前回までで方向角の算出まで説明し終わり、暦法新書(寛政)に記述されている寛政暦の月食法の説明は完了した。が、最後に、「食分密法」について述べておきたい。
実は、これは、寛政暦の暦法書である「暦法新書(寛政)」には記載されていない。であるのだが、のちに渋川景佑らを中心に編纂された寛政暦の暦理解説書「寛政暦書」に記載がある。
寛政暦の実際の頒暦の月食記事と突合したとき、寛政暦初期(文化十(1813)年暦ぐらいまで)は、食分密法を使用したほうが、頒暦月食記事と一致しやすいようである。ということで、 「暦法新書(寛政)」に記載されていない内容ながら、ここで言及しておくことにする。
また、「暦法新書(寛政)」にあまり記載がないもうひとつのものだが、こちらは頒暦の月食記事記載にあたって必須のもの、京都以外(東国・西国)における月食計算についても述べる。
寛政暦書巻十一「月食暦理四」の冒頭に下記の記述がある。
寛政暦書巻十一 月食暦理四
求月食分密法(附方位変化之図)
「此法、高橋至時酌其師麻田采彰之意、所創之遺法而、其用意細密、昔人所未発也。今考其理之所以原、蓋因推歩所得之食分与人目所視之食分常有差也。……蓋本編(寛政暦書)固不載此法。臣等承
旨、撰月食暦理也、遂挙此法、為暦理。……」
此の法、高橋至時、其の師麻田采彰 [剛立] の意を酌み、創りしところの遺法にして、其の用意は細密、昔人いまだ発せざるところなり。今、其の理の原とする所以を考ふるに、けだし、推歩得るところの食分と人目視るところの食分と、常に差有るに因るなり。……けだし、本編(寛政暦書 [暦法新書(寛政)を言うか])固より此の法を載せず。臣ら、旨を承り、月食暦理を撰するや、遂に此の法を挙げ、暦理と為す。……
観測者が月を見る角度によって、 食分が変わってくる |
食分密法は、高橋至時が麻田剛立の意を受けて独自に創出した暦法である。「暦法新書(寛政)」には掲載されていなかったのだが、渋川景佑らが「寛政暦書」を撰述するにあたり、掲載することとしたものである。
どういうものかというと、皆既月食でない月食中において、月の一部は地球影の影のなかにあって暗く、月の一部は地球影の影の外にあって明るい。地球上にあって月を観測している人から見たときに、観測者の位置によって月を見る角度が若干異なるため、暗い部分と明るい部分の境界が見える位置が変わり、食分が微妙に変わる。これを算出して、京都にいる観測者が実際に見る食分を得ようとするものである。
右図において、左下の人が見る食分は、暦法で計算した食分と等しい。が、右下の人は、暦法で計算した食分より大きい(影の部分が大きい)食を見ている。
このように、見る角度によって変わる月の食分を求めようというのが「食分密法」である。
食分密法の用数
推月食分密法
用数
右四数求之而、後施左法。
- 本時食分秒
- 月地平視差(本日月在地平上最大地半径差也)
本日の月、地平上に在るの最大地半径差なり。- 本時方向度(余弦。方向度、即月地影両心相距与高弧交角也)
余弦。方向度、即ち月・地影両心相距と高弧の交角なり。- 本時太陰高弧(余弦。求地影高弧、為太陰高弧者、不妨)
余弦。地影高弧を求め、太陰高弧と為すは、妨げず。
右四数これを求めて、後、左法を施こす。
\[ \begin{align}
\text{本時食分秒} &= \text{食分} \\
\text{月地平視差} &= \text{太陰地半径差}(@\text{実望実時}) \\
\text{本時方向度} &= \text{食甚実緯高弧交角} \\
\text{本時太陰高弧} &= 90° - \text{影距天頂} \\
&= 90° - \cos^{-1} \left(\begin{aligned}
&\cos(\text{北極距天頂}) \cos(\text{影距北極}) \\
&+ \sin(\text{北極距天頂}) \sin(\text{影距北極}) \cos(\text{影距午赤道度}(@\text{食甚時刻}))
\end{aligned} \right) \\
&= \sin^{-1} \left(\begin{aligned}
