寛政暦の消長法、すなわち、麻田剛立が独自に考案し、寛政暦に取り入れられた天文諸定数の経年変化項の算出方法についての説明を行っている。
前回は、 天正冬至、天正経朔、冬至太陽距最卑(※1)、冬至太陰距最高(※2)、冬至太陰距正交(※3)の計算を説明した。
- (※1) 太陽の近点通過~当年冬至(翌年天正冬至)までの経過日時
- (※2) 天正冬至直前の月の遠点通過~天正冬至までの経過日時
- (※3) 天正冬至直前の月の昇交点通過~天正冬至までの経過日時
今回は、これらの値を使い、
- 10年に一度計算する値の算出
- 各種周期
- それから求める平均角速度
- 太陽の(本当は地球の)離心率
- 黄道傾斜角
- 年根(天正冬至翌日 0:00 時点の黄経)の算出
について説明する。
また、今まで「消長法の説明が終わってから」ということで先延ばしにしていた、節気・土用・朔の頒暦との突合を行う。
10年毎に算出する値
推十年所用諸数「凡有消長者(若太陽距最卑一周則終古無消長)毎年不同其数。雖然、所差者甚微故、隔十年推求其数、両真数相較、求得其平均数、以便于推歩。其法、置積年、加十年、為後積年。以依前法推求諸数而、後施左法」
十年用うるところの諸数を推す「凡そ消長有らば(太陽距最卑一周のごときは、則ち終古消長なし)毎年其の数を同じくせず。然りといへども、差するところは甚だ微なるゆゑ、十年を隔して其の数を推し求め、両真数相較べ、求めて其の平均数を得、以って推歩に便ず。其の法、積年を置き、十年を加へ、後積年と為す。以って前法に依り諸数を推し求めて、後、左法を施す」
\[ \begin{align}
\text{前積年} &= \text{ベースとなる年} + \left[ {\text{積年} - \text{ベースとなる年} \over 10} \right] \times 10 \\
\text{後積年} &= \text{前積年} + 10年
\end{align} \]
寛政暦消長法においては、各種定数を毎年計算し直すのも煩雑なので、10年に一度改定することになっている。「10年に一度」というのがどこを起点にして10年なのかというのが問題になるが、暦法には記載されていないのでよくわからない。一応、寛政暦暦元(寛政九(1797)年)を起点に、1797~1807年、1807~1817年……の10年で定数を改定していくものとしておく。(上記の式の「ベースとなる年」= 1664 (※) )
- (※) 寛政九(1797)年の「積年」は、1797 - 133 = 1664
10年毎に算出する値その1: 各種周期
求歳周「以前後両定積分相減、余為積日。以一十年除之、得平均歳周」
前後の両定積分を以って相減じ、余り積日と為す。一十年を以ってこれを除し、平均歳周を得。
求朔策「置積日、加入前至朔差、減去後至朔差、余以月数(乃十年間之月数)除之(視前後至朔差、前大後小則月数一百二十四。前小後大則月数一百二十三)、得平均朔策」
積日を置き、前至朔差を加へ入れ、後至朔差を減去し、余り月数を以って(すなはち十年間の月数)これを除し(前後至朔差を視、前大後小は則ち月数一百二十四。前小後大は則ち月数一百二十三)、平均朔策を得。
求太陰距最高一周「置積日、加入前冬至太陰距最高日分、減去後冬至太陰距最高日分、余以其周数除之(視前後距最高日分、前大後小則一百三十三周。前小後大則一百三十二周)、得平均太陰距最高一周」
積日を置き、前冬至太陰距最高日分を加へ入れ、後冬至太陰距最高日分を減去し、余り其の周数を以ってこれを除し(前後距最高日分を視、前大後小は則ち一百三十三周。前小後大は則ち一百三十二周)、平均太陰距最高一周を得。
求黄白交一周「置積日、加入前冬至太陰距正交日分、減去後冬至太陰距正交日分、余以其交数除之(視前後距正交日分、前大後小則一百三十五交。前小後大則一百三十四交)、得平均黄白交一周」
積日を置き、前冬至太陰距正交日分を加へ入れ、後冬至太陰距正交日分を減去し、余り其の交数を以ってこれを除し(前後距正交日分を視、前大後小は則ち一百三十五交。前小後大は則ち一百三十四交)、平均黄白交一周を得。
\[\begin{align}
\text{歳周} &= {1 \over 10} (\text{定積分}(@\text{後積年}) - \text{定積分}(@\text{前積年})) \\
\text{朔策} &= {(\text{定積分}(@\text{後積年}) - \text{至朔差}(@\text{後積年})) - (\text{定積分}(@\text{前積年}) - \text{至朔差}(@\text{前積年})) \over n} \\
