月食分秒})}\) として算出した。

一方、食既/生還(皆既のはじめ/おわり) については、

  • 食既/生還時の食分=10 だから、
    食既/生還時の月中心と地球影中心との距離 = 15 - 食分 10 = 5
    • これは、月が地球影に内接するから、
      地球影半径 10分 - 月半径 5分 = 5分
      としても求められる

なので、定用分の計算では 15分であった斜辺を、5分として計算し、
\[ \begin{align}
\sqrt{5^2 - (15 - \text{月食分秒})^2} &= \sqrt{25 - 225 + 30 \text{月食分秒} - (\text{月食分秒})^2} \\
&= \sqrt{(\text{月食分秒} - 10)(20 - \text{月食分秒})}
\end{align} \]
として算出することが出来る。「既内食分 = 月食分秒 - 10分」とする (※) と、\(\sqrt{\text{既内食分}(10 - \text{既内食分})}\) である。

  • (※) 皆既食の場合、月食分秒は 10分以上の値として算出されるが、うち、10分を超える部分を「既内食分」としているわけである。

貞享暦の記載において、「既内食分」(つまり、月食分秒のうち10分を超える部分)は「既内分」と記載されている(「既内分を以って一十分と相減じ相乗じ」)が、そもそもこの記載は、既内分(食既/生還(皆既のはじめ/おわり) 時刻と食甚時刻との時間差)を求めるための式であって、「既内分」という言葉が同音異義語になっている。このブログの記載においては前者の意味の「既内分」を「既内食分」と呼ぶことにした。

そしてさらに、貞享暦書において、実は「既内食分」の算出方法の記載がどこにもない。式の持つ意味に鑑み「既内食分 = 月食分秒 - 10分」であると解釈した。

初虧復末時差

求月食初虧復末時差「置八分、以月食分秒減之(在八分已上者、無時差)、余平方開之、所得以六千五百乗之、以入定限行差而一、為初虧復末時差。交前加、交後減」
八分を置き、月食分秒を以ってこれより減じ(八分已上に在れば、時差無し)、余、平方にこれを開き、得るところ六千五百を以ってこれに乗じ、入定限行差を以って一し、初虧復末時差と為す。交前は加へ、交後は減ず。
\[ \begin{align}
\text{月食初虧復末時差} &= -\text{符号}(\text{去交前後度}) {0.065 \sqrt{8 - \text{月食分秒}} \over \text{食甚定限行差}_\text{(日度/限)} \times 10_\text{(限/日)}}
\end{align} \]
\(\text{月食分秒} \gt 8\) のとき \(\text{時差}=0\)
\(\text{符号}(\text{去交前後度})\) は、去交前後度が負(交前)のとき \(-1\)、去交前後度が正(交後)のとき \(1\) とする。

初虧復末時差は、月食発生時刻を、若干、月の交点通過時刻側によせる方向に(交点通過前の食であれば未来方向に、交点通過後の食であれば過去方向に)調整する値。これは貞享暦の元ネタとなった元の授時暦にはなく、おそらく渋川春海のオリジナルである。

真の食甚時刻が、望時刻より、若干、月の交点通過時刻側によった方向にあるのは事実である。望時刻(すなわち、月と地球影の黄経が一致する瞬間)は、実際には食甚(すなわち、月中心と地球影中心とが最接近する瞬間)ではなく、地球影中心から月の軌道(白道)に降ろした垂線の足に月があるときが食甚であるはずである。とすると、食甚時刻は望時刻より若干、月の交点通過時刻側によった方向にずれ、月の軌道傾斜角を \(i\) とすると、望時刻の月と、真の食甚時の月との位置のずれは \(\sin i \times \text{望時の月と地球影の距離}\) となるはず。

