前回説明した宝暦暦・修正宝暦暦の日月食法に基づき、食を計算し、頒暦に掲載されている日月食記事との突合を行う。
貞享暦末期、宝暦三(1753)年暦から、時刻の刻数を四捨五入するようになっていたが、宝暦暦では食分も四捨五入するようになった。初期は整数単位の四捨五入、最終的には 0.5分単位の四捨五入となる。どうも、月食と日食とで 0.5分単位の四捨五入となった時期が異なるようで、月食では安永五(1776)年暦以降、日食では遅くとも明和四(1767)年暦には 0.5分単位となっていたようだ。ただし、「ここまでは整数単位、これ以降は0.5分単位」とすぱっと切り替わらず、整数単位になったり0.5分単位になったり。
四捨五入で切り上げた結果、10分となる場合、「皆既」となる。それを「皆既」とするのが妥当かどうかは疑問だが。
最大食分(食甚が見えれば食甚食分、見えなければ出入時食分)が
3分未満だと不記載になったようである。
しかしこれが、宝暦十三(1763)年九月日食において問題となった。宝暦暦法では
2.61分の予測であり不記載となったのだが、実際は 7分ほどの日食だった。
以降は、小さい食でも記載する方針に変わり、また、宝暦暦の暦法改訂が進められ、明和八(1771)年暦から適用となる(明和の修暦)。
食甚食分が小さい場合でも記載されるようになったことから、明和四(1767)年六月月食の 0.38分を「五十秒」、安永四(1775)年閏十二月日食の 0.19分を「一分にみたず」のように表記する例が見られるようになる。
また、直接関係するのかどうかわからないが、宝暦十三年九月日食問題以降、西国の出入時食分が記載されなくなる。唯一、西国の記載があるのが 天明九(寛政元 1789)年四月月食で、「西国にては見へがたかるべし」。西国の出入食分は記載されなかったが、京都で見える食が西国で見えないとき、それは注記されたようだ。
寛政七(1795)年暦から、出入時食分「○分半ばかり」を「○分余」と記載するようになる。なぜか日食では表題部の食甚食分についても「○分半」を「○分余」と記載していて奇妙。
月食が記載される日は、月出(=日入)~月入(=翌日の日出)までの期間に起こる食については、仮に夜半24:00過ぎの食であっても翌日ではなく当日に記載されていた。が、天明六(1786)年暦から、望/食甚が日出以降の場合、初虧が日出前であっても、前日の食ではなく、当日の食として記載されるようになった。
つまりは、天明五(1785)年暦までは「日出から翌日の日出までを一日とし、初虧時刻が所属する日に記載する」、天明六(1786)年暦以降は「日出から翌日の日出までを一日とし、定望/食甚時刻が所属する日に記載する」。
- 定望時刻なのか食甚時刻なのかは、貞享暦・宝暦暦・修正宝暦暦においては原理的に同一時刻であるので問として意味をなさない。寛政暦・天保暦では定望時刻と食甚時刻は相違しうるが、両者の間に日出があって所属日が異なるような実例がないため、どちらか判断がつかない。
この結果、某日の月食というとき、某日の日入から翌日の日出までの間に起こる月食だけでなく、某日の日出直前あたりに欠けはじめる食甚の見えない食ということもありうるようになった。これにより寅卯時は、夜半24:00を過ぎた27:00~31:00のケースと、早朝
3:00~7:00のケースがありうるようになり、両者の区別をつけるために、27:00~31:00のケースの場合、「翌とらの○刻」「翌うの○刻」と表記される。
細かい話だが、食甚文言はもともと「甚」と記載されていたところ、宝暦十一(1761)あたりから「甚しく」になる。
月食記事
年月日 |
頒暦の月食記事 | 突合結果 |
---|---|---|
1755年 8月 15 |
月そく六分: とりの五刻東北の方よりかけはじめいぬの四刻北の方に甚いの二刻西北の方におはる |
酉4.20出→酉5.29初→酉6.70西国出[0.67分]→戌4.49甚[6.46分]→亥2.31復, 東北→北→西北
|
1756年 12月 16 |
