貞享暦の暦法に基づいて算出した日月食と、実際の頒暦面に記載された日月食記事との突合を行っている。前回は、貞享暦初期(貞享二(1685)年暦~正徳六(享保元 1716)年暦)のあまり記載フォーマットが定まっていない時期について突合した。
今回は、貞享暦中期以降(享保二(1717)年暦~宝暦四(1754)年暦)について突合する。
この時期では、「初虧→食甚→復末パターン」、つまり、「○の○刻×の方よりかけはじめ○の○刻×の方に甚○の○刻×の方におはる」という記載スタイルが定着する。
- 後には「甚しく」となるが、この時期は「甚」。おそらく読み方はどちらも「はなはだしく」
時刻は辰刻表示(○の○刻)となる。刻数は宝暦二(1752)年暦までは切捨で、宝暦三(1753)以降は四捨五入。初期月食記事において見られた「夜明け(晨分)後の時刻は『明朝(あくるあさ、○日の朝、等)』として記載する」という記載形式は見られなくなり、夜明け後も普通に辰刻表示するようになる。
節気・土用では、元文四(1739)年暦まで、子初 (23:00~24:00) は「夜ねの○刻」としていたが、月食記事では夜半24:00を記載日の切れ目としない(翌日の日出が切れ目)ため、当初は「夜」を記載していなかった。享保十五(1730)年暦~元文四(1739)年暦の間のみ「夜」を記載する。節気・土用で、元文五(1740)年暦~宝暦二(1752)年暦の間、0:00~5:00の子丑寅時を前日に記載して「翌○の○刻」と表記することが行われていたが、この記法は月食記事では使用されていない。月食記事では、元文五(1740)年の前でも後でも夜半24:00過ぎの時刻は前日に記載されるが、「翌」の字は付記されない。
帯食の記載も、
「○の○刻△分ばかりかけながら出 [○の○刻×の方に甚]
○の○刻×の方におはる」
「○の○刻×の方よりかけはじめ [○の○刻×の方に甚] ○の○刻△分ばかりかけながら入」
の形式に定まる。
帯食の場合、西国における出入時食分が「西国にては△分ばかりかけながら出/入べし」のように末尾に表示される(「西国にては所見△分ばかり」になることもあるようだ)。京都では帯食だが西国では復末後に出る(西国では不見)のとき「西国にては復して出べし」、京都では帯食だが西国では復末後に入る(西国では通常食)のとき「西国にては復して入べし」と表記される。ただし、これらの西国食に関する記載は、だんだん記載されない例が目立つようになる。
ここで「西国ってどこのこと?」というのが問題になる。暦法上は定義がなくよくわからないというのが正直なところだが、記載されている西国食分から演繹して「京都との時差が
2.5刻の場所(経度にして 9° 西に行った場所)」であるとして計算した。
正直、経度にして 9° 西というのは西すぎるが(五島列島より西)。
-
天保暦においては、暦法上「東国」「西国」の経緯度が定義されており、西国(長崎)は京都の
\(5°.808333 (5°{48^\prime}{30^{\prime\prime}})\)
西である。これと比較すると「9° 西」は、あまりにも西すぎる。
- 渋川春海が作成し、弟子である谷秦山の家に伝来したものとされる地球儀は、明朝で活躍したイエズス会士マテオ・リッチ(利瑪竇)が作成した世界地図「坤輿万国全図」をもとにして作ったようであり、これを見ると、日本がやや大きめに描かれていて、京都と九州の経度差は 9° ぐらいありそうではある。
貞享暦の暦法において、京都以外の地方における日月食の計算をする式は用意されていない。単純に、「西国」では京都と同じ日月食が観測できるが、日月の出入時刻が
2.5刻遅れるものとして計算した。
前回同様、時刻・食分・方向角などの算出値の相違と思われるものは赤字、記載情報の過不足は青字でコメントする。記載情報は相違ないが記載文言が想定と異なるものについては黒字。前回の貞享暦初期においては記載文言が固まっていない時期なので、特に目についたものだけ挙げたが、今回は一応すべて注記する。記載文言相違以外にも、注記すべきポイントがあれば黒字で注記する。
月食記事
年月日 |