& \begin{cases} n=124 & \text{if } \text{至朔差}(@\text{前積年}) \gt \text{至朔差}(@\text{後積年}) \\ n=123 & \text{if else} \end{cases} \\
\text{太陰距最高一周} &= {(\text{定積分}(@\text{後積年}) - \text{冬至太陰距最高}(@\text{後積年})) - (\text{定積分}(@\text{前積年}) - \text{冬至太陰距最高}(@\text{前積年})) \over n} \\
& \begin{cases} n=133 & \text{if } \text{冬至太陰距最高}(@\text{前積年}) \gt \text{冬至太陰距最高}(@\text{後積年}) \\ n=132 & \text{if else} \end{cases} \\
\text{黄白交一周} &= {(\text{定積分}(@\text{後積年}) - \text{冬至太陰距正交}(@\text{後積年})) - (\text{定積分}(@\text{前積年}) - \text{冬至太陰距正交}(@\text{前積年})) \over n} \\
& \begin{cases} n=135 & \text{if } \text{冬至太陰距正交}(@\text{前積年}) \gt \text{冬至太陰距正交}(@\text{後積年}) \\ n=134 & \text{if else} \end{cases}
\end{align} \]
暦法に書いてあるとおりの式では、
\[ \begin{align}
\text{積日} &=
\text{定積分}(@\text{後積年}) - \text{定積分}(@\text{前積年}) \\
\text{朔策} &= {\text{積日} +
\text{至朔差}(@\text{前積年}) - \text{至朔差}(@\text{後積年}) \over n}
\end{align} \]
等なのだが、意味合いがわかりやすいように上記のような式の記載に改めている。
\(\text{天正経朔}= \text{天正冬至} - \text{至朔差} = \text{定積分} + 12_\text{日}.3351 -
\text{至朔差}\) なので、\((\text{定積分}(@\text{後積年}) - \text{至朔差}(@\text{後積年})) - (\text{定積分}(@\text{前積年})
- \text{至朔差}(@\text{前積年}))\) は、前後同数の定数 12日.3351 は置いておいて、\(\text{天正経朔}(@\text{後積年}) -
\text{天正経朔}(@\text{前積年})\) 、すなわち前積年の天正経朔からその十年後の後積年の天正経朔までの経過日時を計算しているわけである。
「前後至朔差を視、前大後小は則ち月数一百二十四。前小後大は則ち月数一百二十三」とあるのは、どういうことか。
「積日」すなわち10年の日数、約
3652.4日を、朔望周期、約29.53日で割れば、10年 =
123.7ヶ月。前後積年の天正経朔間隔「\(\text{積日} + \text{至朔差}(@\text{前積年}) -
\text{至朔差}(@\text{後積年})\)」は、当然、朔望周期の整数倍なのだが、\(\text{至朔差}(@\text{前積年}) -
\text{至朔差}(@\text{後積年}) \gt 0\)
のとき、前後積年の天正経朔間隔は「積日」より長い日数だから
123.7ヶ月より大きい月数、すなわち 124ヶ月であるはずであり、\(\text{至朔差}(@\text{前積年})
- \text{至朔差}(@\text{後積年}) \lt 0\)
のとき、前後積年の天正経朔間隔は「積日」より短い日数だから
123.7ヶ月より小さい月数、すなわち 123ヶ月であるはずである。
太陰距最高一周、黄白交一周についても、話は同じ。
10年毎に算出する値その2: 平行
求太陽毎日平行「置周天度、以歳周除之、得太陽毎日平行」
周天度を置き、歳周を以ってこれを除し、太陽毎日平行を得。
求太陰毎日平行「置周天度、以朔策除之、得月距日毎日平行。加入太陽毎日平行、為太陰毎日平行」
周天度を置き、朔策を以ってこれを除し、月距日毎日平行を得。太陽毎日平行を加へ入れ、太陰毎日平行と為す。
求太陽最卑毎歳及毎日平行「以日周一萬分為一率、太陽距最卑毎日平行〇度九十八分五十五秒九十七微六十四繊五十三忽為二率、以歳周与太陽距最卑一周三百六十五日二六〇六一二九相減余数為三率、求得四率為太陽最卑毎歳平行。以太陽距最卑毎日平行与太陽毎日平行相減、得太陽最卑毎日平行」