月帯そく: とりの一刻三分ばかりかけながら出とりの五刻西北の方におはる西国にては所見一分ばかり | 未7.79初→申5.74甚[6.45分]→酉0.82出[3.30分, 西0.99分]→酉5.11復, 東北→北→西北 |
1757年 12月 15 |
月帯そく: とりの初刻六分ばかりかけながら出とりの四刻西の方におはる西国にては所見一分ばかり | 未2.94初→申3.23甚[14.99分]→酉0.20出[5.78分, 西1.43分]→酉3.52復, 東→×→西 |
1758年 6月 16 |
月そく皆つくる: ねの八刻東の方よりかけはじめうしの七刻甚とらの五刻西の方におはる |
子7.68初→丑6.55甚[11.98分]→寅5.43復, 東→×→西
|
1758年 12月 15 |
月帯そく: さるの八刻二分ばかりかけながら出とりの四刻南の方に甚いぬの一刻西南の方におはる西国にては所見五分ばかり |
申4.71初→申8.03出[2.50分,
西4.89分]→酉3.73甚[6.35分]→戌1.36復, 東南→南→西南
|
1760年 10月 15 |
月帯そく: うの四刻東北の方よりかけはじめたつの初刻北の方に甚たつの三刻五分ばかりかけながら入べし西国にては所見三分ばかり |
卯4.07初→辰0.11入[4.88分]→辰0.32甚[5.07分]→辰2.61西国入[2.92分]→辰6.54復, 東北→北→西北
|
1761年 10月 16 |
月食皆既: いぬの三刻東の方よりかけはじめいの二刻甚しくねの一刻西の方におはる |
戌2.58初→亥1.84甚[14.39分]→子1.10復, 東→×→西
|
1762年 9月 16 |
月帯そく七分: とらの四刻東南の方よりかけはじめうの三刻正南に甚しくうの七刻二分ばかりかけながら入べし西国にては復して入べし |
寅3.55初→卯2.66甚[6.52分]→卯7.22入[2.13分]→辰0.43復→辰1.38西国入, 東南→南→西南
|
1765年 正月 16 |
月そく皆既: いの一刻東の方よりかけはじめねの一刻甚しくうしの初刻西の方におはる | 亥1.27初→子0.75甚[14.47分]→丑0.22復, 東→×→西 |
1765年 7月 14 |
月そく皆既: ねの三刻東の方よりかけはじめうしの二刻甚しくとらの二刻西の方におはる | 子3.18初→丑2.41甚[14.95分]→寅1.63復, 東→×→西 |
1766年 正月 16 |
月そく五分: とらの一刻東北の方よりかけはじめとらの八刻北の方甚しくうの六刻西北の方におはる |
寅0.93初→寅8.29甚[5.44分]→卯5.52復→卯6.13入[0.24分, 西0分], 東北→北→西北
|
1767年 6月 16 |
月そく五十秒: うしの四刻北の方よりかけはじめうしの五刻甚しくうしの八刻西北の方におはる |
丑4.53初→丑4.83甚[0.38分]→丑7.87復, 北→×→西北
|
1768年 11月 15 |
月そく皆既: ねの初刻東の方よりかけはじめねの八刻甚しくうしの七刻西の方におはる | 子0.21初→子7.61甚[14.07分]→丑6.67復, 東→×→西 |
1769年 11月 16 |
月帯そく: さるの八刻五分半ばかりかけながら出とりの四刻西北の方におはる |
申0.03初→申6.54甚[6.71分]→申7.61出[5.50分, 西2.69分]→酉3.63復, 東北→北→西北
|
1771年 9月 16 |
月そく五分: ねの四刻東南の方よりかけはじめうしの一刻南の方に甚しくとらの初刻西南の方におはる | 子4.43初→丑1.41甚[5.11分]→寅0.27復, 東南→南→西南 |
1772年 3月 15 |
月そく皆既: いの八刻東の方よりかけはじめねの七刻甚しくうしの五刻西の方におはる | 亥7.66初→子6.58甚[13.89分]→丑5.495復, 東→×→西 |
1772年 9月 15 |
月そく皆既: ねの五刻東の方よりかけはじめうしの六刻甚しくとらの六刻西の方におはる | 子5.23初→丑5.57甚[13.62分]→寅5.91復, 東→×→西 |