&\cos(\text{北極距天頂}) \cos(\text{影距北極}) \\
&+ \sin(\text{北極距天頂}) \sin(\text{影距北極}) \cos(\text{影距午赤道度}(@\text{食甚時刻}))
\end{aligned} \right)
\end{align} \]
食分密法を計算するためには、まず通常の月食法の計算を済ませておく必要がある。
「本時食分秒」は食甚食分、「月地平視差」は太陰地半径差(地平線上にある月を見る人にとっての月の視差、地平視差、最大地半径差)である
(※)。「本日」と書いてあって、本日のいつ時点の太陰地半径差なのかという問題はあるが、本編月食法で計算しているのは、実望(実望実時)時点の太陰地半径差なので、まあ、そういうことでよかろう。
-
(※)
月離で計算した「地半径差」は、正しく呼ぶなら「最大地半径差」、または、地平視差(ちょうど地平線上にある月を見る人にとっての視差)なのだが、単に「地半径差」と呼んでいる。一方、この食分密法の計算では、月離で計算した「地半径差」(最大地半径差、地平視差)を「地平視差」と呼んでおり、
地平線より上の位置にある月を見る人のとっての、最大地半径差(地平視差)より小さい月の視差を「地半径差」と呼んでいる。
当ブログのこの箇所においては、最大地半径差(地平視差)のことを「月地平視差」、必ずしも地平線上にある月を見るわけではない京都にいる観測者にとっての月の視差を「月地半径差」と呼ぶことにする。
「本時方向度」は、方向角である。食分密法では、食甚食分の計算を精緻化しようとしているので、食甚時の方向角である。暦法新書(寛政)の月食法では、食甚時の方向角の計算方法がなぜか記載されていなかったが、当ブログでは、どのように計算すればよいのかは説明済。「食甚実緯高弧交角」を本時方向度とする。当ブログの計算式では、月から見て地球影のある方向を、上を 0° として反時計回りに測った角である。
「本時太陰高弧」は、式の意味合いから察するに月の仰角である(地平線上にあれば
0°、天頂にあれば
90°)。「地影高弧を求め、太陰高弧と為すは、妨げず」とあり、月の仰角を求めるより、地球影の仰角を求めるほうが簡単なので、お言葉に甘えて、地球影の仰角を求めることにする
(※)。地球影と天頂との距離を「影距天頂」とするならば、\(\text{地球影の仰角} = 90° -
\text{影距天頂}\) である。
- (※) 食甚時において、地球影と月とは近傍にあるので、地球影の仰角と月の仰角とは、ほぼ等しいはずである。
……とはいうものの、地球影の仰角の算出方法も、影距天頂の算出方法も、暦法新書(寛政)には記載されていない。下の図の「北極距天頂」「影距北極」の辺の長さや「距正午赤道度」の角は与えられるし、「垂弧」「距極分辺」「距影分辺」などの辺の長さや「赤経高弧交角」の角は計算で求めたが、天頂と地球影との距離(影距天頂)の辺の長さは求めていない。
ここで暦法新書(寛政)巻三、日食法の記載を参考にしよう。ここでは、太陽の天頂からの距離(太陽距天頂)を求めている箇所がいくつかある。
求用時太陽距天頂食甚用時の太陽距天頂を求めている箇所である。これを参考にすれば、
「以用時赤経高弧交角之正弦為一率、北極距天頂之正弦為二率、用時太陽距午赤道度之正弦為三率、求得四率為太陽距天頂之正弦、検表得用時太陽距天頂」
用時赤経高弧交角の正弦を以って一率と為し、北極距天頂の正弦、二率と為し、用時太陽距午赤道度の正弦、三率と為し、求めて得る四率、太陽距天頂の正弦と為し、表を検じ用時太陽距天頂を得。
\[\text{用時太陽距天頂} = \sin^{-1} {\sin(\text{北極距天頂}) \sin(\text{用時太陽距午赤道度}) \over \sin(\text{用時赤経高弧交角})} \]
\[\text{食甚時影距天頂} = \sin^{-1} {\sin(\text{北極距天頂}) \sin(\text{食甚時影距午赤道度}) \over \sin(\text{食甚時赤経高弧交角})} \]
として計算できるはずである。これは、球面三角法の正弦定理、
