天保暦の日躔(太陽の運行)についての説明を行っている。前回は、平行(平均黄経)と、初均等(中心差、すなわち、地球の公転角速度が近点付近で早く、遠点付近で遅いことによる不等)の説明を行った。
今回は、太陽の実行(真黄経)を求めるための次の不等項、「一均」(章動)と、それに関係する項目「黄赤大距」(黄道傾斜角)について。
実のところ、「一均」「黄赤大距」を日躔のなかに含めるのはあまり適切でもない。これらは、実際のところ、太陽とは関係なくて、地球に関するものだからである。そんなこと言ったら、そもそも「日躔」のなかの項目は全部そうじゃないかと言えば、その通りなのだが、太陽の実行(真黄経)とかは、実際は地球の公転に関する値であるのに対し、「一均」「黄赤大距」は地球の自転に関する値であり、かなり毛色が違う。
「一均」(章動)は、太陽の実行(真黄経)を求めるために必要な補正項であるのは事実だが、太陽以外の月やら惑星やら恒星やらの黄経でも、つねに加算しなければいけない項目であって、「太陽の均数」というわけではないのだ。章動は、天体自体の位置が変わるわけでもなんでもない。「黄経」とは、そもそも、天体の黄道座標系での位置と、春分点(江戸時代の暦法では冬至点)との離角である。そして、章動は、春分点(なり冬至点なり)の位置がずれる量だ。座標系の原点がずれるので、すべての天体の黄経の見かけ上の値が変わる。
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天保暦では、黄経に関する章動を、太陽の均数「太陽一均」と位置付けてしまったために、太陽以外の天体における章動の取り扱いがいい加減になっている気がする。月に関してはなんとか辻褄を合わせているが、惑星とかだとかなりアヤシイ。
上図において、上部に黄道北極(すなわち、地球の公転軸の向き)があり、そこから夏至方向(図での手前方向)に、平均黄道傾斜角(約 23°半ほど)離れたところに平均の赤道北極(すなわち、地球の平均自転軸)がある。黄道北極から見て平均赤道北極がある方向に向けて黄道上に降ろした点が平均夏至点であり、そこから黄道上90°手前(北極から見て時計周りに 90°)のところが平均春分点であり、平均夏至点の真裏が平均冬至点だ。
しかし、(主に月の影響により)地球の自転軸は揺れ動いている。真赤道北極は、平均赤道北極の周りを縦長の楕円上に約
18.6年周期で回っている。楕円のタテ方向の動きは、黄道北極と赤道北極との距離、すなわち、黄道傾斜角の変動をもたらす。これが黄道傾斜角の章動
\(\Delta \epsilon\)
である。天保暦では「赤道緯行」と呼ぶ。楕円のヨコ方向の動きは、真夏至点を平均夏至点の前後に動かす。真夏至点が動けば、その90°手前の真春分点も、その真裏の真冬至点も、当然に同じだけ動く。これが黄経における章動
\(\Delta \psi\)
である。天保暦では「(太陽)一均」である。太陽とは何の関係もないが。
黄赤大距(黄道傾斜角)と一均(黄経における章動)の算出
黄道毎歳緯行一秒二十二微六十一繊(即暦元壬寅後戊申前後一十年間通用之数也。過之、則宜改算。其法詳推歳差法。黄赤大距応亦同)
(即ち暦元壬寅後戊申 [嘉永元(1848)年] 前後一十年間通用の数なり。これを過ぐれば、則ち宜しく改算すべし。其の法、推歳差法に詳し。黄赤大距応また同じ)
赤極圏大半径二十五秒
赤極圏小半径一十八秒六十一微
黄赤大距応二十三度四十五分九十四秒九十微
求黄赤大距年根「以積年与黄道毎歳緯行相乗、為積年行。以減黄赤大距応、得黄赤大距年根。上考往古、則置黄赤大距応、加積年行、得黄赤大距年根」
積年を以って黄道毎歳緯行と相乗じ、積年行と為す。以って黄赤大距応より減じ、黄赤大距年根を得。上って往古を考ふるは、則ち黄赤大距応を置き、積年行を加へ、黄赤大距年根を得。
求赤道緯行「以半径為一率、太陰正交平行之正弦為二率、赤極圏大半径為三率、求得四率為赤道緯行。太陰正交平行、初宮至五宮為減、六宮至十一宮為加」
半径を以って一率と為し、太陰正交平行の正弦、二率と為し、赤極圏大半径、三率と為し、求めて得る四率、赤道緯行と為す。太陰正交平行、初宮より五宮に至るは減と為し、六宮より十一宮に至るは加と為す。
