前回は、天保暦の歴史を語るだけで終わってしまったが、今回から天保暦の暦法の説明に入る。まずは例によって日躔から。今回は、太陽の平均黄経(平行)、太陽遠点の平均黄経(最高平行)の算出、および、初均(中心差)について。
暦元・積年
新法暦書巻一 [推日躔用数]
天保十三年壬寅天正冬至次日子正為暦元
天保十三年壬寅天正冬至次日子正を暦元と為す。
[推日躔法]
求積年「自暦元天保十三年壬寅距所求之年共若干年、減一年、得積年」
暦元天保十三年壬寅より求むるところの年を距つる共せて若干年、一年を減じ、積年を得。
\[ \begin{align}
\text{暦元年} &= 1842 \text{ (天保十三年)} \\
\text{暦元上元甲子} &= \text{1841-10-27T00:00:00} \\
\text{積年} &= \text{西暦年} - \text{暦元年} \\
\end{align} \]
天保暦の暦元は、天保十三(1842)年。これが、天保暦における Year #0 である。暦元天正冬至は、グレゴリオ暦では 1841-12-21 あたりのはずで、後に「気応 = 55.998836日」とあるので、1841-12-21 の 55日前、1841-10-27 あたりが暦元上元甲子日のはず。果たして、1841-10-27 は甲子日であるので、1841-10-27 が暦元上元甲子日、つまり、天保暦における Day #0 である。
なお、天保暦の暦元上元甲子日は、貞享暦の暦元上元甲子日 1683-12-14 の 57,660
日後、宝暦暦の暦元上元甲子日 1753-12-07 の 32,100 日後、寛政暦の暦元上元甲子日
1797-12-21 の 16,380 日後である。
天正冬至
新法暦書巻一 [推日躔用数]
周歳三百六十五日二四二二三三九五二二九一
紀法六十
気応五十五日九九八八三六
[推日躔法]
求中積分「以積年与周歳相乗、得中積分」
積年を以って周歳と相乗じ、中積分を得。
求通積分「置中積分、加気応、得通積分。上考往古、則置中積分、減気応、得通積分」
中積分を置き、気応を加へ、通積分を得。上って往古を考ふるは、則ち、中積分を置き、気応を減じ、通積分を得。
求天正冬至「置通積分、其日満紀法去之、余数為天正冬至日分。上考往古、則以余数減紀法、為天正冬至日分。自初日甲子起算、得干支」
通積分を置き、其の日、満紀法これを去き、余数、天正冬至日分と為す。上って往古を考ふるは、則ち、余数を以って紀法を減じ、天正冬至日分と為す。初日甲子より起算し、干支を得。
\[ \begin{align}
\text{周歳} &= 365_\text{日}.242233952291 \\
\text{紀法} &= 60_\text{日} \\
\text{気応} &= 55_\text{日}.998836 \\
\text{中積分} &= \text{積年} \times \text{周歳} \\
\text{通積分} &= \text{中積分} + \text{気応} \\
\text{天正冬至} &= \text{通積分} \\
\end{align} \]
天正冬至の計算方法は、寛政暦となにも変わらない。1 年の長さを「歳周」ではなく「周歳」としているが、意味は同じだろう。意味が同じなら用語を変えないでほしいが。
「周歳」の長さは、平均太陽年の長さとしてかなり妥当。天保暦には消長法がないので、常に同じ値である。
例によって、「天正冬至」は、紀法 60
日の余りをとって、日干支および時刻の値にしようとしているが、このブログの式では、余りをとらず「天正冬至
= 通積分」とし、「天正冬至」を、暦元上元甲子日 0:00
からの通算日時とする。
恒気(平気)の二十四節気・土用
新法暦書巻一 [推日躔用数]
気策一十五日二一八四二六四一四七
土用策一十二日一七四七四一一三一七
宿法二十八
宿応五日九九八八三六
[推日躔法]
求恒気「置天正冬至日分、以気策逓加二十三次、其日満紀法去之、為逐月恒気日分。自初日甲子起算、得干支」
天正冬至日分を置き、気策を以って二十三次に逓加し、其の日、満紀法これを去き、逐月の恒気日分と為す。初日甲子より起算し、干支を得。
求土用事「置四季之節気日分、加土用策、満紀法去之、為四季土用事日分。自初日甲子起算、得干支」
四季の節気日分を置き、土用策を加へ、満紀法これを去き、四季土用事日分と為す。初日甲子より起算し、干支を得。
