2020年12月5日土曜日

貞享暦の月食法 (1)

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前回までのところで、貞享暦・宝暦暦・寛政暦・天保暦・明治期の旧暦併記時代における太陽・月の位置計算(日躔・月離)と太陰太陽暦の作暦について、ひととおり説明し終えた。

日食・月食の暦理について説明し残しているので、今回以降、順次説明していく。
今回は、貞享暦の月食法について。どんどん近代天文学に近いほうへ話を進めてきたので、貞享暦の時代に戻るのは頭の切替がちょっと大変だ。

頒暦の月食記事を記載するためには、

  • 食判定
    • 不食
    • 通常食
    • 帯食(出帯食) かけはじめからかけおわりまでの間に月出
    • 帯食(入帯食) かけはじめからかけおわりまでの間に月入
    • 見えない食(かけおわってから月出、または、かけはじめる前に月入)
  • 食甚時の食分
  • 初虧(かけはじめ)・食甚(食の最大)・復末(かけおわり)の時刻
  • 初虧(かけはじめ)・食甚(食の最大)・復末(かけおわり)時の方向角(かけている部分の方向)
  • 帯食の場合は月の出入時刻、月出入時の食分

といった情報が必要となる。今回は、食甚時刻と食甚時の食分の算出まで。以降は次回とする。

月食や日食の計算をするにあたっては、月の交点が重要となる。

月の公転軌道面(白道面)は、地球の公転軌道面(黄道面)から若干(5° ほど)傾いている。よって、月は、地球の周りを一回公転する間に、半分の期間は黄道面より北(月の黄緯は北緯)にあり、半分の期間は黄道面より南(月の黄緯は南緯)にある。朔においては太陽と月の黄経が一致し、望においては月と地球影(太陽の真裏)の黄経が一致するのだが、この白道の傾きにより、大抵の場合、黄緯がずれるため、太陽と月、月と地球影が重ならず、日食・月食が発生しない。

しかし、月が黄道面の南から北へと移るとき、月は黄道面上にある。これを月の昇交点という。また、黄道面の北から南へと移るときも同様であり、これを月の降交点という。朔望が交点(昇交点と降交点)付近で発生する場合、黄経が一致するだけでなく、黄緯のずれも小さくなるため、太陽と月、月と地球影が重なる。この場合、日月食が発生するわけである。

以上の前提知識を踏まえ、貞享暦における月食の計算方法を見ていこう。

 入交汎日

[貞享暦 巻五 推歩下 歩交会第五]
交終分二十七萬二千一百二十二分二十秒
交終日二十七日二千一百二十二分二十秒
交中十三日六千〇六十一分一十秒
交差二日三千一百八十三分七十秒
交望十四日七千六百五十二分九十五秒
交応四千八百分
求天正経朔入交「置中積、加交応、減閏余、満交終分去之、不尽以日周約之、為日、不満為分、即天正経朔入交汎日及分秒(上考者、中積内加所求閏余、減交応、満交終去之、不尽以減交終、余如上)」
中積を置き、交応を加へ、閏余を減じ、満交終分これを去き、不尽、日周を以ってこれを約し、日と為し、不満、分と為し、即ち天正経朔入交汎日及び分秒(上って考ふるは、中積、求むるところの閏余を内加し、交応を減じ、満交終これを去き、不尽、以って交終より減じ、余、上の如し)
求次朔望入交「置天正経朔入交汎日及分秒、以交望累加之、満交終日去之、即為次朔望入交汎日及分秒(如、径求次朔、以交差加之)」
天正経朔入交汎日及び分秒を置き、交望を以ってこれに累加し、満交終日これを去き、即ち次朔望入交汎日及び分秒と為す(もし、径ちに次朔を求むるは、交差を以ってこれに加ふ)。
\[ \begin{align}
\text{交終分} &= 272122.20_\text{分} \\
\text{交終日} &= 27_\text{日}.212220 \\
\text{交中} &= 13_\text{日}.606110 &(= \text{交終日} / 2) \\
\text{交差} &= 2_\text{日}.31837 &(=\text{朔策} 29_\text{日}.53059 - \text{交終日}) \\
\text{交望} &= 14_\text{日}.765295 &(= \text{朔策} / 2) \\
\text{交応} &= 0_\text{日}.4800 \\
\text{天正経朔入交} &= (\text{中積} + \text{交応} - \text{閏余}) \mod \text{交終日} \\
\text{朔望入交} &= (\text{天正経朔入交} + n \times \text{交望}) \mod \text{交終日}
\end{align} \]