1773年 3月 16 |
月帯そく: とりの六刻四分ばかりかけながら出いぬの初刻西南の方におはる |
申5.04初→酉3.26甚[6.70分]→酉5.38出[4.33分, 西1.54分]→戌0.38復, 東南→南→西南
|
1773年 8月 14 |
月そく八分: うしの二刻東北の方よりかけはじめとらの一刻北の方に甚しくとらの八刻西北の方におはる | 丑1.95初→寅1.22甚[7.65分]→寅8.16復, 東北→北→西北 |
1775年 正月 16 |
月そく七分: いの七刻東北の方よりかけはじめねの五刻北の方に甚しくうしの四刻西北の方におはる | 亥6.60初→子4.72甚[6.72分]→丑4.12復, 東北→北→西北 |
1775年 閏12月 15 |
月そく皆既: いの二刻東の方よりかけはじめねの三刻甚しくうしの三刻西の方におはる | 亥2.47初→子2.76甚[14.90分]→丑3.05復, 東→×→西 |
1776年 12月 14 |
月そく六分半: ねの四刻東南の方よりかけはじめうしの三刻南の方に甚しくとらの一刻西南の方におはる |
子4.30初→丑3.37甚[6.59分]→寅1.15復, 東南→南→西南
|
1777年 6月 16 |
月そく三分: いぬの五刻東北の方よりかけはじめいの三刻北の方に甚しくいの六刻西北の方におはる | 戌5.09初→亥2.68甚[3.01分]→亥6.26復, 東北→北→西北 |
1779年 10月 16 |
月そく皆既: とらの一刻東の方よりかけはじめうの初刻甚しくうの八刻西の方におはる | 寅1.09初→卯0.33甚[13.88分]→卯7.91復, 東→×→西 |
1780年 4月 15 |
月帯そく九分: とりの八刻三分半かけながら出いぬの四刻北の方に甚しくいの三刻西北の方におはる |
酉5.32初→酉8.19出[3.56分,
西6.66分]→戌4.19甚[8.92分]→亥3.05復, 東北→北→西北
|
1782年 2月 16 |
月帯そく: とりの五刻二分半ばかりかけながら出とりの八刻西南の方におはる | 申5.42初→酉1.86甚[5.32分]→酉4.67出[2.64分, 西0.25分]→酉8.23復, 東南→南→西南 |
1782年 8月 15 |
月そく四分半: いの六刻東北の方よりかけはじめねの二刻北の方に甚しくうしの一刻西北の方におはる | 亥5.96初→子2.31甚[4.30分]→丑0.76復, 東北→北→西北 |
1783年 2月 16 |
月帯そく皆既: とらの七刻東の方よりかけはじめうの四刻皆既て入 |
寅6.96初→卯4.50入[皆既]→卯6.42甚[14.72分]→卯7.00西国入[皆既]→辰5.88復, 東→×→西
|
1784年 7月 15 |
月そく六分: いの五刻東南の方よりかけはじめねの三刻南の方に甚しくねの八刻西南の方におはる |
亥5.13初→子3.17甚[5.749分]→子8.11復, 東南→南→西南
|
1785年 12月 15 |
月そく五分: いぬの八刻東南の方よりかけはじめいの四刻南の方に甚しくねの三刻西南の方におはる | 戌7.75初→亥4.42甚[4.95分]→子2.95復, 東南→南→西南 |
1786年 6月 16 |
月帯そく九分: いぬの初刻八分ばかりかけながら出いぬの一刻北の方に甚しくいの一刻西北の方におはる |
酉2.22初→戌0.46出[8.24分]→戌1.38甚[9.39分]→戌0.46西国出[西7.40分]→亥0.53復,
東北→北→西北
|
1786年 11月 15 |
月帯そく: うの八刻東の方よりかけはじめたつの一刻一分半ばかりかけながら入 |
今暁卯8.18初→辰0.62入[1.56分, 西6.60分]→辰7.25甚[14.24分]→巳6.32復, 東→×→西
|
1787年 5月 15 |
月そく皆既: いの二刻東の方よりかけはじめねの二刻甚しくうしの二刻西の方におはる | 亥2.11初→子2.01甚[10.97分]→丑1.90復, 東→×→西 |