\[ {\sin \angle \mathrm{A} \over \sin a} = {\sin \angle \mathrm{B} \over \sin b} = {\sin \angle \mathrm{C} \over \sin c} \]
によっている。
が、この計算には少々問題があって、地球影が南中するときにたまたまちょうど食甚となるケースにおいては、\(\sin({食甚時影距午赤道度}) = 0 \), \(\sin({食甚時赤経高弧交角}) = 0\) となるので、影距天頂を正しく求めることが出来ない。
球面三角法の正弦定理ではなく余弦定理 \(\cos c = \cos a \cos b + \sin a
\sin b \cos \angle \mathrm{C}\) を用い、
\[ \cos(\text{影距天頂}) =
\cos(\text{北極距天頂}) \cos(\text{影距北極}) + \sin(\text{北極距天頂}) \sin(\text{影距北極})
\cos(\text{食甚時影距午赤道度}) \]
で計算したほうがよいだろう。
食分密法の計算
求本時月地半径差「以半径一千萬為一率、本時太陰高弧之余弦為二率、月地平視差(通百分度)為三率、求得四率為本時月地平視差(収六十分度、検表求正切線)」
半径一千萬を以って一率と為し、本時太陰高弧の余弦、二率と為し、月地平視差(百分度に通ず)三率と為し、求めて得る四率、本時月地平視差と為す(六十分度に収め、表を検じ正切線を求む)。
求加減弧「以五分為一率、以食分秒(分下通百秒分)与五分相減、余為二率、半径一千萬為三率、求得四率為正弦、検表得加減弧(食在五分以下、則為減、在五分以上、則為加。度下通百分度)」
五分を以って一率と為し、食分秒を以って(分下、百秒を分に通ず)五分と相減じ、余り二率と為し、半径一千萬、三率と為し、求めて得る四率、正弦と為し、表を検じ加減弧を得(食五分以下に在れば、則ち減と為し、五分以上に在れば、則ち加と為す。度下、百分度に通ず)
求受食実度「置九十度、以加減弧加減之、又加月地平視差、為受食実度(度下収六十分度)、以求正弦及矢(過九十度、則用大矢)」
九十度を置き、加減弧を以ってこれを加減し、又、月地平視差を加へ、受食実度と為す(度下、六十分度に収む)、以って正弦、及び、矢を求む(九十度を過ぐれば、則ち大矢を用う)
求汎食差「以半径一千萬為一率、受食実度之正弦為二率、本時月地半径差之正切線為三率、求得四率為汎食差」
半径一千萬を以って一率と為し、受食実度の正弦、二率と為し、本時月地半径差の正切線、三率と為し、求めて得る四率、汎食差と為す。
求定食差「以半径一千萬為一率、本時方向度之余弦為二率、汎食差為三率、求得四率為定食差(食在上方之左右、則為加、在下方之左右、則為減)」
半径一千萬を以って一率と為し、本時方向度の余弦、二率と為し、汎食差、三率と為し、求めて得る四率、定食差と為す(食上方の左右に在れば、則ち加と為し、下方の左右に在れば、則ち減と為す)。
求受食視度之矢「置受食実度之矢、加減定食差、為受食視度之矢」
受食実度の矢を置き、定食差を加減し、受食視度の矢と為す。
求月食分真数「以半径一千萬為一率、受食視度之矢為二率、五分為三率、求得四率為月食分秒真数(一分為一百秒)」
半径一千萬を以って一率と為し、受食視度の矢、二率と為し、五分、三率と為し、求めて得る四率、月食分秒真数と為す(一分、一百秒と為す)
\[ \begin{align}
\text{月地半径差} &= \text{月地平視差}(@\text{実望実時}) \times \cos(\text{太陰高弧}) \\
\text{加減弧} &= \sin^{-1} {\text{月食分} - 5_\text{分} \over 5_\text{分}} \\
\text{受食実度} &= 90° + \text{加減弧} + \text{月地平視差}(@\text{実望実時}) \\
\text{汎食差} &= \sin(\text{受食実度}) \tan(\text{月地半径差}) \\