「入交汎日」は、「現在は、直前の月の降交点通過の何日後か」という値である。朔望時の入交汎日を求めることにより、交点付近で起きた朔望かどうか判定することが出来る。

  • 現時点においては、「直前の月の降交点通過の何日後か」か「直前の月の昇交点通過の何日後か」のどっちを意味しているのか判然としていないが、追々はっきりするので、とりあえず、今のところは、「降交点である」というのを信じておいていただきたい。

「交応」は、暦元天正冬至直前の月の降交点通過から、暦元天正冬至までの経過日時を意味する定数。「中積」は、暦元天正冬至から当年天正冬至までの経過日時、「閏余」は、当年天正経朔 (※) から当年天正冬至までの経過日時であったから、\(\text{中積} + \text{交応} - \text{閏余}\) は、暦元天正冬至直前の月降交点通過から当年天正経朔までの経過日時となる。
これを、「交終」つまり月の降交点通過間隔(交点月)で割った余りをとってやれば、当年天正経朔は直前の月降交点通過の何日後か、つまり、当年の天正経朔入交汎日が得られる。

  • (※) おさらいのため再確認しておくと、「天正経朔」とは、天正冬至(前年の平気冬至)直前の平朔である。

そして、 天正経朔以降の平朔・平望における入交汎日を求めるのだが、天正経朔以降の平朔・平望とは、天正経朔の \(\dfrac{n}{2} \times \text{朔策}\) 後の日時であるから、天正経朔入交汎日に \(\dfrac{n}{2} \times \text{朔策}\) を加算すれば、天正経朔直前の月降交点通過から該当の平朔望までの経過日時となり、それを \(\mod \text{交終}\) してやれば、該当の平朔望の入交汎日が得られる。

「交望」は、まるで交点関連の定数のような名前をしているが、全然関係なくて、朔策(朔望周期)の 1/2 つまり、朔と望の間隔である。

「もし、径ちに次朔を求むるは、交差を以ってこれに加ふ」と言っているのは何かというと、朔の入交汎日から次の朔の入交汎日を求めたいなら、朔策を加算して \(\mod \text{交終}\) してやればいいのだが、それは、朔策を加算して交終を減算するということになり、結局は、\(\text{交差} = \text{朔策} - \text{交終}\) を加算してやればいい、というそういう話である。

この部分の計算は、日食・月食で共通の記述。日食の計算をするのなら朔の入交汎日を求めるのだが、今回は月食の計算をするので、望の入交汎日を求めるということになる。

なお、一般に、暦元上元甲子日 0:00 からの経過日時を \(t\) とする日時における入交汎日を求めたいなら、\(\text{入交汎日} = (t - \text{気応} + \text{交応}) \mod \text{交終}\) として求められる。

入交汎日について、少々気になっていることがある。

国立天文台図書室所蔵のデジタル化資料に「元禄戊寅頒暦草」というものがあり、これは、元禄十一(1698)年貞享暦の推算稿のようだ。書いたのは土佐出身の儒者・思想家、谷 秦山(たに じんざん。谷 重遠(たに しげとお))。暦学において、渋川春海の弟子であった。

この資料において、朔望の入交汎日が「交汎」として記載されているのだが、これが、上記の算出法に基づいて計算したものより、すべて、0.0071 日大きい。これに合わせるために、入交汎日をすべて一律 0.0071日大きくする(つまり、交応を 0.48日でなく、0.4871日とする)としても、それで頒暦に記載の日月食記事との一致度が高まるわけでもない。

他に、オンラインで参照可能な貞享暦の推算稿も見当たらず、不審ながら、とりあえず一旦、元禄戊寅頒暦草の交汎は無視する。正直、どういう位置づけで作成されたものなのかもわからないし。

