2020年8月23日日曜日

寛政暦の暦法 (9) 消長法 (1)

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前回までで、ながながと説明してきた月離が終わり、今回からは、寛政暦の消長法について記載していく。消長法については今回と次回の2回に分けて説明する。

麻田学派は、イエズス会士 Ignaz Kögler が清朝のために著述した「暦象考成後編」を研究し、ケプラーの楕円軌道理論をマスターした。寛政暦は、その麻田学派の高橋至時・間重富らを中心に制定されたわけだが、寛政暦の消長法は、麻田学派の師匠である麻田剛立が、古今の暦・天文観測を通覧し、天文諸定数の経年変化項の算出方法を独自に考案したものである。中国・西洋の暦法に基づいたものではなく、麻田独自理論であることから、麻田学派以外の天文方メンバー(吉田秀升、山路徳風)は採用に難色を示しており、特に山路は強く反対していたようだが、高橋至時がなんとか説得して採用にこぎつけたのである。

経年変化項であり、長い時間レンジのなかでのゆっくりとした変化を記述したものだから、正直、使おうが使うまいが、寛政暦施行期間(寛政十(1798)~天保十四(1843)年)の頒暦への影響は極めて小さいのだが、もともと四捨五入で切り捨てられるか切りあがるかギリぐらいの値だったのであれば、影響が出ないこともない。

以下、暦法新書(寛政)巻一「消長法」に記載されたその計算方法を見ていこう。

寛政暦消長法の計算起点

求積年「成務天皇三年癸酉前後距所求之年共若干年、減一年、得積年」
成務天皇三年癸酉の前後、求むるところの年を距つる共せて若干年、一年を減じ、積年を得。
\[ \begin{align}
\text{消長元年} &= 133 \\
\text{消長元上元甲子} &= \text{0132-11-15T00:00:00} \\
\text{積年} &= \text{西暦年} - \text{消長元年}
\end{align} \]

寛政暦消長法の計算起点(消長元)は成務天皇三年癸酉で、これは西暦133年にあたり、寛政暦の暦元年(寛政九(1797)年)の1664年前。消長元年の上元甲子日(天正冬至直前の甲子日)は、先発グレゴリオ暦の AD132年11月15日(ユリウス暦の同年11月16日)にあたり、これは、寛政暦の暦元上元甲子日 1796-12-21T00:00:00 の 607,800日前である。

  • 「先発グレゴリオ暦」とは、グレゴリオ暦制定以前より前の時代であっても、グレゴリオ暦を過去に延長して用いるものである。
  •   第13代成務天皇は、景行天皇の子、つまり、ヤマトタケルノミコトの弟。成務の後を、ヤマトタケルの子の仲哀が継ぎ、仲哀の妃が神功皇后。年代はかなり怪しいところではあるが、日本書紀の記載に文字通り従えば、成務天皇3年は 133 AD になるようである。