1787年 11月 15 |
月そく七分: いの八刻東北の方よりかけはじめねの六刻北の方に甚しくうしの三刻西北の方におはる | 亥7.55初→子5.73甚[6.87分]→丑2.90復, 東北→北→西北 |
1788年 5月 15 |
月そく二分: ねの初刻東南の方よりかけはじめねの六刻甚しくうしの初刻南の方におはる | 子0.46初→子5.97甚[1.87分]→丑0.34復, 東南→×→南 |
1789年 4月 15 |
月帯そく: とりの八刻一分半ばかりかけながら出いぬの三刻西北の方におはる西国にては見へがたかるべし |
酉1.32初→酉5.08甚[3.37分]→酉7.67出[1.57分, 西0分]→戌2.71復, 東北→北→西北
|
1791年 3月 16 |
月そく七分半: ねの五刻東南の方よりかけはじめうしの三刻南の方に甚しくとらの一刻西南の方におはる | 子5.10初→丑3.37甚[7.34分]→寅0.86復, 東南→南→西南 |
1793年 正月 16 |
月帯そく: うの六刻東北の方よりかけはじめ一分ばかりかけながら入見へがたかるべし |
今暁卯5.64初→卯6.02入[1.01分, 西3.30分]→辰3.59甚[6.43分]→巳2.96復, 東北→北→西北 |
1793年 7月 15 |
月そく六分半: いの七刻東南の方よりかけはじめねの四刻南の方に甚しくうしの二刻西南の方におはる | 亥7.20初→子4.08甚[6.36分]→丑2.17復, 東南→南→西南 |
1794年 正月 16 |
月帯そく: うの二刻東の方よりかけはじめうの七刻九分ばかりかけながら入 | 今暁卯1.58初→卯6.80入[9.10分, 西皆既]→辰1.85甚[14.66分]→巳2.12復, 東→×→西 |
1795年 6月 16 |
月帯そく四分: 翌とらの初刻東北の方よりかけはじめとらの七刻甚しくうの初刻二分余かけながら入 |
寅0.42初→寅6.88甚[3.96分]→卯0.48入[2.54分]→卯2.87復→卯2.98西国入[0.70分], 東北→北→西北
|
1796年 5月 15 |
月帯そく: いぬの一刻一分ばかりかけながら出いぬの六刻西南の方におはる見へがたかるべし |
酉7.60初→戌0.79出[1.08分]→戌1.18甚[1.22分]→戌3.29西国出[0.47分]→戌6.10復,
南→×→西南
|
1796年 11月 16 |
月そく四分半: いの七刻東北の方よりかけはじめねの三刻北の方に甚しくうしの初刻西北の方におはる | 亥6.56初→子2.55甚[4.61分]→丑0.31復, 東北→北→西北 |
1797年 5月 15 |
月帯そく皆既: いぬの一刻二分余かけながら出いぬの七刻甚しくいの七刻西の方におはる | 酉7.33初→戌0.67出[2.43分, 西6.03分]→戌6.96甚[10.36分]→亥6.59復, 東→×→西 |
日食記事
年月日 |
頒暦の月食記事 | 突合結果 |
---|---|---|
1755年 2月 1 |
日帯そく: うの五刻二分ばかりかけながら出うの六刻東南の方におはる西国にては見ゑがたかるべし |
寅4.87初→卯2.04[7.71分]甚→卯4.91[3.68分, 西0.18分]出→卯7.54復, 西南→南→東南
|
1757年 7月 1 |
× |
寅6.14初→卯1.43[1.15分]出→卯1.73[1.28分]甚→卯3.43復→卯3.93[0.28分]西国出,
西北→×→北
|
1760年 5月 1 |
日帯そく: とりの六刻西の方よりかけはじめいぬの一刻五分ばかりかけながら入べし西国にては所見七分ばかり |
酉6.21初→戌0.72[5.05分]入→戌2.62[8.44分]甚→戌3.22[7.38分]西国入→戌7.37復, 西→×→東
|
1763年 9月 1 |
× |
巳1.91初→巳5.85[2.61分]甚→巳8.31復, 西南→×→南
|
1767年 1月 1 |