 交定度

交終度三百六十三度七十九分三十四秒
求入交定度「置経朔望入交汎日及分秒、以月平行度乗之、為交積度。以盈縮差、盈加縮減之、為交常度。置遅速差、以行差進一位除之、所得、以遅加速減之、為交定度(十三度已下者、加交終度、為交定度)」
経朔望入交汎日及び分秒を置き、月平行度を以ってこれに乗じ、交積度と為す。盈縮差を以って、これに盈は加へ縮は減じ、交常度と為す。遅速差を置き、行差を以って一位を進めこれを除し、得るところ、以ってこれに遅は加へ速は減じ、交定度と為す(十三度已下は、交終度を加へ、交定度と為す)
\[ \begin{align}
\text{交終度} &= 363.7934_\text{日度} &(= \text{交終} \times \text{月平行度 } 13.36875_\text{日度}) \\
\text{交積度} &= \text{経朔望入交汎日} \times \text{月平行度} \\
\text{交常度} &= \text{交積度} + \text{日行盈縮} \\
\text{交定度} &= \text{交常度} - {\text{月行遅速} \over \text{日月行差}_\text{(日度/限)} \times 10_\text{(限/日)}}
\end{align} \]

「交定度」、すなわち、月の降交点からの離角(日度単位)を求める。

  • 「日度」について、おさらいする。
    貞享暦・宝暦暦における角度単位は、一周 360度とする度ではなく、一日に太陽が恒星天を動く平均角速度を 1 度とする角度系であった。これをこのブログでは、1° の意味の「度」と混乱しないよう「日度」と呼んでいる。貞享暦において、恒星年は 365日.256696 であるので、365.256696 日度 = 360° である。

経朔望入交汎日に、月の平均角速度「月平行度」(13.36875 日度)をかけて、月の降交点からの離角「交積度」を求めている。これだと、月降交点通過から現在までの間に月交点が動かないものとして計算しているようで、ちょっとおかしい。本当は、月と月交点との角速度差(月交点は逆回りするので「角速度和」というべきか)をかけるべきである。
\[ \begin{align}
\text{月と月交点との角速度差} &= \text{月平行度} - \text{月交点平行度} \\
&= \text{周天} 365.256696_\text{日度} / \text{交終} \\
&= 13.422525_\text{日度}
\end{align} \]
の、13.422525 日度を経朔望入交汎日にかけて求めるのが正しいのであろうが、まあ、細かいことは気にしなくていいのだろう。

しかし、こうして求めた「交積度」は、平朔望日時における月の平均黄経の降交点からの離角。本当に求めたいのは、定朔望日時における月の真黄経の降交点からの離角である。

貞享暦の月離のところで、定朔弦望を算出するのに用いた式をおさらいしてみよう。

\[ \begin{align}
\text{日月行差}_\text{(日度/限)} &= \text{太陰遅速限行度}_\text{(日度/限)} - {\text{太陽行度}_\text{(日度/日)} \over 10_\text{(限/日)}} \\
\text{加減差}_\text{(日)} &= {\text{日行盈縮}_\text{(日度)} - \text{月行遅速}_\text{(日度)} \over \text{日月行差}_\text{(日度/限)} \times 10_\text{(限/日)}} \\
\text{定朔弦望}_\text{(日)} &= \text{経朔弦望}_\text{(日)} + \text{加減差}_\text{(日)} \\
\end{align} \]

「日月行差(日度/限)」は、月と太陽の角速度差。ただし、1日あたりの角速度差ではなく、限(1/10 日)あたりの角速度差。1日あたりの角速度差の 1/10 の値である。