\text{定食差} &= \text{汎食差} \cos(\text{食甚実緯高弧交角}) \\
\text{受食視度の矢} &= (1 - \cos(\text{受食実度})) + \text{定食差} \\
\text{月食分真数} &= 5_\text{分} \times \text{受食視度の矢}
\end{align} \]
まず、観測地点における月の視差(地半径差)を求める。太陰高弧 =
90°(月が天頂にある)のときはゼロ、太陰高弧 =
0°(月が地平線上にある)のときは、月地平視差となる値なので、月地平視差に、\(\cos(\text{太陰高弧})\)
をかけて求めることが出来る。
さて、では、実際の計算に入っていこう。
右図において、T を中心とする青い円を地球、灰色の部分が地球影の円錐、O を中心とする黄色い円を月とする。地球影円錐の地球との接点を P, R とする。
右図の平面は、月心・地心・地球影中心が所在する平面であるとする。地球影中心は、地心から見て太陽の反対側にあるものなので、月心・地心・日心が所在する平面であると言ってもよい。
P にいる観測者からは、月は地平線上に見え、Pにとっては図の左が上方・右が下方だから、月の上方が光を保ち、下方がかけている(ちょうど、地平線下にある部分がかけている)ように見える。
一方、R にいる観測者からは、月は地平線下にあって見えないが、仮に見えているとすれば、逆に図の右が上方・左が下方だから、月の上方がかけており、下方が光を保っているように見えるはずである。
さて、この図において、最初の図での左下の観測者のような人、つまり、暦法上の食分と同じだけかけているように見える人はだれかというと、P にいる人である。
月面上の光と影の境目を E とし、PE に垂直で O を通る直線の月球との交点を A, C とし、また、PE に平行で O を通る直線の月球との交点をを B, D とする。
E から AC に下ろした垂線の足を F とすると、AF の長さ(の月の直径に対する比に 10分をかけたもの)が暦法上の食分にあたる。
月の半径を 1 とするとき、
\[ \begin{align}
\text{食分} &=
{\mathrm{AF} \over 2} \times 10_\text{分} \\
\therefore \mathrm{AF} &=
{\text{食分} \over 5_\text{分}} \\
\mathrm{OF} &= \mathrm{AF} - 1 = {\text{食分} \over
5_\text{分}} - 1 = {\text{食分} - 5_\text{分} \over 5_\text{分}}
\end{align} \]
である。また、
\[
\begin{align}
\sin(\angle \mathrm{OEF}) &= {\mathrm{OF} \over
\mathrm{OE}} = \mathrm{OF} \\
\angle \mathrm{BOE} &= \angle
\mathrm{OEF} = \sin^{-1}(\mathrm{OF})
\end{align} \]
このようにして求めた
\(\angle \mathrm{BOE}\) が「加減弧」である。
さて、ここで、地心 T から(または Q から)月食を見たときのことを考える。Q にいる人は、月を真上(天頂方向)に見るはずである。
\(\angle \mathrm{TEP}\) は、地平視差に等しい。
-
(※) 正確にいえば、地平視差は、 \(\angle
\mathrm{TOP}\)。この図では、地球と月との距離を圧縮して描いているが、実際は、OE
間の距離は、月と地球との距離 TP に比べてはるかに小さく、\(\angle
\mathrm{TEP} \fallingdotseq \angle \mathrm{TOP}\) である。
TE に垂直で、O を通る直線の月球との交点を A', C' とする。TE と A'C' との交点を F' とする。地心 T(または、Q にいる人)にとっての食分は、A'F'(の月直径に対する比に 10分をかけたもの)である。