頒暦の月食記事 | 突合結果 |
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1717年 8月 16 |
月そく六分: うしの時東南の方よりかけはじめうしの七刻南方に甚くとらの六刻西南の方におはる |
丑0.92初→丑7.18甚[6.72分]→寅6.36復, 東南→南→西南
|
1718年 2月 15 |
月そく皆つくる: 子一刻東方よりかけはじめ丑初刻甚丑七刻西の方に復す |
子1.23初→丑0.22甚[14.61分]→丑7.53復, 東→×→西
|
1718年 8月 15 |
月帯そく皆つくる: 丑六刻東方よりかけ初寅六刻甚十六日の朝七分ばかりかけながら入る西国にては二分ばかりかけて入べし |
丑6.56初→寅6.88甚[14.16分]→卯3.23入[6.84分, 西2.53分]→卯7.20復, 東→×→西
|
1719年 正月 16 |
月帯そく五分: とりの二刻四分半ばかりかけながら出とりの三刻南方に甚とりの七刻西南の方におはる西国にては三分ばかりかけながら出べし |
申5.51初→酉2.79出[4.45分,
西3.19分]→酉3.36甚[4.98分]→酉7.89復, 東南→南→西南
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1719年 7月 14 |
月帯そく五分: とらの三刻東北の方よりかけはじめ十五日の朝北の方に甚して入西国にては三分ばかりかけながら入べし |
寅3.41初→(寅8.18晨)→卯2.30甚[5.05分]→卯2.35入[5.01分, 西3.00分]→卯7.61復, 東北→北→西北
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1720年 12月 16 |
月そく六分: いの六刻東北の方よりかけはじめねの四刻北の方に甚うしの三刻西北の方におはる | 亥6.09初→子4.21甚[6.77分]→丑3.59復, 東北→北→西北 |
1721年 6月 15 |
月帯そく: いぬの初刻三分ばかりかけながら出いぬの二刻西南の方におはる西国にては見べからず |
申6.03初→酉4.41甚[9.83分]→戌0.60出[3.21分]→戌2.79復→戌3.10西国出, 東南→南→西南
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1721年 11月 15 |
月そく皆つくる: いの一刻東方よりかけはじめねの一刻甚うしの一刻西方におはる |
亥1.17初→子1.51甚[14.78分]→丑1.84復, 東→×→西
|
1722年 11月 15 |
月そく六分: いの八刻東南の方よりかけはじめねの七刻南の方に甚うしの四刻西南の方におはる | 亥8.20初→子7.27甚[6.28分]→丑4.90復, 東南→南→西南 |
1725年 3月 15 |
月帯そく: とりの七刻五分ばかりかけながら出いぬの一刻西の方におはる西国にては復して出べし |
申1.53初→酉1.65甚[13.97分]→酉7.00出[5.45分, 西1.05分]→戌1.77復, 東→×→西
|
1725年 9月 16 |
月そく皆既: うしの七刻東の方よりかけはじめとらの六刻甚うの五刻西の方におはる |
丑7.20初→寅6.40甚[14.98分]→卯5.60復, 東→×→西
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1726年 3月 15 |
月そく六分: いぬの六刻東北の方よりかけはじめいの五刻北の方に甚ねの二刻西北の方におはる | 戌6.39初→亥5.29甚[6.71分]→子2.98復, 東北→北→西北 |
1728年 正月 16 |
月帯そく: とりの二刻五分半ばかりかけながら出とりの七刻西南の方におはる西国にては三分ばかりかけて出べし |
申3.92初→酉1.19甚[6.88分]→酉2.05出[5.91分, 西3.10分]→酉7.82復, 東南→南→西南
|
1728年 7月 14 |