日周一萬分を以って一率と為し、太陽距最卑毎日平行〇度九十八分五十五秒九十七微六十四繊五十三忽、二率と為し、歳周を以って太陽距最卑一周三百六十五日二六〇六一二九と相減じ余数三率と為し、求めて得る四率太陽最卑毎歳平行と為す。太陽距最卑毎日平行を以って太陽毎日平行と相減じ、太陽最卑毎日平行を得。
求太陰最高毎日平行「置周天度、以太陰距最高一周除之、得月距最高毎日平行。以与太陰毎日平行相減、余為太陰最高毎日平行」
周天度を置き、太陰距最高一周を以ってこれを除し、月距最高毎日平行を得。以って太陰毎日平行と相減じ、余り太陰最高毎日平行と為す。
以月離正交毎日平行「置周天度、以黄白交一周除之、得月距正交毎日平行。以与太陰毎日平行相減、余為月離正交毎日平行」
周天度を置き、黄白交一周を以ってこれを除し、月距正交毎日平行を得。以って太陰毎日平行と相減じ、余り月離正交毎日平行と為す。
\[\begin{align}
\text{太陽毎日平行} &= 360° / \text{歳周} \\
\text{月距日毎日平行} &= 360° / \text{朔策} \\
\text{太陰毎日平行} &= \text{月距日毎日平行} + \text{太陽毎日平行} \\
\text{太陽距最卑毎日平行} &= 0°.9855976453_\text{/日} \\
\text{太陽距最卑一周} &= 365_\text{日}.2606129 \\
\text{太陽最卑毎歳平行} &= \text{太陽距最卑毎日平行} \times (
\text{太陽距最卑一周} - \text{歳周}) \\
\text{太陽最卑毎日平行} &= \text{太陽毎日平行} - \text{太陽距最卑毎日平行} \\
\text{月距最高毎日平行} &= 360° / \text{太陰距最高一周} \\
\text{太陰最高毎日平行} &= \text{太陰毎日平行} - \text{月距最高毎日平行} \\
\text{月距正交毎日平行} &= 360° / \text{黄白交一周} \\
\text{月離正交毎日平行} &= \text{月距正交毎日平行} - \text{太陰毎日平行}
\end{align} \]
各種周期の値から、平均黄経角速度(平行)を求める。太陽黄経、太陽の近点(最卑)黄経、月黄経、月の遠点(最高)黄経、月の昇交点(正交)黄経の 1日あたり平均角速度をそれぞれ、\(\lambda_s^\prime,
\varpi_s^\prime, \lambda_m^\prime,
\varpi_m^\prime, \Omega_m^\prime \) とするとき、
\[ \begin{align}
\text{歳周} &= {360° \over \lambda_s^\prime} \\
\text{朔策} &= {360° \over \lambda_m^\prime - \lambda_s^\prime} \\
\text{太陽距最卑一周} &= 365_\text{日}.2606129 = {360° \over \lambda_s^\prime - \varpi_s^\prime} \\
\text{太陰距最高一周} &= {360° \over \lambda_m^\prime - \varpi_m^\prime} \\
\text{黄白交一周} &= {360° \over \lambda_m^\prime - \Omega_m^\prime}
\end{align} \]
であることから、ほとんどの式はその意味を理解するのが容易だと思うが、
\(\text{太陽最卑毎歳平行} = \text{太陽距最卑毎日平行} \times (\text{太陽距最卑一周} -
\text{歳周})\) についてだけ、解説しておく。
\[ \begin{align}
\text{太陽最卑毎歳平行} &= \text{太陽距最卑毎日平行} \times
(\text{太陽距最卑一周} - \text{歳周}) \\
&= (\lambda_s^\prime -
\varpi_s^\prime) \left( {360° \over \lambda_s^\prime - \varpi_s^\prime} -
{360° \over \lambda_s^\prime} \right) \\
&= (\lambda_s^\prime -
\varpi_s^\prime) {360° \lambda_s^\prime - 360° (\lambda_s^\prime -
\varpi_s^\prime) \over \lambda_s^\prime (\lambda_s^\prime - \varpi_s^\prime)}
\\