\(\tan i = 0.065/0.87\) であったから、\(\sin i = 0.065/\sqrt{0.065^2 + 0.87^2} = 0.0745\)。よって、
\[ \text{時差} = {0.065 \cdot 0.0745 (15 - \text{月食分秒}) \over \text{食甚定限行差}_\text{(日度/限)} \times 10_\text{(限/日)}} \]
となるはずだと考えられる。しかし、貞享暦における「初虧復末時差」は、
\[ \text {月食初虧復末時差} = {0.065 \sqrt{8 - \text{月食分秒}} \over \text{食甚定限行差}_\text{(日度/限)} \times 10_\text{(限/日)}} \]
として算出されている。この式について幾何学的な意味を付与できそうな気がしない。おそらく、経験的に時差があることを観測から知っていて、「定用分」「既内分」の算出式を模倣して計算式を建てたということではないかとは思うが、だとしたら、「定用分」「既内分」の算出式の持つ幾何学的意味を全く理解していなかったのではないかという疑念をぬぐい得ない。

幾何学的に正しいと思われる時差算出と、貞享暦の時差算出を比較してみると下記グラフのようになる。グラフの横軸は食甚時の食分(単位: 分)。縦軸は時差(単位: 刻 = 0.01日)、 食甚定限行差は、日月の平均角速度により 1.236875日度/限として計算したもの。


 そして、初虧復末時差には、もう一つ問題がある。「初虧復末時差」とされていることである。本当は食甚時刻がずれるからその結果として、初虧/復末時刻もその分ずれるのだが、貞享暦においては、食甚はずらさずに、初虧/復末時刻だけずらしている。その結果として非常に奇妙なことが起こりえる。

ひとつは、帯食の場合の月出入時食分の算出。月出入時の食分は食甚時刻からの出入時刻の時間差をもとに算出する。とすると、初虧復末時差を加味しない初虧/復末時刻と月出入時刻が等しいとき、ちょうど月出入時の食分がゼロであるように算出される。初虧復末時差を加味した初虧/復末時刻と、加味しない初虧/復末時刻との狭間に月出入時刻がある場合、初虧~復末の間に月出入があるのに出入時に月が欠けていなかったり(食分がゼロ以下)、初虧~復末の外に月出入があるのに出入時に月が欠けていたりする。

もうひとつは、非常に浅い食(約 0.26分未満)の場合、定用分より初虧復末時差の方が大きくなってしまい、食甚が初虧前とか復末後とかになってしまい得ることである。

初虧/復末時刻、食既/生還時刻

求月食三限五限辰刻「置月食甚定分、以定用分減之、為初虧。以定用分加食甚、為復末。以初復時差加減之、為定初虧復末。月食既者、以既内分減定用分、為既外分。以定用減食甚、為初虧。加既外、為食既。又加既内、為食甚。再加既内、為生還。復加既外、為復末。依発斂求之、即月食三限五限辰刻」
月食甚定分を置き、定用分を以ってこれより減じ、初虧と為す。定用分を以って食甚に加へ、復末と為す。初復時差を以ってこれに加減し、定初虧復末と為す。月食、既なれば、既内分を以って定用分より減じ、既外分と為す。定用を以って食甚より減じ、初虧と為す。既外を加へ、食既と為す。又既内を加へ、食甚と為す。再び既内を加へ、生還と為す。復た既外を加へ、復末と為す。発斂に依りこれを求め、即ち月食三限五限の辰刻。
\[ \begin{align}
\text{食甚定分} &= \text{定望時刻} \\
\text{[皆既以外のとき]} \\
\text{初虧時刻} &= \text{食甚定分} - \text{定用分} \\
\text{食甚時刻} &= \text{食甚定分} \\
\text{復末時刻} &= \text{食甚定分} + \text{定用分} \\
\text{定初虧時刻} &= \text{初虧時刻} + \text{初虧復末時差} \\
\text{定復末時刻} &= \text{復末時刻} + \text{初虧復末時差} \\
\text{[皆既月食のとき]} \\
\text{既外分} &= \text{定用分} - \text{既内分} \\
\text{初虧時刻} &= \text{食甚定分} - \text{定用分} \\
\text{食既時刻} &= \text{初虧時刻} + \text{既外分} &(= \text{食甚定分} - \text{既内分}) \\
\text{食甚時刻} &= \text{食既時刻} + \text{既内分} &(= \text{食甚定分}) \\
\text{生還時刻} &= \text{食甚時刻} + \text{既内分} &(= \text{食甚定分} + \text{既内分}) \\
\text{復末時刻} &= \text{生還時刻} + \text{既外分} &(= \text{食甚定分} + \text{定用分}) \\
\text{定初虧時刻} &= \text{初虧時刻} &(\text{食分} \geqq 10 \gt 8 \text{ のため、初虧復末時差 = 0}) \\
\text{定復末時刻} &= \text{復末時刻} &(\text{食分} \geqq 10 \gt 8 \text{ のため、初虧復末時差 = 0})
\end{align} \]
初虧(かけはじめ)、食既(皆既のはじめ)、食甚(食の最大)、生還(皆既のおわり)、復末(かけおわり)の時刻を求める。
  • ちなみに、 初虧・食既・食甚・生還・復末は、寛政暦・天保暦の暦法では、初虧・食既・食甚・生光復円と呼ばれている。