月そく七分: ねの五刻東北の方よりかけはじめうしの三刻北の方に甚とらの二刻西北の方におはる |
子5.73初→丑3.81甚[6.98分]→寅2.99復, 東北→北→西北
|
1729年 正月 16 |
月入帯食皆既: とらの七刻東の方よりかけはじめうの六刻甚して入る |
寅7.36初→卯6.73甚[13.80分]→卯7.09入[皆既, 西9.32分]→辰6.11復, 東→×→西
|
1730年 6月 15 |
月そく三分: 夜ねの三刻東南の方よりかけはじめうしの一刻南の方に甚うしの四刻西南の方におはる |
子3.78初→丑1.09甚[3.49分]→丑4.70復, 東南→南→西南
|
1731年 11月 15 |
月そく五分: いぬの二刻東南の方かけはじめいぬの七刻南の方に甚いの五刻西南の方におはる |
戌2.06初→戌7.24甚[5.18分]→亥5.90復, 東南→南→西南
|
1732年 5月 16 |
月そく皆既: いの初刻東の方よりかけはじめ夜ねの初刻甚ねの八刻西の方におはる | 亥0.81初→子0.35甚[12.36分]→子8.23復, 東→×→西 |
1732年 10月 14 |
月帯そく皆既: うの初刻東の方よりかけはじめうの七刻甚たつの初刻月入西国にては八分ばかりにして入べし |
卯0.51初→卯7.95甚[14.18分]→辰0.57入[皆既, 西7.99分]→辰7.06復, 東→×→西
|
1733年 4月 15 |
月帯そく八分: うしの四刻東南の方よりかけはじめとらの三刻南の方に甚月入帯食所見三分ばかり西国にては復して入べし |
丑4.31初→寅3.54甚[8.14分]→寅7.94入[3.41分, 西0.72分]→卯2.77復, 東南→南→西南
|
1733年 10月 15 |
月そく六分半: いぬの八刻東北の方よりかけはじめいの六刻北の方に甚夜ねの三刻西北の方におはる |
戌8.21初→亥6.34甚[6.50分]→子3.31復, 東北→北→西北
|
1735年 3月 15 |
月そく五分: とりの七刻東北の方よりかけはじめいぬの三刻北の方に甚いの二刻西北の方におはる |
酉5.45出→酉7.18初→(酉7.95西国出[1.45分])→戌3.92甚[5.29分]→亥2.36復,
東北→北→西北
|
1737年 2月 16 |
月そく五分: ねの六刻東南の方よりかけはじめうしの四刻南の方に甚とらの一刻西南の方におはる | 子6.92初→丑4.90甚[5.40分]→寅1.33復, 東南→南→西南 |
1738年 12月 15 |
月帯そく: うの六刻 東北の方よりかけはじめ三分ばかりかけながら入西国にては所見五分ばかり |
卯6.53初→卯8.31入[2.30分, 西4.66分]→辰4.58甚[6.63分]→巳3.95復, 東北→北→西北
|
1739年 6月 15 |
月そく八分: ねの四刻東南の方よりかけはじめうしの二刻南の方に甚とらの初刻西南の方におはる | 子4.36初→丑2.54甚[8.87分]→寅0.71復, 東南→南→西南 |
1739年 12月 15 |
月帯そく: うの一刻東の方よりかけはじめ皆つきて入 |
卯1.59初→辰0.44入[皆既]→辰1.91甚[14.87分]→辰2.94西国入[皆既]→巳2.23復
東→×→西
|
1740年 6月 16 |
月帯そく皆つきて出: いぬの一刻光を生じいぬの七刻西の方におはる西国にては所見七分ばかり |
酉1.20初→酉8.27甚[10.96分]→戌0.60出[皆既, 西6.93分]→(戌1.37生還)→戌6.997復, 東→×→西
|
1742年 4月 15 |
月そく四分: いの五刻東南の方よりかけはじめねの二刻南の方に甚うしの初刻西南の方におはる |
亥5.96初→子2.30甚[3.96分]→丑0.95復, 東南→南→西南
|
1742年 10月 16 |
月そく五分: いぬの八刻東北の方よりかけはじめいの四刻北の方に甚ねの二刻西北の方におはる | 戌8.10初→亥4.44甚[5.26分]→子2.37復, 東北→北→西北 |
1743年 4月 15 |