&= {360° \over \lambda_s^\prime} \varpi_s^\prime
\end{align}
\]
太陽の近点平均黄経の一日あたり角速度(太陽最卑毎日平行)\(\varpi_s^\prime\) に歳周 \(360° / \lambda_s^\prime\) をかけた値となっており、これはすなわち、太陽近点平均黄経の一年あたり角速度(太陽最卑毎歳平行)である。
太陰最高毎日平行と月離正交毎日平行とで、暦法の条文の書きっぷりはほぼ同じなのだが、
\(\text{太陰最高毎日平行} =
\text{太陰毎日平行} - \text{月距最高毎日平行}\) と、
\(\text{月離正交毎日平行} = \text{月距正交毎日平行} - \text{太陰毎日平行}\)
としており、引き算の向きを逆にしている。
正交(昇交点)黄経は逆回りする。月昇交点平均角速度 \(\Omega_m^\prime \lt 0 \) なので、\(\lambda_m^\prime - (\lambda_m^\prime - \Omega_m^\prime) = \Omega_m^\prime\) を求めるのではなく、\((\lambda_m^\prime - \Omega_m^\prime) - \lambda_m^\prime = - \Omega_m^\prime\) を求める式としておいた。寛政暦本編の月離のところで、
\[ \begin{align}
\text{正交毎日平行} &= 0°.0529506561 \\
\text{正交平行} &= \text{正交年根} -
\text{正交毎日平行} \times \text{日数}
\end{align} \]
としており、「正交毎日平行をプラスの値としたうえで、それを足すのではなく引く」という式にしておいたので、それと平仄を合わせている。
なお、彼らはマイナスの数という概念を用いないので、ナチュラルでこういう計算をしたはずである(月距最高毎日平行と太陰毎日平行とを「相減」しろ、月距正交毎日平行と太陰毎日平行とを「相減」しろと言われれば、太陰毎日平行より月距最高毎日平行の方が小さい数なので、太陰毎日平行から月距最高毎日平行を引くし、太陰毎日平行より月距正交毎日平行の方が大きい数なので、月距正交毎日平行から太陰毎日平行を引く)。
10年毎に算出する値その3: 離心率、黄道傾斜角
求太陽倍両心差「以盈縮一周二萬五千四百年為一率、周天度為二率、甲盈縮周年加五年為三率、求得四率為積度。以半径為一率、積度之正弦為二率、太陽両心加減大数一十五萬四千〇六十為三率、求得四率為両心加減数(盈則為減、縮則為加)。以加減太陽倍両心差中数四十二萬七千九百為所求太陽倍両心差」
盈縮一周二萬五千四百年を以って一率と為し、周天度二率と為し、甲盈縮周年、五年を加へ三率と為し、求めて得る四率積度と為す。半径を以って一率と為し、積度の正弦、二率と為し、太陽両心加減大数一十五萬四千〇六十、三率と為し、求めて得る四率、両心加減数と為す(盈則ち減と為し、縮則ち加と為す)。以って太陽倍両心差中数四十二萬七千九百に加減し、求むるところの太陽倍両心差と為す。
求黄赤大距度「置積年、加五年、以与黄道毎年緯行〇度〇〇〇二秒五十微相乗、為黄道緯行。以減根数黄赤大距二十三度八十八分〇五秒(上考往古、則加之)、為所求黄赤大距度」
積年を置き、五年を加へ、以って黄道毎年緯行〇度〇〇〇二秒五十微と相乗じ、黄道緯行と為す。以って根数黄赤大距二十三度八十八分〇五秒より減じ(上って往古を考ふるは、則ちこれを加ふ)、求むるところの黄赤大距度と為す。
\[ \begin{align}
\text{中途積年} &= \text{前積年} + 5 \\
\text{積度} &= 360° \times {\text{甲盈縮周年}(@\text{中途積年}) \over 25400} \\
\text{両心加減数} &= -0.0154060 \times \sin(\text{積度}) \\
\text{太陽倍両心差} &= 0.0427900 + \text{両心加減数} \\
\text{黄道緯行} &= 2°.50 \times 10^{-4} \times \text{中途積年} \\
\text{黄赤大距差} &= 23°.8805 - \text{黄道緯行}
\end{align} \]
太陽の離心率(両心差)と黄道傾斜角(黄赤大距差)は、前積年の5年後(前積年と後積年の中間の年)の値をもとに決定する。
両心差ではなく倍両心差(すなわち2焦点の間の距離)として算出されるので、両心差の値を得るには
2 で割る必要がある。なお、暦法の記載では楕円の長半径を 10,000,000
としたときの離心距離(の倍)で記載しているわけだが、このブログの式では、楕円の長半径を