「加減差」は、平朔弦望日時と定朔弦望日時との時間差である。

平朔弦望日時と定朔弦望日時との時間差が「加減差」、月平均黄経と真黄経の角度差は「月行遅速」なので、
\[ \begin{align}
&\text{定朔望日時における月の真黄経の降交点離角} \\
&= \text{平朔望日時における月の真黄経の降交点離角} + \text{平朔望~定朔望の間に月の真黄経が進む角度} \\
&= \text{平朔望入交汎日} \times \text{月平行度} + \text{月行遅速} + \text{加減差} \times \text{月真黄経の角速度} \\
&= \text{交積度} + \text{月行遅速} + \text{加減差} \times \text{太陰遅速限行度} \times 10
\end{align} \]
として、定朔望日時における月の真黄経の降交点離角「交定度」を得ることが出来るだろう。
月の真黄経の 1 日あたりの角速度を \(\text{月行度} = \text{太陰遅速限行度} \times 10\) とおいて、
\[ \begin{align}
\text{交定度} &= \text{交積度} + \text{月行遅速} + \text{加減差} \times \text{月行度} \\
&= \text{交積度} + \text{月行遅速} + {\text{日行盈縮} - \text{月行遅速} \over \text{月行度} - \text{太陽行度}} \times \text{月行度} \\
&= \text{交積度} + \text{月行遅速} + \text{日行盈縮} \times {\text{月行度} \over \text{月行度} - \text{太陽行度}} - \text{月行遅速} \times {\text{月行度} \over \text{月行度} - \text{太陽行度}} \\
&= \text{交積度} + \text{日行盈縮} \times {\text{月行度} \over \text{月行度} - \text{太陽行度}} + \text{月行遅速} \times (1 - {\text{月行度} \over \text{月行度} - \text{太陽行度}}) \\
&= \text{交積度} + \text{日行盈縮} \times {\text{月行度} \over \text{月行度} - \text{太陽行度}} + \text{月行遅速} \times {\text{月行度} - \text{太陽行度} - \text{月行度} \over \text{月行度} - \text{太陽行度}} \\
&= \text{交積度} + \text{日行盈縮} \times {\text{月行度} \over \text{月行度} - \text{太陽行度}} - \text{月行遅速} \times {\text{太陽行度} \over \text{月行度} - \text{太陽行度}}
\end{align} \]

そして、非常におおざっぱには、
\[ \begin{align}
{\text{月行度} \over \text{月行度} - \text{太陽行度}} &\fallingdotseq 1 \\
\text{太陽行度} &\fallingdotseq 1_\text{日度}
\end{align} \]
なので、
\[ \begin{align}
\text{交定度} &= \text{交積度} + \text{日行盈縮} \times {\text{月行度} \over \text{月行度} - \text{太陽行度}} - \text{月行遅速} \times ({\text{太陽行度} \over \text{月行度} - \text{太陽行度}}) \\
&\fallingdotseq \text{交積度} + \text{日行盈縮} - {\text{月行遅速} \over \text{日月行差} \times 10}
\end{align} \]
という、貞享暦法の式が得られるわけである。

正直、こんなおおざっぱな計算でいいの?という疑問が湧いてくるのだが、こういう式になっているのだからしょうがない。このあたりは修正宝暦暦では改められている。

なお、日行盈縮・月行遅速の加減にあたって「盈は加へ縮は減じ」「遅は加へ速は減じ」と記載されていた。このブログの式においては、「日行盈縮では、盈がプラス、縮がマイナス」、「月行遅速では、遅がマイナス、速がプラス」として定義しておいた (※) ので、日行盈縮を加算し、月行遅速を減算することになる。

  • (※) 太陽・月の真黄経が平均黄経より進む方をプラス、遅れる方をマイナスとして定義したのである。

また、「十三度已下は、交終度を加へ、交定度と為す」と記載しているが、説明が面倒になるだけなので、とりあえずこのブログの式では無視しておく。
何をしようとしているのかというと、降交点付近の日月食が生じるのは、降交点ちょい前の朔望のとき(交定度が、交終度より若干小さい)と、降交点ちょい後の朔望のとき(交定度が、ゼロより若干大きい)となのだが、それがどちらも交終度前後の交定度となるよう調整しているのである。 

ただし、そうだとすると、後に「月食限」を 13.05 日度と定義しているので、「13 日度以下は」じゃだめで、少なくとも「13.05 日度以下は」 じゃないといけない気がする。

  • 交定度が 13日度~13.05日度の間の時、最大で 0.0575分という極小の食にしかならず、どうでもいいといえばどうでもいいかも知れない。


朔望定限行差

求朔望定限行差「置経朔望遅速暦日及分、以加減差加減之(朔食時差、又加減之)、為朔望食甚遅速暦日及分。視遅速暦日率、置其下限行度、以其日太陽行定度退一位減之、余為食甚定限行差」
経朔望遅速暦日及び分を置き、加減差を以ってこれに加減し(朔食時差、又これを加減す)、朔望食甚遅速暦日及び分と為す。遅速暦日率を視、其の下の限行度を置き、其の日の太陽行定度を以って、一位を退しこれより減じ、余、食甚定限行差と為す。
\[ \begin{align}
\text{朔望食甚遅速暦} &= \text{経朔望遅速暦} + \text{加減差} \\
\text{食甚定限行差} &= \text{太陰遅速限行度}(@\text{朔望食甚遅速暦}) - {\text{太陽行度} \over 10_\text{(限/日)}}
\end{align} \]