求紀日「以天正冬至干支加一日、得紀日」
天正冬至干支を以って一日を加へ、紀日を得。
求値宿「置中積分、加宿応、為通積宿。其日満宿法去之、外加一日、為値宿日分。上考往古、則置中積分、減宿応、為通積宿。其日満宿法去之、以余数減宿法、外加一日、為値宿日分。自初日角宿起算、得値宿」
中積分を置き、宿応を加へ、通積宿と為す。其の日、満宿法これを去き、外に一日を加へ、値宿日分と為す。上って往古を考ふるは、則ち中積分を置き、宿応を減じ、通積宿と為す。其の日、満宿法これを去き、余数を以って宿法より減じ、外に一日を加へ、値宿日分と為す。初日角宿より起算し、値宿を得。
\[ \begin{align}
\text{気策} &= 15_\text{日}.2184264147 & (= \text{周歳} / 24) \\
\text{土用策} &= 12_\text{日}.1747411317 & (= \text{周歳} / 30) \\
\text{宿法} &= 28_\text{日} \\
\text{宿応} &= 5_\text{日}.998836 \\
\text{平気二十四節気} &= \text{天正冬至} + n \times \text{気策} \\
\text{土用} &= \left\{ \begin{matrix} \text{清明三月節} \\ \text{小暑六月節} \\ \text{ 寒露九月節} \\ \text{ 小寒十二月節} \end{matrix} \right\} + \text{土用策} \\
\text{紀日} &= [\text{天正冬至}] + 1 \\
\text{値宿} &= ([\text{中積分} + \text{宿応}] + 1) \mod \text{宿法} \\
\end{align} \]
このあたりも寛政暦と変わらない。ただし、天保暦は定気法なので、この辺の、平気の節気・土用を求める式を、頒暦を作成するにあたって使用するわけではない。定気の節気・土用については別途説明する。
一点、寛政暦と異なるのは、七十二候の日時を求める計算式が記載されていないことだ。これは意図的に廃止したのである。新法暦書続編巻四「七十二候」には下記の記載がある。
「……然雷声之収発・虹霓之見不見、草木之栄枯、豈可配日乎。固其大概而己。故漢土之暦、配月而不配日、蓋此意也。今亦沿之、並廃配日歩法云」二月中末候「雷乃発声」、三月節末候「虹始見」などの候を日に配したところで、その日に雷が鳴るわけでもなければ虹が見えるわけでもない。それを暦上において日に配するのはミスリーディングではないのかという話である。かわりに「配月」する。つまり、暦日記事のところではなく、月二回、節気記事のところで、「この気の初め頃は○○の候、中頃は○○の候、終り頃は○○の候」とだけ記した方がよいということだ。
然るに雷声の収発・虹霓の見不見、草木の栄枯、あに配日すべからんや。固より其の大概なるのみ。ゆゑに漢土の暦、配月して配日せざる、蓋し此の意なり。今またこれに沿ひ、並せて配日歩法を廃すと云ふ。
頒暦(仮名暦)ではそもそも七十二候を注さないのだが、明治になって略本暦には七十二候が掲載されており(※)、それにはこの「節気記事のところに記載する」という方式がとられている。
- (※) なぜか、本暦には掲載されず、略本暦には掲載されている。
明治七年の略本暦。小寒の節気記事に 初候「芹乃栄」次候「水泉動」末候「雉始雊」 の七十二候がまとめて記載され、個々の日には配日されていない。 |
ただ、「七十二候」の配日法を廃したといっても、雑節としての「半夏生
はんげしゃう」の配日は行わないといけない。これの配日は、基本的にはもとの七十二候の配日法に沿っているわけだが、定気法なので全くそのままというわけでもない。定気法の半夏生配日法については、定気の節気・土用の算出法を説明するところで併せて説明することにする。
七十二候について
七十二候の候名について、頒暦には表示されないこともあって、今まであまり触れてこなかった。ここで少々言及しておく。
節気 | 候 | 暦林問答集 | 貞享暦 | 宝暦暦~ |
---|---|---|---|---|
立春 | 初候 | 東風解凍 | → | → |
次候 | 蟄虫始振 | 梅花乃芳 | 黄鶯睍睆 | |
末候 | 魚上氷 | → | → | |
雨水 | 初候 | 獺祭魚 | 土脉潤起 | → |