求黄赤大距「置黄赤大距年根、加減赤道緯行、得黄赤大距」
黄赤大距年根を置き、赤道緯行を加減し、黄赤大距を得。
求一均「以黄赤大距之正弦為一率、太陰正交平行之余弦為二率、赤極圏小半径為三率、求得四率為一均。太陰正交平行、初一二九十十一宮為加、三四五六七八宮為減」
黄赤大距の正弦を以って一率と為し、太陰正交平行の余弦、二率と為し、赤極圏小半径、三率と為し、求めて得る四率、一均と為す。太陰正交平行、初一二九十十一宮、加と為し、三四五六七八宮、減と為す。
\[ \begin{align}
\text{黄道毎歳緯行} &= 0°.00012261 \\
\text{赤極圏大半径} &= 0°.0025 \\
\text{赤極圏小半径} &= 0°.001861 \\
\text{黄赤大距応} &= 23°.459490 \\
\text{黄赤大距年根} &= \text{黄赤大距応} - \text{黄道毎歳緯行} \times \text{積年} \\
\text{赤道緯行} &= - \text{赤極圏大半径} \times \sin(\text{太陰正交平行}) \\
\text{黄赤大距} &= \text{黄赤大距年根} + \text{赤道緯行} \\
\text{一均} &= {\text{赤極圏小半径} \times \cos(\text{太陰正交平行}) \over \sin(\text{黄赤大距})}
\end{align} \]
「黄赤大距年根」は平均の黄道傾斜角であり、永年すこしずつ傾斜を減らしている。これに黄道傾斜角の章動「赤道緯行」を加味して、真の黄道傾斜角「黄赤大距」を得る。
黄道傾斜角の章動「赤道緯行」、黄経における章動「一均」の値は、真赤道北極が回る楕円の長半径「赤極圏大半径」、短半径「赤極圏小半径」、および、月の昇交点黄経(太陰正交平行)に従い楕円を回るので、その sin, cos によって得られる。
一均は、\(\sin(\text{黄赤大距})\) で割っている。赤道北極あたり(黄緯66°半ぐらい)の子午線は、黄道上におけるのと比べ間隔の目が詰まっていて、赤道北極あたりの間隔と、黄道上の間隔との比は、\(\sin(\text{黄赤大距}) : 1\)。黄経における章動の大きさは、黄道まで下ろしてきたときの大きさだから、\(\sin(\text{黄赤大距})\) で割り返しているのである。\(\sin(23°\text{半})\) は、0.4 程なので、赤極圏小半径は、0°.001861 (\(6^{\prime\prime}.7\)) だが、黄経における章動の振幅は、0°.00465 (\(16^{\prime\prime}.75\)) ほどとなり、黄道傾斜角の章動の振幅 0°.0025 (\(9^{\prime\prime}\)) よりも大きくなる。
さて、この計算を行うのに、月の昇交点黄経(太陰正交平行)が必要だ。本当は月離の説明を行うときに説明する内容だが、必要箇所だけ先出しで計算方法を記載しておく。
\[ \begin{align}
\text{積日} &= \text{中積分} + \text{小数部}(\text{気応}) -
\text{小数部}(\text{通積分}) \\
\text{正交応} &= 328°.557625 \\
\text{正交毎日平行}
&= 0°.0529551677 \\
\text{正交年根} &= \text{正交応} + \text{積日} \times
\text{正交毎日平行} \\
\text{正交平行} &= \text{正交年根} + \text{日数} \times
\text{正交毎日平行}
\end{align} \]
寛政暦・天保暦でよくあるタイプの計算なので、特に難しいことはないだろう。
積日は、暦元天正冬至次日0:00~当年天正冬至次日0:00 間の経過日時である。
- 中積分は、暦元天正冬至~当年天正冬至間の経過日時。
- 気応は暦元上元甲子日0:00~暦元天正冬至間の経過日時で、その小数部は、暦元天正冬至日0:00~暦元天正冬至間の経過時間。