盈縮元積

求甲盈縮周年「消長元癸酉後、則以積年与甲盈初八百五十二年相加、為甲盈周年(如過盈縮半周一萬二千七百年、則減之、為甲縮周年)。癸酉前者、置甲盈初八百五十二年、減積年、余為甲盈周年(如不及減者、加盈縮半周一萬二千七百年、減之、余為甲縮周年」
消長元癸酉後、則ち積年を以って甲盈初八百五十二年と相加へ、甲盈周年と為す(もし盈縮半周一萬二千七百年を過ぐるは、則ちこれを減じ、甲縮周年と為す)。癸酉前は、甲盈初八百五十二年を置き、積年を減じ、余り甲盈周年と為す(もし減に及ばざれば、盈縮半周一萬二千七百年を加へこれを減じ、余り甲縮周年と為す。
求乙盈縮周年「消長元癸酉後、則以積年為乙縮周年。過盈縮半周一萬二千七百年者、則減之、余為乙盈周年。癸酉前者、則以積年与盈縮半周一萬二千七百年相減、為乙盈周年」
消長元癸酉後、則ち積年を以って乙縮周年と為し。盈縮半周一萬二千七百年を過ぐれば、則ちこれを減じ、余り乙盈周年と為す。癸酉前は、則ち積年を以って盈縮半周一萬二千七百年と相減じ、乙盈周年と為す。
求甲盈縮元積「置盈縮半周一萬二千七百年、減甲盈縮周年、余以与甲盈縮周年相乗、為甲盈縮元積(盈則為甲盈元積、縮則為甲縮元積)」
盈縮半周一萬二千七百年を置き、甲盈縮周年を減じ、余り以って甲盈縮周年と相乗じ、甲盈縮元積と為す(盈則ち甲盈元積と為し、縮則ち甲縮元積と為す)
求乙盈縮元積「置盈縮半周一萬二千七百年、減乙盈縮周年、余以与乙盈縮周年相乗、為乙盈縮元積(盈則為乙盈元積、縮則為乙縮元積)」
盈縮半周一萬二千七百年を置き、乙盈縮周年を減じ、余り以って乙盈縮周年と相乗じ、乙盈縮元積と為す(盈則ち乙盈元積と為し、縮則ち乙縮元積と為す)
\[ \begin{align}
\text{甲盈縮周年} &= (\text{積年} + 852 + 12700) \mod 25400 - 12700 \\
\text{乙盈縮周年} &= \text{積年} \mod 25400 - 12700 \\
\text{甲盈縮元積} &= (12700 - |\text{甲盈縮周年}|) \text{甲盈縮周年} \\
\text{乙盈縮元積} &= (12700 - |\text{乙盈縮周年}|) \text{乙盈縮周年} \\
\end{align} \]

まずは、さまざまな天文定数の消長のベースとなる、甲盈縮元積・乙盈縮元積を計算する。麻田消長法においては、諸定数は 25,400年周期で増減するとしている。

「甲盈縮周年」は、積年+852年。12700年になったら盈から縮に転じる。\({積年}=-852\) を起点(盈0年)とし、25400年を周期として、盈12700年、縮12700年を繰り返す。このブログでの式では、盈か縮かを判別できるよう、縮0~12699年を、-12700~-1年とすることにする。盈 n 年 = 盈縮 n 年、縮 n 年 = 盈縮 n-12700 年とするわけである。

「乙盈縮周年」は、積年=0 を起点として縮 0 年から始まり、12700年になったら縮から盈に転じる。25400年を周期として、縮12700年、盈12700年を繰り返す。これもやはり、縮0~12699年を、-12700~-1年とすることにする。つまり、積年=0 では -12700 から始めることになる。

甲/乙盈縮元積は、盈縮周年≧0 の場合(盈の場合)、\((12700 - \text{盈縮周年}) \text{盈縮周年}\) として書かれているとおりに求まる。盈縮周年<0 の場合(縮の場合)、\(\text{盈縮周年} = \text{縮周年} - 12700\) として定義したのでそれを考慮する必要があり、また「縮則ち甲/乙縮元積と為す」としており、縮元積を負の数として表現することにすると、
\[ \begin{align}
\text{縮元積} &= (12700 - \text{縮周年}) \text{縮周年} \\
\text{元積} &= - (12700 - \text{縮周年}) \text{縮周年} \\
&= - (12700 - (\text{盈縮周年}+12700)) (\text{盈縮周年}+12700) \\
&= \text{盈縮周年} (\text{盈縮周年}+12700)
\end{align} \]
つまり、盈の場合(盈縮周年はプラス)、\(\text{元積} = (12700 - \text{盈縮周年}) \text{盈縮周年}\)、縮の場合(盈縮周年はマイナス)、\(\text{元積} = (12700 + \text{盈縮周年}) \text{盈縮周年}\) として求めるのだから、まとめると、\(\text{元積} = (12700 - |\text{盈縮周年}|) \text{盈縮周年}\) ということになる。