次候 | 鴻雁来 | 霞彩碧空 | 霞始靆 | |
末候 | 草木萌動 | → | → | |
啓蟄 | 初候 | 桃始華 | 蟄虫啓戸 | → |
次候 | 倉庚鳴 | 寒雨間熟 | 桃始笑 | |
末候 | 鷹化為鳩 | 菜虫化蝶 | → | |
春分 | 初候 | 玄鳥至 | 雀始巣 | → |
次候 | 雷乃発声 | → | 桜始開 | |
末候 | 始電 | 桜始開桃始笑 | 雷乃発声 | |
清明 | 初候 | 桐始華 | 玄鳥至 | → |
次候 | 田鼠化為鴽 | 鴻雁北 | → | |
末候 | 虹始見 | → | → | |
穀雨 | 初候 | 萍始生 | 葭始生 | → |
次候 | 鳴鳩払其羽 | 牡丹華 | 霜止出苗 | |
末候 | 戴勝降桑 | 霜止出苗 | 牡丹華 | |
立夏 | 初候 | 螻蟈鳴 | 鵑始鳴 | 蛙始鳴 |
次候 | 蚯蚓出 | → | → | |
末候 | 王瓜生 | 竹笋生 | → | |
小満 | 初候 | 苦菜秀 | 蚕起食桑 | → |
次候 | 靡草死 | 紅花栄 | → | |
末候 | 小暑至 | 麦秋至 | → | |
芒種 | 初候 | 螳螂生 | → | → |
次候 | 鵙始鳴 | 腐草為蛍 | → | |
末候 | 反舌無声 | 梅子黄 | → | |
夏至 | 初候 | 鹿角解 | 乃東枯 | → |
次候 | 蝉始鳴 | 分龍雨 | 菖蒲華 | |
末候 | 半夏生 | → | → | |
小暑 | 初候 | 温風始至 | 温風至 | → |
次候 | 蟋蟀居壁 | 蓮始開 | → | |
末候 | 鷹乃学習 | → | → | |
大暑 | 初候 | 腐草化為蛍 | 桐始結花 | → |
次候 | 土潤溽暑 | → | → | |
末候 | 大雨時行 | → | → | |
立秋 | 初候 | 涼風至 | → | → |
次候 | 白露降 | 山沢浮雲 | 寒蝉鳴 | |
末候 | 寒蝉鳴 | 霧色已成 | 蒙霧升降 | |
処暑 | 初候 | 鷹乃祭鳥 | 寒蝉鳴 | 綿柎開 |
次候 | 天地始粛 | → | → | |
末候 | 禾乃登 | → | → | |
白露 | 初候 | 鴻雁来 | 草露白 | → |
次候 | 玄鳥帰 | 鶺鴒鳴 | → | |
末候 | 群鳥養羞 | 玄鳥去 | → | |
秋分 | 初候 | 雷乃収声 | 鴻雁来 | 雷乃収声 |
次候 | 蟄虫坏戸 | → | → | |
末候 | 水始涸 | → | → | |
寒露 | 初候 | 鴻雁来賓 | 棗栗零 | 鴻雁来 |
次候 | 雀入大水為蛤 | 蟋蟀在戸 | 菊花開 | |
末候 | 菊有黄華 | 菊花開 | 蟋蟀在戸 | |
霜降 | 初候 | 豺乃祭獣 | 霜始降 | → |
次候 | 草木黄落 | 蔦楓紅葉 | 霎時施 | |
末候 | 蟄虫咸俯 | 鶯雛鳴 | 楓蔦黄 | |
立冬 | 初候 | 水始氷 | 山茶始開 | → |
次候 | 地始凍 | → | → | |
末候 | 雉入大水為蜃 | 霎乃降 | 金盞香 | |
小雪 | 初候 | 虹蔵不見 | → | → |
次候 | 天気上騰地気下降 | 樹葉咸落 | 朔風払葉 | |
末候 | 閉塞而成冬 | 橘始黄 | → | |
大雪 | 初候 | 鶡旦不鳴 | 閉塞成冬 | → |
次候 | 武始交 | 熊蟄穴 | → | |
末候 | 茘挺出 | 水仙開 | 鱖魚群 | |
冬至 | 初候 | 蚯蚓結 | 乃東生 | → |
次候 | 麋角解 | → | → | |
末候 | 水泉動 | 雪下出麦 | → | |
小寒 | 初候 | 雁北郷 | 芹乃栄 | → |
次候 | 鵲始巣 | 風気乃行 | 水泉動 | |
末候 | 雉始雊 | → | → | |
大寒 | 初候 | 鶏乳 | 款冬華 | → |
次候 | 征鳥厲疾 | 水沢腹堅 | → | |
末候 | 水沢腹堅 | 鶏始乳 | → |
貞享暦以前の七十二候は「暦林問答集」の記載によった。正直、中国においても諸説紛々であって、確定した七十二候の候名というのがあるわけでもない。
貞享暦において、日本と中国の気候の差違にも留意しつつ、相当量の候名の改定を行っている。また、宝暦暦でもさらに改定している。それ以降、寛政暦・天保暦・明治期の略本暦に至るまで、宝暦暦の候名を踏襲している(※1)。現在、「七十二候」を掲載している市販のカレンダー等でも、宝暦暦の候名によっているケースが多いようである(※2)。