日そく二分半: ひつじの八刻南の方よりかけはじめさるの二刻甚しくさるの六刻東南の方におはる | 未8.12初→申2.35[2.71分]甚→申6.37復, 南→×→東南 |
1768年 12月 1 |
日そく二分半: みの八刻西北の方よりかけはじめむまの四刻甚しくむまの六刻北の方におはる |
巳7.80初→午3.85[2.23分]甚→午6.40復, 西北→×→北
|
1770年 5月 1 |
日そく皆既: みの五刻西の方よりかけはじめむまの一刻甚しくむまの六刻東の方におはる |
巳4.76初→午1.31[9.82分]甚→午6.20復, 西→×→東
|
1773年 3月 1 |
日そく三分半: ひつじの八刻西北の方よりかけはじめさるの三刻北の方に甚しくさるの八刻東北の方におはる | 未7.81初→申3.11[3.52分]甚→申8.11復, 西北→北→東北 |
1774年 8月 1 |
日そく五分: みの初刻西南の方よりかけはじめみの五刻南の方に甚しくむまの一刻東南の方におはる | 巳0.13初→巳4.70[4.96分]甚→午1.16復, 西南→南→東南 |
1775年 8月 1 |
日そく七分: ひつじの三刻西北の方よりかけはじめひつじの八刻北の方に甚しくさるの五刻東北の方におはる | 未2.82初→未8.25[6.80分]甚→申5.34復, 西北→北→東北 |
1775年 閏12月 1 |
日そく一分にみたず: むまの六刻北の方よりかけはじめむまの七刻甚しくむまの八刻東北の方におはる |
午6.34初→午7.28[0.19分]甚→午8.22復, 北→×→東北
|
1784年 7月 1 |
日そく二分: たつの二刻北の方よりかけはじめたつの五刻甚しくみの一刻東北の方におはる |
辰1.87初→辰4.58[2.28分]甚→巳0.88復, 北→×→東北
|
1785年 7月 1 |
日そく六分: たつの七刻西南の方よりかけはじめみの四刻南の方に甚しくむまの一刻東南の方におはる |
辰7.48初→巳4.32[6.33分]甚→午1.16復, 西南→南→東南
|
1786年 正月 1 |
日そく皆既: むまの一刻西の方よりかけはじめむまの六刻甚しくひつじの二刻東の方におはる |
午0.63初→午5.71[9.96分]甚→未2.45復, 西→×→東
|
1788年 5月 1 |
日帯そく: とりの八刻西南の方よりかけはじめいぬの一刻所見一分ばかりかけながら入見へがたかるべし |
酉7.91初→戌0.54[1.24分, 西4.48分]入→戌3.99[5.71分]甚→亥0.06復, 西南→南→東南
|
1789年 10月 1 |
日そく六分: みの八刻西南の方よりかけはじめむまの四刻南の方に甚しくひつじの一刻東南の方におはる | 巳7.96初→午4.29[6.24分]甚→未0.61復, 西南→南→東南 |
1794年 12月 1 |
日そく九分余: たつの二刻西の方よりかけはじめたつの七刻甚しくみの四刻東の方におはる |
辰0.02出→辰2.14初→辰2.52[0.68分]西国出→辰7.34[9.39分]甚→巳4.20復, 西→×→東
|
1795年 12月 1 |
日帯そく: さるの三刻西南の方よりかけはじめさるの八刻一分余かけながら入見へがたかるべし |
申2.76初→申7.13[2.07分]甚→申7.87[1.62分]入→酉1.24復→酉2.04[0.10分]西国入, 西南→×→南
|
1796年 6月 1 |
日そく七分余: うの初刻西南の方よりかけはじめうの五刻南の方に甚しくたつの一刻東南の方におはる |
寅7.71出→卯0.27初→卯1.88[2.56分]西国出→卯4.90[7.39分]甚→辰1.19復,
西南→南→東南
|
貞享暦と比べて、かなり記載方針が固まってきて、頒暦記載の文言と、計算から予想される文言とが一致するようになってきた。
以上で、宝暦暦・修正宝暦暦の日月食法の説明、おわり。次回は、寛政暦の月食法について。
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