盈縮元積は、上に凸な二次関数 \((12700-x)x\) と、下に凸な二次関数 \((12700+x)x\) の組み合わせで、ぱっと見、サインカーブっぽいグラフになることになる。甲盈縮元積と乙盈縮元積は、概ねプラスマイナス逆向きながら似たような感じのグラフになるが、若干(852年)位相がずれている。

天正冬至

求甲盈縮歳差「以甲盈縮元積与甲歳差〇日〇〇〇〇〇二四八七七七七相乗、得甲盈縮歳差(盈縮号仍元積)」
甲盈縮元積を以って甲歳差〇日〇〇〇〇〇二四八七七七七と相乗じ、甲盈縮歳差を得(盈縮の号、元積に仍る)
求乙盈縮歳差「以乙盈縮元積与乙歳差〇日〇〇〇〇〇二七〇五四六二相乗、得乙盈縮歳差(盈縮号仍元積)」
乙盈縮元積を以って乙歳差〇日〇〇〇〇〇二七〇五四六二と相乗じ、乙盈縮歳差を得(盈縮の号、元積に仍る)
求平積分「以積年与平歳三百六十五日二四八六二四二一相乗、得平積分」
積年を以って平歳三百六十五日二四八六二四二一と相乗じ、平積分を得。
求定積分「置平積分、以甲盈縮歳差及乙盈縮歳差加減之(盈差加之、縮差減之。上考往古、則盈差減之、縮差加之)、得定積分」
平積分を置き、甲盈縮歳差、及び、乙盈縮歳差を以ってこれを加減し(盈差これを加へ、縮差これを減ず。上って往古を考ふるは、則ち盈差これを減じ、縮差これを加ふ)、定積分を得。
求天正冬至「置定積分、加根数汎冬至一十二日三三五一(上考往古、則減之)、満紀法六十去之、余為天正冬至日分。上考往古、則以所余転与紀法六十相減、余為天正冬至日分。自初日甲子起算、得天正冬至干支及分秒」
定積分を置き、根数汎冬至一十二日三三五一を加へ(上って往古を考ふるは、則ちこれを減ず)、満紀法六十これを去き、余り天正冬至日分と為す。上って往古を考ふるは、則ち余るところを以って転じて紀法六十と相減じ、余り天正冬至日分と為す。初日甲子より起算し、天正冬至干支及び分秒を得。
\[ \begin{align}
\text{甲盈縮歳差} &= 2.487777 \times 10^{-6} \times \text{甲盈縮元積} \\
\text{乙盈縮歳差} &= 2.705462 \times 10^{-6} \times \text{乙盈縮元積} \\
\text{平積分} &= 365_\text{日}.24862421 \times \text{積年} \\
\text{定積分} &= \text{平積分} + \text{甲盈縮歳差} + \text{乙盈縮歳差} \\
\text{天正冬至} &= \text{定積分} + 12_\text{日}.3351
\end{align} \]

まずは、天正冬至を算出する。天正冬至は、甲盈縮と乙盈縮双方が影響する。「\(\text{天正冬至} = \text{定積分} + 12_\text{日}.3351\)」の「\(\text{定積分} + 12_ \text{日}.3351\)」が、寛政暦本体などでいう「通積分」に相当する値で、消長元上元甲子日0:00 からの通算日時となる。暦法で書いてあるとおりでは、「天正冬至」はこれを60日で割った余りで、「天正冬至の日干支と時刻」を示す値となるのだが、例によってこのブログの式では60日の余りはとらず、通積分そのままとして、消長元上元甲子日0:00からの通算日時とする。