- (※1) 文字表記の揺れ(「花」と「華」等)は無視。
- (※2) 「七十二候は、配月すべし。配日すべからず」という、天保暦、および、明治の略本暦の方針は、現在の市販のカレンダー等には必ずしも踏襲されていないようである。
時刻表示(辰刻)
新法暦書巻一 [推日躔用数]
辰法八百三十三分三十三秒
半辰法四百十六分六十七秒
刻法一百分
[推日躔法]
求辰刻「置所求距子正後分数、以辰法除之(止一位)、加一、得辰数(如除数満半辰法去之、辰数外再加一辰)。余数以刻法収之、為刻分。辰数自初辰子正起算(如満半辰法去之、則自初辰子初起算)、得辰刻」
求むるところの距子正後分数を置き、辰法を以ってこれを除し(一位に止む)、一を加へ、辰数を得(もし除数、半辰法を満たすはこれを去き、辰数、外に再び一辰を加ふ)。余数、刻法を以ってこれを収め、刻分と為す。辰数、初辰子正より起算し(もし半辰法を満たしこれを去くは、則ち初辰子初より起算し)、辰刻を得。
辰刻の計算方法が記載されているが、例によって二十四時制の辰刻表示の計算方法である。そして、天保暦の頒暦において使用されるのは、二十四時制の辰刻表示でもなければ十二時制の辰刻表示でもなく、不定時法の時分表示である。不定時法の時分表示の計算については、晨昏分などの計算方法を見たところで別途説明する。
平行
太陽毎日平行九十八分五十六秒四十七微二十四繊零五忽
最高毎歳平行一分八十一秒九十四微四十四繊四十四忽
最高毎日平行四十九微八十一繊四十七忽
最高応六宮一十零度三十零分七十六秒九十四微
求年根「以周日為一率、太陽毎日平行為ニ率、以天正冬至分(不用日)与周日相減為三率、求得四率為年根」
周日を以って一率と為し、太陽毎日平行、ニ率と為し、天正冬至分(日を用ゐず)を以って周日と相減じ、三率と為し、求めて得る四率、年根と為す。
求最高年根「以積年与最高毎歳平行相乗、為積年之行。加最高応、得最高年根。上考往古、則置最高応、減積年行(不足減者、加十二宮減之)、得最高年根」
積年を以って最高毎歳平行と相乗じ、積年の行と為す。最高応を加へ、最高年根を得。上って往古を考ふるは、則ち最高応を置き、積年行を減じ(減に足らざるは、十二宮を加へこれを減ず)、最高年根を得。
求日数「自天正冬至次日距所求本日共若干日、為日数(即距根日数)。」
天正冬至次日より求むるところの本日を距つる共せて若干日、日数と為す(即ち距根日数)。
求平行「以所求日数与太陽毎日平行相乗、得数以宮法収之、与年根相加、得平行」
求むるところの日数を以って太陽毎日平行と相乗じ、得る数、宮法を以ってこれを収め、年根と相加へ、平行を得。
求最高平行「以所求日数与最高毎日平行相乗、得数与最高年根相加、得最高平行」
求むるところの日数を以って最高毎日平行と相乗じ、得る数、最高年根と相加へ、最高平行を得。
\[ \begin{align}
\text{太陽毎日平行} &= 0°.9856472405 &(= 360° / \text{周歳}) \\
\text{最高毎歳平行} &= 0°.0181944444 \\
\text{最高毎日平行} &= 0°.0000498147 &(= \text{最高毎歳平行} / \text{周歳}) \\
\text{最高応} &= 190°.307694 \\
\text{年根} &= (1_\text{日} - \text{小数部}(\text{天正冬至})) \times \text{太陽毎日平行} \\
\text{最高年根} &= \text{積年} \times \text{最高毎歳平行} + \text{最高応} \\
\text{日数} &= \text{本日} - \text{天正冬至次日} \\
\text{平行} &= \text{日数} \times \text{太陽毎日平行} + \text{年根} \\
\text{最高平行} &= \text{日数} \times \text{最高毎日平行} + \text{最高年根}
\end{align} \]
太陽黄経と太陽遠点黄経の天正冬至次日0:00時点の平均黄経(年根)を求め、日数×毎日平行を加えて、求めたい時点の平均黄経を算出する。寛政暦での計算と特に変わるところはなく、難しいところは特にないだろう。
ただし、寛政暦では最卑(近点)で計算していたが、天保暦では最高(遠点)によっている。180°