1 として式を記載している(離心距離 = 離心率)ので、10,000,000 分の 1
の値としている。
両心差についてのみ、消長法では珍しく三角関数を使っている。
「盈則ち減と為し、縮則ち加と為す」と言っており、甲盈縮が盈(\(0°
\leqq \text{積度} \lt 180°\)) のとき減、甲盈縮が縮(\(-180° \leqq \text{積度} \lt 0°\))
のとき加ということで、両心加減数は \(+ \sin(\text{積度})\) ではなく、\(-
\sin(\text{積度})\) に比例する値である。
黄赤大距差は、甲乙盈縮周年とかからでなく積年によって計算しているので、25,400年周期で増減を繰り返すのではなく、永年、傾斜角を減少させ続ける。
年根
推年根諸数(乃天正冬至次日子正初刻日月諸平行也)
年根諸数を推す(すなはち天正冬至次日子正初刻の日月諸平行なり)
求太陽平行年根「以日周為一率、太陽毎日平行為二率、以天正冬至分(不用日。後同)与日周相減余数為三率、求得四率為太陽平行年根」
日周を以って一率と為し、太陽毎日平行、二率と為し、天正冬至分を以って(日を用ゐず。後、同じ)日周と相減じ余数三率と為し、求めて得る四率、太陽平行年根と為す。
求太陽最卑年根「置歳周、加一日、減天正冬至分、以与冬至太陽距最卑日分相減、余数以与太陽距最卑毎日平行〇度九十八分五十五秒九十七微六十四繊五十三忽相乗、得 [(脱字?) 度分以宮法収之] 内減太陽平行年根、為太陽最卑年根」
歳周を置き、一日を加へ、天正冬至分を減じ、以って冬至太陽距最卑日分と相減じ、余数、以って太陽距最卑毎日平行〇度九十八分五十五秒九十七微六十四繊五十三忽と相乗じ、得る [(脱字?) 度分、宮法を以ってこれを収め] 太陽平行年根を内減し、太陽最卑年根と為す。
求太陰平行年根「置至朔差、加一日、減天正冬至分、余数以与月距日毎日平行(求太陰毎日平行法中所得者)相乗、得度分以宮法収之、加太陽毎日年根、得太陰平行年根」
至朔差を置き、一日を加へ、天正冬至分を減じ、余数、以って月距日毎日平行(求太陰毎日平行の法中、得るところのもの)相乗じ、得る度分、宮法を以ってこれを収め、太陽毎日年根を加へ、太陰平行年根を得。
求太陰最高年根「置冬至太陰距最高日分、加一日、減天正冬至分、余数以[(脱字?) 与] 月距最高毎日平行(求太陰最高毎日平行法中所得者)相乗、得度分以宮法収之、以減太陰平行年根(不及減者、加十二宮減之)、得太陰最高年根」
冬至太陰距最高日分を置き、一日を加へ、天正冬至分を減じ、余数、以って月距最高毎日平行 [(脱字?) と](求太陰最高毎日平行の法中、得るところのもの)相乗じ、得る度分、宮法を以ってこれを収め、以って太陰平行年根より減じ(減に及ばざれば、十二宮を加へこれを減ず)、太陰最高年根を得。
求月離正交年根「置冬至太陰距正交日分、加一日、減天正冬至分、余数以与月距正交毎日平行(求月離正交毎日平行法中所得者)相乗、得度分以宮法収之、以減太陰平行年根(不及減者、加十二宮減之)、得月離正交年根」
冬至太陰距正交日分を置き、一日を加へ、天正冬至分を減じ、余数以って月距正交毎日平行と(求月離正交毎日平行の法中、得るところのもの)相乗じ、得る度分、宮法を以ってこれを収め、以って太陰平行年根より減じ(減に及ばざれば、十二宮を加へこれを減ず)、月離正交年根を得。
\[ \begin{align}
\text{太陽平行年根} &= \text{太陽毎日平行} \times (1_\text{日} - \text{小数部}(\text{天正冬至})) \\
\text{太陽最卑年根} &= \text{太陽距最卑毎日平行} \times (\text{歳周} + 1_\text{日} - \text{小数部}(\text{天正冬至}) - \text{冬至太陽距最卑}) - \text{太陽平行年根} \\
\text{太陰平行年根} &= \text{太陽平行年根} + \text{月距日毎日平行} \times (\text{至朔差} + 1_\text{日} - \text{小数部}(\text{天正冬至})) \\
\text{太陰最高年根} &= \text{太陰平行年根} - \text{月距最高毎日平行} \times (\text{冬至太陰距最高} + 1_\text{日} - \text{小数部}(\text{天正冬至})) \\
\text{月離正交年根} &= \text{太陰平行年根} - \text{月距正交毎日平行} \times (\text{冬至太陰距正交} + 1_\text{日} - \text{小数部}(\text{天正冬至}))
\end{align} \]