定積分を積年で微分したもの \({\mathrm{d}\text{定積分} \over \mathrm{d}y} = 365.24862422 + {\mathrm{d}\text{甲盈縮歳差} \over \mathrm{d}y} + {\mathrm{d}\text{乙盈縮歳差} \over \mathrm{d}y}\) で、一年の長さが出るはず。
下記のグラフに、一年の長さ(歳周)の推移を示してみた。なんとなくサインカーブっぽく見えていた甲乙元積(に定数をかけた甲乙盈縮歳差)も、微分してみるとただの一次直線になり途端にしょぼくなる。なので一年の長さ(黄色い線)も非常にカクカクした変化になるが、積年=0 (133AD) 直前のところでガクっと一年が短くなった後、その後、一万年以上は少しずつ長くなり続けることになる。甲盈縮と乙盈縮は概ね相反する増減となるため、大抵の期間は両者の増減が打ち消しあいゆっくりとした増減になるが、位相が852年ずれているため、852年ほど甲乙盈縮の増減が一致する期間があり、この期間は急速に一年の長さが変化するのだ。

これは、実際とはかなり相違している。「ガクっと短くなる」もさることながら、現在、麻田消長法とは相違して、大局的には一年の長さは短くなり続けている。Simon et al. (1994) における、瞬時の平均黄道面・平均春分点による日心の地球の平均黄経 (mean longitude of Earth referred to the mean dynamical ecliptic and equinox of date)
\[ \begin{align}
\lambda = &100°.46645683 \\
&+ 1296027711^{\prime \prime}.03429t \\
&+ 109^{\prime \prime}.15809t^2 \\
&+ 0^{\prime \prime}.07207t^3 \\
&- 0^{\prime \prime}.23530t^4 \\
&- 0^{\prime \prime}.00180t^5 \\
&+ 0^{\prime \prime}.00020t^6
\end{align} \]
の二次項 \(+ 109^{\prime \prime}.15809t^2\) は正の係数を持つので、地球の公転角速度は加速しているのである。

実際の一年の長さと、麻田消長法が予測する一年の長さとを比較してみる。Simon et al. (1994)にもとづき、平均太陽年を算出している。

実際の平均太陽年はグラフの水色の線。ゆっくりと短くなっていっている。麻田消長法の一年の長さ(灰色の線)は逆に長くなっていており、傾きも急。寛政暦施行期間(1798~1843)あたりでは、0.00015日ほど長すぎ、その差が年を追うごとに広がっていく。 

寛政暦書巻十六の説明によると、麻田消長法は、中国における冬至観測の推移から歳周が増加しているとしたようだ。しかし、これはなんとも怪しい。過去の時代にこんなに歳周が短かったはずはない。麻田が自分の理論に都合のよい観測値をつまみ食いしたようにも思えるのだが。日時計による冬至の計測で冬至時刻を正確に把握するのは難しい。ばらつきのある時刻から都合がよい値をピックアップするのは可能だろう。

No.冬至観測(先発)グレゴリオ暦日付
1後漢 熹平二年癸丑十一月三日丙子冬至 3111分0173/12/22.3111
2劉宋 大明五年辛丑十一月三日乙酉平冬至 9226分0461/12/21.9226
3趙宋 皇祐三年辛卯十一月十一日戊午平冬至 6084分1051/12/22.6084
4元  至元十七年庚辰十一月己未平冬至 0600分1280/12/21.0600
5清  康煕六十一年壬寅十一月丙申平冬至 1225.4分1722/12/22.12254
  • No. 1~2: 105189.6115  日 / 288 年 = 365日.24170660
  • No. 2~3: 215492.6858  日 / 590 年 = 365日.24184034
  • No. 3~4:  83640.4516  日 / 229 年 = 365日.24214673
  • No. 4~5: 161437.06254 日 / 442 年 = 365日.24222294

 