定朔弦望を算出するにあたって、経朔弦望時点の日月行差(日度/限) は算出していたが、食甚時点の日月行差(日度/限) を算出している。なお、貞享暦法において、月食は「食甚日時 = 定望日時」であるが、日食は「食甚日時 = 定朔日時 + 朔食時差」であるので、「朔食時差、又これを加減す」と記載されている。とりあえず今は月食について話しているので「朔食時差」のことは一旦忘れてもらってよい。

去交前後度

月食限十三度〇五分(既内四度三十五分・既外八度七十分)
定法八十七
交正三百六十三度七十九分三十四秒
交中百八十一度八十九分六十七秒
求月食入陰陽暦去交前後度「視交定度、在交中已下、以減交中、為陽暦交前度。已上、減去交中、為陰暦交後度。在交正已下、以減交正、為陰暦交前度。已上、減去交正、為陽暦交後度」
交定度を視、交中已下に在るは、以って交中より減じ、陽暦交前度と為す。已上は、交中を減去し、陰暦交後度と為す。交正已下に在るは、以って交正より減じ、陰暦交前度と為す。已上は、交正を減去し、陽暦交後度と為す。
\[ \begin{align}
\text{月食限} &= 13.05_\text{日度} \\
\text{交正} &= 363.7934_\text{日度} &(= \text{交終度}) \\
\text{交中} &= 181.8967_\text{日度} &(= \text{交終度} / 2) \\
\text{去交前後度} &= \text{[下表参照]}
\end{align} \]
ケース 交定度
陰陽 前後 去交前後度
昇交点前
\(- \text{月食限} \lt \text{交定度} - \text{交中} \lt 0\)
陽暦
交前
\(\text{交定度} - \text{交中} \)
昇交点後 \(0 \leqq \text{交定度} - \text{交中} \lt \text{月食限}\) 陰暦
交後
\(\text{交定度} - \text{交中} \)
降交点前
\(- \text{月食限} \lt \text{交定度} - \text{交正} \lt 0 \) 陰暦 交前
\(\text{交定度} - \text{交正} \)
降交点後
\(0 \leqq \text{交定度} \lt \text{月食限}\) 陽暦 交後
\(\text{交定度} \)

上記以外 不食

「去交前後度」は、食甚時点の月の黄経が、降交点または昇交点からどれだけ離れているかという値である。小さければ小さいほど深い食で、大きければ大きいほど浅い食。そして、月食限(13.05 日度)以上だと、不食ということになる。不食となれば、これ以上、計算を継続する必要はない。 

「陽暦」「陰暦」というのは、月が黄道の南にあるのか北にあるのかである。降交点後・昇交点前は、月が黄道の南「陽暦」。昇交点後・降交点前は、月が黄道の北「陰暦」。

「交前」「交後」というのは、そのまま、昇/降交点前は交前で、昇/降交点後は交後である。このブログの式においては、去交前後度は、交前はマイナス、交後はプラスの値として定義しておいた。

月食分秒

月食限十三度〇五分(既内四度三十五分・既外八度七十分)
定法八十七
求月食分秒「視去交前後度、用減食限(不及減者、不食)、余以定法而一、為月食之分秒」
去交前後度を視、用ゐて食限より減じ(減に及ばざれば、不食)、余、定法を以って一し、月食の分秒と為す。
\[ \begin{align}
\text{月食限} &= 13.05_\text{日度} \\
\text{定法} &= 0.87 &(= \text{月食限} \times {1 \over 15}) \\
\text{月食分秒} &= {\text{月食限} - |\text{去交前後度}| \over \text{定法}}
\end{align} \]