年根、つまり天正冬至翌日 0:00 時点の平均黄経を求める。\(1_\text{日} -
\text{小数部}(\text{天正冬至})\) すなわち、天正冬至~天正冬至翌日 0:00
の間の時間が各式のなかで頻出する。この時間を\(\Delta t\) と置く。
天正冬至時点で太陽平行 \(\lambda_s\) はゼロだから、天正冬至翌日 0:00 時点の太陽平行は \(\text{太陽毎日平行} \times \Delta t\) である。
天正経朔時点で月距日 \(\lambda_m - \lambda_s\) はゼロである。そこから天正冬至翌日 0:00 時点までの経過日時は、\(\text{至朔差} + \Delta t\) であるから、それに月距日毎日平行をかけて、天正冬至翌日 0:00 時点の月距日。それにその時点の太陽平均黄経「太陽平行年根」\(\lambda_s\) を加算すれば、その時点の月平均黄経「太陰平行年根」となる。
同様に、天正冬至直前の月の遠点通過~天正冬至翌日0:00 の期間の月距最高 \(\lambda_m - \varpi_m\) の変化、天正冬至直前の月の昇交点通過~天正冬至翌日0:00 の期間の月距正交 \(\lambda_m - \Omega_m\) の変化 について考えれば、太陰最高年根、月離正交年根の計算式が得られる。
悩ましいのが太陽最卑年根の式である。
太陽近点通過~本年冬至(翌年天正冬至)の間の経過日時が冬至太陽距最卑。また、天正冬至~本年冬至の間の経過日時が歳周であるから、天正冬至~太陽近点通過の間の経過日時が
\(\text{歳周} -
\text{冬至太陽距最卑}\)。天正冬至翌日0:00~太陽近点通過の間の経過日時は、\(\text{歳周} -
\Delta t - \text{冬至太陽距最卑}\) である。
近点通過時点で太陽の近点の平均黄経 \(\varpi_s\) と太陽の平均黄経 \(\lambda_s\) は等しいので、天正冬至翌日0:00~太陽近点通過の間の経過日時に太陽距最卑毎日平行
をかけた値の分だけ、天正冬至翌日0:00時点では太陽近点平均黄経は太陽平均黄経より大きい。よって、この値に天正冬至翌日0:00時点の太陽平均黄経(太陽平行年根)を加算すると、天正冬至翌日0:00時点の太陽近点平均黄経が得られる。
上記の説明で得られる式は、
\(\text{太陽最卑年根} = \text{太陽距最卑毎日平行}
\times (\text{歳周} - (1_\text{日} - \text{小数部}(\text{天正冬至})) - \text{冬至太陽距最卑}) +
\text{太陽平行年根} \)
であるはずだ。暦法に記載されている式
\(\text{太陽最卑年根}
= \text{太陽距最卑毎日平行} \times (\text{歳周} + (1_\text{日} - \text{小数部}(\text{天正冬至})) -
\text{冬至太陽距最卑}) - \text{太陽平行年根} \)
だと、天正冬至の \(\Delta t\)
前の太陽近点平均黄経を得ていることになる。「天正冬至の \(\Delta t\)
後」は「天正冬至翌日 0:00」という意味のある日時だが、「天正冬至の \(\Delta t\)
前」は意味がない。
\(\text{太陽距最卑毎日平行} \times (\text{歳周} + (1_\text{日} -
\text{小数部}(\text{天正冬至})) - \text{冬至太陽距最卑})\)
で、その意味がない日時の太陽距最卑が得られ、その意味がない日時の太陽平均黄経は「マイナス太陽平行年根」(※)
であるから、それを加算すると、その意味がない日時の太陽近点平均黄経が得られる。
- (※) 天正冬至時点の太陽平均黄経はゼロ、天正冬至 + \(\Delta t\) 時点の太陽平均黄経は「太陽平行年根」であるから、天正冬至 \(- \Delta t\) 時点の太陽平均黄経は「マイナス太陽平行年根」である。
暦法に書かれている式は、多分、計算として間違っているとは思うのだが、実際の影響はほとんど皆無。太陽近点黄経の角速度は小さく、 \(2 \Delta t\) だけ異なる日時(\(0 \leqq \Delta t \lt 1日\))の太陽近点黄経を求めたところでほとんど値としては変わらず、誤差は 0°.0001 未満である。
消長法の計算は以上である。年根と毎日平行が得られたので、あとは、\(\text{黄経} = \text{年根} + \text{毎日平行} \times \text{日数}\) (※) などとして各日の各種黄経を求め寛政暦の日躔月離にしたがって暦計算をしていくことになる。