不思議なことに、平均太陽年とはかなりずれているものの、春分回帰年との一致度が高い。

「一年で地球は360°公転する」というのは大雑把には正しいが正確ではない。一年に日心の地球の黄経は360°動くが、「地球の黄経」とは、地球と春分点との離角であり、歳差により春分点は 0°.014/年ほど地球の公転とは逆回りに動くので、実際は、地球は 359°.986 しか公転していない。一年とは、地球が360°回るのに要する時間から、回らなくていい0°.014 を回るのに要する時間を引いたものである。平均太陽年は、地球の平均公転角速度で 0°.014 を回るとしたときの一年の長さ。冬至回帰年、つまり冬至点を通過してまた冬至点を通過するまでの時間は、この「回らなくていい 0°.014」が冬至点にあり、近点に近い冬至点では公転角速度が早く、0°.014を回るのに要する時間は短い。よって冬至回帰年は平均太陽年より長い。一方、夏至回帰年は、「回らなくていい 0°.014」が夏至点にあり、遠点に近い夏至点では公転角速度が遅く、0°.014を回るのに要する時間は長い。よって夏至回帰年は平均太陽年より短い。

春分回帰年は、現在、近点が冬至のちょい後にあるので、冬至ほどではないものの近点に近く、よって、冬至回帰年ほどではないが、平均回帰年より長い。そして、近点は少しずつ冬至点を離れて春分点に近づく(近点も前進するし、春分点も後退する)ので、平均太陽年が少しずつ短くなるにも関わらず、春分回帰年は長くなることになる。上記のグラフでは、春分回帰年は濃い青色の線。Simon et al. (1994) により、太陽の(本当は地球の)平均黄経と平均近点黄経を求め、中心差を計算して、定気春分を求め、定気春分の間隔を春分回帰年として計算している。1800年あたり、麻田消長法の1年の長さと春分回帰年はどちらも 365日.24235 あたり。かなり近い値となっていることがわかる。

一方、一年の長さ自体とは別の一年の日数を左右する要素として一日の長さがある。一年の日数は一年の長さを一日の長さで割ったものなので、一日の長さが長くなれば、一年の日数は減るわけである。現在、天文予測計算を行うにあたっては、1秒の長さが一定(よって1日 = 86,400秒の長さも一定)のTT(地球時 Terrestrial Time)を時間系としており、その場合、1日の長さは長くも短くもならないが、地球の自転を時計の針として用いる時間系 UT(世界時 Universal Time)では 1日の長さは変動しうる。TTと1秒の長さは変わらないが、うるう秒を挿入することによって UTとの時刻差を抑えている UTC(協定世界時 Coordinated Universal Time)や、UTC にもとづく JST(日本標準時)などにおいても「うるう秒の挿入頻度」のかたちで1日の平均の長さが変動していることになる。麻田らが観測のベースとしていた時刻系も、太陽等の天体の南中などによっていたのだろうから、当然、地球の自転を時計の針として用いる時間系である。UT と TT の時刻差を ΔT と呼ぶ。

NASA の "Polynomial Expressins for Delta T" により、過去のΔTを計算し、それに基づき、平均太陽年・春分回帰年の日数を補正したものを、グラフ上、橙色・茶色の線として示している。マクロ的には潮汐の摩擦等により地球の自転は遅くなる傾向にあるので、ΔTを考慮した場合、しない場合に比べると経年的に1年の日数を短くしていく方向に振れる。が、地球の自転の速度はかなり気象や海流の状況、その他によりランダムに変動する要素が大きい。寛政暦の施行前あたり、17xx年代後半、麻田が消長法を考案していたあたりでは、地球の自転が早くなっており、ΔTを考慮に入れたとき、平均太陽年は若干長くなる動きを見せている。春分回帰年になると、麻田消長法での傾きと同じぐらいのペースで長くなっているように思われる。また(これは偶然だろうが)18xx年代前半、寛政暦の施行期間中は、ΔTを考慮に入れた春分回帰年は、麻田消長法の1年の長さと、17xx年代後半以上に非常によく一致しているようだ。麻田消長法は、春分の観測結果などをもとに 1年の長さの経年変化量を定めたのではないかと思わせる。が、そうだとすると、不幸なことに、当時の局所的な地球の自転速度をもとにもっと長いレンジの経年変化量を定めてしまったことになる。