ここで、∠A'OE を求める。∠A'OA = ∠TEP = 地平視差であり、
∠A'OE = ∠A'OA +
∠AOB + ∠BOE = 地平視差 + 90° + 加減弧。
これが「受食実度」である。
さて、ここから、観測地点(京都)にいる人にとっての食分を考える。観測地点を S とする。正確にいうと、実際の観測地点(京都。S' とする)は、この図の平面上(月心・地心・日心がある平面)にはなく、紙(または画面)の前後方向に離れた地点にいるかもしれない。その場合、S は、真の観測地点 S' と、Q からの距離が等距離で、 図中 Q の右に所在する点であると考えられたい。
∠TES = ∠TES' は、観測地点における月の視差(地半径差)である。 SE を延長して、A'C' と交わる点を G とする。A'G が、S にいる人にとっての食分であると言えよう (※)。
-
(※) 正確には、SE が A'C' と交わる点ではなく、SE と垂直で O を通る A''C''
を考え、SE と A''C'' の交点を G' として、A''G' が S
にいる人にとっての食分であるとするのが正しいが、細かいことは気にしない。
F'G の長さを求める。∠F'EG = ∠TES = 地半径差。
\[ \begin{align}
\mathrm{F'G}
&= \mathrm{EF'} \tan{\angle \mathrm{F'EG}} \\
&= \sin(\angle
\mathrm{A'OE}) \tan{\angle \mathrm{TES}} \\
&= \sin(\text{受食実度})
\tan(\text{月地半径差})
\end{align} \]
となる。これが「汎食差」である。
S
にいる人にとっては、図の右が上、左が下であり、地球影は月の上方に見える。つまり方向角(上方を
0°
として、月から見て地球影のある方向を反時計回りの角度として示したもの)は、0°
である。
次に、実際の観測地点 S' から見たときについて考えてみる。
右図は、観測地点から見た月であるとする。観測地点が Q であるとき、月におちた影のはじっこ E は F' の場所に見えるとする。観測地点が S であるなら、F' より C' のほうにずれた G に影のはじっこ E がずれる。S にとって地球影は月の上方にある。つまり右図の上が S にとっての上である。影のはじっこ E は、F' よりもやや下方の G に落ちるわけだ。
では、真の観測地点 S' から見たときはどうか。S'
における方向角によれば、図中の「上方←→下方」と記載した線が S'
にとっての上下であるとする。QS と QS' は等距離なので、影のはじっこ E
が見える位置が F' がずれる量は、S
から見たとき(F'G)と概ね同じ量だけずれるであろう。一方、ずれる方向は、S'
にとっての下方にずれるであろう。とすれば、G' の位置にずれることになる。
ただし、このずれ F'G' のうち、図のヨコ方向のずれは食分の大きさには寄与しない。食分の大きさに寄与するのは図のタテ方向のずれであり、つまり、F'H である。
\(\mathrm{F'H} = \mathrm{F'G'} \cos(\text{方向角}) = \text{汎食差} \cos(\text{方向角})\)
これが、「定食差」である。
-
G や G' が円上にあるように図には描いたが、実際は、タテ方向の径 F'G の長さは
\(\sin(\text{受食実度}) \tan(\text{月地半径差})\) であるのに対し、ヨコ方向の径
は、\(\tan(\text{月地半径差})\)
であるような楕円上にあるとするのがおそらく正しい。が、ヨコ方向の長さは食分の大きさには寄与しないので、半径
F'G の正円上にあると考えて差し支えない。
\[ \begin{align}
\mathrm{A'H} &= \mathrm{A'F'} + \mathrm{F'H} \\
&=
(1 - \cos(\text{受食実度})) + \text{定食差}
\end{align} \]