真反対の方向になっただけのことで特段どうこうという話はない。寛政暦では太陽は最卑(近点)、月・五星は最高(遠点)ということで不統一だったが、天保暦では最高(遠点)にすべて統一された。「最高応六宮一十零度…」とある。「宮」は
30° を意味する角度単位なので、「6 宮 10 度」とあれば、それは 190°
の意味である。
初均(中心差)
寛政暦においては、太陽の均数は中心差(つまり近点付近の角速度が最も速く、遠点付近の角速度が最も遅いことによる不等)のみであった。天保暦では、初均(中心差)のほかに、一均(章動)、二均(木星の重力による摂動)、三均(金星の重力による摂動)、四均(月の重力による摂動)を加味している。
とはいえ、もちろん、各均数のなかで、初均(中心差)が桁違いに大きい。初均以外で最も大きいのは一均(章動)だが、最大振幅は \(16^{\prime\prime}.8\) ほど。節気の時刻に換算して、6~7分程度。初均の最大振幅は 1°.92 ほどで、節気の時刻にして 2日近くであるから、まさに桁違いである。
ここでは、まず、初均(中心差)について
[新法暦書巻一 推日躔用数]
初均最大一差一度九十二分五十三秒一十四微
初均最大二差二分零二秒二十二微
初均最大三差二秒八十六微
両心差一十六萬八千零二十零小余七
[新法暦書巻一 推日躔法]
求引数「置平行、減最高平行(不足減者、加十二宮減之)、得引数。倍之(満十二宮去之)、為倍引数。三之(満十二宮去之)、為三倍引数」
平行を置き、最高平行を減じ(減に足らざれば、十二宮を加へこれを減ず)、引数を得。これを倍し(満十二宮これを去く)、倍引数と為す。これを三し(満十二宮これを去く)、三倍引数と為す。
求初均一差「以半径為一率、引数之正弦為二率、初均最大一差為三率、求得四率、為初均一差。引数、初宮至五宮為減、六宮至十一宮為加」
半径を以って一率と為し、引数の正弦、二率と為し、初均最大一差、三率と為し、求めて得る四率、初均一差と為す。引数、初宮より五宮に至るは減と為し、六宮より十一宮に至るは加と為す。
求初均二差「以半径為一率、倍引数之正弦為二率、初均最大二差為三率、求得四率、為初均二差。倍引数、初宮至五宮為加、六宮至十一宮為減」
半径を以って一率と為し、倍引数の正弦、二率と為し、初均最大二差、三率と為し、求めて得る四率、初均二差と為す。倍引数、初宮より五宮に至るは加と為し、六宮より十一宮に至るは減と為す。
求初均三差「以半径為一率、三倍引数之正弦為二率、初均最大三差為三率、求得四率、為初均三差。三倍引数、初宮至五宮為減、六宮至十一宮為加」
半径を以って一率と為し、三倍引数の正弦、二率と為し、初均最大三差、三率と為し、求めて得る四率、初均三差と為す。三倍引数、初宮より五宮に至るは減と為し、六宮より十一宮に至るは加と為す。
求初均「以初均一差二差三差、各同加異減、得初均。加数大為加、減数大為減」
初均一差・二差・三差を以って、各おの、同じきは加へ異なるは減じ、初均を得。加数大は加と為し、減数大は減と為す。
\[ \begin{align}
\text{両心差} e_s &= 0.01680207 \\
\text{引数} &= \text{平行} - \text{最高平行} \\
\text{初均一差} &= -1°.925314 \sin(\text{引数}) \\
\text{初均二差} &= +0°.020222 \sin(2 \times \text{引数}) \\
\text{初均三差} &= -0°.000286 \sin(3 \times \text{引数}) \\
\text{初均} &= \text{初均一差} + \text{初均二差} + \text{初均三差}
\end{align} \]
寛政暦の暦算においては、ケプラー方程式の(近似)解を、幾何学的計算でがりがり計算して中心差を求めていたのだが、天保暦においては、フーリエ級数展開したもので計算しており、より精度の高い値を、簡単ですっきりした計算で求められるようになっている。
以下は、平均近点角 \(M\) から真近点角 \(\nu\) を求める展開式を、「Wikipedia: 真近点角」から頂いてきたものだが(式中の角度はラジアン単位)、
\[ \begin{align}
\nu =& M
\\
& + 2e \sin M \\
& + {5 \over 4} e^2 \sin 2M \\