また、もしそういうことなのだとすると、春分回帰年であったはずのものを平均太陽年の値として使っているという過ちを犯していることになる。「一年の長さ」は、麻田消長法において、天正冬至の間隔として現れているわけだが、天正冬至は平気冬至なのでその間隔は平均太陽年である(冬至回帰年(=定気冬至の間隔)ではない)。結果として、麻田消長法および寛政暦では一年の長さを若干長く見積り過ぎている結果となっている。

麻田消長法の周期 25,400年は、麻田の意図としては歳差周期のつもりだったのではないかと思われる。春分回帰年を歳周とするつもりだったのだとすれば、麻田消長法のような増減になるのかどうかは別として、歳差周期で増減するだろう(春分が近点にあるとき春分回帰年は最大、遠点にあるとき春分回帰年は最小)。しかし、寛政暦における使われ方としては平均太陽年として使っており、平均太陽年は歳差周期で増減するわけではない。


天正経朔

求朔加減差「以乙盈縮元積与朔差〇日〇〇〇〇〇〇〇五四七八三九五七八七二一相乗、得朔加減差(依盈元積而得者為加、依縮元積而得者為減)」
乙盈縮元積を以って朔差〇日〇〇〇〇〇〇〇五四七八三九五七八七二一と相乗じ、朔加減差を得(盈元積に依って得る者は加と為し、縮元積に依って得る者は減と為す)。
求至朔差「置定積分、以朔加減差加減之(上考往古者、反其加減)、以根数汎至朔差二日三〇三四八五加之(上考往古、則減之)、満朔平周二十九日五三〇五四二五〇四三四二四五去之、余数(上考往古者、則以余数与朔平周相減、用其余)即所求至朔差」
定積分を置き、朔加減差を以ってこれに加減し(上って往古を考ふるは、其の加減を反す)、根数汎至朔差二日三〇三四八五を以ってこれに加へ(上って往古を考ふるは、則ちこれより減ず)、満朔平周二十九日五三〇五四二五〇四三四二四五これを去き、余数(上って往古を考ふるは、則ち余数を以って朔平周と相減じ、其の余りを用う)即ち求むるところの至朔差。
求天正経朔「置天正冬至日分、減去至朔差(不及減者、則加紀法減之)、得天正経朔日分。自初日甲子起算、得天正経朔干支及分秒」
天正冬至日分を置き、至朔差を減去し(減に及ばざるは、則ち紀法を加へこれを減ず)、天正経朔日分を得。初日甲子より起算し、天正経朔干支及び分秒を得。
\[\begin{align}
\text{朔加減差} &= 5_\text{日}.47839578721 \times 10^{-8} \times \text{乙盈縮元積} \\
\text{至朔差} &= (\text{定積分} + \text{朔加減差} + 2_\text{日}.303485) \mod 29_\text{日}.53054250434245 \\
\text{天正経朔} &= \text{天正冬至} - \text{至朔差}
\end{align} \]

「至朔差」(天正冬至直前の朔から天正冬至までの経過日時)を求めて、天正経朔(天正冬至直前の朔)の日時を得る。至朔差は、乙盈縮により増減する。

寛政暦施行期間中、乙盈縮はマイナスの値であり、値を減らし続けているが、減少ペースは鈍化している。これは、経朔は(朔加減差を考慮しないのに比べ)遅く到来し、さらに遅くなってゆく(よって朔間隔(朔望周期)は、朔平周 29日.53054250434245 より長い)が、遅くなるペースは鈍化する(よって、朔間隔(朔望周期)は少しずつ短くなってゆく)、ということを意味する。

有効数字16桁の数 29.53054250434245 による mod の計算。一般的な実装系の倍精度浮動小数点数の有効数字 15.9桁 \((= 53 \text{bits} \times \log 2 / \log 10)\) を超えた数であり、ちゃんと計算できるかちょっと不安。