- 通積分は、暦元上元甲子日0:00~当年天正冬至間の経過日時で、その小数部は、当年天正冬至日0:00~当年天正冬至間の経過時間。
これらを加減して、積日は、暦元天正冬至日0:00~当年天正冬至日0:00間の経過日時を求めていることになるが、これは、暦元天正冬至次日0:00~当年天正冬至次日0:00間の経過日時に等しい。
「正交応」は、暦元天正冬至次日0:00時点の昇交点黄経。これに、積日×毎日平行を加えて、当年天正冬至次日0:00時点の昇交点黄経を得る。さらに、日数(当年天正冬至次日0:00~求めたい時点の経過日時)×毎日平行を加えて、求めたい時点の昇交点黄経が得られる。
一点、注意すべきことがある。月の昇交点黄経は後退する。つまり、本当は正交毎日平行(昇交点黄経の平均角速度)はマイナスの値なのだ。しかし、「正交平行」は増加する量のように計算している。天保暦における正交の黄経は、冬至点を起点に逆回り(北極から見て時計周り)に計った量となっているのだ。例えば、正交平行が 10° だったとしたら本当の(冬至起点の)昇交点平均黄経は -10° (350°) なのである。寛政暦の計算では、「日数×正交毎日平行」を引き算して、一応、普通の黄経の値のように計算していたが、天保暦では逆回り黄経として計算しているので、注意が必要である。
さて、章動は、なぜ、月の昇交点黄経に従う動きをするのだろうか。上図を見ていただきたい。天球の北極付近を描いた図である。図の右側が冬至点方向、左側が夏至点方向(描いていないが、上側が春分点方向、下側が秋分点方向である)。図の右あたりに黄道北極があり、その周囲を白道傾斜角 5° 強を半径とする円を描いて約 18.6年周期で白道北極が回っている。黄道北極から見て白道北極がある方角は、昇交点がある方角の90°前(時計周りに90°)である(昇交点は逆回りするから「90° 先」というべきか)。
そして、黄道北極から夏至点方向に、平均黄道傾斜角 23°半、離れたところに平均赤道北極がある。真赤道北極はその周りを廻っているわけだが、黄道北極(すなわち、ある意味、平均の白道北極)から見て白道北極がある方向と、平均赤道北極から見て真赤道北極がある方向とが正反対になるように、真赤道北極は動く。
どういうことなのかというと、地球の自転面(赤道面)と、月の公転面(白道面)とを一致させるような方向の力が働くのでこういう動きになるのである。地球は回転楕円体であり極側より赤道付近のほうがふくらんでいる、つまりちょっと重い。また、月は長いレンジで平均すれば地球の周囲に存在するリングであると近似できる。この地球の赤道リングと月の公転リングがお互いを引き合うので、地球の自転面と、月の公転面とを一致させるような方向の力となる。この力は、重力により真っ直ぐ直立しようとする力がかかっている状態のやじろべえが左右に揺れるように、あるいはお互いを引力で引き合う連星が、共通重心から見れば互いに正反対の方向に位置しながらお互いの周りを廻るように、反対方向に位置しながらくるくると廻るのである。
上記から、一均・赤道緯行と、月の正交平行との関係がわかる。 月の正交平行が 0°(黄道北極から見て図の右方向)のとき、白道北極は黄道北極から見て図の下方向、真赤道北極は平均赤道北極から見て図の上方向にある。この時点では、真黄道傾斜角は平均黄道傾斜角と差違なく、赤道緯行 \(\Delta \epsilon\) はゼロ。夏至点は春分点方向に最大に振れている、すなわち、最大限後退しているので、黄経の原点である春分点 or 冬至点が後退しているのであり、各天体の黄経の値を大きくする方向に最大限振れている。つまり、一均 \(\Delta \psi\) はプラスの最大。
月の正交平行(つまり、マイナスの昇交点平均黄経)が増大するにつれ、月の昇交点、白道北極、真赤道北極は逆回り(北極方向から見て時計回り)する。月の正交平行 = 90° のとき、真赤道北極は、最大限、黄道北極に近づいている。つまり、黄道傾斜角が極小となっているから、赤道緯行 \(\Delta \epsilon\) はマイナスの極小値。が、一均 \(\Delta \psi\)は、春分点方向にも秋分点方向にも振れていないのでゼロ。