月そく皆つくる: いの五刻東の方よりかけはじめねの五刻甚うしの五刻西の方におはる |
亥5.37初→子5.42甚[13.18分]→丑5.48復, 東→×→西
|
1744年 3月 14 |
月帯そく: とらの三刻東北の方よりかけはじめうの一刻六分ばかりかけながら入西国にては七分ばかりかけながら入べし |
寅3.93初→卯1.32入[5.78分]→卯2.83甚[7.42分]→卯3.82西国入[6.35分]→辰0.93復, 東北→北→西北
|
1744年 9月 16 |
月そく六分: いぬの三刻東南の方よりかけはじめいの二刻南の方に甚いの八刻西南の方におはる | 戌3.18初→亥2.19甚[6.15分]→亥8.05復, 東南→南→西南 |
1746年 正月 16 |
月そく六分: ねの五刻東南の方よりかけはじめうしの二刻南の方に甚とらの一刻西南の方におはる | 子5.80初→丑2.90甚[6.52分]→寅1.17復, 東南→南→西南 |
1747年 7月 15 |
月帯そく: 所見七分ばかりいぬの二刻西の方におはる西国にては所見三分ばかり |
申3.95初→酉3.20甚[14.26分]→酉6.69出[8.07分, 西3.15分]→戌2.46復, 東→×→西
|
1748年 正月 16 |
月そく五分: いぬの初刻東北の方よりかけはじめいぬの七刻北の方に甚いの四刻西北の方におはる | 戌0.65初→戌7.89甚[5.13分]→亥4.91復, 東北→北→西北 |
1749年 5月 16 |
× |
酉5.35初→酉7.28甚[1.45分]→戌0.78出[0.62分, 西分0分]→戌3.41復, 北→×→西北
|
1749年 11月 14 |
月そく五分: とらの四刻東南の方よりかけはじめうの初刻南の方に甚うの七刻西南の方におはる | 寅4.06初→卯0.85甚[5.11分]→卯7.79復, 東南→南→西南 |
1750年 5月 16 |
月帯そく: とらの四刻東の方よりかけはじめとらの七刻五分ばかりかけながら入べし |
寅4.47初→寅7.50入[5.09分, 西9.29分]→卯3.93甚[11.37分]→辰3.39復, 東→×→西
|
1750年 11月 15 |
月帯そく: さるの八刻五分ばかりかけながら出とりの一刻西の方におはるべし |
未3.61初→申2.70甚[14.08分]→申7.55出[5.16分, 西0.14分]→酉1.78復, 東→×→西
|
1751年 10月 15 |
月帯そく: うの三刻東の方よりかけはじめ五分ばかりかけながら入る西国にては六分ばかりかけながら入べし |
卯3.22初→辰0.57入[5.75分]→辰1.38甚[6.66分]→辰3.07西国入[4.76分]→辰6.77復, 東北→北→西北
|
1753年 3月 14 |
月そく四分: うしの六刻東北の方よりかけはじめとらの二刻北の方に甚うの一刻西北の方におはる |
丑6.08初→寅2.40甚[4.65分]→卯0.61復, 東北→北→西北
|
1753年 9月 16 |
月帯そく: とりの三刻五分ばかりかけながら出いぬの二刻西南の方におはる西国にては所見三分ばかり |
申5.30初→酉2.44出[5.48分]→酉2.59甚[5.61分]→酉2.44西国出[3.58分]→戌1.61復,
東南→南→西南
|
1754年 閏2月 15 |
月帯そく: とりの六刻六分ばかりかけながら出いぬの初刻西の方におはる |
申2.39初→酉1.31甚[6.42分]→酉5.45出[6.42分, 西1.27分]→戌0.24復, 東→×→西
|
1754年 8月 15 |
月帯そく: とりの三刻八分ばかりかけながら出とりの七刻甚但し既べしいぬの八刻西の方におはる |
申6.83初→酉3.32出[8.30分,
西皆既]→酉7.20甚[14.56分]→戌7.56復, 東→×→西
|
日食記事
年月日 |
頒暦の月食記事 | 突合結果 |
---|---|---|
1719年 正月 1 |
日帯そく三分: さるの五刻北方よりかけはじめとりの初刻甚二分半ばかりかけながら入る西国にては復して入べし |