これが、「受食視度の矢」である。
これは月半径の長さを 1 とする長さで示されているから、月半径の長さを 5 分とする長さに換算すれば、食分となる。これが、 月食分真数となる。
普通に計算した食分は、P にいる人にとっての食分であり、\(\mathrm{AF} = 1 - \cos{\angle \mathrm{AOE}}\) に 5 分をかけたものとなる。一方、Q にいる人にとっての食分は、\(\mathrm{A'F'} = 1 - \cos{\angle \mathrm{A'OE}}\) に 5 分をかけたものとなり、∠A'OE は、地平視差の分だけ ∠AOE より大きいから、Q にいる人にとっての食分は必ず P にいる人にとっての食分より大きい。
S が、Q より右(R に近い)のとき、定食差 F'H は正になり、観測地点 S' にいる人にとっての食分は Q にいる人にとっての食分よりさらに大きくなる。 S が Q より左(P に近い)のときは、定食差 F'H は負になるが、それでも、P にいる人にとっての食分よりは大きい。
つまり、食分密法を適用したとき、食分は必ず本編の月食法で計算したときより大きくなる。
なお、この説明において、食甚食分について食分密法を適用したときの食分を考えたが、それ以外の時点、例えば帯出入時点の食分について、
- 本時食分秒 = 出入時食分
- 本時方向度 = 帯食両心相距と高弧交角
- 本時太陰高弧 = 0°(出入時は、必ず地平線上に月/地球影がある)
として食分密法を算出すれば、帯出入時点の食分密法の計算が、一応可能である。ただし、実際の頒暦の月食記事の出入時食分を見ると、出入時食分には食分密法は適用しなかったのではないかと思われる。
食甚食分の食分について、食分密法を使うか使わないかで結果に差違を生じるものについて、頒暦と突合してみる。
正直、差違が出るものは多くはない。享和四(文化元
1804)年六月月食は、食分密法を使ったほうが頒暦に合う。天保三(1832)年閏十一月月食は、使わないほうが合う。文化四(1807)年十月月食は、密法を使わないと二分。使っても、2.2498分なので、ぎりぎり二分。頒暦は二分半だから、どちらにしても合わないのだが、使った場合の方が惜しいずれになる。
おそらくは、少なくとも文化四(1807)年暦までは食分密法を使い、天保三(1832)年暦の段階では使わなくなっていたのではないだろうか。
一生懸命計算したところで、頒暦記載レベルの食分の値にはほとんど影響せず、ばかばかしくなってやめたのだろうか。
年月 | 頒暦の食甚食分 | 密法なし | 密法あり |
---|---|---|---|
享和四(文化元 1804)年六月 |
九分 |
八分半 (8.72分) |
九分 (8.81分) |
文化四(1807)年十月 |
二分半 |
二分 (2.23分) | 二分 (2.2498分) |
天保三(1832)年閏十一月 |
四分半 |
四分半 (4.72分) | 五分 (4.87分) |
なお、以前に記載したように、影差を暦法どおり太陰地半径差の 1/69 とするのではなく、影半径の 1/69 として計算した場合、寛政暦の月食のうち、上表に記載しているもの以外は、算出した食甚食分は、頒暦と、すべて一致する。
- 影差を影半径の 1/69 とすると、地球影半径を小さく、よって、食分を小さく、食の持続時間を短くする効果が生じる。一方、食分密法を用いると、食甚食分を大きくする効果が生じる。もしかして、影差を暦法どおり太陰地半径差の 1/69 として計算し、食分密法を使わないようにすれば合うようになるのでは? と思い、試してみたが、そんなことはないようだ。食甚食分もさほど合わないし、初虧・復円時刻や、帯出入時食分などでも合わなくなる。
以上で、食分密法の説明を終える。
地方食
最後に地方食(京都以外の観測地点における月食)について。
寛政暦の頒暦において、東国・西国の食が京都の食と見え方が異なる場合、注記が入る。よって、京都以外の観測地点における月食を計算しないといけないわけであるが、その計算方法について、暦法新書(寛政)は、明記していないようである。が、暦法新書(寛政)がもととした暦象考成後編には「推各省月食法」の記載がある。