太陽近点(最卑)、月の遠点(最高)・昇交点(正交)

求太陰距最高加減差「以甲盈縮元積与月距最高差〇日〇〇〇〇〇〇〇二八八六四〇〇二八六九五相乗、得太陰距最高加減差(依盈元積而得者為加、依縮元積而得者為減)」
甲盈縮元積を以って月距最高差〇日〇〇〇〇〇〇〇二八八六四〇〇二八六九五と相乗じ、太陰距最高加減差を得(盈元積に依って得る者は加と為し、縮元積に依って得る者は減と為す)。
求交周加減差「以甲盈縮元積与交周差〇日〇〇〇〇〇〇〇〇九八一八三七五四四三六六相乗、得交周加減差(依盈元積而得者為加、依縮元積而得者為減)」
甲盈縮元積を以って交周差〇日〇〇〇〇〇〇〇〇九八一八三七五四四三六六と相乗じ、交周加減差を得(盈元積に依って得る者は加と為し、縮元積に依って得る者は減と為す)。
求冬至太陽距最卑日分「置定積分、以根数太陽距最卑三百六十一日五五一一加之(上考往古、則減之)、満太陽距最卑一周三百六十五日二六〇六一二九去之、余数(上考往古者、則以余数転減太陰距最卑一周用其余)即所求冬至太陽距最卑日分」
定積分を置き、根数太陽距最卑三百六十一日五五一一を以ってこれに加へ(上って往古を考ふるは、則ちこれを減ず)、満太陽距最卑一周三百六十五日二六〇六一二九これを去き、余数(上って往古を考ふるは、則ち余数を以って転じて太陰距最卑一周より減じ、其の余りを用う)即ち求むるところの冬至太陽距最卑日分。
求冬至太陰距最高日分「置定積分、以太陰距最高加減差加減之(上考往古者、反其加減)、以根数太陰距最高一日六二四〇一四加之(上考往古、則減之)、満太陰距最高平一周二十七日五五四五八六六六〇三一三六三去之、余数(上考往古者、則以余数転減太陰距最高平一周用其余)即所求冬至太陰距最高日分」
定積分を置き、太陰距最高加減差を以ってこれに加減し(上って往古を考ふるは、其の加減を反す)、根数太陰距最高一日六二四〇一四を以ってこれに加へ(上って往古を考ふるは、則ちこれより減ず)、満太陰距最高平一周二十七日五五四五八六六六〇三一三六三これを去き、余数(上って往古を考ふるは、則ち余数を以って転じて太陰距最高平一周より減じ、其の余りを用う)即ち求むるところの冬至太陰距最高日分。
求冬至太陰距正交日分「置定積分、以交周加減差加減之(上考往古者、反其加減)、以根数太陰距正交二日七〇〇八九四加之(上考往古、則減之)、満黄白交平一周二十七日二一二二二九四五七二四一〇七去之、余数(上考往古者、則以余数転減黄白交平一周用其余)即所求冬至太陰距正交日分」
定積分を置き、交周加減差を以ってこれに加減し(上って往古を考ふるは、其の加減を反す)、根数太陰距正交二日七〇〇八九四を以ってこれに加へ(上って往古を考ふるは、則ちこれより減ず)、満黄白交平一周二十七日二一二二二九四五七二四一〇七これを去き、余数(上って往古を考ふるは、則ち余数を以って転じて減黄白交平一周より以じ其の余りを用う)即ち求むるところの冬至太陰距正交日分。
\[\begin{align}
\text{太陰距最高加減差} &= 2_\text{日}.88640028695 \times 10^{-8} \times \text{甲盈縮元積} \\
\text{交周加減差} &= 9_\text{日}.81837544366 \times 10^{-9} \times \text{甲盈縮元積} \\
\text{冬至太陽距最卑} &= (\text{定積分} + 361_\text{日}.5511) \mod 365_\text{日}.2606129 \\
\text{冬至太陰距最高} &= (\text{定積分} + \text{太陰距最高加減差} + 1_\text{日}.624014) \mod 27_\text{日}.55458666031363 \\
\text{冬至太陰距正交} &= (\text{定積分} + \text{交周加減差} + 2_\text{日}.700894) \mod 27_\text{日}.21222945724107
\end{align} \]