貞享暦書の記載上、どこにも明示されていないように思われるが、食甚の時刻(食甚定分)は、定望の時刻と等しいと考えてよいはず。

定初虧・定復末は、初虧復末時差を加味した時刻である。頒暦に初虧/復末時刻を記載する場合、この定初虧・定復末時刻による。

食既(皆既のはじめ)・生還(皆既のおわり)の時刻は、通常、頒暦暦面上には表示されない。

更点法

求月食入更点「置食甚所入日晨分、倍之、五約、為更法。又五約更法、為点法。乃置初末諸分、昏分已上、減去昏分、晨分已下、加晨分、以更法除之、為更数。不満、以点法収之、為点数。其更点数、命初更初点算外、各得所入更点」
食甚入るところの日の晨分を置き、これを倍し、五約し、更法と為す。又、更法を五約し、点法と為す。すなはち初末諸分を置き、昏分已上、昏分を減去し、晨分已下、晨分を加へ、更法を以ってこれを除し、更数と為す。不満、点法を以ってこれを収め、点数と為す。其の更点数、初更初点算外より命へ、各おの入るところの更点を得。
\[ \begin{align}
\text{更法} &= \text{晨分} \times 2 / 5 \\
\text{点法} &= \text{更法} / 5 \\
\text{更点数} &= (\text{各時刻} - \text{昏分}) / \text{更法} \\
&= (\text{各時刻} - (1_\text{日} - \text{晨分})) / \text{更法} \\
&= (\text{各時刻} + \text{晨分} - 1_\text{日}) / \text{更法} &\text{※ 午前(夜半24:00過ぎ)の時、} (\text{各時刻} + \text{晨分}) / \text{更法} \\
\text{更数} &= [\text{更点数}] \\
\text{点数} &= [(\text{更点数} - \text{更数}) \times 5]
\end{align} \]

頒暦には用いていないようなので、ここで特段述べる必要もないのだが、暦法書に記載があるので、ついでに述べておく。夜間の時刻表示に「更点法」という表記方法があり、月食各時刻を更点法による時刻表記に変換するための式である。「更点法」は夜間の時刻表示専用で昼間の時刻表示には相当するものがない。

「更点法」は、中国暦などでは用いられていたようなのだが、日本の暦では、あまり用いた例がない (※)。貞享暦書においても「授時暦に書いてあるから書いておいた」ぐらいのつもりで書いてあるのだろう。記載内容は、授時暦の記載そのままである。 