といった感じで、赤道緯行 \(\Delta \epsilon\) は、\(- \sin(\text{太陰正交平行})\) に従う値であり、一均 \(\Delta \psi\) は、\(\cos(\text{太陰正交平行})\) に従う値であることがわかる。
太陰正交平行は、冬至点を起点に逆回りする経度で表示されている。現代の天文学における昇交点黄経(春分点を起点に順回り(北極側から見て半時計周り)の経度)\(\Omega\)
との関係は、\(\text{太陰正交平行} = 270° - \Omega\) ということになり、
\[
\begin{align}
\Delta \epsilon \propto - \sin(\text{太陰正交平行}) = -
\sin(270° - \Omega) = \cos \Omega \\
\Delta \psi \propto
\cos(\text{太陰正交平行}) = \cos(270° - \Omega) = - \sin \Omega
\end{align}
\]
となる。現代天文学における\(\Delta \epsilon, \Delta \psi\)
の式が念頭にある方だと、天保暦の計算式を見て「ん?」と思ったりするかも知れないので一応注記しておく。
-
一般に天文計算をするときに、裸の黄経を用いることはあまりなく、なにかの黄経となにかの黄経との間の離角を使うことが多いので、黄経が春分起点か冬至起点かで計算式は変わらないことが多い。
しかし、章動の場合、月の昇交点黄経と、春分点すなわち地球の赤道リングの「昇交点」との離角により決まるものなので、裸の昇交点黄経が計算に使われる。そのため、黄経が春分起点か冬至起点かで式が変わってくるわけである(それ以前に、正交平行が逆回りしている時点で式が変わるわけだが)。
その他、地球の自転に係るもの、つまり日周運動にかかわるもの(地平座標変換など)でも春分点からの離角が計算に使われるから、裸の黄経が用いられる。
章動について
章動は、イギリスの天文学者 James Bradley によって、1727~1747年における天文観測を通して発見された。乾隆七(1742)年に刊行された「暦象考成後編」に反映されているはずもなく、当然、寛政暦では考慮されていない。日本にはラランデ暦書を通して初めて入ってきたものである。
Bradley は、当初、地動説の証拠を見つけようと、恒星の年周視差を見つけるために観測を続けていたのだが、思いもかけず、年周光行差を発見する。年周視差ではなかったのだが、年周光行差も地球が動いている証拠なのである。
光行差とは、星の光が望遠鏡の対物レンズを通ってから接眼レンズを抜けるまで(でも、「瞳を通ってから網膜に到達するまで」でも「対物レンズを通ってから網膜に到達するまで」でもいいのだが)の間にも地球が動いていることにより生ずるものである。
地球が止まっているのなら、望遠鏡(とか眼とか)を天体があるはずの方向の真正面に向けると、対物レンズから入った星の光が真正面に接眼レンズ~瞳~網膜まで届くはずだが、実際は、その間にも地球と望遠鏡と人間が場所を移動するので、真正面からわずかにずれたところに星の光が落ちることになる。対物レンズ~接眼レンズ~瞳~網膜の間を光が真っ直ぐ通りぬけるためには、望遠鏡と眼が向いている先を若干、地球の進行方向側に傾けておかないといけない。つまり、星が見える方向が若干、地球の進行方向側に寄るということである。
地球が一年公転する間に地球の進行方向が
360°
変化するので、光行差による星の位置のずれ方向も変わり、星は一年で一周する小さい(半径
\(20^{\prime\prime}.5\)
ぐらいの)円を描くような(見かけ上の)運動をすることになる。これが光行差である。
Bradley は、年周視差を見つけようとして思いがけず発見した光行差について、十分な確証を得ようと、1727~1747年に精密な観測を続け、その結果、さらに思いがけず、章動を発見してしまったのである。