求各省月食時刻「置京師月食時刻、按各省東西偏度、所変之時分加減之、得各省月食時刻(盛京加二十九分、浙江加十四分四十六秒、……、雲南減五十四分二十八秒、朝鮮加四十二分。解見上編日躔節気時刻篇、偏度見下編日躔推各省節気時刻法)」
京師月食時刻を置き、各省の東西偏度を按じ、変ずるところの時分これを加減し、各省の月食時刻を得(盛京二十九分を加へ、浙江十四分四十六秒を加へ、……、雲南五十四分二十八秒を減じ、朝鮮四十二分を加ふ。解は上編日躔節気時刻篇に見え、偏度は下編日躔推各省節気時刻法を見ゆ)。
求各省月食方位「以各省北極高度、及各省初虧復円時刻、依京師推月食方位法算之(黄平象限在天頂北者、併径黄道交角之加減相反。初虧復円方位之左右亦相反)、得各省月食方位」
各省の北極高度、及び各省の初虧復円時刻を以って、京師推月食方位法に依りこれを算し(黄平象限、天頂の北に在れば、併径黄道交角の加減相反す。初虧復円方位の左右また相反す)、各省の月食方位を得。
要するに、
- 月食時刻(初虧・食甚・復円)
- 各地の経度差に伴う時差だけ、月食時刻(初虧・食甚・復円)がずれる。東国は時刻が進み、西国は時刻が遅れる。
- 方向角
- 時刻がずれることによって、月食時刻の真太陽時の裏返しである「影距正午赤道度」がずれ、また、各地の緯度(北極高度)が異なることにより方向角は京都のものと異なることになる。その地方の月食時刻・北極高度に合わせて再計算する必要がある。
また、暦象考成後編にも記載がないが、
- 帯食
- 日出入時刻は、経度差に伴う時差ではずれないので、食甚時刻との相対関係が変わり、帯食時の食分・方向角などは再計算の必要がある。なお、日出入時刻は、経度差に伴う時差によってはずれないが、各地の緯度(北極高度)によって時刻が変わる。
- 食分密法
- 食甚時刻がずれることにより「影距正午赤道度」が変わり、また、北極高度も異なることにより、食甚時の方向角や、地球影の仰角(影高弧)も異なってくる。
といった点でも違いが出てくるはず。
結局のところ、今まで説明してきた月食法で、食甚時刻の計算を、
\[
\text{食甚時刻} = \text{実望用時} + \text{食甚距時} \]
としていたのを、該当地方の京都との経度差を
\(\Delta \lambda\) とするとき(東経をプラス、西経をマイナスとする)、
\[
\text{食甚時刻} = \text{実望用時} + \text{食甚距時} + {1_\text{日} \over 360°} \Delta \lambda \]
などとすればよい。食甚時刻がずれれば、ともずれで初虧・復円時刻等もずれるはず。
そして、方向角の算出、日出入時刻の算出、食分密法の算出等、「北極高度」が出てくるところでは、その地方の地点緯度によって計算すればよい。
が、肝心の東国・西国の経緯度について、暦法新書(寛政)はまったく記載がない。貞享暦・宝暦暦の「西国」も場所の指定がなく、このブログでは、頒暦の記載内容から演繹して、京都から西に 2.5 刻の時差がある場所として計算した。これは、京都から西に 9° 経度差がある場所であり、少々西過ぎる。また、天保暦においては、暦法上、東国(江戸)・西国(長崎)の経緯度が明記されている。
寛政暦の東国・西国は、どちらかというと天保暦の東国・西国に近いようだ。寛政暦の東国・西国の経緯度をどのくらいとして見積もればいいのかは、日食法の説明を終えたあとで、頒暦の日月食記事との突合を行うので、そちらで。
これで寛政暦の月食法の説明はひととおり終わり。次回からは寛政暦の日食法について。
[参考文献]
吉田 秀升, 山路 徳風, 高橋 至時, (校正) 土御門 泰栄「暦法新書」(寛政) 国立公文書館デジタルアーカイブ蔵
渋川 景佑「寛政暦書」 国立公文書館デジタルアーカイブ蔵戴 進賢 (Ignaz Kögler)「暦象考成後編」国立天文台三鷹図書館デジタル資料
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