- (※) 正交の場合、\(\text{黄経} = \text{年根} - \text{毎日平行} \times \text{日数}\)
頒暦との突合
節気・土用、定朔について計算結果を頒暦と突合して、計算式の妥当性を検証したいところだったのだが、「消長法の説明が終わってからね」ということで先延ばしにしてきた。消長法の説明も終わったので、いよいよ突合を実施する。
結果を言うと、節気・土用については、消長を行わず、暦法に記載された定数のみで計算すると、下記の11件(土用 2、節気 9)において、時刻が相違する(幸いにして日付はずれない)。消長を行って計算すると完全一致する。
定朔日付は、消長を行おうが行うまいが結果は変わらないし、頒暦とも一致する。時刻はわからず、日付だけしか突合できないので、まあ、そうそうずれないのだが。貞享暦・宝暦暦では、日月食の食甚時刻は朔望時刻と同一なので食甚が見える食については朔望時刻を突合することが出来たが、寛政暦は、食甚時刻が必ずしも朔望時刻と一致しないため、その手は使えない。
No. | 日付 | 種類 | 頒暦での記載 | 消長あり | 消長なし |
---|---|---|---|---|---|
1 | 文政三(1820)年十二月15日 | 冬土用 | たつの三刻 | たつの三刻 [2.5025刻] |
たつの二刻 [2.4951刻] |
2 | 文政八(1825)年三月2日 | 春土用 | ひつじの六刻 | ひつじの六刻 [5.5038刻] |
ひつじの五刻 [5.4926刻] |
3 | 文政十(1827)年三月28日 | 穀雨三月中 | 今暁とらの初刻 | 今暁とらの初刻 [0.0108刻] |
今暁うしの八刻 [8.3306刻] |
4 | 文政十二(1829)年四月21日 | 小満四月中 | 今暁うしの一刻 | 今暁うしの一刻 [0.5021刻] |
今暁うしの初刻 [0.4863刻] |
5 | 文政十三(1830)年九月6日 | 霜降九月中 | むまの二刻 | むまの二刻 [1.5030刻] |
むまの一刻 [1.4855刻] |
6 | 天保三(1832)年二月20日 | 春分二月中 | いの三刻 | いの三刻 [2.5040刻] |
いの二刻 [2.4846刻] |
7 | 天保四(1833)年七月8日 | 処暑七月中 | たつの四刻 | たつの四刻 [3.5050刻] |
たつの三刻 [3.4838刻] |
8 | 天保五(1834)年十二月23日 | 大寒十二月中 | とりの五刻 | とりの五刻 [4.5061刻] |
とりの四刻 [4.4830刻] |
9 | 天保七(1836)年五月9日 | 夏至五月中 | 今暁とらの六刻 | 今暁とらの六刻 [5.5074刻] |
とらの五刻 [5.4821刻] |
10 | 天保八(1837)年十月24日 | 小雪十月中 | ひつじの七刻 | ひつじの七刻 [6.5090刻] |
ひつじの六刻 [6.4813刻] |
11 | 天保十(1839)年三月10日 | 穀雨三月中 | 今暁ねの八刻 | 今暁ねの八刻 [7.5103刻] |
今暁ねの七刻 [7.4805刻] |
寛政暦の作暦を実装したいという人(私以外にそんな人はいるんだろうか)は、上記の表を見て「やっぱり寛政暦は消長法も実装しないと、ちゃんと計算できないのか……」と落胆されるかも知れないが、朗報がある。
節気・土用も、消長法を全部実装しなくても、天正冬至だけ消長法で算出すれば全部合う。消長法の天正冬至を求める式は下記を使えばよい。
下記の式において、\(y\) は、寛政暦の暦元 寛政九(1797)年を \(y=0\)
とする年数。計算した結果は、寛政暦の暦元上元甲子日と消長元上元甲子日との間の日数
607,800日を減算してあるので、寛政暦の暦元上元甲子日 1796-12-21T00:00:00
を起点とした日数の形で得られる。
\[ \begin{array}{rll}
\text{天正冬至} &=& \text{定積分} + 12.3351 - 607,800 \\
&=& \text{平積分} + \text{甲盈縮歳差} + \text{乙盈縮歳差} + 12.3351 - 607,800 \\
&=& 365.24862421 \times \text{積年} \\
&& + 2.487777 \times 10^{-6} \text{甲盈縮元積} \\
&& + 2.705462 \times 10^{-6} \text{乙盈縮元積} \\
&& + 12.3351 - 607,800 \\
&=& 365.24862421 \times \text{積年} \\