「章動」という日本語の用語は、最も大きい(天保暦でも「一均」 として取り入れられている)項が、月の昇交点移動一周、約18.6年を周期とするものであることに由来する。
「19太陽年は、235朔望月にほぼ等しい」という興味深い事実がある。
\[ \begin{align}
19 \times 365_\text{日}.2425 &= 6939_\text{日}.6075
\\
235 \times 29_\text{日}.53059 &= 6939_\text{日}.68865
\end{align}
\]
古来、この19年周期をもとにした暦が多くあった。この 19年周期を「章」と言い、「19年 = 235 朔望月」とする暦法を「章法」と言う。飛鳥時代、中国から日本に初めてもたらされた暦である「元嘉暦」は、19年 = 235 朔望月 = 6939 11/16日とする章法の暦であった。また、ギリシャでは「メトン周期」と呼ばれており、キリスト教の復活祭(イースター)の日付算出はメトン周期をもとにしている。
月の昇交点移動周期 18.6年が、章、つまり19年にほぼ等しいことから、「章動」と呼ばれることとなったのである。なお、章動は、英語では nutation。「うなずき」の意味であり、地球の自転軸が頷くように首を振ることに由来していて、メトン周期とは関係がない。
「章動」というネーミングの由来は上記のとおりなのだが、現代においては、月の昇交点移動周期によるもの以外の地球の自転軸の首振りも含めて「章動」と呼ばれている。月の昇交点移動周期によるものの次に大きいのは、太陽黄経の春分点秋分点軸との会合周期、つまり、半年周期のもの。全く「章」じゃないのだが、それも章動。「章動」は、nutation
の訳語であって、nutation
という言葉に「章/メトン周期」に係る意味合いは全くないから、当然か。
平均黄道傾斜角
黄道傾斜角の章動「赤道緯行」を加味する前の平均黄道傾斜角の計算は下記のとおりであった。
\[ \begin{align}
\text{黄道毎歳緯行} &= 0°.00012261 \\
\text{黄赤大距応} &= 23°.459490 \\
\text{黄赤大距年根} &= \text{黄赤大距応} - \text{黄道毎歳緯行} \times \text{積年}
\end{align} \]
が、日躔用数の「黄道毎歳緯行」のところに気になることが書いてある。
即ち暦元壬寅後戊申 [嘉永元(1848)年] 前後一十年間通用の数なり。これを過ぐれば、則ち宜しく改算すべし。其の法、推歳差法に詳し。黄赤大距応また同じ。
おっと。これは定数ではなく、1843~1853年の十年間だけ有効な値で、それ以降は、計算し直せと。計算方法は「推歳差法」に書いてあると。「推歳差法」は、新法暦書巻六に記述がある。
[新法暦書巻六 推歳差用数]
元文三年戊午天正冬至次日子正為暦元
因土星黄道退行五十二微五十繊
因木星黄道退行九秒六十一微六十七繊
因火星黄道退行一十三微零六繊
因金星黄道退行一十七秒零九微一十七繊
因水星黄道退行六微五十三繊
土星定乗法二微二十八繊八十六忽(以半径為一率、土星黄本大距之正弦為二率、因土星黄道退行為三率、求得四率為土星定乗法。以下四星倣此)
半径を以って一率と為し、土星黄本大距の正弦、二率と為し、土星に因る黄道退行、三率と為し、求めて得る四率、土星定乗法と為す。以下四星、此に倣へ。
木星定乗法二十二微零九繊七十二忽
火星定乗法四十二繊一十四忽
金星定乗法一秒零一微一十五繊七十八忽
水星定乗法七十九繊五十六忽
赤道退行一分三十九秒二十一微六十六繊六十七忽
黄赤大距根二十三度四十七分二十二秒
[新法暦書巻六 推歳差法]
求積年「自暦元元文三年戊午距所求之年共若干年、減一年、得積年」
暦元元文三年戊午 [1738年] より求むるところの年を距つる共せて若干年、一年を減じ、積年を得。
求因土星黄経差「以半径為一率、土星正交平行之正弦為二率、土星定乗法為三率、求得四率為因土星黄経差。土星正交平行、初宮至五宮為減、六宮至十一宮為加」