「冬至太陽距最卑」は、本年の太陽近点通過~本年冬至(翌年の天正冬至)の経過日時、「冬至太陰距最高」は、天正冬至直前の月の遠点通過~天正冬至の経過日時、「冬至太陰距正交」は、天正冬至直前の月の昇交点通過~天正冬至の経過日時である。

「冬至太陰距最高」の補正値「太陰距最高加減差」は、甲盈縮元積に従う。寛政暦施行期間中、甲盈縮元積はプラスの値であり、増加し続けているが、増加のペースは鈍化している。これは、月の遠点通過の日時は加減差を考慮しないのに比べ早く到来し、さらに早くなっていく(よって、月の遠点通過間隔は、太陰距最高平一周 27日.55458666031363 より短い)が、早くなるペースは鈍化する(よって、月の遠点通過間隔は長くなっていく)。「冬至太陰距正交」と月の昇交点通過間隔についても話は同様である。

  • 27日.55458666031363、27日.21222945724107 も桁数16桁でなかなか厳しい。

「冬至太陽距最卑」は加減差を設けていない。これは、太陽の近点通過間隔は、365日.2606129で、一定不変であることを意味する。


まだまだ分量がありそうなので、ここまでで一回切る。

ここまで読んだだけだと上記の計算を毎年行うように思うかもしれないが、実は今まで説明したなかで、毎年計算するのは天正冬至ぐらいである。至朔差などは、次回に説明する 10年に1回計算する値を得るために必要なだけであり、10年に1回しか計算する必要がない。

次回は、

  • 10年に一度計算する値について。
    • 各種周期
    • それから求める平均角速度
    • 太陽の(本当は地球の)離心率
    • 黄道傾斜角
  • 天正冬至と、上記の10年に一度計算する値を使って毎年計算する、各種黄経(太陽、太陽最卑、月、月最高、月正交)の年根(天正冬至翌日 0:00 時点の黄経)

について説明する。

また、今まで「消長法の説明が終わってから」ということで先延ばしにしていた、節気・土用・朔の頒暦との突合を行う。

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[参考文献]

吉田 秀升, 山路 徳風, 高橋 至時「暦法新書」(寛政) 国立公文書館デジタルアーカイブ蔵

渋川 景佑「寛政暦書」 国立公文書館デジタルアーカイブ蔵

Simon, J. L.; Bretagnon, P.; Chapront, J.; Chapront-Touze, M.; Francou, G.; Laskar, J. (1994) "Numerical expressions for precession formulae and mean elements for the Moon and the planets. ", Astronomy and Astrophysics, Vol. 282, p. 663 https://ui.adsabs.harvard.edu/abs/1994A%26A...282..663S/abstract

Espenak, F., Meeus, J. (2004), "Polynomial Expressions for Delta-T" (adapted from "Five Millennium Canon of  Solar Eclipses”). NASA Eclipse Web Site, GSFC, Solar System Exploration Division https://eclipse.gsfc.nasa.gov/SEcat5/deltatpoly.html

中山 茂 (1963-04)「消長法の研究 (I) ―東西観測技術の比較―」, 科学史研究 (66), pp.68-84, 日本科学史学会

中山 茂 (1963-07)「消長法の研究 (II)」, 科学史研究 (67), pp.128-129, 日本科学史学会

中山 茂 (1964)「消長法の研究 (III) ―麻田剛立と高橋至時―」, 科学史研究 (69), pp.8-17, 日本科学史学会 

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