&
+ e^3 \left( {13 \over 12} \sin 3M - {1 \over 4} \sin M \right) \\
&
+ e^4 \left( {103 \over 96} \sin 4M - {11 \over 24} \sin 2M \right) \\
&
+ e^5 \left( {1097 \over 960} \sin 5M - {43 \over 64} \sin 3M + {5 \over 96}
\sin M \right) \\
& + e^6 \left( {1223 \over 960} \sin 6M - {451
\over 480} \sin 4M + {11 \over 24} \sin 2M \right) \\
& + \cdots
\end{align}
\]
これに従い、天保暦における太陽の(本当は地球の)離心率 \(e_s = 0.01680207\)
を当てはめると、
\(\nu = M + 1°.925307 \sin M + 0°.020217 \sin 2M +
0°.000294 \sin 3M + 0°.000005 \sin 4M + \cdots\)
となる。これは、\(\nu, M\)
を近点離角とする場合の式だが、遠点離角とすれば、\(\sin M, \sin 3M, \cdots\)
の符号が反転し、
\(\nu = M - 1°.925307 \sin M + 0°.020217 \sin 2M -
0°.000294 \sin 3M + 0°.000005 \sin 4M + \cdots\)
となる。天保暦の、
\(\nu
= M - 1°.925314 \sin M + 0°.020222 \sin 2M - 0°.000286 \sin 3M\) (※)
と、ぴったりは合わないにせよ、大体合っていることがわかる。
- (※) 初均一差・三差の計算においては、「[引数 / 三倍引数]、初宮より五宮に至るは減と為し、六宮より十一宮に至るは加と為す」、つまり、第1・第2象限ではマイナス、第3・第4象限ではプラスということだから、\(-\sin M, -\sin 3M\) に従う。一方、初均二差では、「倍引数、初宮より五宮に至るは加と為し、六宮より十一宮に至るは減と為す」、つまり、第1・第2象限ではプラス、第3・第4象限ではマイナスということだから、\(+ \sin 2M\) に従う。
下記のグラフは、天保暦における太陽の(本当は地球の)離心率 \(e_s = 0.01680207\)
について、寛政暦の日躔で行われたような中心差計算を行う場合と、天保暦の式との精度の差を比較したものである。
ケプラー方程式において、平均近点角から離心近点角への変換は近似的・漸近的にしか行えないが、逆の変換は厳密に行える(離心近点角と真近点角との間の変換は双方向に厳密に変換できる)ことを利用し、寛政暦・天保暦の暦法で計算した真近点角をケプラー方程式によって平均近点角に戻し、それがもとの値とどの程度ずれるかで精度を測っている。
比較のため、ケプラー方程式の漸化式
\[
\begin{align}
E_0 &= M \\
E_{i + 1} &= M + e \sin E_i \\
\end{align}
\]
の \(E_2, E_3\)
の精度とも比較する。グラフの縦軸の単位は、六十進角度秒(″)である。
天保暦(橙色)の計算精度は、寛政暦(青色)の計算精度よりはるかに高く、\(E_2\) (灰色)を超え、\(E_3\) (黄色)に迫る精度となっていることがわかる。
太陽の実行(真黄経)を求めるためには、さらに、一均(章動)、二均(木星の重力による摂動)、三均(金星の重力による摂動)、四均(月の重力による摂動)を求める必要があるが、今回はここで筆をおく。次回は、一均(章動)と黄赤大距(黄道傾斜角)について。
[参考文献]
渋川 景祐; 足立 信頭「新法暦書」 国立公文書館デジタルアーカイブ蔵
渋川 景祐; 足立 信行「新法暦書続編」 国立公文書館デジタルアーカイブ蔵
中村 璋八 (1978)「暦林問答集本文とその校訂」, 駒澤大學外国語部研究紀要 7, pp.1-48 https://ci.nii.ac.jp/naid/110006993131/
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