半径を以って一率と為し、土星正交平行の正弦、二率と為し、土星定乗法、三率と為し、求めて得る四率、土星に因る黄経差と為す。土星正交平行、初宮より五宮に至るは減と為し、六宮より十一宮に至るは加と為す。
求因土星黄緯差「以半径為一率、土星正交平行之余弦為二率、土星定乗法為三率、求得四率為因土星黄緯差。土星正交平行、初一二九十十一宮為加、三四五六七八宮為減」
半径を以って一率と為し、土星正交平行の余弦、二率と為し、土星定乗法、三率と為し、求めて得る四率、土星に因る黄緯差と為す。土星正交平行、初一二九十十一宮、加と為し、三四五六七八宮、減と為す。
[……木星、火星、金星、水星、以下同……]求黄道毎歳経行「以因五星黄経差、同加異減、得黄道毎歳経行」
五星に因る黄経差を以って、同じきは加へ異なるは減じ、黄道毎歳経行を得。
求黄道毎歳緯行「以因五星黄緯差、同加異減、得黄道毎歳緯行。加数大為加、減数大為減」
五星に因る黄緯差を以って、同じきは加へ異なるは減じ、黄道毎歳緯行を得。加数大は加と為し、減数大は減と為す。
凡五星之正交、毎歳異其所在。然其行較微故、暦元前後毎一十年、求五星正交平行、推得黄経緯各毎歳行。一十年通用之、然後施左法。
凡そ五星の正交、毎歳その所在を異にす。然れども其の行較、微かなるゆゑ、暦元前後毎一十年、五星正交平行を求め、推して黄経緯各毎歳行を得。一十年これを通用し、然る後、左法 [下記] を施す。
求積年黄道緯行「以暦元戊午前後毎一十年黄道毎歳緯行、各進一位、累積之(寄左位)。又以最終一十年間通用黄道毎歳緯行与奇年(積年満一十年去之、為奇年。如積年不満一十年、則以積年直為奇年)相乗、得数与寄左位相加、得積年黄道緯行(加減随黄道毎歳緯行。如本年在暦元前、則反加減)」
暦元戊午前後毎一十年の黄道毎歳緯行を以って、各おの一位を進め、これを累積す(寄左位)。また最終一十年間通用の黄道毎歳緯行を以って奇年(積年、満一十年これを去き、奇年と為す。もし積年、一十年に満たざれば、則ち積年を以って直ちに奇年と為す)と相乗じ、得る数と寄左位と相加へ、積年黄道緯行を得(加減、黄道毎歳緯行に随ふ。もし本年、暦元前に在らば、則ち加減を反す)。
求黄赤大距応「置黄赤大距根、加減積年黄道緯行、得黄赤大距応」
黄赤大距根を置き、積年黄道緯行を加減し、黄赤大距応を得。
求冬至進差「以半径為一率、黄赤大距応之余切線為二率、黄道毎歳経行為三率、求得四率為冬至進差」
半径を以って一率と為し、黄赤大距応の余切線、二率と為し、黄道毎歳経行、三率と為し、求めて得る四率、冬至進差と為す。
求黄道歳差「置赤道退行、加冬至進差、得黄道歳差」
赤道退行を置き、冬至進差を加へ、黄道歳差を得。
\[ \begin{align}
\text{歳差暦元} &= 1738 \text{ AD} \\
\text{因土星黄道退行} &= 0°.00005250 \\
\text{因木星黄道退行} &= 0°.00096167 \\
\text{因火星黄道退行} &= 0°.00001306 \\
\text{因金星黄道退行} &= 0°.00170917 \\
\text{因水星黄道退行} &= 0°.00000653 \\
\text{土星定乗法} &= 0°.0000022886 \\
\text{木星定乗法} &= 0°.0000220972 \\
\text{火星定乗法} &= 0°.0000004214 \\
\text{金星定乗法} &= 0°.0001011578 \\
\text{水星定乗法} &= 0°.0000007956 \\
(\text{X星定乗法} &= \text{X星黄道退行} \times \sin(\text{X星黄本大距})) \\
\text{赤道退行} &= 0°.0139216667 \\
\text{黄赤大距根} &= 23°.4722 \\
\text{歳差積年} &= \text{西暦年} - \text{歳差暦元} \\
\text{X星に因る黄経差} &= \text{X星定乗法} \times \sin(\text{X星正交平行}) \\
\text{X星に因る黄緯差} &= \text{X星定乗法} \times \cos(\text{X星正交平行}) \\