&& + 2.487777 \times 10^{-6} (12700 - \text{甲盈縮周年}) \text{甲盈縮周年} \\
&& + 2.705462 \times 10^{-6}(12700 + \text{乙盈縮周年}) \text{乙盈縮周年} \\
&& + 12.3351 - 607,800 \\
&=& 365.24862421 \times \text{積年} \\
&& + 2.487777 \times 10^{-6} (12700 - (\text{積年} + 852)) (\text{積年} + 852) \\
&& + 2.705462 \times 10^{-6}(12700 + (\text{積年} - 12700)) (\text{積年} - 12700) \\
&& + 12.3351 - 607,800 \\
&=& 365.24862421 \times (y+1664) \\
&& + 2.487777 \times 10^{-6} (12700 - ((y+1664) + 852)) ((y+1664) + 852) \\
&& + 2.705462 \times 10^{-6}(12700 + ((y+1664) - 12700)) ((y+1664) - 12700) \\
&& + 12.3351 - 607,800 \\
&=& 365.24862421 \times (y+1664) \\
&& + 2.487777 \times 10^{-6} (10184 - y) (y + 2516) \\
&& + 2.705462 \times 10^{-6} (y + 1664) (y - 11036) \\
&& + 12.3351 - 607,800 \\
&=& 365.24862421 \times (y+1664) \\
&& + 2.487777 \times 10^{-6} (25,622,944 + 7,668y - y^2) \\
&& + 2.705462 \times 10^{-6} (-18,363,904 - 9,372y + y^2) \\
&& + 12.3351 - 607,800 \\
&=& (365.24862421 \times 1664 \\
&& + 2.487777 \times 10^{-6} \times 25,622,944 \\
&& - 2.705462 \times 10^{-6} \times 18,363,904 \\
&& + 12.3351 - 607,800) \\
&& + (365.24862421 + 2.487777 \times 10^{-6} \times 7,668 - 2.705462 \times 10^{-6} \times 9,372)y \\
&& + (2.705462 - 2.487777) \times 10^{-6} y^2 \\
&=& 0.107111751840 + 365.242344894172y + 2.17685 \times 10^{-7} y^2
\end{array} \]
上記の式で天正冬至を求め、暦法定数の気策を累加してもいいし、上記の式の y に「年 + 節気番号 / 24」の値を代入して節気を求めてもよい。
「ちなみに」の話。
この式を微分したもの、
\[ {\mathrm{d}(\text{天正冬至}) \over \mathrm{d}y} =
365.242344894172 + 4.35370 \times 10^{-7} y \]
が、一年の長さになるわけだが、寛政暦の暦法に記載された歳周定数
365.242347071日は、上記の式に \(y=5\)
を代入したものに一致する。つまり、消長法を行ったときに、1797~1807年の期間に使用されるその間の平均歳周、すなわち、1802年の歳周に合うように暦法定数は記載されているということがわかる。
以上で、寛政暦の暦法についての説明は終わり。次回からは天保暦。
[参考文献]
吉田 秀升, 山路 徳風, 高橋 至時「暦法新書」(寛政) 国立公文書館デジタルアーカイブ蔵
渋川 景佑「寛政暦書」 国立公文書館デジタルアーカイブ蔵
中山 茂 (1963-04)「消長法の研究 (I) ―東西観測技術の比較―」, 科学史研究 (66), pp.68-84, 日本科学史学会
中山 茂 (1963-07)「消長法の研究 (II)」, 科学史研究 (67), pp.128-129, 日本科学史学会
中山 茂 (1964)「消長法の研究 (III) ―麻田剛立と高橋至時―」, 科学史研究 (69), pp.8-17, 日本科学史学会
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