食甚時の食分(かけの大きさ)の計算である。月の視直径を 10分として、半分かけていれば 5分といった値。 

右図は、M を中心とする橙色の円が月輪、S を中心とする灰色の円が地球影 (※) であるが、食分は、右図の AB の長さによって決まる。

  • (※) 地球影とは、地球から見て太陽の反対側に出来る地球の影である。月が地球影のなかに入るとき、月食が生じる。

\(\text{AB} = \text{MB} + \text{AS} - \text{MS}\)
つまり、
\(\text{AB} = \text{月輪半径} + \text{地球影半径} - \text{月と地球影の距離}\)
である。食分は、AB の長さの、月輪直径に対する比を 10倍したものであるから、
\[\text{食分} = {\text{月輪半径} + \text{地球影半径} - \text{月と地球影の距離} \over 2 \times \text{月輪半径}} \times 10 \]
となる。ここで、長さをすべて月輪直径の 1/10 の長さを 1(一分)とする長さで表記することとしよう。とすれば、月輪半径 = 5 であるから、
\[\text{食分} = 5 + \text{地球影半径} - \text{月と地球影の距離} \]
となる。

さて、ここで、貞享暦法による食分の計算に立ち戻ろう。
\[ \begin{align}
\text{月食分秒} &= {\text{月食限} - |\text{去交前後度}| \over \text{定法}} \\
&= {13.05_\text{日度} - |\text{去交前後度}| \over 0.87_\text{日度}} \\
&= 15 - {|\text{去交前後度}| \over 0.87_\text{日度}}
\end{align} \]
である。

この式の「15」のところが \(5 + \text{地球影半径}\) に相当し、「\({|\text{去交前後度}| \over 0.87_\text{日度}}\)」のところが月と地球影の距離に相当する。

地球影半径は 10 分(地球影直径は 20 分)と想定されているようだ。月直径が 10 分なのだから、その倍の大きさとみているのである。

説明は省略するが、\(\text{地球影半径} = \text{月の地半径差} + \text{太陽の地半径差} - \text{太陽の視半径}\) として計算できる。寛政暦の定数、月の平均地半径差、月の平均視半径、太陽の地半径差、太陽の平均視半径、それぞれ \(0°.9583, 0°.26125, 0°.0028, 0°.2683\) をもとに計算すれば、地球影平均視半径は 0°.6928、直径を食分単位で表示すると 26.5 分となる。20 分は若干小さすぎるかなという感じ。

\(\text{地球影と月の距離} = |\text{去交前後度}| / 0.87_\text{日度}\) と計算しているが、この「0.87 日度」は何か。

白道が黄道に対して傾いている角度を \(i\) としたとき、\(\text{地球影と月の距離} = |\text{去交前後度}| \times \tan i\) と表現できるだろう。そしてまた、去交前後度は日度を単位に測った角度量であるのに対し、地球影と月の距離は食分(月視直径の 1/10 を 1分とする)の単位で測った角度量であるから、その換算レートもかけてやらないといけない。よって、
\[ \begin{align}
\text{地球影と月の距離} &= |\text{去交前後度}| / 0.87_\text{日度} \\
&= |\text{去交前後度}| \times \tan i / {\text{月の視直径} \over 10} \\
\therefore 0.87_\text{日度} &= {\text{月の視直径} \over 10 \tan i}
\end{align} \]
のように、黄道の変化量と黄緯の変化量の換算レート(1 : \(\tan i\))と、日度と食分との長さ単位の換算レート(月の視直径/10 : 1) を掛け合わせたものになっている。

なお、「定法八十七」と記載されているのに対し、私の式では \(\text{定法} = 0.87\) としている。これは、貞享暦書の記載では、月食限・去交前後度を、日度単位でなく分(日度の 1/100)単位の数値として計算することを想定した定数として定義しているためである。私の式では、角度量の計算をする場合、日度単位に統一したいので、\(\text{定法} = 0.87\) とした。 

去交前後度がゼロ(月の交点通過と同時に望となり、月中心と地球影中心との距離がゼロとなる)のとき、食分(月食分秒)は 15分となり最大。去交前後度の絶対値が月食限 13.05日度のとき、食分は 0分となり、無食。
月食分秒が 10分以上となるときは、皆既月食である。


以上、貞享暦の月食法のうち、食甚時の食分(月食分秒)の算出までの説明が終わった。次回は、貞享暦の月食法の残りについて説明する。

[江戸頒暦の研究 総目次へ]

[参考文献]

渋川春海, 土御門泰福(校閲)「貞享暦」, 国立公文書館デジタルアーカイブ蔵

西村遠里「貞享解」, 国立天文台三鷹図書館蔵デジタル化資料

西村遠里「授時解」, 国立天文台三鷹図書館蔵デジタル化資料

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