  • (※) [2021/6/21 追記] 日本の暦でも、一般販売用の仮名暦(頒暦)では用いられていなかったが、宮中等に納入する用の漢字曆(具注暦、七曜暦)などでは使用されていたようだ。土御門晴雄が、七曜暦から日月食記事を抜粋・リストアップした「七曜暦日月食書抜」を見ると、月食記事の暮六ツ~明六ツの時刻は、更点法で記載されている。なお、月食記事の時刻としてありうるのは、日入~日出で、日入~暮六ツ、明六ツ~日出の時刻もありうるが、それらは普通に辰刻法で記載されている。
    ちなみに「七曜暦」とは、太陽・月・五惑星の毎日の位置を記載した天体暦。「七曜」と言っても、week とは無関係である。天皇に献上されるが一般には出回らないので、資料として残っているものが少ないが、「七曜暦日月食書抜」を見ると、継続的に作成はされていたようだ。

「更点法」では、日暮れ(昏分、暮六ツ)から翌日の夜明け(晨分、明六ツ)を五等分して五更とし、更を五等分して点とする。夜間を 25 更点に分割するわけである。江戸時代の日常生活や天保暦の頒暦で用いられた不定時法とはことなるものの、一種の不定時法である。

五更は、更数 = 0~4 それぞれが、初更(一更)、二更、三更、四更、五更と、
五点は、点数 = 0~4 それぞれが、初点(一点)、二点、三点、四点、五点と呼称されるようだ。記載実例を見たことがないので本当かどうかわからないが、事典類に記載されているものを信じる限りそうだ。

  • 暦に関する限り、 事典類の記載はあまり信用できないというのが私の経験則だが。

暮六ツは「初更初点」。以降、「初更二点」「初更三点」「初更四点」「初更五点」「二更初点」「二更二点」……と続き、夜明け直前は「五更五点」。辰刻法の刻数は、初刻・一刻・二刻……と「初刻」はゼロ刻を意味していたので、「初更 = 一更」「初点 = 一点」というのは不思議に感じる。

月食所起(方向角)

求月食所起「食在陽暦、初起東北、甚於正北、復於西北。食在陰暦、初起東南、甚於正南、復於西南。既者、初起正東、復於正西。三分已下、陽暦交前、初起正北、復於西北。交後、初起東北、復於正北。陰暦交前、初起正南、復於西南。交後、初起東南、復於正南(此亦據午地而論之)」
食、陽暦に在るは、東北に初起し、正北に甚しく、西北に復す。食、陰暦に在るは、東南に初起し、正南に甚しく、西南に復す。既は、正東に初起し、正西に復す。三分已下、陽暦交前、正北に初起し、西北に復す。交後、東北に初起し、正北に復す。陰暦交前、正南に初起し、西南に復す。交後、東南に初起し、正南に復す(これまた午地に據ってこれを論ず)。
月食 皆既食 中程度
小食
(三分以下)
陽暦交前
(初)東→(甚)×→(復)西 (初)東北→(甚)北→(復)西北 (初)北→(甚)×→(復)西北
陽暦交後 (初)東北→(甚)×→(復)北
陰暦交前 (初)東南→(甚)南→(復)西南 (初)南→(甚)×→(復)西南
陰暦交後 (初)東南→(甚)×→(復)南

どこからかけはじめ、食甚時はどこがかけていて、どこにかけおわるのか(最後までかけているのはどこか)である。貞享暦・宝暦暦では、かなりおおざっぱというか定性的に方向角を算出している。

月や太陽は、黄経が増加する方向に(つまり、北極側から見て反時計回りに)動く。これは、南面して日月の動きを見るとすれば、西から東へ動くことになる(ただし、それ以上の速度で地球が自転し、地面も西から東へ動くので、相対的には日月が東から西に動くように見えるのだが)。月の速度は太陽の速度より速く(よって太陽の真反対方向にある地球影の速度より速く)、月は、西側から地球影に近づいて、追い越して東側へと抜けていくことになる(南面して見ているとき、西側=右側、東側=左側)。

とすると、月は、かけはじめのとき東側(左側)がまずかけ、かけおわりのとき最後までかけが残るのは西側(右側)ということになる。そして、「陽暦」(月が黄道の南にある)とき、月の北側がかける。また、「陰暦」(月が黄道の北にある)とき、月の南側がかける。とすれば、陽暦のとき「(初)東北→(甚)北→(復)西北」、陰暦のとき「(初)東南→(甚)南→(復)西南」のようなかけ方になるのがわかるだろう。