\text{黄道毎歳経行} &= \sum_{k=\text{土, 木, 火, 金, 水}}(k\text{星に因る黄経差}) \\
\text{黄道毎歳緯行} &= \sum_{k=\text{土, 木, 火, 金, 水}}(k\text{星に因る黄緯差}) \\
\text{ベースとなる年} &= \text{歳差暦元} + [(\text{当年} - \text{歳差暦元}) / 10] \times 10 \\
\text{寄左位} &= \sum_{y=\text{歳差暦元 ~ ベースとなる年} - 10 \text{step} 10} (\text{黄道毎歳緯行}(y) \times 10) \\
\text{積年黄道緯行} &= \text{寄左位} + \text{黄道毎歳緯行}(\text{ベースとなる年}) \times (\text{当年} - \text{ベースとなる年}) \\
\text{黄赤大距応} &= \text{黄赤大距根} + \text{積年黄道緯行} \\
\text{冬至進差} &= \text{黄道毎歳経行} \times \cot(\text{黄赤大距応}) \\
\text{黄道歳差} &= \text{赤道退行} + \text{冬至進差} \\
\end{align} \]
上記の計算を行うには、新法暦書巻五の五星法も参照する必要がある。必要な各種定数(正交毎歳平行、正交応、黄本大距)を下記に抜粋しておく。巻六歳差法に記載の定数も併記しておく。
- | 正交毎歳平行 | 正交応 | 黄本大距 | 黄道退行 | 定乗法 |
---|---|---|---|---|---|
土星 | 0°.0089555556 | 202°.355944 | 2°.498611 | 0°.00005250 | 0°.0000022886 |
木星 | 0°.0166666667 | 189°.799444 | 1°.316667 | 0°.00096167 | 0°.0000220972 |
火星 | 0°.0056666667 | 138°.2680 | 1°.85 | 0°.00001306 | 0°.0000004214 |
金星 | 0°.0086111111 | 165°.230278 | 3°.393056 | 0°.00170917 | 0°.0001011578 |
水星 | 0°.0124767858 | 136°.455622 | 7° | 0°.00000653 | 0°.0000007956 |
\(\text{X星定乗法} = \text{X星黄道退行} \times \sin(\text{X星黄本大距})\)
の関係にある。
「黄本大距」とは、黄道と各惑星の「本天」(公転軌道)との傾斜角、すなわち、各惑星の軌道傾斜角である。
各年の
X星正交平行(各年の天正冬至次日0:00のX星正交平行、すなわち、X星正交年根)は、
\(\text{X星正交平行}
= \text{X星正交応} + \text{積年} \times \text{X星正交毎歳平行}\)
である(※)。
- (※) 月の正交平行は、冬至点を起点に逆回り(北極側から見て時計回り)する逆回り黄経であったが、惑星の正交平行は順回りする。というか実際は、順回りだったり逆回りだったりするようなのだが、いずれにしてもほとんど不動と言ってもいいくらいに小さな移動量で、「正交毎歳平行」として見えている角速度のうちのほとんどは、昇交点自体の移動量ではなく、歳差による春分点(or 冬至点)の後退に伴い、すべての黄経の見掛け上の値が増加することによるものである。昇交点自体が逆回りしようが順回りしようが、それより春分点の後退による黄経の値の増加の方がずっと大きいので、昇交点黄経としては増加する。
各年(例えば、1852年とする)の黄赤大距応(※)を求めるには、黄赤大距根(1738年 ADにおける黄赤大距応)に、1738年の黄道毎歳緯行×10、1748年の黄道毎歳緯行×10、……、1838年の黄道毎歳緯行×10 を加算していって、1848年の黄赤大距応を求め、1848年の黄道毎歳緯行×4を加算して 1852年の黄赤大距応を求める。