申5.67初→酉0.94[3.45分]甚→酉1.63[2.89分, 西0.89分]入→酉5.95復, 西北→北→東北
|
1720年 7月 1 |
日そく七分: むまの八刻西南の方よりかけはじめひつじの四刻南の方に甚さるの一刻東南の方におはる | 午8.19初→未4.995[7.13分]甚→申1.80復, 西南→南→東南 |
1721年 7月 1 |
日帯そく: とりの四刻西北の方にかけはじめ四分ばかりかけながら入べし |
酉4.95初→戌0.06[4.04分]入→戌1.87[6.17分]甚→戌2.56[5.36分]西国入→戌7.12復, 西北→北→東北
|
1721年 11月 1 |
× |
巳2.80[0.04分]甚→巳3.44初→巳4.31復, 北→×→東北
|
1723年 5月 1 |
日そく三分: むまの三刻西南の方よりかけはじめむまの六刻南の方に甚ひつじの二刻東南の方におはる | 午3.47初→午6.66[3.36分]甚→未2.84復, 西南→南→東南 |
1725年 9月 1 |
日帯そく一分半: とりの初刻北の方よりかけはじめとりの二刻甚とりの三刻わづかにかけながら入見へがたかるべき蝕 |
酉0.20初→酉2.03[1.496分]甚→酉2.89[1.04分, 西0分]入→酉5.86復, 北→×→東北
|
1730年 6月 1 |
日そく八分: むまの七刻西の方よりかけはじめひつじの四刻甚さるの二刻東の方におはる | 午7.52初→未4.83[8.14分]甚→申2.15復, 西→×→東 |
1731年 12月 1 |
日そく九分余: たつの七刻西の方よりかけはじめみの四刻甚むまの一刻東の方におはる |
辰7.55初→巳4.28[9.95分]甚→午1.00復, 西→×→東
|
1735年 9月 1 |
日そく九分余: みの五刻西の方よりかけはじめむまの一刻甚むまの六刻東の方におはる | 巳5.22初→午1.94[9.69分]甚→午6.99復, 西→×→東 |
1740年 11月 1 |
日帯そく: 五分ばかりかけながら出たつの三刻東北の方におはる西国にては復して出べし |
卯2.56初→卯7.38[6.38分]甚→辰0.83[4.02分, 西0.71分]出→辰3.87復, 西北→北→東北
|
1742年 5月 1 |
日そく八分: たつの四刻西の方よりかけはじめみの初刻甚みの五刻東の方におはる | 辰4.52初→巳0.92[8.04分]甚→巳5.65復, 西→×→東 |
1744年 9月 1 |
日そく四分: たつの六刻西北の方よりかけはじめみの二刻北の方に甚みの六刻東北の方におはる | 辰6.47初→巳2.03[4.65分]甚→巳6.51復, 西北→北→東北 |
1745年 3月 1 |
日そく二分: みの七刻南の方よりかけはじめむまの二刻甚むまの六刻東南の方におはる | 巳7.72初→午2.16[2.40分]甚→午6.75復, 南→×→東南 |
1746年 2月 1 |
日そく七分: みの五刻西北の方よりかけはじめむまの二刻北の方に甚むまの八刻東北の方におはる | 巳5.37初→午2.55[7.26分]甚→午8.07復, 西北→北→東北 |
1747年 7月 1 |
日帯そく: とりの五刻西北の方よりかけはじめ所見二分ばかりにして入見へがたかるべき蝕 |
酉5.86初→酉7.7[2.03分]入→戌0.77[3.13分]甚→戌1.87[2.26分]西国入→戌5.51復, 西北→北→東北
|
1751年 5月 1 |
× |
巳0.27初→巳2.29[1.98分]甚→巳5.97復, 北→×→東北
|
1754年 閏2月 1 |
× |
寅6.68初→卯0.86[2.07分]甚→卯4.08[0.16分]出→卯5.34復→卯6.58[0分]西国出, 北→×→東北
|
以上。帯食の出入時時刻や出入時食分などを中心に、計算と合わないケースも多々あり、計算にいまいち自信が持てないところもあるが、まあ、なんとなく合っている場合の方が多い気はする。
次回は、宝暦暦の日月食法について。貞享暦とほとんど変わらないが。
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