皆既食のときは、南北方向のずれが小さいから「東北→西北」「東南→西南」というより「東→西」に近くなる。

小さい食の場合、方向角は、あまり東西方向に寝ず、南北方向に立つ。
交前の場合、初虧において、より緯度方向のずれが大きいから、より南北方向に立つ(東北、東南というより、北、南というほうが近くなる)。よって「(初)北→(復)西北」「(初)南→(復)西南」のような方向角表示としている。
交後の場合、逆に、復末において、より南北方向に立つ。よって「(初)東北→(復)北」「(初)東南→(復)南」のような方向角表示としている。上図では、陽暦交前の姿を示している。

そして、皆既では、食甚時の方向角は表記されない。すべてかけていて、「かけている方向」というのがあるわけではないからである(しようと思えば「陽暦は北、陰暦は南」という表記をすることは可能であろうが、そうはしない)。

小さい食の場合も、食甚時の方向角は表記されない。おそらく「陽暦は北、陰暦は南」となるべきなのだろうが、初虧・復末どちらかの方向角と同一になるので、情報として冗長なため表記しない。

冒頭で、貞享暦の入交汎日は「降交点通過の何日後か」という値であって「昇交点通過の何日後か」という値ではないことは、冒頭の時点では自明でなかったが、追々明らかになると述べた。

入交汎日が「降交点通過の何日後か」であるということは、交正=降交点、交中=昇交点であり、陽暦(交正の後、交中の前)は月が黄道の南、陰暦(交中の後、交正の前)は月が黄道の北にあるということになる。つまりは、陽暦では月の北側がかけ、陰暦では月の南側がかける。

貞享暦の月食所起は、まさにそうなっている。よって、貞享暦の入交汎日は「降交点通過の何日後か」という値であるとしたのは正しかったということがわかる。もし入交汎日を「昇交点通過の何日後か」という値であるとしたなら、逆に「陽暦では月の南側がかけ、陰暦では月の北側がかけ」のようになっていないといけないところである。

帯食時食分

求日月出入帯食所見分数「視其日月出入分、在初虧已上復末已下者、為帯食。各以食甚分与日出入分相減、余為帯食差。以乗所食之分、満定用分而一(如月食既者、以既内分減帯食差。不及減者、為帯食既出入。進一位、如既外分而一、所得、以減十分、即月帯食出入所見之分)、以減所食分、即日月出入帯食所見之分(其食甚在昼、晨為漸進、昏為已退。其食甚在夜、晨為已退、昏為漸進)」
其の日の月出入分を視、初虧已上・復末已下に在れば、帯食と為す。各おの食甚分を以って日出入分と相減じ、余、帯食差と為す。以って食することろの分に乗じ、満定用分にして一し(もし月食既なれば、既内分を以って帯食差と減ず。減に及ばざれば、帯食既出入と為す。一位を進め、既外分の如くして一し、得るところ、以って十分より減じ、即ち月帯食出入見るところの分)、以って食するところの分より減じ、即ち日月出入帯食所見の分(其の食甚、昼に在るは、晨、漸進と為し、昏、已退と為す。其の食甚、夜に在るは、晨、已退と為し、昏、漸進と為す)
\[ \begin{align}
\text{帯食差} &= |\text{日出入分} - \text{食甚分}| \\
\text{皆既以外のとき:} \\
\text{帯食時食分} &= \text{月食分秒} - \text{月食分秒} {\text{帯食差} \over \text{定用分}} \\
\text{皆既月食で、} \text{帯食差} \leqq \text{既内分} \text{ のとき:} & \text{ (皆既出入帯)} \\
\text{帯食時食分} &= 10 \\
\text{皆既月食で、} \text{帯食差} \gt \text{既内分} \text{ のとき:} \\
\text{帯食時食分} &= 10 - 10 {\text{帯食差} - \text{既内分} \over \text{既外分}}
\end{align} \]
帯食のとき、月出入時の食分を求める。