- (※) 黄赤大距応: 黄道傾斜角の章動を考慮しない黄道傾斜角、すなわち、平均黄道傾斜角
-
新法暦書巻六推歳差法の「求積年黄道緯行」の条文に従えば、上記のように計算となるが、とすると、新法暦書巻一日躔用数の「暦元壬寅後戊申
[嘉永元(1848)年]
前後一十年間通用の数なり」という記述とは合わない気がする。上記の計算だと、1848年の黄赤大距応と黄道毎歳緯行をベースに計算するのは、1848~1857年であり、1838~1847年においては、1838年の黄赤大距応と黄道毎歳緯行をベースに計算することになるはずで、それだと「暦元壬寅後戊申
[嘉永元(1848)年]
後一十年間」であって、「前後一十年間」にはならないからである。
なんとなく、1843~1852年を1848年をベースに計算し、1853~1862年を1858年をベースに計算し、とした方が、「新法暦書表」の記載値との一致度が若干高まる感じもするので、そうした方がいいのかも知れない。
「新法暦書表」には、既に計算済の各年の黄赤大距応が掲載されているので、それを利用するのも一考である。なお、「新法暦書表」に掲載されている値や、新法暦書巻一日躔用数に掲載されている暦元年 1842AD における黄赤大距応、23°.459490 に一致させるためには、黄赤大距根(1738年 ADにおける黄赤大距応)を、23°.4722 ではなく、23°.472222…… \((23°28^\prime20^{\prime\prime})\) として計算した方がよいようだ(※)。
-
(※)
「新法暦書表」では、黄赤大距応は、六十進度分秒を用い、\(0^{\prime\prime}.01\)
単位で記載されている。
頒暦の作暦において、採用されていた黄赤大距の値は?
……と長々と述べてきたところで、ちゃぶ台をひっくり返すようなことを言うようだが。
こんな風に一生懸命、黄赤大距を計算したところで、頒暦記載レベルの値に落としたときに結果に影響することなどほとんどない。固定値
23°.45 (\(23°27^\prime\))
を使って差し支えないと思っている(推歳差法の惑星歳差も無視するし、黄道傾斜角の章動も無視する)。
天保暦において、黄赤大距を用いる領域は結構幅広い。不定時法であり、節気・土用・日月食など時刻表示を行うところで、晨分の計算が必要で、それには黄赤大距が必要だ。日月食のところでは帯食計算のために日月の出入りの計算を行うところでも必要だし、また、月の視位置計算などでも必要となってくる。なのだが、正直、黄赤大距は、23°.45 (\(23°27^\prime\)) 固定で計算しても、特段、頒暦を作成するにあたって悪影響はないし、むしろ一致度が高まる感じすらある。
23°.45 という固定値の根拠はなにかというと、「新法暦書表」で、黄赤大距が計算上必要な値の表は、黄赤大距が 23°.45 である前提で一旦作ってあって、黄赤大距が 23°.45 以外の場合にはその補正値の表が別に用意されているのである。つまり、「新法暦書表」で作暦するとき、微々たる量である補正値の算出を端折れば、黄赤大距を 23°.45 として計算したのと同じ結果になるわけである。
別途、詳述したいと思っているが、天保暦では、「暦法にはそう書いてあるけど、微々たる量なので実際は無視している」というのがそこそこある感じがしている。何を計算に入れていて、何を端折っているのかがはっきりしないので、天保暦の計算方法の解明を難しくしている気がする。
次回は、太陽の真黄経(黄道実行)を求めるのに必要な残りの均数: 二均、三均、四均、すなわち木星・金星・月による摂動項の説明を行い、黄道実行を求められるようになるところまで。
[参考文献]
渋川 景祐; 足立 信頭「新法暦書」 国立公文書館デジタルアーカイブ蔵
渋川 景祐; 足立 信行「新法暦書続編」 国立公文書館デジタルアーカイブ蔵
渋川 景祐; 足立 信行「新法暦書表」 国立公文書館デジタルアーカイブ蔵
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