まず、月出入時刻(出帯食のとき出時刻、入帯食のとき入時刻)と食甚時刻との時間差「帯食差」を求める。

皆既食でないときは、食甚時の食分は「月食分秒」とし、食甚から定用分だけ離れた時刻(すなわち初虧/復末時刻)の食分はゼロとして、その間を線形補間して、食甚から帯食差だけ離れた時刻(すなわち月出入時刻)の食分を求めている。

一方、皆既食のときは、どうかというと、
帯食差が既内分より小さいときは、月出入時刻のとき皆既であるわけだから、帯食時食分は「皆既(10分)」である。
そうでないときは、食甚から既内分だけ離れた時刻(すなわち食既/生還時刻)の食分は10分とし、食甚から定用分だけ離れた時刻(すなわち初虧/復末時刻)の食分はゼロとして、 その間を線形補間して、食甚から帯食差だけ離れた時刻(すなわち月出入時刻)の食分を求めている。

皆既食のときでも、「皆既以外のときと同じ計算をして、 帯食時食分が 10分以上なら皆既帯食とする」という計算でもよさそうな気がするが、とりあえず書いてある通りの式としておいた。

貞享暦法では、食分が線形に変化するものとして計算しているが、本当は正しくない。食分変化は食甚付近で緩やかになる。

「其の食甚、昼に在るは、晨、漸進と為し、昏、已退と為す。其の食甚、夜に在るは、晨、已退と為し、昏、漸進と為す」との記載がある。これは、要するに下記のような当たり前のことを言っているに過ぎない。

  • 食甚が昼(日出後)の朝の食(月入帯食)は、「漸進」である。すなわち、かけはじめて、かけ進んでいる途中で食甚を見ないまま月が沈む食。食甚が見えない入帯食である。
  • 食甚が昼(日入前)の夕の食(月出帯食)は、「已退」である。すなわち、食甚を過ぎてしまった後で、食がかけ終わっていく途中で月が昇る食。食甚が見えない出帯食である。
  • 食甚が夜(日出前)の朝の食(月入帯食)は、「已退」である。すなわち、かけはじめて、食甚を過ぎてから、食がかけ終わっていく途中で月が沈む食。食甚が見える入帯食である。
  • 食甚が夜(日入後)の夕の食(月出帯食)は、「漸進」である。すなわち、かけはじめて、食甚に至る前に、かけ進んでいる途中で月が昇り、その後食甚に至る食。食甚が見える出帯食である。

貞享暦法において、月の出入時刻の計算方法はどこにも記載されていない。月望においては、とりわけ月が地球影の近傍にある月食時においては、月は太陽のほぼ 180° 真裏にある。よって、太陽が西の地平線上にある日没時・東の地平線上にある日出時には、月は東の地平線上・西の地平線上にあるのであり、日入時刻・日出時刻をもって、月出時刻・月入時刻と見做してよいであろう。

実際、(上記の「求日月出入帯食所見分数」の項は日食・月食共通の式なのであるが)帯食差の計算にあたって「各おの食甚分を以って日出入分と相減じ」とあり、月食であっても使用しているのは「日出入分」である。

 

以上、貞享暦の月食法についての説明を終わる。次回は、貞享暦の日食法について。

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[参考文献]

渋川春海, 土御門泰福(校閲)「貞享暦」, 国立公文書館デジタルアーカイブ蔵

西村遠里「貞享解」, 国立天文台三鷹図書館蔵デジタル化資料

西村遠里「授時解」, 国立天文台三鷹図書館蔵デジタル化資料 

曲 安京, [訳] 大橋 由起夫 (2000) 「中国古代における日月食の開始終了時刻の算法と外域の暦法との関係」, 数学史研究 (164) pp.1-25, 日本数学史学会

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